27 / 384
1、贖罪のスピネル
25、俺に「わん」と鳴いてほしいのですか
しおりを挟む「『すごいですね、ひめ! さすが せいじょさまです。さいらすは、そんけいします。ちゅうせいをちかいます。いぬとよんでください。わんっ』……んふふふふ! よくってよサイラス! よぉーしっ、やりますわ……っ!」
(は……?)
珍妙な独り言が聞こえて、サイラスは耳を疑った。
視線を向けると、フィロシュネーはミランダの制止もむなしく騒動の現場に近付いていく。
青王は「姫は甘やかしてしまって、気位が高かったり奔放な気質だ。でもそんなところが可愛いと思わないかい英雄?」と言っていたのだが。
この姫君は、好奇心が旺盛で、気の強い方という印象だったが、日が経つにつれてどんどん様子がおかしくなっていく。お心を病んではいないと仰せだったが、やはり艱難辛苦が純真なお心に影を落としているのだ。何も苦労を知らず、贅沢三昧で幸せな日々を過ごしていただろうに、哀れな。
(それにしても、俺もすっかりこのお姫様に情が移ってしまったな)
自覚しながら、苦笑する。青王が「可愛いだろう」と言ったときに心の底から「そうですね」と返せる程度には、可愛いと思っているのだ。妹と呼ぶには、高貴すぎるが。
なにせ、お姫様なのだ。
フィロシュネー姫は、穢れを寄せ付けないような、真っ白なお姫様だ。サイラスの妹が憧れるような、生まれながらのお姫様だ。
月の雫を溶かし流したような白銀の髪は、揺れるたびきらきらしていて。
下賤な手で触れてはいけないと思いつつ、つい手を伸ばしてしまいそうになる。
肌も、日差しに晒してはいけない、守らなければならない、と思わせる白さがある。
霜が降りたような繊細な睫毛は長く、目元に奥ゆかしい影を落としている。ぱっちりとした瞳は生気に満ちていて、とびきり貴い王族の血統限定の神秘的な青の色合いが見るたびに違う色を魅せて、――どんな宝石よりも美しい。
清潔な白いフリルをたっぷり揺らす袖から覗く手首は折れそうなほど細く、頼りない。
未だ誰にも手折られぬ、花のつぼみといったところだろうか。
そんな愛らしい姫の桃色の唇が「んふふふふ」とあまり上品ではない不気味な笑い声をこぼしているのが、残念な気分になる現実である。
(空国のハルシオン殿下の真似でもしておられるのだろうか)
まだ十四歳の姫は、多感な時期だ。
年上の真似をしたり、感化されることもあるのだろう。あの王兄は教育上良い影響を与える存在だろうか。そこまで考えて、サイラスは軽く首を振った。
少なくても、自分よりは良いだろうに。
彼らと自分は、身分階級の頂点と最底辺だ。
貴き方々のことに自分ごときがあれこれと考えを巡らせること自体、おこがましいのだ。
ふわり、と目の前で姫の髪を結わえるリボンが揺れている。
微風に運ばれ、香るのは、春に咲く花に似た、初々しくて甘い匂い。
これはおそらく体臭なのだ。
旅の間に気付いたが、香水などをつけたりしなくても、お姫様という生き物は自然とよい匂いがするらしい。
他国では、青国や空国の王族は亜人種と囁かれたりもしている。不老症が生まれやすいとか、治癒魔法能力とか。女性王族などは特に、預言者や聖女という神秘的な者が出てくるのだ。
本当に、同じ人間ではないのかもしれない。
「あなたたち、争いごとをおやめなさい。わたくしが、持ち主を探して差し上げましょう」
小さな姫が、凛とした声を響かせている。
可憐な声は耳に心地よく、自然と注目を惹き付ける。
王族らしい姿だ。
そうやって偉そうにして、特別な姿をみせて、民を平伏させて。
それがとても似合うのが、王族のお姫様なのだ。
「だいすきなカントループ、シュネーをたすけて」
可憐な声が神聖に言葉を紡ぐのが聞こえる。
短い時間しか接していないのに、姫は『カントループ』――空国の王兄ハルシオンを随分とお気に召されている。本人がいないのに思わず頼ってしまう様子で、「だいすき」とか「たすけて」とか言うのだ。
姫は独り言を無自覚に口に出す傾向がある。もしかしたら、自分では気付いていないのかもしれない。無意識レベルで名前を口に出しておられるのかもしれない。
――いつの間にか、そんなにもあの王兄が姫の中で大きな存在となっているのだ。
(王侯貴族の方々の内面など、気にする必要がないではないか。俺はただ無心で仕事に徹すればいいだろうに)
気付けば姫の精神分析をしている。
そんな自分に気付き、サイラスは苦笑した。
(あまりに珍妙だから。妙な言動をするから。不憫だから。それなのに、健気で気丈で、いじらしいから)
言い訳みたいに胸の内で自分に言い聞かせていると、視界いっぱいに光を帯びた花びらが舞う。
「わ、あ……」
民が口をぽかんと開けて、魂が抜けたような声をこぼしている。
淡く発光する、大きな花弁。
ひらり、はらり。
真昼の明るい視界に、青空や緑を背景にして舞う、白や薄紅の花びらは、綺麗だった。
それを周囲に舞わせたフィロシュネーは、民を慈しむように視線を流した。楚々とした仕草で軽く膝を折り、神に捧げるように上流階級の麗しい礼を美しく披露してみせた。
誰もが目を奪われる可憐な礼は、幼い頃から教え込まれているのだろう。
洗練された仕草で教育の質がわかると聞いたことがある。
素人目にも礼は美しく見ていたサイラスの胸には、謎の誇らしさのような感情が湧いた。
――俺は、兄の気持ちにでもなっているのか。
あれは、単なる設定だろうに。
「真実は、……」
民の前にゆらゆらと真実を明かす映像が流れる。
(神鳥の奇跡を)
サイラスは眉を寄せた。
広場であれを使って、かなり消耗してしまわれたのに。
軽はずみに奇跡を行使して、また倒れてしまうのではないか。
(今は、あのハルシオン殿下もご不在なのに)
青王が教えてくれた。
空国の預言者が神鳥の預言をしたように、青国の預言者ダーウッドもまた預言をしているのだ、と。預言に関わることで、青王はハルシオンを気にしている。彼が特別な存在なのではないかと、並々ならぬ関心を寄せている。
「銭袋は、近くの農村からいらしたおばあさまが落とされたようですわね!」
フィロシュネーが明るく真実をまとめている。
その顔色に曇りがなく、声も元気そうなので、サイラスはそっと安堵した。
「姫、奇跡の行使はみだりになさらぬように願います」
自分の仕事は新婚旅行ではなく、護衛なのだ。だから、危険なことは控えるように進言すべきである。それが仕事なのだ。
