後宮の妖狐は尻尾を見せない〜天仙公子のやり直し

朱音ゆうひ

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2章

57、清明節、申の刻半、告白

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 妖狐の母にしがみついて泣いているうちに、霞幽は淡々と後始末を進めてくれた。

 警備兵が駆け付けて、妖狐に驚きつつも、宮女を救助してくれる。
 それに、辟邪へきじゃ(魔除け)の刺繍がされた布を運んできて、霞幽に渡している。
 
 二人いた霊のうち、もう一人はいつの間にか消えていた。
 もう一人は、誰だったのだろう……。

「あの。助けてくれてありがとうございました」
「ええと……紺紺さん?」
「紺ちゃん、だよね?」

 呼びかけられて、紺紺はぎくりとした。
 
「あっ」

 九術師の衣裳姿で妖狐にしがみついている自分は、素顔だ。
 
「あああ~~っ!」

 一瞬で頭が冷える。
 思わず母の影に隠れてしまうが、もう遅い。ばっちり見られた後だ。
 
 幻惑の術を使えば「今見たことは忘れなさい」とか「気のせい」とか言い含めることはできるが……。
 
 ……でも、ちょうど侍女の仕事は終わりの頃合いだ。

 そんな思いが、ふと湧いた。

 だから、紺紺は母の影から姿を見せて、背筋を伸ばした。
 三人のお友だちは、言葉を待ってくれている。

 たぶん、なんとなく何を言うか先に理解されている。
 でも、紺紺が自分で言うのを待っている。
 ……自分から言うのが、大切なんだ。

「わ……私、紺紺です」

 三人のお友だちは「知ってる」「うん」「そうね」と頷いた。
 ちょっと間抜けな感じになってしまった。
 恥ずかしいかも……紺紺は母の後ろに隠れたくなりながら赤い顔で言葉を続けた。

「えっと、傾城と呼ぶ人もいます。西領出身です。宮廷術師をしていて、後宮調査のお仕事で侍女をしていました」
 
 寂しい感じがした。
 もう戻れないんだ、と思った。

「正体を隠しててすみません。でも……お、おおお、……お」
 
 三人が首をかしげている。
「おおおお?」
「おお?」 
「お?」
 
 助けて、お母様。言葉がうまく形にならない。
 そんな内心が伝わったのか、母はふわふわの狐尾でぽふぽふと腕を包んでくれる。

「――おと……っ」
 
 三人は、理解しようとしてくれている。
「と?」
「おと?」
「音?」
 
 紺紺は胸の前で手をあわせ、心が伝わるようにと祈りながら告白した。

「……おっ、お友だちだと思ってまして! 仲よくしてくれて、うれしくて!」
 
 言えた! 言えたよー! 

「私、同じ年ごろの女の子のお友だち、ずっといなくて! 同じ年ごろのお友達でも作りなさいって言われて! 作りたいなって思ってて! お友だちになってもらえてうれしくて……! み、みんなのことが、大好き」

 必死に言ってから、恥ずかしくなって袖で顔を隠すようにすると、三人は笑ってくれた。

「……私もお友だちだと思ってるよ!」 
「偉い術師様でも、紺紺は紺紺だね」
「紺ちゃんが傾城様って、不思議な感じ。でも、私も白家の霞幽様に見染められてて、将来は嫁ぐかもしれないし」
 
 三人は口々にそう言って……あれ? 白家の霞幽様?

小蘭シャオラン? 今なんて?」

 そういえば、小蘭シャオランの髪に見覚えのある真珠の簪があるような。あれ?

「アッ。いけない。内緒でしたね、霞幽様」

 ぽっと頬を染めて小蘭シャオランが霞幽を見ている。しかも、恋する乙女みたいな眼で。

「えっ? えっ? 霞幽様? 小蘭シャオラン?」

 見比べるようにして驚いていると、霞幽は、「池の鯉が人間の言葉を話している」みたいな、たいそう冷めた目を小蘭シャオランに向けた。

「小蘭。以前も伝えたが、その簪は単に母親と面会しやすいように許可証代わりに渡したのだ。妙な誤解はしないように」

 霞幽が名を呼んでいる。誤解らしい。
 でも、私を呼ぶ時は「紺紺さん」なのに、小蘭シャオランは呼び捨て?

「霞幽様? 私のお友だちに、簪を? 口説いたり、接吻したり、将来を誓ったりなさったんですか?」
「紺紺さんは、私の言葉を聞いていたかい。簪は『この娘に便宜を図らうように』という意向表明であり、さらに言うなら君と特別仲が良い友人だから今後も仲良くしてくれるようにと保護者の立場から賄賂を渡しただけだよ」
「その賄賂で誤解されてるじゃないですかーーっ! それに、私のことは呼び捨てじゃないのに、小蘭シャオランは呼び捨てなんですか?」
「君は高貴で特別だから……高嶺の花と野花の呼び方が違うのは当然だろう」
  
 憤然として霞幽の服を掴むと、びしょ濡れだ。
 前にもくしゃみをしていたけど、風邪をひくんじゃないだろうか。
 紺紺は上等な服の裾をぎゅっと絞ってみた。

「紺紺さん、何をしてるんだい」
「この服……着替えた方がいいと思います」
「君もびしょ濡れだよ。自覚あるかい」
 
 呆れたように言う霞幽の顔は人間味が感じられて、紺紺は不満が薄れていく気がした。
 
 ところで、皇帝陛下は……ご無事?
 
