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2章

55、清明節、申の刻、朕のわっしょい(ピンチ)

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「三人の宮女を無事に返してほしければ、先見の公子を暗殺せよ」 

 ……誤解しようもなく、敵だ!
 
 紺紺は身構えた。
 
「お二人は……黒家と繋がっていたんですね。敵だったんですね!」
 
 後宮のあちらこちらに貼られていたお札。機能不全に陥っていた宮正。
 後宮を掌握して好きにしていた黒貴妃。黒家と繋がっていた宮女、侍女。
 彰鈴シャオリン妃を陥れようとした存在。東宮を呪い、暗殺しようとした存在。
 ……一度目の人生で暗躍していたという、地仙。
 
 頭の中でいくつもの情報が浮かんでは消えていく。

「ひどいですっ、私、水鏡老師は頼りになると思ってたのに。沐沐ムームーさまも萌萌モンモンと仲が良かったはずなのに。……克斯国こくしこくの諸葛老師とも関係がありますか? 諸葛老師って、地仙らしいですね?」
「うむ。わしこそが諸葛老師よ」

 そう答える諸葛老師の顔には年輪を重ねた者特有の深いしわが刻まれていて、老境の渋みがある。
 その双眸そうぼうは、ぎらぎらと暗い炎を燃やしていた。
 
「わしは他者とは違う。皆が肉を食い酒を楽しみ贅肉をはぐくむのを尻目に、わしは蛍の光を頼りに勉学に勤しみ、山道を駆け上がり、健やかなる肉体を育んだ。皆が女色にょしょくや愛だの恋だのに溺れる中、わしは長い年月をかけて滝行や梅花の気功術に励み、人という枠を破り、地仙となったのよ」
「努力はすごいと思いますけど、どうして人を誘拐したり暗殺しようとしたり……国を滅亡させたりするんですか」
 
 紺紺は霞幽の話を思い出した。
 彼の一度目の人生で、諸葛老師という地仙は黒幕とか諸悪の根源と言っても過言ではない印象だった気がする。
 この人物は、正晋国せいしんこくの下克上を正当化し、妖狐を利用し、大陸中を大混乱に陥らせて、消えたのだ。

「どうして……」
 
 ……その動機が理解できない、と思うと同時に、「許せない」という怒りも湧いてくる。
 でも、人質を取られている。どうしよう? ――焦燥と不安も湧いてくる。

 感情と理性の狭間で思考を巡らせた紺紺は、ふと気づいた。
 
 老師の後ろには、いつの間にか白猫がいる。
 
 先見の公子――霞幽カユウだ。
 猫の瞳は、無感情だ。
 こんな事件は想定通りで、何も慌てることがない――言葉ではなく、全身の醸し出す余裕のようなものが、そう感じさせた。

 あれっ? 霞幽様は、全部お見通しだったんじゃないかな?
 この様子だと、もしかして霞幽様が人質を助けてくれているんじゃないかな?

 そんな希望的観測が、信頼という土台の上にむくむくと広がっていく。

 きっと霞幽様が助けてくれてるんだ。
 あんなに余裕な態度なんだもの。助けてないはずがないよ……!

 思い込みが深まっていき、紺紺は強気になった。
 
「諸葛老師。人質は本当に捕まえてるんですか? 今頃、先見の公子様に逃がされてたりしませんか? ご確認なさった方がいいのでは? 確認に行くなら、一緒についていきますよ」
「何を笑っておる? わしの素晴らしさに感服したのかの?」

 諸葛老師がいぶかしげな表情を浮かべる。
 ――ああ、人間らしい人!
 老師の感情豊かな表情と背後の猫の無表情を見比べていると、紺紺は焦燥と不安が一気に薄れていくのを感じる。
 
「笑ってましたか、すみません。だって、諸葛老師……ぜんぜん先見の公子様と違うって思ったから」

 霞幽と比べれば、すごく世俗の垢塗れで、小物っぽい。
 
「諸葛老師は世俗に浸かりきってる感じです、『人間!』って感じです」
「なっ……」
「先見の公子様は、あなたと全然違います。あなたが誇っているようなことをちっぽけなこととか些細なことだって思ってて……人の生死も、人生も、ちょっと遠くからどうでもよさそうに見てて……いまいちやる気がなくて、無責任で……最終的な目的を大切にしてて……」

 諸葛老師は火がついたようにたけり、両手の指を立てたり握ったりして術印を結んだ。
 沸き立つような音を立てて池の水が蠢くところを見ると、術師としては確かに通常の人間では到達できない領域に達している仙人であるらしい。水が龍の形になって襲ってくるので、紺紺は後方転回して避けた。
 
「わしがあの青二才に劣るものか! どれだけの年月、研鑽を積んできたと思っている……! 沐沐ムームーれ!」
「はい、老師様」
 
 老師に命じられ、沐沐が素早く距離を詰め、暗器を閃かせる。
 しっかり訓練を受けている暗殺者の身体裁きだ。
 普通の小娘であれば、数秒で急所を突かれて絶命させられてしまうだろう。
 急所じゃなくても、かすり傷でも毒が仕込んであって殺されてしまうかもしれない。
 
 でも、紺紺は普通の人間ではない。
 動きは全て見切ることができた。
 超人的な反射速度で身軽に回避できる。
 拾った陶器の破片を思い出して懐から取り出せば、皮肉にも殺意の刃を破片で受け流す役にも立った。
 
 それにしても、引っ掛かる。
「えっと、劣るというのともちょっと違う気がするんですよね……」
 紺紺は「人間らしい方がいいな」と思っているからだ。でも、老師は人間じゃない存在になりたいのだ。

「私、思うんです。天仙ってたぶん『自分が、自分が』って感じじゃないんじゃないかな。きっと、それこそ先見の公子様みたいに自分を消したようにしちゃったのが、天仙なんじゃないかな……」

 霞幽を見ていると、何に対しても熱が欠けている気がする。
 そう思いながら、紺紺は身を屈め、水龍の突撃を避けて地面を転がった。
 上半身があった空間を水龍がすごい勢いで通過していく。しかも、すぐに方向転換してまた襲ってくるものだから厄介だ。紺紺は地を蹴って跳躍した。

「紺紺さん、戦いながらお喋りとは余裕ね!」
「ふふっ、私、お喋り好きなんです!」
 
 ――どんな時も、喋っていると前向きになれるから。
 
 高く跳ぶ紺紺に、沐沐ムームーが飛びかかってくる。
 空中で回転しながら繰り出してくる刃を陶器の破片で弾き、蹴りを受けたところに横から水龍が突っ込んでくる。
 凄まじい勢いのそれに全身が突き上げられ、押し流されるように高く体が持ち上げられていく。
 
「くぅっ……、――あれっ……?」
 
 天高く持ち上げられた一瞬、紺紺の目には、演舞台が見えた。

 演舞台には、皇帝と岳 武輪ガク ブリンがいた。舞台袖では、かまど娘娘ニャンニャンと宝石商人が揉めている? そして警備兵が集まっている?

 皇帝は、長い衣の裾を翻し、大きな儀礼用の剣を振っている。
 岳 武輪は倚天剣を手に、殺気を隠そうともせず皇帝に向かっていく……。
 
 ――皇帝が、岳武輪に


 * * *

 ――申の刻(夕方16時)。
 
 皇帝は滝のような汗を流しながら、必死に岳武輪の剣をしのいでいた。

 清明節の目玉の儀式ともいえるのが、皇帝の剣舞。
 大きくて重い儀礼用の剣を持ち、洗練された剣の舞いを単身で奉納する――それが、皇帝の公務。まつり仕事だ。
 
 皇帝は剣の腕には覚えがあり、剣舞も得意だ。
 「傾城のおかげで体調も改善したことだし、清明節の晴れ舞台を見事にこなしてみせよう」と意気込んでいた。

 
 息子である東宮も目をキラキラさせて「父上の剣舞が楽しみ」と言ってくれていた。
 よーし、爸爸パパ張りきっちゃうぞ!
 いろいろとあったが、祖先の霊も天上の神々もどうか朕の志を見てほしい。
 立派な国主としてがんばるから!
 
 
 演舞台にあがり、空を見れば、快晴であった。
 
 夕暮れの太陽に、世界が燃えるように彩られている。まぶしい! 
 隅々まで地上が茜色と黄金色に照らされて、後ろ暗いことを何も許されないような気分になる。
 
 皇帝は姿勢を正し、神妙な表情で剣舞を始めた。

「すーっ」 
 
 ゆったりと呼吸して自分の周りに満ちている空気を感じる。
 気功を練るように両の手のひらをあわせ、自然な所作で足を一歩踏み込みながら、抜剣。

「わっしょいっ」
 
 なお、掛け声はわっしょいである。
 皇帝は、わっしょいが好きだ。一番がんばれる気がする掛け声なのだ。こだわりである。

「わっしょいっ」
 
 滑らかな足運びで重心を移動しながら、抜いた剣は空気の流れを導くように、円を描くように横に振る。

「わっしょいっ」
  
 その勢いのまま、全身を独楽のようにくるりと回転させたとき、異常事態が発生した。
 岳武輪が乗り込んできたのだ。
 
「な、なんだっ?」 
「はははっ!」

 白い歯をみせながら岳武輪が抜いた倚天剣は、どう見ても儀礼用ではなく実戦用であった。
 
「岳王!?」 
「ここに王がもう一人いる! 天に国主が舞いを捧げる儀式ならば、俺も舞わねばな。せっかく招いてくれたのだ、両国の発展を願い、仲良くやろう。遠慮するな」
 
 それを嬉々として振る岳武輪には、明らかに殺気があった。
 殺気を隠そうともせず、「二人で舞うなら剣を戦わせないとな!」と襲い掛かってくる。こ、殺される!
 
 「こんな事態のための警備や術師たちは何をしているのだ?」と思ったところ、舞台袖ではなぜか宝石商人とかまど娘娘が花火をぶつけあっている。仲間割れ?
 
 警備兵は舞台に駆け寄ってきたものの、視えない壁に阻まれてこちらに来れない様子。結界?
 
 そして、遠くの空に今、水龍と戯れる傾城が一瞬だけチラッと見えた。水遊び……!?

「父上……?」

 東宮が「これは異常事態? それとも、また演出?」という顔をしている。
 こりゃ、いかん――皇帝は全力で虚勢を張った。
 
「うおおおっ、これは予定していたことであるッ! 朕の演出であるッ! 皆の者、慌てるでないッ!」

 内心では危機に慌てふためいているが、皇帝は余裕の笑みをつくって儀礼用の剣で倚天剣を受け止めた。

 ――パキィィン!

「ち、父上! 剣が……!」

 儀礼用の剣が無残に折れる。
 伝説級の剣と儀礼用の剣を戦わせてはいけない、勝てるわけがなかった。
 皇帝は涙目になりながら「これも想定通りッ! 朕の演出であるぞおぉぉッ‼」と吠えた。
 
 
「ほ、ほんとうですか、父上っ!?」
「ち……朕を……信じよ!」
 
 
 息子に格好良いところを見せたい。
 式典を無事成功させたい!
 もう色々と限界かもしれぬが、朕は最期までがんばるぞ!
 

 皇帝は必死に岳武輪の剣から逃げ回りながら、強気な笑顔を保ち続けた。
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