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2章
50、妃や妃や、汝を如何せん
しおりを挟む清明節を控えて事件が続く中、紺紺は皇帝と話す機会を得た。
皇帝は朝早くに彰鈴妃のもとを訪ねてきて、相談してきたのだ。
本日はお日柄もよく、羊もなければ猫もない。
玄武の珠にて二人きりの内緒話を成立させて、皇帝は本題を切り出した。
「午後は会議がある。その前に、朕は相談したい」
「私で相談相手になるならば」
皇帝には、報告書を提出している。さて、何の件だろう。
「朕は霞幽から忠誠を感じぬが、どうすれば忠誠を得られるだろうか? 東宮に言われたのだ。『父上が清明節で格好良く剣舞するところ楽しみ。ぼく、父上が優秀な臣下に忠誠を捧げられているところ、見たい』と……」
相談内容は、期待していたのとは違った。
「皇帝陛下。それを、なぜ私に?」
「そなたは霞幽のお気に入りだから」
そう言われると、悪い気はしない。
それに、黒貴妃を冷宮送りにする後押しもできるではないか。
紺紺は袖を合わせ、顔を隠すようにして、もっともらしい顔で献策した。
「霞幽様にも成就したいことがあるので、それと主上が衝突しないようにするか、もしくはお手伝いしてあげると喜ばれると思います。具体的に言うと、黒貴妃様の件なのですが」
「むぐぐう」
皇帝は唸り、「朕はわかっておるのだが」と言いながら会議に向かった。
大丈夫だろうか?
でも、紺紺はちょっと安心した。
皇帝の側は、霞幽に対して「奸臣」とか「朕を意のままに操ろうとしよって、無礼者」とか思っていないのだ。
そして、小娘であり新参の術師に相談して、検討してくれる――この皇帝は、そんな君主なのだ。
* * *
『傾城』の助言を胸に、皇帝は会議に向かった。
当晋国の会議の場では、国家の重鎮が二人、今にも倒れそうなほど顔色を悪くしていた。
黒家の派閥に属する冬軍祭酒と、紅家の派閥に属する夏丞相である。
黒貴妃、紅淑妃に関しての問題が取り沙汰されそうで、話しだいでは自分のクビも飛ぶかもしれないぞと恐れているのである。
最初に、皇帝が情報の札を切った。
「後宮で事件が続いているのは皆も知っておろう。さて、朕が花園を散策しながらこの件を気にしていたところ、勇敢なる桃の花が真実を囁いた」
桃の花とは、桃瑚妃のことである。
皇帝は、威風堂々とその話を語った。
皇帝の御子を身ごもった胡月妃は、一度流産したことがある。
『勇敢なる花』曰く、その流産は別の妃が「子流し」の毒を盛ったことが原因だ。ここまでは、後宮では珍しくない話である。
「当時、その妃を担当した医師は濫家の傍流の家柄だった。その医師は『妃が流産した際に責任を感じて自害した』と記録されているのだが、実際は生きているというのだ」
皇帝の指示で、ひとりの爺さんが連れてこられる。
健騒祭でお婆さんとの思い出語りをしていた爺さんだ。
「朕はこの者に見覚えがあると思ってな、もともと家を調べさせておいたのだ。いやあ、まさかあの時の爺さんが重要参考人になるとは思わなかった」
皇帝はしみじみとした顔になってから、爺さんに話をさせた。
「胡月妃は、単に流産しただけではない。ご本人も毒殺されたのじゃ」
会議場が一瞬ざわっとして、すぐに痛いほどの静寂と緊張に包まれる。
爺さんは、「胡月妃が亡くなった直後に、現場にいた侍女が妖狐になった」と言った。
妖狐が侍女に化けていたらしい、という推測を話し、そのあとで「その妖狐は胡月妃の姿に変身した。そして、『胡月妃は死んでいない』と周囲の者に思いこませた」という衝撃的な真実を語った。
妖狐は、思考を麻痺させ、心を操る術の使い手だ。何を考えているのかわからず、おそらく人を簡単に殺す生き物だ。おそろしい。
これはいかん。この真実を信頼できる方に伝えねば。
そう思った爺さんは、気付け薬を飲んで正気を保ち、自害したふりをして自分を守った。後宮から逃げて濫家に相談し、妻子たちと一緒に市井に潜伏した。
濫家は、水面下で事実関係を調べた。時間をかけ、慎重に。
調査の結果、まず、毒を盛ったのは宮女だとわかった。しかし、宮女は口封じで殺され、黒幕は不明だ。
本物の胡月妃の遺体は人知れず埋葬されたことがわかった。
さらに、黒家出身の華蝶妃が、妖しい誘惑の術や媚薬を用いて、皇帝の寵愛を受けていることがわかった。
誘惑の術は、妖狐とのつながりを連想させた。
濫家は、「黒家と妖狐が協力関係にあるのでは? 皇帝に奏上しても、冷静な判断を期待できないのでは? 下手に手を出すと火傷では済まないのでは?」と危惧した。
濫家は桃瑚妃に命じた。
『北と南の宮殿とは距離を取り、関わらないようにしつつ、西領出身の彰鈴妃と親しくなれ』
妖狐を退治できる術師がほしい。
『先見の公子』の正体が実名を伏せた白 霞幽であることは公然の事実で、西領は術師を多く輩出している土地として知られている。
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」という言葉もあるので、彰鈴妃と友人になって協力関係をつくるのだ。
爺さんはひと通りを話して、皇帝に深く叩頭した。
「幸い、わしはそれほど名の知れた者でもなし。見とがめられることなく過ごしてきたのじゃが、まさか主上に顔を覚えられていたとは」
皇帝は「朕は万民の父である。我が子を忘れることはないぞ」とふんぞり返り、情報と見解を足した。
「すべてお見通しであったぞ。当然である。朕は、術師に後宮調査をさせていた。結果、術師は妖狐を見破り、後宮から追い出したのである」
「おおっ、さすが主上」と称賛の声が起きる。
それを心地よさそうに見わたして、皇帝は『先見の公子』白 霞幽から視線を逸らした。
天文博士の官服に身を包んだ二十一歳の美男子は、自分と妹が「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」と濫家に狙われていたのだと知っても、眉ひとつ動かさなかった。
天上の神々が気紛れに彫刻した芸術品みたいに微動だにせず、ひたすら無表情に座している。
「ゆえに、妖狐についてはもう心配いらぬ。胡月妃についても改めて葬儀をし、長い間その死に気付けず、弔ってやることのできなかった霊を慰めよう」
皇帝が話を締めくくった時、霞幽が発言した。
「大事な真相部分が欠けています、主上。私が胡月妃を毒殺した宮女について調査したところ、宮女は黒家の派閥に属する沐家と繋がりがありました」
声は氷の刃のように鋭く響いた。
「罪状が増えましたね。それでは、かねてから申し上げておりましたように、黒貴妃様を断罪しましょう」
言うと思った――誰もがそんな顔をした。
というのも、この青年、ここ数日は皇帝の顔を見るたびにしつこく同じ提案を繰り返しているのである。
皇帝も予想通りとばかりに、「うむ」と返事をした。蚊の鳴くような声だった。
だって、黒貴妃は朕のお花ちゃんなんだもの。
いくつもの熱い夜を過ごし、子どもも生まれた仲だもの。
「朕は、前向きに検討する」
皇帝は、重々しい口調で軽い言明をして逃げようとした。
しかし、霞幽は許さなかった。
「主上は私と黒貴妃様、どちらを重んじられるのですか」
「自分には価値があるのだ」と自負がある者特有の物言いだ。
その先見の能力で築いたこれまでの功績と四大名家の血統には実際、価値がある。直前に濫家が彼を狙っていたという話題もあったので、皆が「そう迫れるだけの人物だな」と思ってしまった。
しかし、皇帝は。
「そなた、そんな嫉妬した愛人みたいなことを……こんな時にデレなくても……くっ……そなたと妃は比べられるようなものではない。どちらも大事な朕の宝であるぞ」
「くっ」の部分は、なぜかちょっと嬉しそうであった。対する霞幽は、冷ややかだ。
もしかしたら内心で「何をにやけているのだ昏君め、退位させるぞ」くらいは思っているかもしれない――居合わせた官吏たちはひやひやしながらその無表情ぶりから目を逸らした。
うっかり目が合ってしまって、悪い意味で目を付けられたくないと思ったのである。
「どちらですか」
「長考させてくれ」
「待てません」
居合わせた者たちが知人に伝えた話によると、このあと決断を迫られた皇帝は、悲痛な表情で詩を詠んだと伝えられている。
朕の力は山を抜き、気は世を蓋うほどだ。
しかし、時の利あらず、臣は譲らず。
臣の譲らぬのを、如何すべきか?
妃や妃や、汝を如何せん……。
ひとことで言うと「もうね、これ、無理。朕にはどうにもできない」という嘆きの詩だ。
この詩を「これ、朕の本音なのだが」と唱えたところ、同情して味方が増えるかというと、増えなかった。
「黒貴妃の罪は問わねばなりません。紅家の妃を毒殺したのですから。そして、その情報をおそらく故意に隠して黒貴妃を庇おうとなされた主上には、遺憾の意を表明させていただきましょう」
夏丞相は紅家派閥として、態度を硬化して打倒黒家を唱え始めた。
有力者のお気持ち表明に、もはやこれまで状態となった皇帝はついに折れた。
「あい、わかった」
両手の人差し指同士をつんつんとくっつけ、涙目で頷く皇帝には威厳が欠けていたが、霞幽は満足そうにそんな主君を労った。
「ハオリーハイ。それでこそ、我が主君」
皇帝はその言葉に「そうであろ……?」と震え声で応じたのだそうな。
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