 * * *

 皇帝は奮闘していた。

「わわわわっしょーいっ!」

 かまど娘娘ニャンニャンは裏切って演舞台に結界を張っていたらしい。
 だが、宝石商人が取り押さえてくれたようで、今は結界は解けている。

『主上、先見の公子から青釭剣が献上されております』
 宝石商人は、助けに入ることなく剣を放り投げてきた。青釭剣だ。
『先見の公子が「我が主たるもの、やんちゃな猫さん坊やごときに負けませんよね?」と伝えるようにと』

 なんという試練。
 しかし、青釭剣は手に頼もしく馴染み、岳武輪の倚天剣に折れる気配がない。
 力いっぱい刃を受け止め、押し返すことができる!
 
「むぅん。朕に青釭剣あらば、百戦して百勝間違いなし! 見てろ、霞幽!」
 
 皇帝が啖呵を切った時、騎馬民族国家の石王が舞台に上がった。

「結界が解けたんですねえ! いやー、王が舞いを捧げる儀式っていうなら、俺だって仲間に入れてもらわにゃ。一応、王なんで」

 『石王』石苞はそう言って皇帝の味方をし始めた。
 
 武輪は威勢がよかったが、一対二となって追い詰められ――膝を折り、剣を手から叩き落され、敗北を喫したのであった。

「次に城内で剣を抜かれた際は、我が国に敵対したとみなします――と、我が国の先見の公子が警告していたはずだな、岳武輪よ」

 武輪の喉元に青釭剣の切っ先を突きつけたとき。

「さて、これにて剣舞の奉納、清明節の祀り事、神事は完了でございます」
 会場に、凛とした少女の声が響いた。
「天上の西王母様は、ただいまの神事を見ておられました」


 視線が集まる先には、狐のお面をつけた傾城がいた。

 傍らには先見の公子がいて、二人の背後には三人の宮女と、頭に帽子をかぶった羊のめえこと、巨大な妖狐がいる。尾が八つの、恐ろしい妖狐だ。
 
 妖狐は、辟邪へきじゃ(魔除け)の刺繍がされた布を纏っていた。
 辟邪の布を纏って平然としているということは、邪悪な生き物ではないということになる。人々ははらはらしながら視線を交わした。

「……ここにいるのは、九尾の狐です。羊は、獬豸カイチです」
  
 傾城は、厳かに言った。

 九? 尾は八つでは? 
 そう思った人々は、次の瞬間、目を擦った。
 妖狐の八つの尾がゆらりと揺れて、九尾になったからだ。

 それが幻惑の術による思い込みだと気付いた者は、宝石商人と皇帝しかいなかった。
 
「皆さんご存じのとおり、九尾の狐も獬豸カイチも、瑞獣です」

 傾城の手がお面を掴み、素顔をさらけ出す。
 友人たちに手伝ってもらって「美しさをより魅せられるよう」化粧をしたかんばせは、可憐だった。
 老若男女問わず目を奪われ、感嘆の吐息を零すほどに美しかった。

「……えっ? 傾城様? でも、あれって紺紺では?」

 中には紺紺と同一人物だと気付いて驚く者もいる。彰鈴シャオリン妃などは珠簾から顔を出してしまったほどだ。

「朝には雨が降っていましたが、我らの真摯な式典が天に伝わり、このように快晴となっています。ただいま、先見の公子が仕上げの祝詞を謡いましょう」

 傾城の言葉を受けて、先見の公子が十年前から本日までの罪人たちの罪を列挙する。

「水鏡老師を名乗る隣国の地仙、諸葛老師は、正晋国せいしんこくの岳不群将軍を焚きつけ、当時の王の悪評を広めて、国を滅ぼしました。その際、我が国の黒家が協力関係にあり、西王母より使命を受けて地上の善悪を測っていた妖狐の令息を人質に取って脅し、玄武の珠に妖術をこめさせました。黒貴妃は地仙の力と玄武の珠の妖術を悪用し、東宮の母君を暗殺。主上を誘惑し、寵姫に成り上がりました」

 人々は仰天した。とんでもない祝詞だ。

「清明節は、先祖の墓を掃除し、霊を慰める祀り事。我々は本日、この真実を明るみにして罪人たちを処刑することにより、長く不名誉をこうむっていた英霊をお慰めします」

 先見の公子は空を夕暮れの色に染める太陽を背負うようにして、神々しく宣言した。
 
「そして、そこにおられる宝石商人――隣国の正統な王族である紫玄シシェン王子をお助けし、正晋国せいしんこくという国号を取り戻すお手伝いをいたす決意を表明します」
 
 ……ん? 今なんて?

 紺紺はその言葉に首をかしげ、宝石商人を見て、「あ!」と思い至った。
 めい、めいと呼ぶと思っていたが、あれは「メイ」だった……?

「えっ、……おにいさま?」
 
 ぜんぜん気づいてなかったので、紺紺は心の底から驚いた。

 しかも、宝石商人の隣にはどう見ても石苞セキホウにしか見えない『石王』が近づいて、「おおっ。殿下だったのですか。見覚えがあるなあと思っていたんですよ」なんて声をかけている。

「石苞がなんで王様になってるのっ?」

 驚きが続きすぎて、紺紺は目が回りそうになった。



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