上 下
20 / 384
1、贖罪のスピネル

18、そこにはあなた以外、もう誰もいないのね

しおりを挟む
「少し熱がありますね。食事を運ばせますから、栄養をたんとってお薬を飲んで寝てください」 
 ぺたりとフィロシュネーのひたいに手を当ててから、手首を取り脈をはかるサイラスは、傭兵というよりお医者さまのよう。
「あなたは1ヶ月半も朦朧もうろうとして伏せっておられたのですよ」
 呟く声を聞き流しながら、フィロシュネーはハルシオンの助言を思い出した。
 
『おすすめのターゲットは黒の英雄でしょうか』
 
 兄の顔をして世話を焼くサイラスにされるがままにしながら、フィロシュネーは『よいこのための奇跡の使い方』に記された助言を思い出し、脳内で一人会議を展開した。

「シュネー、この男に感謝させるにはどうしたらいいかしら」
「シュネー、わたくしが感謝したほうが早いと思うの、だって、助けてもらったのではなくて?」
「お待ちになってシュネー。それは確かにそうね。わたくし、助けてもらっている……」
「わたくし、そういえば感謝したことがあったかしら」
「どうしてわたくしがサイラスに感謝しなくてはならないの? あの男、むかつきますわ」 

 脳内で会議が踊る、踊る。

 父、青王クラストスだったらなんて助言するだろう?
『シュネー、真実なんて知らなくていいよ』
 わぁ、言いそう。
 青国の預言者ダーウッドだったら?
『姫殿下、魔力が足りないなら魔宝石を使えばいいのです。人に感謝される必要などございませんぞ』
 そうよね? 魔力を貯めておけて引き出して使える魔宝石をたっぷり集めて、奇跡を使うときに引きだしたらいいんじゃないの? それでも足りないのかしら?

「うーん。うーん」
 眉を寄せて唸るフィロシュネーに、声がかけられる。
 
「シュネー? 具合が悪いのですか?」
「はっ」
 
 現実に意識を戻すと、サイラスの精悍な顔が目の前にある。距離が近い。名前も呼ばれた。
 じーっとフィロシュネーを見つめる瞳には、揺れる感情の波がある。
 
 焦燥? 困惑? 心配?
 
 フィロシュネーは、その感情が揺れる瞳に見惚れた。
 口先だけ、演技だけじゃない。ちゃんと心配してくれている。この男は、弱者を心配して優しく接することができる男だ。フィロシュネーはそう思った。

「ちょっと考え事をしていたの。大丈夫です、お兄様」
 呟いて、フィロシュネーは言葉をするりと付け足した。
「その、いろいろとありがとう。サイラス」

(言えた。ちゃんと言ったわ)
 わたくし、ちゃんと感謝の言葉が言えたわ。

 様子を窺うと、サイラスは笑顔を浮かべている。珍しくてあったかで、優しい感じの――ちょっと格好良い、なんて思ってしまうような笑顔だ。

「こちらこそ、ありがとうございます。姫」
 小声で感謝を返される。

(あら? ありがとう、ですって?)
 フィロシュネーは小鳥のように首をかしげた。
「なぜ、ありがとうと仰ったの?」
 わたくし、何かしたかしら。ああ、兄という設定で助けたことかしら?
「俺が礼を言いたくなったからです」
「それではわからない。まあ、いいわ」
 けれど、「ありがとう」は貰えたのだ。フィロシュネーは嬉しくなって、「わたくし、気分がいいから今日は何をしても許してあげてよ」とニコニコしたのだった。

「ねえ、サイラス。不思議ね。わたくし、なんだかとってもいい気持ちになりましたわ。ねえ、ありがとうって、素敵な言葉ね!」

 サイラスは可哀想な生き物をみる表情になった。

「熱でおかしくなられて……」
「違いますっ」
 
 
 * * *
 
 食事と服薬が済み、おやすみの挨拶のあと、フィロシュネーは「ありがとうボックス」を使ってみることにした。

「だいすきなカントループ、シュネーをたすけて」

 この呪文、恥ずかしい。棒読みで呟いたフィロシュネーの目の前に空色の箱がポンッと出現する。箱をあけてみると、神鳥が「ぴよっ!?」と声をあげる。可愛い。
「ん~、大きな花びらみたいなのが入っていますわね。これ、使えますの?」

 箱には、花びらが何枚も入っていた。
 花びらをつまむと、神鳥はピヨピヨと頷いた。使えるらしい。

『知りたいことを自分だけが知るなら、花びらは少数で大丈夫。他者に共有するなら、人数分、必要枚数が増えます。魔力を使うときは、呪文を唱えて、神鳥に何が知りたいのかを伝えてください』 

 ハルシオンの文字を読み、フィロシュネーはもう一度「だいすきなカントループ、シュネーをたすけて」と繰り返し、何が知りたいのかを考えた。

「神鳥さま。わたくし、あの得体の知れなくてちょっと危ない感じのハルシオン殿下のことが知りたいわ」
「ぴよ!」

 ふわふわの神鳥が鳴いて、手に持っていた花びらがひらひらと舞う。そして、映像がぷかぷかと生じた。

(何が見れるかしら。弟陛下との過去? 子どもの頃とか?)

 
 映像の中には、建物がずらりと並ぶ風景が広がっていた。
 半透明な膜みたいな結界に守られる白亜のお城を中央に抱えるようにして家々が並ぶ大都市だ。
 そこに、たくさんの人がいた。人々は次々と倒れて、死んでいった。

 何かに怯えるように背を丸め、道端を歩いていた人が膝を折る。倒れて、弱っていく。

 病気? 伝染病? 理由はわからない。

 だが、ひとり、またひとりと倒れていって、やがて大都市の中で動く人はひとりもいなくなった。住む人がいなくなった建物は少しずつ朽ちていく。
 映像は切り替わり、おびただしい数の墓が並ぶどこかの風景を映し出す。

「これ、なあに……?」
 全然ちがう映像みたい。
 フィロシュネーがいぶかしむ中、映像にハルシオンがようやく映った。

 見渡す限り、墓、墓、墓。 
 そんな大墓地の中央に、ハルシオンがいた。

 ハルシオンは、魔法で花を生み出した。

 空の青アザーブルー貝殻の薄紅シェルピンク初々しいベビー春花色フラワーピンク
 
 水平線の淡青ホリゾンブルーやわらかな紫ライラック薄い黄色メイズ
 
 腕にさげた籠にふわふわと生まれる花は、可愛らしくて、淡くて優しい色を魅せていた。
 たくさん生み出した花を、ハルシオンはゆっくりと一輪ずつ墓に捧げていった。

 ひとつひとつに向き合う時間を慈しむようにして。

 墓に刻まれた名前を、神聖な儀式みたいに口にしながら。

 日がのぼる中、端っこからひたり、ひたりと歩んで。
 
 太陽が真上に輝く中、汗をぬぐって休憩して、再開して。
 
 日が沈む頃になって、最後の墓に花を捧げると、ハルシオンは微笑んだ。


「また、あした」

 誰も聞くことがない声が風にさらわれて、空気に溶けるみたいに消えて、静寂がちる。 
 ハルシオンは一日に幕を降ろすように墓にもたれかかって、墓石を撫でて、目を閉じた。
 
 
(ひとりぼっち) 
 フィロシュネーは、そう感じた。 
(ひとりぼっちね。そうなのね)
   
 ふわふわと夜風が吹いて、たったひとりの彼の髪を揺らしている。
 無機質で冷たい墓石の群れの中、その光景はなんだかとても寂しくて、胸が締め付けられるようだった。
 
(誰も、いないのね。そこにはあなた以外、もう誰も……いないのね) 
 
 
 映像がそこで消える。
 

「ぴよ」
 神鳥が愛らしく首をかしげ、フィロシュネーを見つめる。
「お、おわったの?」
「ぴぃ」

 フィロシュネーは「今のは、どういう過去だったのかしら」と呟いた。
 
 
しおりを挟む
感想 60

あなたにおすすめの小説

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

処理中です...