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1、贖罪のスピネル

25、俺に「わん」と鳴いてほしいのですか

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「『すごいですね、ひめ! さすが せいじょさまです。さいらすは、そんけいします。ちゅうせいをちかいます。いぬとよんでください。わんっ』……んふふふふ! よくってよサイラス! よぉーしっ、やりますわ……っ!」

(は……?)   
 珍妙な独り言が聞こえて、サイラスは耳を疑った。

 視線を向けると、フィロシュネーはミランダの制止もむなしく騒動の現場に近付いていく。

 青王は「姫は甘やかしてしまって、気位が高かったり奔放な気質だ。でもそんなところが可愛いと思わないかい英雄?」と言っていたのだが。
 この姫君は、好奇心が旺盛で、気の強い方という印象だったが、日が経つにつれてどんどん様子がおかしくなっていく。お心を病んではいないと仰せだったが、やはり艱難辛苦が純真なお心に影を落としているのだ。何も苦労を知らず、贅沢三昧で幸せな日々を過ごしていただろうに、哀れな。

(それにしても、俺もすっかりこのお姫様に情が移ってしまったな)
 自覚しながら、苦笑する。青王が「可愛いだろう」と言ったときに心の底から「そうですね」と返せる程度には、可愛いと思っているのだ。妹と呼ぶには、高貴すぎるが。
 なにせ、お姫様なのだ。

 フィロシュネー姫は、けがれを寄せ付けないような、真っ白なお姫様だ。サイラスの妹が憧れるような、生まれながらのお姫様だ。

 月の雫を溶かし流したような白銀の髪は、揺れるたびきらきらしていて。
 下賤な手で触れてはいけないと思いつつ、つい手を伸ばしてしまいそうになる。

 肌も、日差しに晒してはいけない、守らなければならない、と思わせる白さがある。
 霜が降りたような繊細な睫毛は長く、目元に奥ゆかしい影を落としている。ぱっちりとした瞳は生気に満ちていて、とびきり貴い王族の血統限定の神秘的な青の色合いが見るたびに違う色を魅せて、――どんな宝石よりも美しい。
 
 清潔な白いフリルをたっぷり揺らす袖から覗く手首は折れそうなほど細く、頼りない。

 未だ誰にも手折られぬ、花のつぼみといったところだろうか。
 そんな愛らしい姫の桃色の唇が「んふふふふ」とあまり上品ではない不気味な笑い声をこぼしているのが、残念な気分になる現実である。

(空国のハルシオン殿下の真似でもしておられるのだろうか)

 まだ十四歳の姫は、多感な時期だ。
 年上の真似をしたり、感化されることもあるのだろう。あの王兄は教育上良い影響を与える存在だろうか。そこまで考えて、サイラスは軽く首を振った。

 少なくても、自分よりは良いだろうに。 

 彼らと自分は、身分階級の頂点と最底辺だ。
 貴き方々のことに自分ごときがあれこれと考えを巡らせること自体、おこがましいのだ。

 ふわり、と目の前で姫の髪を結わえるリボンが揺れている。
 
 微風に運ばれ、香るのは、春に咲く花に似た、初々しくて甘い匂い。
 これはおそらく体臭なのだ。
 旅の間に気付いたが、香水などをつけたりしなくても、お姫様という生き物は自然とよい匂いがするらしい。
 他国では、青国や空国の王族は亜人種と囁かれたりもしている。不老症が生まれやすいとか、治癒魔法能力とか。女性王族などは特に、預言者や聖女という神秘的な者が出てくるのだ。
 本当に、同じ人間ではないのかもしれない。
 
「あなたたち、争いごとをおやめなさい。わたくしが、持ち主を探して差し上げましょう」

 小さな姫が、凛とした声を響かせている。
 可憐な声は耳に心地よく、自然と注目を惹き付ける。

 王族らしい姿だ。
 そうやって偉そうにして、特別な姿をみせて、民を平伏させて。
 それがとても似合うのが、王族のお姫様なのだ。

「だいすきなカントループ、シュネーをたすけて」
 可憐な声が神聖に言葉を紡ぐのが聞こえる。

 短い時間しか接していないのに、姫は『カントループ』――空国の王兄ハルシオンを随分とお気に召されている。本人がいないのに思わず頼ってしまう様子で、「だいすき」とか「たすけて」とか言うのだ。
 姫は独り言を無自覚に口に出す傾向がある。もしかしたら、自分では気付いていないのかもしれない。無意識レベルで名前を口に出しておられるのかもしれない。
 
