59 / 63
2章
58、空箱と服毒
しおりを挟む
後宮の北にある鍾水宮で、幼い公主が泣いている。
「うわぁぁん、うわぁぁん」
華蝶が産んだ娘だ。
腹を痛めた子は可愛いと言うが、華蝶に愛情はない。
子どもは政治の道具で、自分の地位のために産んだ。
……本当は男児を産まないといけなかったのに、女児が生まれてしまった。
「煩いこと」
『黒貴妃』華蝶は娘の頬を打ち、乳母に命じた。
「連れておゆき。二度と顔も見たくないわ。……お前たちも、出ていきなさい」
後宮で生きる妃たちは、子を産むことを期待されて育てられた、選りすぐりの花々だ。
妊娠した妃がいれば堕胎させようと企て、生まれた赤子はなんとか殺せないかと命を狙う。後宮は、そんな伏魔殿だった。
華蝶がそんな後宮に入った時、皇帝にはすでに妊娠中の寵妃がいた。
父は手を打ってくれた。
野心家の父は、もともと隣国と通じていた。
隣国の岳不群を支援し、彼の下克上を成功させ、家宝である玄武の珠を持って隣国を訪れて――玄武の珠に妖術を籠めて帰ってきた。さらに、地仙の諸葛老師という強力な助っ人まで獲得してくれた。
おかげで寵妃の暗殺に成功したが、子は産まれてしまった。
しかも、男児だ。
諸葛老師は、「男児は呪い殺すので、気にせず世継ぎを産むことに専念せよ」と言ってくれた。
男児は呪いのせいで病弱で、常に「明日死ぬかもしれない」と言われ続けていたが、これがなかなか死ななかったが。
けれど、華蝶は妊娠できた。
無事に健康な子が産めば、病弱な男児より健康な華蝶の子を世継ぎに、と推せる。
子の性別が男であるように一族郎党が祈った。
そして、子が産めた――女児だった。
あんなに苦労したのに。
あんなに苦しく痛い思いをしたのに。
――その絶望といったら。
「どうしてわたくしは女児を産んでしまったのか」
……どうしてわたくしは女に生まれてしまったのか。
運がない、と思った。
天が自分に意地悪をしていると思った。
産まれる子の性別など、自分にはどうしようもできない。
そんなものに、人生の成否がかかってしまう。
そんなものに、必死にならないといけない。
懸命に祈り、願い、……叶わない!
それが悔しくて、理不尽だと思った。
わたくしは悪くない。
わたくしは手を尽くした。
なのに、それなのに、最後の最後で、天が自分に味方しない!
そんな華蝶に、地仙の老師はよく話しかけてきた。
彼は、人の負の感情を愛するのだという。気持ちが悪い老師だ。
『わしは人間の枠を破り、より高みに昇ろうと修行してきた。
そうしてわかったのだが、わしは異端であり、わし以外の人間は下賤の極み。
権力者や富豪は権力や金銭に執着し、市井の民も愛だの恋だのに浮かれてばかり。
酒を飲み、くだらない話をしてばかり。
そうして短い寿命を終えて死ぬ。おお、なんとくだらない。
わしは友人たちに言ったのだ。
「おぬしら、それでよいのか。より良き自分になるために努力をしないのか。時間を無駄にしているぞ。光陰は矢のごとし、もっと熱くなれよ。自分ではないもっと凄い何かを目指せよ」と。
しかし、これが理解されぬのだ。
世間は、冷たいものよなぁ。みんなわしの思いに共感してくれぬのじゃよ。天さえもわかってくれぬ。わしはこんなにも人と違う高尚な人格であるのに、天が認めてくれぬ。それゆえに、わしは地上で才能を持て余しておるのじゃな』
『よくわかりませんわ』
なんだ、この老師は。不快だ。
華蝶は顔をしかめたが、諸葛老師は「それよ」と頷いた。
『人と人はわかりあえない。この世はむなしく、わしらは孤独である。
孤独という一点において、わしらは共通している』
『わかりませんわ』
『わからない。わかってもらえない。それは、不快ではないか?
