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幕間のお話3

213、賢者ダイロスは死にたかったはずなのだが

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 軍神とたたえられた青王ソルスティスの御代が幕を下ろし、新王アリューシャの治世が始まろうとしていた秋。
 青国の預言者であった不老症のダイロスは、子どもの頃から見守ってきたソルスティスの葬儀のあとで、引退を表明して城を出た。
 
 引退の理由は半分は自分の意思で、半分は真の主君であるオルーサの決定だ。
 
 オルーサが言ったのだ。
「次はアリューシャ王として過ごすぞ」
 と。

 それはすなわち、新王アリューシャが殺されるという意味。
 オルーサが成り代わるという意味だった。
 
 ダイロスは反発心を覚え、それを見透かされて、オルーサから廃棄を言い渡された。廃棄は、死を意味する。
 このとき、ダイロスは百五十歳を越えていて、自分は十分に長い人生を生きたという感覚があった。
 亡き王ソルスティスの冥府の共をするのも良いのではないか――ダイロスはそう思い、ソルスティスの墓の前で自分の喉を掻っ切ろうとした。

 不老症のためだろうか。
 王や民を欺いてオルーサの配下として偽預言者を演じ続けたからだろうか。
 ダイロスは、感情が擦り切れていた。そろそろ死んでもいいなあ、死のうかなあ、と元々考えていた頃合いだったのだ。

 だって、みんなが死んでいくから。
 
 ダイロスが真実、青少年であった頃の知己は、他界済だ。
 二十代前半の外見のままでいるダイロスが誕生に駆け付けた友人知人の子が亡くなり、その孫も儚くなり。
 長い時間をともに生きて、これからも数少ない理解者であろうと思っていた不老症の仲間も「そろそろ死ぬよ」と旅立っていき。
 自分以外の生き物とは生まれても死ぬ、と、そんな感覚を身に着けてしまった。
 
 可愛らしくきゃっきゃとはしゃぐ幼子を見て「この子もすぐに老いて死ぬ」と思うようになり、恋に浮かれる若者を見て「そんな時期はすぐに終わる」と思うようになり、情熱と希望に満ちた眼差しで勉学に励む天才に「そんなことを学んでもお前はすぐに儚くなるのに」と感想を抱くに至って、ダイロスは自分がもはや人間と呼ばれるべき感性を失ったと思った。
 弟子を持ってみても、残念なことにその成長がまったく心に響かない。死んでしまってもそれほど感傷を抱かないのではないかと思われた。

 周囲が何かを熱心に話していても、「それは大した問題ではないではないか」と感じられてしまって仕方ない。
 くだらない。なにもかもが色あせて、ああ、自分は人間ではなくなっている、死ぬべきときなのだ、と結論を出したのだ。

 だからダイロスは、魔力を通したナイフを喉にあてた。不老症は、自然な寿命で体が衰えていって死ぬことがない身体だけれど、重篤な病や怪我では死ぬことができるのだ。
 
 ソルスティスのことを思い出すと、すこしだけ心に隙間風が吹く心地はしたかもしれない。
 軍神と呼ばれるようになった王の名は、ダイロスが考えていいと言われた。ゆえにダイロスは、紅国の太陽神の名をつけたのだ。
 名前の通り太陽のように眩く、立派な王だった。
 
 ひんやりとした刃の感触が喉に伝わって、目が熱くなる。
 これはきっと悲しんでいるのだ。惜しんでいるのだ。自分が偽の預言者だと最後まで隠し通したダイロスは、自分の心に罪悪感めいた陰があることを自覚した。ソルスティスという王を喪失したことへの悲しみが感じられることに慰めを覚えた。アリューシャの運命を哀れに思った。

 けれど、アリューシャを救おうとは思わなかった。
 このまま死んでしまおう。そう思って――……


 ……でも、死ねなかった。


 意外なことだったけれど。
 とても、とても驚いたことだったけれど。
 ダイロスは、死のうとした瞬間に手をそれ以上動かすことができなくなったのだ。

 もう少し力をこめれば、自分は死ぬ。
 そう意識した途端に、恥ずかしいことに――怖くなったのだ。
 
 そしてダイロスは、逃げた。
 
 

 逃げた後は、あちらこちらを彷徨った。
 自分は死んだということにして、弟子たちにも口止めをして。
 
 死にたいのか生きたいのかも曖昧なまま、ふらりふらりと年月を過ごした。
 そして偶然、レクシオ山で遺跡を発見した。月隠の夜の出来事であった。
 

 遺跡の奥には扉があった。
 扉を開くときには、警告があった。
 扉の向こうには……未知の空間が広がっていた。

 白い。真っ白だ。
 見たことのない白い素材の壁に囲まれた、清潔感溢れすぎて無機質で冷たい印象の通路。殺風景といっていい。経年劣化と無縁そうで、どんなに汚してもすぐに新品同様にぴかぴかにされるのだろうな、という壁だった。まるで不老症を連想させるような壁だった。
 
 壁に囲まれた通路は広くて、明るくて、眩しい。
 壁と床、天井に囲まれていると、なんだか窮屈で、いやになってくる。そんな綺麗すぎる空間だった。
 
 枯れた感性のダイロスがそう感じるのだから、普通の人間であれば長い時間を過ごすのに耐えられないに違いない。
 けれど、ここには人間が何人もいた。

「……こうして、わしはこの船に迷いこんだというわけじゃ」

 青年の姿をした百五十歳のダイロスは、深い緑色のローブのフードを目深にかぶりなおし、顔を――特に、特徴的な瞳を――隠すようにして、見知らぬ人々に囲まれて事情を説明した。


「客人が来ることは、珍しいことではない。悪人でないのなら、こちらは貴殿を歓迎しよう」

 ダイロスを出迎えた筋骨隆々とした美男子が、なんとも威厳のある声で挨拶をした。
 
 燃えるような赤い長髪に、きらきらとした生気に満ちた橙色の瞳。蠱惑的な小麦色の肌をした美男子は、どことなく前時代的な衣装を身にまとっていた。
 神話時代の絵画に描かれるような布をぐるぐると体に巻き付けた衣装なのだが、その布が見たことのないような上質かつ魔力を帯びた布だった。
 ダイロスが魔法で何かを仕掛けてもその布が守るのだろうと思われたし、下手したら魔法を反射するか、織り込まれた仕掛けかなにかで反撃の魔法を発動させてダイロスを打ちのめすに違いない――そんな危険な香りを察知させる布だった。

「そんなに怯えなくてもよい」
 
 美男子は、どうもこの船のリーダーのようだった。
 人の上に立つ者特有の声色は、ダイロスにとって親しいものだ。オルーサに似ている。否――呪われて意思疎通に齟齬が生じやすいオルーサよりも、コミュニケーションを取っている感覚が強い。
 相手と自分がちゃんと向かい合っている、という感覚が、オルーサを相手にしているときは薄いが、この美男子はビンビンと「今お前と俺は話しているぞ」と心を揺らしてくる感じなのだ。

「私はソルスティスという」

 美男子が名乗った名前に、ダイロスは一瞬ぽかんとなった。

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