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幕間のお話2

155、ハルシオンと賢者の『失恋しました会』

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 カントループ商会が扱う商品のひとつに、香水時計がある。
 
 もともと存在した天文学用の水時計と香時計を鑑賞用に合わせたような代物で、円筒型の透明な容器の中で色付きの綺麗な香水がぷくぷく泡を立てていて、良い匂いがするのだ。
 これは最近開発されたものではなく、元々空国にある商品で、容器に山と海の絵が必ず描いてある。理由は不明だが、上部に山、底が海というのが定番だ。
 
 その香水時計に目を細めて、ミランダは予定を告げた。
 
「殿下、診療のお時間です」
 
 呪術が使えない不調を診てもらう時間だ。
 
 ハルシオンの兄、空王アルブレヒトは預言者ネネイの力も借りて、高名な『魔法使い』を城に招いている。最近王妃との緊縛プレイも落ち着きを見せた様子のアルブレヒトは、なんだかんだ言って兄想いな弟だった。
 兄ハルシオンも相変わらず弟が好きな様子で、紅国での商業神の教義や、商業神が天啓をくれたことなどを嬉しそうに何度も話していた。
 ハルシオンの精神状態は安定していて、兄弟の関係も以前よりも和やかだ。
 
(我が君ハルシオン殿下にとって「呪術が使えない」という状態は良い影響を及ぼしているようだけど、やはり異常な状態ではあるし、心配だから……)
 ミランダはそう思って、少し緊張しながら『魔法使い』に挨拶をした。

 弟子を連れた『魔法使い』は、不老症でどこに住んでいるのかも定かでなく、神出鬼没の賢者らしい。
 不老症の人物にはよくあるのが、親しい人たちに「自分はそろそろ人生に幕を下ろします」と言って姿を晦ませることだ。そして、その後は本当に人生を終わらせる者と、終わらせずに生き続ける者とに分かれる。

 寿命の短い人間たちの社会で「自分より後に生まれた人が自分より先に死んでいく」という日々に心を疲労させた人物は、世俗と離れ、人に情を持ちすぎないよう距離を置くことで心が平穏さを取り戻し、長く永く生きて常人とはまったく別の生き物のようになっていくこともある――真実かは知らないが、ミランダは人の姿を捨てて自然の一部となった超古代の人物の話なども聞いたことがある。
 
「ようこそお越しくださいました、賢者様……」 
 この賢者は、引退した預言者という噂もある。
 弟子は高身長でがっしりした体格をしていて、師匠は小柄で痩せている様子だ。ともに、全身を頭から足まですっぽりと覆う青いローブを纏っていた。手には、ひょろりと長細い杖も持っている。

「このたびは我が君ハルシオン殿下のご不調を診てくださり、まことにありがとうございま……」 
 ミランダは恭しく挨拶しかけて、次の瞬間に「あっ」と声をあげた。

「あ、あなたは!」
 ローブのフードをファサッと払って顔を見せた賢者が、ミランダもよく知る「野良じいさん」のダイロスだったからだ。

 では弟子はというと、尻尾がモフモフなアロイスという獣人で、こちらはハルシオンの失恋濃厚会の同志でもある青年だ。

「ふぁっふぁっふぁ、驚いたかの。わしが噂の賢者であーる」
 楽しくて仕方ない、といった様子でふんぞり返るポーズをして、ダイロスはハルシオンを診療した。

「ど、どういうことなのでしょうか。あの青国の不届き者が……」
 思わずミランダの唇から困惑の言葉が零れると、ダイロスは意地悪そうな視線を投じた。
「侵略者を診てやろうというのだから感謝してほしいのだが?」