 ――いつの間にか、そんなにもあの王兄が姫の中で大きな存在となっているのだ。

(王侯貴族の方々の内面など、気にする必要がないではないか。俺はただ無心で仕事に徹すればいいだろうに)
 気付けば姫の精神分析をしている。
 そんな自分に気付き、サイラスは苦笑した。
(あまりに珍妙だから。妙な言動をするから。不憫だから。それなのに、健気で気丈で、いじらしいから)

 言い訳みたいに胸の内で自分に言い聞かせていると、視界いっぱいに光を帯びた花びらが舞う。

「わ、あ……」
 
 民が口をぽかんと開けて、魂が抜けたような声をこぼしている。

 淡く発光する、大きな花弁。

 ひらり、はらり。
 真昼の明るい視界に、青空や緑を背景にして舞う、白や薄紅の花びらは、綺麗だった。

 それを周囲に舞わせたフィロシュネーは、民を慈しむように視線を流した。楚々とした仕草で軽く膝を折り、神に捧げるように上流階級の麗しい礼を美しく披露してみせた。

 誰もが目を奪われる可憐な礼は、幼い頃から教え込まれているのだろう。
 洗練された仕草で教育の質がわかると聞いたことがある。
 
 素人目にも礼は美しく見ていたサイラスの胸には、謎の誇らしさのような感情が湧いた。

 ――俺は、兄の気持ちにでもなっているのか。
 あれは、単なる設定だろうに。

「真実は、……」
 民の前にゆらゆらと真実を明かす映像が流れる。
(神鳥の奇跡を)
 サイラスは眉を寄せた。

 広場であれを使って、かなり消耗してしまわれたのに。
 軽はずみに奇跡を行使して、また倒れてしまうのではないか。

(今は、あのハルシオン殿下もご不在なのに)
  
 青王が教えてくれた。
 空国の預言者が神鳥の預言をしたように、青国の預言者ダーウッドもまた預言をしているのだ、と。預言に関わることで、青王はハルシオンを気にしている。彼が特別な存在なのではないかと、並々ならぬ関心を寄せている。

「銭袋は、近くの農村からいらしたおばあさまが落とされたようですわね!」

 フィロシュネーが明るく真実をまとめている。
 その顔色に曇りがなく、声も元気そうなので、サイラスはそっと安堵した。
 
「姫、奇跡の行使はみだりになさらぬように願います」
 自分の仕事は新婚旅行ではなく、護衛なのだ。だから、危険なことは控えるように進言すべきである。それが仕事なのだ。
 そう思いながら口を挟むと、フィロシュネーは「期待していた反応と違う」といった表情で見上げてくる。

 ああ、『すごいですね、ひめ! さすが せいじょさまです。さいらすは、そんけいします。ちゅうせいをちかいます。いぬとよんでください。わんっ』だ。
 あれを言って欲しいらしい……。

「……とはいえ、奇跡のお力は凄いですね、姫」  

 試しに言ってやれば、フィロシュネーは目に見えて嬉しそうな顔をした。わかりやすい。

「さすが聖女様です。尊敬します」

 言葉を続けると、頬をつねっている。夢ではありませんが?
 油断すると笑ってしまいそうになるのが、このお姫様を相手にしていて困る点だ。

「まったくだ。素晴らしい……まさに聖女様だ」
 民が口を揃えて褒め称えている。それが、耳に心地よく聞こえるのが謎だ。

「しかし、ちょっとこわいな。なんでもわかってしまうのだろう?」
 民の中には、そんな超然とした能力へのおそれを感じたらしき者も出ている。

 サイラスは「やはり奇跡はみだりに魅せるものではないと思います」と言葉を足した。それと、もう一言。

「ところで姫は、俺に「わん」と鳴いてほしいのですか」

「全てではないとは思いますが、姫はお考えが独り言として口に出てしまいがちなご様子です。割と、いつも。お気をつけくださいますよう」


 
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