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2、協奏のキャストライト

148、呪術が使えなくても、殿下は人間です

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 見舞い客が帰ったあと、ミランダは薬湯を淹れながら、そっと大切な主君の顔色をうかがった。

(ハルシオン殿下は喜んでおられるご様子……。姫殿下にお見舞いいただけて、よかった)

 渡した薬湯のカップを両手で包むように持つハルシオンの姿は、風邪で伏せっていたせいもあって、どことなく儚げだ。
 
 肌は不安になるほど白く、白銀の髪は絹糸のように、さらさらとしていて艶やか。
 成人した男性としての凛とした風情に加えて、どこか女性的なたおやかな麗しささえ感じさせる美貌。
 
 そうでなくてもハルシオンという青年は、その心の繊細さでミランダの庇護欲をかきたてる存在なのだ。
  
 ハルシオンは、ほんわかと語る。
「ミランダ、シュネーさんが私を頼りにしてくれましたよ。私が役に立つから、シュネーさんは頼ってくれるんだ。私がなんでもできると思ってる……ふふ、頼っていいんだ。実際、私はなんでもできるのだもの」
 
 その発言内容の不穏さに、ミランダはどきりとした。
 
「殿下は……」
 忘れてしまったのだろうか。
『私はもう呪術を使いません。普通の人間になりますミランダ』
 そう語ったのを。魔力封じの指輪を大量につけたことを。商業神に入信して、嬉しそうにはしゃいだのを。
『ミランダ。私は今、すごく人間になっている気分です』
 そう言いながらも、呪術は使ってしまっていたけれど。
  
 ミランダの心を知らず、ハルシオンは考えを吐露している。
 
「ねえミランダ? 私が生きている意味って、存在する価値って、やっぱり『呪術王カントループ』なところなんですよ。ふふふ……」
「殿下、殿下」
「……私は、便利なお兄さん。見返りなんて、いらないんだ。ただ便利なだけでいいんだ」
 
 そう言って健気に笑む青年の姿に、カッとミランダの頭の奥で火花がぜる。
 考えるより先に、言葉が口をついて出る。
 
「殿下。そのお考えは、いけません!」
「ミランダ?」
 
 否定してしまった。自分の神を。主君を。
 ハルシオン殿下が、びっくりなさっている。
 けれど、黙ってはいられない。

 ――このミランダの大切な主は、決して決して、そんな軽い存在ではないのだ。

 溢れ出る想いが、止まらない。
 
「殿下は、確かに呪術に秀でていらっしゃいます。それは素晴らしいことです。ですが、それが殿下の全てではありません……!」
    
 壁際で空気のように控えていたルーンフォークが、おろおろしている。
 
「殿下、あそこにいるルーンフォークは、呪術が使えて便利という価値しかない人物でしょうか?」
「お、俺……っ?」

 ハルシオンは慌てて否定した。
「へっ、……ち、ちがうよ」

「俺は『その通り』と仰られても気にしませ……」
「ルーンフォーク、静かにしていてください」
「アッ、ハイ」
 
「よろしいですか殿下。殿下は先ほど、ご自分は呪術を使わず、役に立たなければ、他者に求められたり、愛されたりしないと……そのような趣旨のご発言をなさいました。ミランダには、そう聞こえました」
「う……ん、そう言ったかもしれない」
「二度と仰らないでください」
 
 ぴしゃりと言ってから、ミランダは気持ちを落ち着かせるように呼吸を整えた。
 
「殿下は、呪術が使えても使えなくても、ミランダの大切な殿下です。能力関係なく、人間として、ミランダは殿下を好ましく思っております。仮に無能であっても、殿下は愛される人物だと考えております」 
 
 感情的になりすぎている――そんな自覚がある。でも、当たり前だ。

「呪術が使えなくても、殿下は人間です。魅力的な人物です。価値のある一個人です。殿下がなりたいと仰っていた、ひとりの人間です。ミランダの大切なご主君です。呪術が使えなくても、役立たずでも、殿下は愛されています。当たり前ではありませんか!」

 当たり前だ。

「ミランダはずっと昔から、殿下のお近くに侍っておりました。ですから、殿下の素晴らしい部分、愛される部分をたくさん存じています」

 そんなの、当たり前なのだ。

「殿下は、カントループの記憶を抱かれる前……幼少の頃から、呪術関係なく皆に愛されていらっしゃいました。お優しいご気性で、周囲の望まれるご自分をよく察せられて、いつも期待を上回る結果を出されました。どれほど周囲に称賛されても、ご自身の天才をひけらかすことなく他者を見下すこともなく……弟殿下を愛しておられて、わざと負けたりなさって……」

 声が震える。

「ミ、ミランダ……」
 
「人の存在する意味なんて、生きているだけでよいではありませんか。親しい誰かとお話できるというだけでも、その親しい相手には十分ではありませんか。フィロシュネー姫殿下も、頼み事をするためだけのご訪問ではなく、殿下をたいそう心配していらしたではありませんか」

 フィロシュネー姫は、頼み事をする時に迷う素振りを見せていたのだ。
 ミランダやハルシオン、ルーンフォークもよく知っている公子の命がかかっているかもしれない緊急事態ゆえに、迷った末にハルシオンを頼ったのだ。

「殿下の受け止め方では、姫殿下にも失礼です。能力を頼るだけでなく、姫殿下は、ちゃんとハルシオン殿下をよきご友人だと思ってくださっていますよ。おわかりでしょうに」
 
 恋という感情ではないかもしれない。けれど、親しい間柄として気を許してくれているのは間違いないのだ。
 視線で訴えれば、ハルシオンは気まずそうにしながらも「うん」と頷いた。

「ミランダは、殿下が目の前で生きておられるだけでいつも嬉しいのです。笑っていてくださると、幸せになるのです」
  
 はぁっ、と息を継ぎ、ミランダはハルシオンを見た。
 病床の主君に、普段ではありえないような激情をぶつけてしまった気がする。

 移り気な空の青チェンジリング・ブルーがぱちり、ぱちりと瞬く。
 綺麗な瞳だ。
 繊細で、気紛れで、不安定で、目が離せない。

「ミランダも、心配です。殿下を案じております……」
「ありがとう、ミランダ」
 
 短い言葉は、少し感情をおさえた気配もある。夢からすっかり覚めて現実の中にいる――そんな青年王兄の気配だ。
 
「ミランダは私が卑屈なことを言ったので怒ってくださったのですね。……嬉しいな」
 
 指先で頬を掻いて、眩しそうに目を細めて言うハルシオンの姿は、落ち着いていた。ミランダの言葉をよく受け止めてくれて、考えを上向きにしてくれたのだと、その表情が教えてくれた。光輝くような主君の姿に、ミランダはホッと微笑んだ。

「ちなみに殿下、俺は呪術が使えて便利という価値しかなくても凄く光栄で……」
「ルーンフォークはちょっと黙っててください」

 ミランダは呆れたが、ハルシオンはくすくすと楽しそうに笑った。

「まあ、嬉しいお話はさておき、シューエン公子も心配ですから。捜索しましょう」

 ハルシオンの白い指先が呪術を紡ぐ。
 いつもならば、「やりましょう」と言えばすぐ、奇跡のように簡単に問題を解決してしまう。それがミランダの主君だ。
 しかし――

「あれっ」
 不思議そうな声がぽつりと零れる。光は、生じなかった。
 
「ん?」
 指がすい、すい、と動く。何も起きない。
 
「ルーンフォーク、ゴブレットを」
「あ、はい」
 お気に入りのゴブレットを掲げても、光も何も生じない。

「……あれぇ?」


 驚くべきことに、その日、ハルシオンは呪術を使うことができなかった。

「ご体調のせいでしょう。捜索は私どもに任せて、殿下はお休みください」
「ん……、休んでまた試してみる……」

 
 けれど、翌日もその翌日も、呪術は使えないままだった。

「体調はすっかり良くなったけどなぁ……」
  
 原因は不明であった。
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