「師匠、喧嘩はおやめください」
「子供っぽいことを言うでない、アロイス」

 弟子のモフモフ尻尾がひょこんと揺れるので、ミランダは目を奪われた。
 
 ああ、覚えている、この感覚。
 ああ、この魅惑の尻尾。見覚えがある。あの時もきゅんっとなったのだ。
 
「またお会いできてうれしいです」
「なぜ尻尾に向かって挨拶を」

 目の前で魅惑の尻尾がファサッと揺れる。
 いけない、気持ち悪がられている――ミランダは慌てて視線をあげて、アロイスの眼を見た。

「失礼しました。あなたの尻尾が好きなものですから」
「はっい?」
 素っ頓狂な声をあげて、アロイスの眼がミランダを見つめる。手がお尻を押さえるように後ろに回っている……。
「不躾ですみません、素敵な尻尾だなと思っていただけなのです……」

 ミランダは恥じた。
 獣人が珍しくて尻尾を褒めたが、これを人間に直して考えたら?
 例えば「初めまして! あなたのお尻が素敵なので見惚れていました」と言われたら?

「変態みたいな発言をしてすみません」
 慌てて詫びると、アロイスは「いえ、大丈夫です。尻尾を褒めてくれてありがとうございます」と言ってくれた。人の良さそうな声色だった。
 
「ほう。新しい出会いがあってよかったではないかアロイス。いやはや、弟子たちが泥沼の三角関係でコミュニティブレイクをかましおって追ったのじゃ」
 
 ハルシオンを診ながらダイロスが語る。

「やはりのー、男2人に女1人というのがよくなかったんじゃなー。シェイドも悪い子じゃなかったんじゃが、友人がちと悪影響を与えていたようでの、しかもその友人が亡くなってしまったものじゃから~」

「お弟子さんが非行に走ってしまわれたのですか、心中お察しします……」

 相槌を打ちながら、ハルシオンはソワソワとミランダに視線を注ぐ。

 ミランダとアロイスは朗らかに言葉を交わし、お互いに「この人は話しやすいし良い人だなぁ」みたいな感情を瞳にのぼらせている。

「しかも懐いてる相手が伴侶殺しの前科者ときたもんだ。はー、けしからん」
「それは、けしからん……ですねえ……」

 声が無自覚に低くなる。
 診察していたダイロスは「おや」という風に片眉をあげた。

「若い者はすぐに感情を拗らせる……」
 ダイロスの視線が部屋の中のあちらこちらを彷徨って、「まあ、あれもこれもと欲しがるのは若者の特権かの」と結論付けるように呟いた。
 
「日常生活には支障がないゆえ、安心めされよ」
「ありがとうございます。私的には前より頭もスッキリしていて、気分がいいのですよ」
「そりゃよかったの」

 呪術は使えないままだったが、別にこのままでも生活はできそうだ。そんな安堵を胸に表情を緩めたハルシオンの耳に、聞き捨てならない言葉が届いた。

「今度デートしませんか、ミランダさん」
「まあ……私と……?」

 ――デートだって。

 驚きに一瞬、頭が白く染まる。
「何を言ってるんです……!?」
 そんなの許されない――想いがハルシオンの口をついて出る。

「アロイスさんは、失恋しました会の同志ですよ。なぜ失恋してすぐに他の女性に声をかけちゃうんです? あなたの恋とはその程度だったのですか」

 責めるような口調に、室内の全員がびっくりした様子を見せている。アロイスが「失恋しました会って今初めて聞いたんですが」などと呑気なことを言っている。言葉が心に響いてない――ハルシオンは残念に思いながら付け足した。

「それに、それに……うちの子はあげません。パパが許しません!」

「うちの子」
「パパな気持ちであったか」

 ダイロスが残念な子を見るような目でハルシオンを見る。なぜ? 残念なのはアロイスではないか――ハルシオンは心の底から疑問に思いつつ、賢者と弟子に宣言したのだった。

「私の目が黒いうちは、許しません! 新しい恋人を作るよりも『失恋しました会』で同志と絆を深めましょう!」

 こうしてハルシオンは『失恋濃厚会』の兄弟組織として『失恋しました会』を設立したのである。
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