寂しく、むずむずして、むかむかしないか?』
『……』
『世の中が嫌いではないか?
自分が嫌ではないか?
周囲の環境が、人間たちが、気に入らないと思わないか?』
『……』
毒だ。
華蝶はそう思った。
『だから、壊そう。滅ぼしてしまおう。
国が滅びても山河はある。人が滅びても世界には影響がない。
わしらの人生の時間は限られており、何もしないでもわしらは死ぬ。
しかし、何かをして死にたいと思わぬか?
おぬしは、むなしさを理解する女ではないか?』
毒だ。
毒は、わたくしの中に醸成されていた。
これまでの人生で、長い時間をかけて溜まっていた。
それが、外の毒に触発されて、ここにいるぞと主張している。
『……歴史に名を刻もう。ただの無名な雑草で終わらず、大それたことを成し遂げよう』
『わたくしは……』
天に唾を吐きたい。
人を理不尽に苦しめて、「運が悪かったわね、天があなたを守ってくれないのね」と笑ってやりたい。
華蝶はそう思ったのだった。
「天よ。天は、どうしてわたくしに優しくしてくれないの。今からでも、わたくしに男児をちょうだい。ううん……わたくし、男児よりも、もっと違う何かが欲しい。でも、それがわからない。辛いの。苦しいの。腹が立つの。この怒りをわかってほしいの。天よ、何か言って」
天は、華蝶に優しくしてくれなかった。守ってくれなかった。
だから、華蝶は反抗期の子供のように、天に唾を吐く。
――自傷だ。他者を派手に巻き込んで、迷惑な。
* * *
侍女たちを全員退室させ、華蝶は大粒の黒瑪瑙が光る指輪を撫でた。毒粒を秘めた指輪は、必要なときに貴い身分の者が尊厳死を選ぶためにある。
「思えばわたくし、たくさんの人を踏みつけて生きてきたわ。最高に気分がよかった」
部屋には、誰もいない。
「わたくしは、寵愛を手に入れた。貴妃の地位まで上り詰めた。後宮を掌握し、邪魔な女を、ライバルたちを、気に入らない者を、殺していった」
天は、華蝶を見ているだろうか。
見ていないのだと思う。そんな気がしていた。ずっと。
「わたくしの邪魔になる妃を殺した時は、胸が空く思いがしたわ」
誰かが不幸になるというのは、心地よい。
嘆く皇帝の心の隙間に入り込み、術の力も借りて自分に依存させていく時は、興奮した。
後宮を掌握した時は、もう何も怖くないと思った。
全てはわたくしの思いのままだった。
次々と処刑遊戯を吹っ掛けて、殺した。
最初は身分が下の者から。すこしずつ上の者を標的にしていった。
本人も痛めつけ、大事な存在を傷つけてやった。
悲鳴を楽しみ、苦しむ姿を鑑賞し、「あなたは無力ね」と嘲笑してやった。
――楽しかった! 気持ち良かった!
「他人の不幸は蜜の味とは、まさに真理だと思った……」
華蝶にとって他人の悲嘆は、自分の苦痛ともどかしさ、辛さを紛らわし、目を逸らさせてくれる麻薬であった。
他人を傷つけると、自分が楽になった。
「わたくしには、力があるの。わたくしは……男児が産めなかった。国母になれなかった。でも、それが何だと言うの。男児も国母も、国さえもなくなれば、そんなのもう気にならなくなるわ」
誰かを陥れるために、自分は生まれたのだ。
わたくしの人生は、
悲しむためじゃなかった。
嘆くためじゃなかった。
苦しむためじゃなかった。
誰かを不幸にするために、自分は生きた。
自分の人生は破壊のためにあった。
もっと大勢を虐げ、より影響力を行使し、後宮を、国を、世界を、全てをめちゃくちゃにしないと。
そうしたらきっと、もっと、「生きた」と満足できる。
そこに、満足がある。
生きるとは、そういうことなのだ。
自分の両手両足を振り回し、叫びちらし、周り中をぐちゃぐちゃに破壊して――そうして、生を感じるのだ!