そう思いながら口を挟むと、フィロシュネーは「期待していた反応と違う」といった表情で見上げてくる。
ああ、『すごいですね、ひめ! さすが せいじょさまです。さいらすは、そんけいします。ちゅうせいをちかいます。いぬとよんでください。わんっ』だ。
あれを言って欲しいらしい……。
「……とはいえ、奇跡のお力は凄いですね、姫」
試しに言ってやれば、フィロシュネーは目に見えて嬉しそうな顔をした。わかりやすい。
「さすが聖女様です。尊敬します」
言葉を続けると、頬をつねっている。夢ではありませんが?
油断すると笑ってしまいそうになるのが、このお姫様を相手にしていて困る点だ。
「まったくだ。素晴らしい……まさに聖女様だ」
民が口を揃えて褒め称えている。それが、耳に心地よく聞こえるのが謎だ。
「しかし、ちょっとこわいな。なんでもわかってしまうのだろう?」
民の中には、そんな超然とした能力への畏れを感じたらしき者も出ている。
サイラスは「やはり奇跡はみだりに魅せるものではないと思います」と言葉を足した。それと、もう一言。
「ところで姫は、俺に「わん」と鳴いてほしいのですか」
「全てではないとは思いますが、姫はお考えが独り言として口に出てしまいがちなご様子です。割と、いつも。お気をつけくださいますよう」
0
お気に入りに追加
280
あなたにおすすめの小説
逆行令嬢は聖女を辞退します
仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。
死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって?
聖女なんてお断りです!
幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?
ルイス
恋愛
「アーチェ、君は明るいのは良いんだけれど、お淑やかさが足りないと思うんだ。貴族令嬢であれば、もっと気品を持ってだね。例えば、ニーナのような……」
「はあ……なるほどね」
伯爵令嬢のアーチェと伯爵令息のウォーレスは幼馴染であり婚約関係でもあった。
彼らにはもう一人、ニーナという幼馴染が居た。
アーチェはウォーレスが性格面でニーナと比べ過ぎることに辟易し、婚約解消を申し出る。
ウォーレスも納得し、婚約解消は無事に成立したはずだったが……。
ウォーレスはニーナのことを大切にしながらも、アーチェのことも忘れられないと言って来る始末だった……。
お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました
群青みどり
恋愛
国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。
どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。
そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた!
「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」
こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!
このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。
婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎
「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」
麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる──
※タイトル変更しました
【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です
葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。
王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。
孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。
王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。
働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。
何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。
【完結】薔薇の花をあなたに贈ります
彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。
目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。
ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。
たが、それに違和感を抱くようになる。
ロベルト殿下視点がおもになります。
前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!!
11話完結です。
婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました
Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、
あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。
ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。
けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。
『我慢するしかない』
『彼女といると疲れる』
私はルパート様に嫌われていたの?
本当は厭わしく思っていたの?
だから私は決めました。
あなたを忘れようと…
※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる