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2、協奏のキャストライト

129、英雄は雪のない山に雪崩を起こし、商業神はかくささやけり

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『黒の英雄は、雪がない山に雪崩を起こしたことがある』

 ハルシオンが目撃したのは、まさにその武勇伝のような光景だった。

 すぐ近くにいたサイラスが人の身にあるまじき魔力を放ち、死霊たちが雪崩れたのだ。
 ……いや、なんで?
 
「おかげでシュネーさんは大丈夫みたいですが……今のはなんだったんだろ。びっくりしたなぁ」
 
 ハルシオンは自身の白馬エボニームーンから降りて、落ち着きなく騒ぐ黒の英雄の愛馬をなだめた。

「よーしよしっ、お名前なんでしたっけぇ。ゴールくん? お静かにですよー、ゴールくん~」
 ハルシオンはヘラヘラと笑った。そして、無感動に視線を下へと移した。

 そこには、地面に倒れて動かなくなった男がいる。

「もしもーし。ノイエスタルさぁん」

 そよそよと風が吹く。

「ひぃぃん、ひぃぃん……」
 黒馬が心配するように首を振っている。主人の異変がわかるのだろう。心配している。

「あなたのキャワイイお馬さんが心配してますけどぉ?」

 ハルシオンは不思議な心地で彼を見た。
 彼というより、『彼だったもの』だろうか。
 
 その肩や背をみても上下する様子はなく、鼻先や口元に手をあてても呼吸は感じられない。
 死んでいる――そう表現されても仕方のない状態だ。

「……死んじゃいましたぁ……?」
 
 おやおや?
 ……私は今どんな気持ちなのだろう。
 この気持ちは、なんだ?
 
 ハルシオンは『サイラス』を見つめながら自分の心を探った。

 人が死ぬのは悲しいことだ。
 よく知っている人物なら、なおのこと。

 そのはずだろう? あれ?

「薄情だと思われるかもしれませんが、……私は今、あんまり悲しくないんだな……?」
 
 サイラスは、民衆に広く名を知られる英雄だ。

 太陽に愛されているような、蠱惑的な褐色の肌色。
 何にも染まらないような、漆黒の髪。
 実戦で鍛えられた筋肉を有する、強靭で雄々しい体格。
 顔立ちも凛々しくて、声もよく通り、眼差しは真面目で好ましい人柄を感じさせる。

 そんな英雄だから、フィロソフィアもフィロシュネーも惹かれるのだろう。
 オルーサも気に入っていたようだった。英雄、英雄と呼んで慕っていた。
 
 ではハルシオンはどうか?
 ……ハルシオンも「この英雄は有能で実直で、魅力がある」と思う。
 善良な気質を感じる。好ましい男だ。
 シュネーさんにも紳士的に接しようとしているのがわかるし、良い人間だと思う。
 
【良い相手だと思います、幸せにしてもらいなさい!】
 カントループのパパな心はそう言うのだ。
【私は寂しいけど、シュネーさんが幸せならよい、ぃぃ、よ、く、な、い】 

 ああ――相反する心が暴れ出す。
 
 いやだ!
 いやだ、いやだ、いやだ!

 青年の心が叫んでいる。本音を。本心を。
「どうして他の男を好きになっちゃうんだ? どうして私じゃないんだ? いやだ! いやに決まってるじゃないか」
 
 私はシュネーさんのことが世界で一番好きなのに、どうしてシュネーさんは私のことを一番好きになってくれないのだろう。
 私より好かれている相手を消してしまえば、私は一番になれるのかな?

「シュネーさんの笑顔がこの男に向けられるたびに、私の心は切り裂かれるような痛みを感じるんだ……」

 どうしてこんなに痛いんだ。
 なんで私は寂しいんだ。
 苦しいんだ。つらいんだ。頭がおかしくなっちゃうんだ。
 おさえられない。わかってほしいんだ。
 わかって。わかって。わかって。愛してるから、愛して。そう願っては、いけないのだろうか。
 
「はぁっ、はぁっ、は、……」
 
 醜い嫉妬で、悔しさで、現実を拒絶したくなるのだ。

「シュネーさんは私のなんだ。あの可愛い子は、私と一緒にいるんだよ。他の男になんてやらないんだ。私のなんだ。私が欲しいんだ!!」
 
 サイラスに魅力があるのはわかる。まともだし。
 不安定で頭のおかしな私より、あいつの方がシュネーさんには良いんだ。幸せにしてくれるんだ。
 彼女のためを思うなら、狂人のハルシオンは全力で彼女を諦めるんだ。
 私はお二人がお似合いだと思いますぅって言って、幸せそうな二人を祝福して、『おめでとう、お幸せに』って言うんだ。

 でも。でもさ。
「死んだら、シュネーさんは私のものになるじゃないかぁっ……!?」
 
 今、そんな未来の可能性が目の前に広がっているじゃないか――!?
 
 狂気がグラグラと頭を揺らす。
 胸が苦しい。感情が身のうちで狂おしく暴れている。

「アッ、あっ……あは、……はぁっ……」
 
 もう負けたんだなと思ったんだ。
 ――でも、その相手が死んだとしたら。
 そうしたら、今から私が勝者なのでは?
 逆転大勝利なのでは!?
 
 今日までシュネーさんの心を占めていたこの男は、今日以降は思い出になるんだ。
 私は悲しむシュネーさんをよしよしって慰めて、彼は良い人だったねとか言うんだよ。
 そして、二人で生きていくんだ。ざまぁみろ……私、すっごくクズだな?
 
『あいつなんて、いなければいいのに』
 そう思ってたんだ、私は。
 息のないサイラスを見つめるハルシオンは、自分が薄汚れた泥棒ネズミになったように思えてきた。
 
「泣くよ、シュネーさんは」 
 ハルシオンは唇をぐっと引き結んだ。
 片手で商業神の聖印を握り、そこに今の自分のよこしまな心を清める何かを求めた。
「悲しむよ」
 
 助けようと思ったら、自分の力なら今ならまだ治癒できると思うのだ。
 でも、この男がいなくなったらと思うと、シュネーさんが手に入るんだと思ったら。
 未来がパァッとひらけて、夢いっぱいになって、浮かれて。
 ……みじめな気分だった。
 
 これが『パパなカントループ』ではなく『片想いする青年のハルシオン』としての欲だというのが、一番罪深い。
 自分がクズなのがどうしようもなく自覚されて、ハルシオンはうなだれた。
 
「こんな私に、彼女を幸せにする権利なんてあるものか」
 
 苦しみを吐き出した瞬間――聖印が傾く陽光を反射したように視界の隅で煌めいた。

「あっ!?」
 
 そして、全身が真っ白な光に包まれる。
 雷に打たれたような衝撃が全身を駆け抜けて、ハルシオンはビクッと背をそらして硬直した。

 脳に、グワングワンと大きな声が響く。

『なんじの持てるものを分け与えよ。商人は必ずしも自身の利益だけを求めるわけではない』
  
「へっ!?」

 頭に直接響くように、声が聞こえる。
 特別な声だ。

『商売は、人の社会あってこそ成り立つもの』 

 しかも、ひとこと喋るたびに全身にびりびりっと痺れるみたいな、稲妻がくだるような衝撃が走るのだ。
「あっ。あ、あぐ……!?」
 その声がどういった声なのかが感じられて、ハルシオンは目を見開いた。

商売敵ライバルは、成長と学びの相棒である』 

 声が続いている。
 これは、これは――
 
『競争は、進化と革新の源泉である』 

「聖句だ」
 聖句だ。商業神ルートの教えだ。

『商いの舞台は競争と連帯の融合である。共に競い、共に発展せよ』 

 声が静まり、光がおさまる。
 近くへと降りてきた何かが、すっと離れていく気配があった。

「はっ? い、いまの、いまのっ……?」
 ハルシオンの心が揺れた。ぐらぐら揺れた。

 超然とした何かが、たった今、自分の魂に触れたのだ。干渉したのだ。
 彼に教えを説いたのだ。
 ……天啓だ。今、神が自分に語りかけたのだ。

『ライバルの不幸を喜ぶな。ライバルを助けよ』
 
 ……ハルシオンの神は、そう言ったのだ。
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