「女児なんて」
自分が産んだ女児なんて、汚点だ。
気持ちが悪い。
心根も外見も美しいと称えられる妃の胎を裂き、臓物を引き出すと、臭くて汚らしい。そちらの方が安心する。
皆、中身は似たりよったりだ。肉だ。
人は皆、つまるところは単なる肉なのだ――その事実が、嬉しい。
妃の呼吸が止まり、心臓が動かなくなり、死亡を確認すると、いつもすごく嬉しかった。はしゃいでしまった。
自分の悦楽は、そんな瞬間に生まれる。
だから、女児を抱いた時に胸に起きるさざなみのような不可解な情は、錯覚だ。
道徳に反した行いをするとき……人として越えてはいけない線のようなものを越えた瞬間が、たまらなく好きなのだ。快楽はそこにある。
空虚だった心は、それで満たされるのだ。
小さな娘などで満たされたりは、しない。
だって、あの娘は失敗の証拠。望まなかった子。
それを見て満たされるなんて、おかしい。
「子どもなんて、産まなければよかった」
あの娘も自分のように、「お前は将来、高貴な身分の男との子を産むのだ」と教えられて育つだろう。
体臭がかぐわしくなる薬を常用し、上質な襦裙を着て、宝石と花に飾られて、男を悦ばせる方法を学ばされ、男に媚びて孕み、産み、死ぬだろう。
そんな娘のこれからの日々と発育を、母はもう見ることもできないけれど。
「……っふふ」
方卓の上には、皇帝から届いた笈筺がある。
笈筺の中身は、空であった。
空っぽの笈筺は、むなしさを搔き立てた。
これだけ好き放題して、こんなに高みに上り詰めて、権力も寵愛も手に入れて――最期に夫がむなしさを贈ってくれた。
「っふふふ。ふふふ……」
毒を嚥下する耳に、声が聞こえた。
「おかあさま……おかあさまぁ…………っ」
遠くで娘が泣いている。
愚かで可愛い、可哀想なわたくしの娘。
夫は優しい男だったから、きっと大事に育ててもらえるでしょう。
娘がわたくしを母と呼ぶから、わたくしは最期に自分を「母」という存在だと思ってしまった。
すると、胸には味わったことのない哀しみが湧いて、後悔のようなものが噴き出てきて――毒とは、こんなものかしら。
苦しい。
ああ、わたくしの娘。
こんな毒塗れの母に産み落とされて、……可哀想な子。
「うわぁぁん、うわぁぁん」
華蝶が産んだ娘だ。
腹を痛めた子は可愛いと言うが、華蝶に愛情はない。
子どもは政治の道具で、自分の地位のために産んだ。
……本当は男児を産まないといけなかったのに、女児が生まれてしまった。
「煩いこと」
『黒貴妃』華蝶は娘の頬を打ち、乳母に命じた。
「連れておゆき。二度と顔も見たくないわ。……お前たちも、出ていきなさい」
後宮で生きる妃たちは、子を産むことを期待されて育てられた、選りすぐりの花々だ。
妊娠した妃がいれば堕胎させようと企て、生まれた赤子はなんとか殺せないかと命を狙う。後宮は、そんな伏魔殿だった。
華蝶がそんな後宮に入った時、皇帝にはすでに妊娠中の寵妃がいた。
父は手を打ってくれた。
野心家の父は、もともと隣国と通じていた。
隣国の岳不群を支援し、彼の下克上を成功させ、家宝である玄武の珠を持って隣国を訪れて――玄武の珠に妖術を籠めて帰ってきた。さらに、地仙の諸葛老師という強力な助っ人まで獲得してくれた。
