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4、奪還のベリル

237、シュネー、大陸は広いねえ/ わたくし、王様になっちゃった

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「青国の預言者は無能ですね」

 少年魔法使いの声が響く。姿は、見えない。
 
「誰だっ!?」
「声の主を探せ……!」
 
 声は、シフォン補佐官やモンテローザ公爵、フィロシュネーの後ろに付き従う護衛騎士や侍従団にも聞こえているようだった。
 
 青国の王城内は、当然ながら許可されていない者がそのへんをうろついているはずがない。不法に侵入した賊が挑発的に自国の預言者を蔑む発言をしたのだから、現場は騒然となった。

(でも、この声の少年はわたくしの味方よね?)
 
 暗殺者からも守ってくれた。
 振る舞いは非常識で、無礼で、挑発的にも思えるが。
 
「紅国の預言者さん、と名乗られていましたかしら……あなたは、わたくしの味方ですわね?」

 周囲の臣下たちを片手で落ち着かせながら、フィロシュネーは虚空に問いかけた。
 すると、少年魔法使いは「もちろん」と声を返してくれた。

「ふうむ。わたくしの正式なお客様として認めてもよろしいのですが、もう少しご身分をはっきりとさせてくださいます? それに、今みたいに姿を隠して驚かせたり、わたくしの国の預言者をおとしめるのはお控えください」

 軽い頭痛がする。
 いろいろと考えすぎたせいだろうか、頭が重いような感じ。
 フィロシュネーは無意識に頭を手でおさえそうになって、こらえた。

 ――わたくしは、全知全能の女神として振る舞わないといけない。女神は疲れた素振りなんて、見せない。

 なのに。

「俺は預言しますが、あなたは休むべきですね。婚約者からの手紙でも読んでベッドでお休みなさい。あなたに気を使い、支えるべき青国の預言者さんは何をしているんです? 職務怠慢ですね」

 少年魔法使いは無遠慮に言い放ち、フィロシュネーの虚勢を台無しにしたばかりか、青国の預言者を怠慢と呼ぶ。

「そういうことをおっしゃるなら、あなたをお客様と呼ぶのをやめましょうか」
「失言でしたか。ご機嫌を悪くなさらないでください、俺のお姫様」

 フィロシュネーがむっとして言えば、子どもをあやすような――本気で機嫌を取り結ぼうとするような声が返ってくる。

(サイラスに似ている)
 フィロシュネーはふと、そう感じた。

「お邪魔しました。また後日」
 少年の声は、それで途切れた。姿は見えないけどそこにいる、というぼんやりとした存在感みたいなものが空気に溶けるように消える。いなくなったらしい。
  
「陛下。あれは凡庸な魔法使いではありませんね。人かどうかも怪しいものです」

 モンテローザ公爵は珍しく深刻な声で言って、「我が国の預言者ダーウッドにこの件を共有しましょう」と提案した。
 そして、シフォン補佐官の手にある報告書に目を向けた。

「確かに陛下はお疲れのようです。こちらの報告書は私が処理しますので、陛下は本日はお休みください」

 ――モンテローザ公爵は、女神のような振る舞いを求めたのでしょうに。

 ……あるいは、ここで女神らしく振る舞えるかどうかを試されている?
 
「わたくしが処理いたします。わたくし、別に疲れていませんもの。けれど、お気遣いは嬉しいですわ。ありがとう存じます」

 フィロシュネーは優雅に微笑み、シフォン補佐官から報告書を受け取った。

「さすが陛下でございます。それでは、夜は自室でそちらの書類に専念していただくということで」
 
 モンテローザ公爵が敬愛を感じさせる仕草で恭しく一礼すると、周囲の臣下たちが一斉にそれにならった。

 部屋に戻って報告書をひらくと『陛下のために、王族用の大浴場に我が家の自慢の花風呂を用意させました。この後はゆっくりお休みください』とモンテローザ公爵の字で書いてある。
 
 なるほど、もともと休ませてくれるつもりだったのだ。
 フィロシュネーが目を瞬かせていると、王妹時代からの侍女ジーナが「浴場の準備が整いましてございます」と案内してくれる。
 
 王族用の大浴場は、代々王族のみが利用できる特別な浴場だ。

 人が三十人浸かっても余裕がありそうな広さの浴槽は、素材が場所によって色合いを変えている。
 北側が紅色の底と壁で、東側は青色。西側は空色。

 ずっとずっと前、ようやく物心がついたかどうか、という幼い姫時代に、フィロシュネーは父王クラストス――クラストスに成りすましたオルーサに大浴場の秘密を教えてもらったことがある。

『シュネー、このお風呂はね、大陸をイメージしているんだよ。シュネー、大陸は広いねえ』 

 モンテローザ公爵に贈られた青い花の花びらが、ぷかぷかと湯面に浮かんで漂っている。
 いい匂いだ。

 ちゃぷりと湯舟に浸かれば、たっぷりのお湯のおかげで腰のあたりや二の腕のあたりに軽く浮力を感じる。

 湯に包まれた部分はじんじんとあったまっていって、湯の上に出ている顔にも湯気がほわほわとあたって、緊張がほぐれていく。

「……疲れたわ」

 ぽつりと言うと、専属侍女のジーナが「さぞお疲れでしょう」といたわってくれる。ジーナは、気心知れた侍女だ。友達だ。弱いところを見せても、いい。

「ジーナ。わたくし、王様になっちゃった」
 
 ぽつりと言えば、「びっくりですねえ」と優しい声が返ってくる。

「うん。びっくりね」

 フィロシュネーはほんわりと言葉を返して、両手でお湯をすくった。
 指の間を湯が落ちていく。

「早くお返しできるといいですね」
「ふふ……っ、ジーナは、そう言ってくださると思ったの」

 入浴を終えて部屋に戻り、ネグリジェに着替えて、フィロシュネーはようやくサイラスからの手紙をひらいた。

 ずっと気になっていて、早く読みたいと思っていたけれど、なすべきことをなしてから、ひとりの時間にゆっくりと読みたかったのだ。
 
 頑張った一日の締めくくりを彩るご褒美のようなもの――フィロシュネーはニコニコしながら手紙を読んだ。
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