おかげで寵妃の暗殺に成功したが、子は産まれてしまった。
しかも、男児だ。
諸葛老師は、「男児は呪い殺すので、気にせず世継ぎを産むことに専念せよ」と言ってくれた。
男児は呪いのせいで病弱で、常に「明日死ぬかもしれない」と言われ続けていたが、これがなかなか死ななかったが。
けれど、華蝶は妊娠できた。
無事に健康な子が産めば、病弱な男児より健康な華蝶の子を世継ぎに、と推せる。
子の性別が男であるように一族郎党が祈った。
そして、子が産めた――女児だった。
あんなに苦労したのに。
あんなに苦しく痛い思いをしたのに。
――その絶望といったら。
「どうしてわたくしは女児を産んでしまったのか」
……どうしてわたくしは女に生まれてしまったのか。
運がない、と思った。
天が自分に意地悪をしていると思った。
産まれる子の性別など、自分にはどうしようもできない。
そんなものに、人生の成否がかかってしまう。
そんなものに、必死にならないといけない。
懸命に祈り、願い、……叶わない!
それが悔しくて、理不尽だと思った。
わたくしは悪くない。
わたくしは手を尽くした。
なのに、それなのに、最後の最後で、天が自分に味方しない!
そんな華蝶に、地仙の老師はよく話しかけてきた。
彼は、人の負の感情を愛するのだという。気持ちが悪い老師だ。
『わしは人間の枠を破り、より高みに昇ろうと修行してきた。
そうしてわかったのだが、わしは異端であり、わし以外の人間は下賤の極み。
権力者や富豪は権力や金銭に執着し、市井の民も愛だの恋だのに浮かれてばかり。
酒を飲み、くだらない話をしてばかり。
そうして短い寿命を終えて死ぬ。おお、なんとくだらない。
わしは友人たちに言ったのだ。
「おぬしら、それでよいのか。より良き自分になるために努力をしないのか。時間を無駄にしているぞ。光陰は矢のごとし、もっと熱くなれよ。自分ではないもっと凄い何かを目指せよ」と。
しかし、これが理解されぬのだ。
世間は、冷たいものよなぁ。みんなわしの思いに共感してくれぬのじゃよ。天さえもわかってくれぬ。わしはこんなにも人と違う高尚な人格であるのに、天が認めてくれぬ。それゆえに、わしは地上で才能を持て余しておるのじゃな』
『よくわかりませんわ』
なんだ、この老師は。不快だ。
華蝶は顔をしかめたが、諸葛老師は「それよ」と頷いた。
『人と人はわかりあえない。この世はむなしく、わしらは孤独である。
孤独という一点において、わしらは共通している』
『わかりませんわ』
『わからない。わかってもらえない。それは、不快ではないか?
寂しく、むずむずして、むかむかしないか?』
『……』
『世の中が嫌いではないか?
自分が嫌ではないか?
周囲の環境が、人間たちが、気に入らないと思わないか?』
『……』
毒だ。
華蝶はそう思った。
『だから、壊そう。滅ぼしてしまおう。
国が滅びても山河はある。人が滅びても世界には影響がない。
わしらの人生の時間は限られており、何もしないでもわしらは死ぬ。
しかし、何かをして死にたいと思わぬか?
おぬしは、むなしさを理解する女ではないか?』
毒だ。
毒は、わたくしの中に醸成されていた。
これまでの人生で、長い時間をかけて溜まっていた。
それが、外の毒に触発されて、ここにいるぞと主張している。
『……歴史に名を刻もう。ただの無名な雑草で終わらず、大それたことを成し遂げよう』
『わたくしは……』
天に唾を吐きたい。
人を理不尽に苦しめて、「運が悪かったわね、天があなたを守ってくれないのね」と笑ってやりたい。
華蝶はそう思ったのだった。
「天よ。天は、どうしてわたくしに優しくしてくれないの。今からでも、わたくしに男児をちょうだい。ううん……わたくし、男児よりも、もっと違う何かが欲しい。でも、それがわからない。辛いの。苦しいの。腹が立つの。この怒りをわかってほしいの。天よ、何か言って」
天は、華蝶に優しくしてくれなかった。守ってくれなかった。
だから、華蝶は反抗期の子供のように、天に唾を吐く。
――自傷だ。他者を派手に巻き込んで、迷惑な。
* * *
侍女たちを全員退室させ、華蝶は大粒の黒瑪瑙が光る指輪を撫でた。毒粒を秘めた指輪は、必要なときに貴い身分の者が尊厳死を選ぶためにある。
「思えばわたくし、たくさんの人を踏みつけて生きてきたわ。最高に気分がよかった」
部屋には、誰もいない。
「わたくしは、寵愛を手に入れた。貴妃の地位まで上り詰めた。後宮を掌握し、邪魔な女を、ライバルたちを、気に入らない者を、殺していった」
天は、華蝶を見ているだろうか。
見ていないのだと思う。そんな気がしていた。ずっと。
「わたくしの邪魔になる妃を殺した時は、胸が空く思いがしたわ」
誰かが不幸になるというのは、心地よい。
嘆く皇帝の心の隙間に入り込み、術の力も借りて自分に依存させていく時は、興奮した。
後宮を掌握した時は、もう何も怖くないと思った。
全てはわたくしの思いのままだった。
次々と処刑遊戯を吹っ掛けて、殺した。
最初は身分が下の者から。すこしずつ上の者を標的にしていった。
本人も痛めつけ、大事な存在を傷つけてやった。
悲鳴を楽しみ、苦しむ姿を鑑賞し、「あなたは無力ね」と嘲笑してやった。
――楽しかった! 気持ち良かった!
「他人の不幸は蜜の味とは、まさに真理だと思った……」
華蝶にとって他人の悲嘆は、自分の苦痛ともどかしさ、辛さを紛らわし、目を逸らさせてくれる麻薬であった。
他人を傷つけると、自分が楽になった。
「わたくしには、力があるの。わたくしは……男児が産めなかった。国母になれなかった。でも、それが何だと言うの。男児も国母も、国さえもなくなれば、そんなのもう気にならなくなるわ」
誰かを陥れるために、自分は生まれたのだ。
わたくしの人生は、
悲しむためじゃなかった。
嘆くためじゃなかった。
苦しむためじゃなかった。
誰かを不幸にするために、自分は生きた。
自分の人生は破壊のためにあった。
もっと大勢を虐げ、より影響力を行使し、後宮を、国を、世界を、全てをめちゃくちゃにしないと。
そうしたらきっと、もっと、「生きた」と満足できる。
そこに、満足がある。
生きるとは、そういうことなのだ。
自分の両手両足を振り回し、叫びちらし、周り中をぐちゃぐちゃに破壊して――そうして、生を感じるのだ!
「女児なんて」
自分が産んだ女児なんて、汚点だ。
気持ちが悪い。
心根も外見も美しいと称えられる妃の胎を裂き、臓物を引き出すと、臭くて汚らしい。そちらの方が安心する。
皆、中身は似たりよったりだ。肉だ。
人は皆、つまるところは単なる肉なのだ――その事実が、嬉しい。
妃の呼吸が止まり、心臓が動かなくなり、死亡を確認すると、いつもすごく嬉しかった。はしゃいでしまった。
自分の悦楽は、そんな瞬間に生まれる。
だから、女児を抱いた時に胸に起きるさざなみのような不可解な情は、錯覚だ。
道徳に反した行いをするとき……人として越えてはいけない線のようなものを越えた瞬間が、たまらなく好きなのだ。快楽はそこにある。
空虚だった心は、それで満たされるのだ。
小さな娘などで満たされたりは、しない。
だって、あの娘は失敗の証拠。望まなかった子。
それを見て満たされるなんて、おかしい。
「子どもなんて、産まなければよかった」
あの娘も自分のように、「お前は将来、高貴な身分の男との子を産むのだ」と教えられて育つだろう。
体臭がかぐわしくなる薬を常用し、上質な襦裙を着て、宝石と花に飾られて、男を悦ばせる方法を学ばされ、男に媚びて孕み、産み、死ぬだろう。
そんな娘のこれからの日々と発育を、母はもう見ることもできないけれど。
「……っふふ」
方卓の上には、皇帝から届いた笈筺がある。
笈筺の中身は、空であった。
空っぽの笈筺は、むなしさを搔き立てた。
これだけ好き放題して、こんなに高みに上り詰めて、権力も寵愛も手に入れて――最期に夫がむなしさを贈ってくれた。
「っふふふ。ふふふ……」
毒を嚥下する耳に、声が聞こえた。
「おかあさま……おかあさまぁ…………っ」
遠くで娘が泣いている。
愚かで可愛い、可哀想なわたくしの娘。
夫は優しい男だったから、きっと大事に育ててもらえるでしょう。
娘がわたくしを母と呼ぶから、わたくしは最期に自分を「母」という存在だと思ってしまった。
すると、胸には味わったことのない哀しみが湧いて、後悔のようなものが噴き出てきて――毒とは、こんなものかしら。
苦しい。
ああ、わたくしの娘。
こんな毒塗れの母に産み落とされて、……可哀想な子。
12
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説

私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシャリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
新しい聖女が見付かったそうなので、天啓に従います!
月白ヤトヒコ
ファンタジー
空腹で眠くて怠い中、王室からの呼び出しを受ける聖女アルム。
そして告げられたのは、新しい聖女の出現。そして、暇を出すから還俗せよとの解雇通告。
新しい聖女は公爵令嬢。そんなお嬢様に、聖女が務まるのかと思った瞬間、アルムは眩い閃光に包まれ――――
自身が使い潰された挙げ句、処刑される未来を視た。
天啓です! と、アルムは――――
表紙と挿し絵はキャラメーカーで作成。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妹が聖女の再来と呼ばれているようです
田尾風香
ファンタジー
ダンジョンのある辺境の地で回復術士として働いていたけど、父に呼び戻されてモンテリーノ学校に入学した。そこには、私の婚約者であるファルター殿下と、腹違いの妹であるピーアがいたんだけど。
「マレン・メクレンブルク! 貴様とは婚約破棄する!」
どうやらファルター殿下は、"低能"と呼ばれている私じゃなく、"聖女の再来"とまで呼ばれるくらいに成績の良い妹と婚約したいらしい。
それは別に構わない。国王陛下の裁定で無事に婚約破棄が成った直後、私に婚約を申し込んできたのは、辺境の地で一緒だったハインリヒ様だった。
戸惑う日々を送る私を余所に、事件が起こる。――学校に、ダンジョンが出現したのだった。
更新は不定期です。

聖女は聞いてしまった
夕景あき
ファンタジー
「道具に心は不要だ」
父である国王に、そう言われて育った聖女。
彼女の周囲には、彼女を心を持つ人間として扱う人は、ほとんどいなくなっていた。
聖女自身も、自分の心の動きを無視して、聖女という治癒道具になりきり何も考えず、言われた事をただやり、ただ生きているだけの日々を過ごしていた。
そんな日々が10年過ぎた後、勇者と賢者と魔法使いと共に聖女は魔王討伐の旅に出ることになる。
旅の中で心をとり戻し、勇者に恋をする聖女。
しかし、勇者の本音を聞いてしまった聖女は絶望するのだった·····。
ネガティブ思考系聖女の恋愛ストーリー!
※ハッピーエンドなので、安心してお読みください!

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる