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2章
46、霞幽の一度目の人生の話(3)
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覚悟を。
想いを。
死にゆく者の、必死な願いを。
――全てを失っても叶えたいという、必死の懇願を。
「供物をささげて、願うの」
――天は、それを聞くのだという。
ひび割れ、かすれた声は、聞いているだけで心が締め付けられるようだった。
刻一刻、彼女の生命力が失われていく。秘宝に吸われていく。
「人を殺め、騙し、操り、魂が穢れ切った私では、きっとダメ。でも、妻としての私が供物となり、穢れていない夫の霞幽が願う者となれば、天に届くかも、しれない……内助の功って、こんな感じかしら」
――そんなおとぎ話は、言われてみれば元々、この大陸に息づいていた。
徳高く修行を積み、高みを目指し続けた者が、天に認められ、高みに昇る。
仙人となる――そんな昇仙信仰だ。
「時を、戻せたら……と、思う。私は、母をあんな風にさせたくなかった。母が人間を殺したりせず、妖魔の群れをつくりだすこともなく、人間の国を滅ぼしたりせず、人間たちに妖狐が怖がられることなく……、石を投げられることもなく……生きて欲しかった」
霞幽の主人であり、妻である少女は、自分が生きることではなく、すでに死んでいる母の幸せを願った。
「手を握ってほしい」
少女の願いに、愛しさが湧いた。
握った手は小さくて、幼さを感じさせた。哀れだと思った。
「私、本当は……妖狐になんて、産まれたくなかった。普通の人間がよかった。みんなに怖がられたり、みんなをたぶらかしたりする自分が嫌いだった……」
少女の声は、悲痛な本音だった。
「誓って……ほしい。母を……たすけて」
もう残された時間がないのだ、というのが、ひしひしと伝わってくる。
霞幽は懸命に声を聞かせた。
「誓います」
自分が誓い、必ず助ける。
母君だけでなく、あなたも。
この少女は、自分の特別な存在であり、妻である。
この妻を安心させるために、自分は今日まで生きていたのだ。
「どんなに困難でも、何を失っても……必ず、私があなたを幸せにしてみせましょう」
妻の亡骸を抱きしめて、霞幽は秘宝に願った。
願い続けた。
天は、望みを聞き届けよ。
妻は妖力と生命を差し出した。自分も、全てを差し出す所存である。
願いを叶えるために不要なものは、全部捧げて構わない。
何もかもを失っても、叶えなければならぬのだ。
――朝がきて、昼になり、夜が再び訪れる。
それを何度繰り返したかわからなくなる。悲しみの涙が枯れ、全身の感覚が痺れてきて、飢餓感や疲労感がわからなくなっていく。
自分が普通の生き物であればすでに死んでいる。そんな思いを抱きながら、願い続ける。
いつまでも、いつまでも。
永遠にも思える時間の中で、彼は妻を抱きしめたまま、願い続けるだけの生き物となった。
そして、何もかもがわからなくなりかけた時――――天は願いを聞いた。
――『願いを叶える機会』をくれたのだ。
人によっては、この体験を「昇仙」と呼ぶかもしれない。
* * *
気づけば、時が戻っていた。自分は子供になっていた。
……二度目の人生のやり直しが始まった。
霞幽は変化を自覚した。
一度目の人生で妖狐の眷属となって獲得した霊力は、二度目の人生でも健在なように思われる。
あるいは、「昇仙」して仙人みたいになっているのかもしれない。
自分がどういう生き物になっているのかは明確ではないが、普通の人間ではないのだけは確かだ。
そして、無感情になっている。
喜びも悲しみも感じないのだ。
霞幽は「天が機会をくれたのだから、自分はこれから願いを叶えるために生きるのだ」という使命感を抱いた。
「願いを叶えるためには、自分が行動しないといけないのだ」「感情は、願いを叶えるためには不要なのだ」と事実を受け止めた。
一度目の人生の終わりには紫玉公主への憐憫や愛情があったように思えるが、それもまっさらに消えている。
……ところで、「願いが叶った状態」とはどのような状態だろうか?
……「幸せな状態」とはどのような状態であろうか?
感情を失った霞幽は「自分がどのように行動し、どのような悲劇を回避すべきか、どのような結末を目指すべきか」を考えた。
そして、「場合によっては、苦しむ前に殺してあげるのも『幸せにした』と言えるのでは?」などと物騒な考えを抱きながら動き始めた。
まず、未来知識を活かして先見の能力者になりすまし、発言力や影響力を獲得する。
最初は白家での地位を固めていき、次は国の政治に働きかけられる強力な地位を求め――暗殺されるはずだった東宮(慈煕 )を救い、皇帝にした。
仙人なら尊敬されるが、魔性の妖魔と言われれば最悪火刑に遭うかもしれない。
家宝の白虎の珠をうまく使い、いざとなった時に「これは家宝を使ったのです」と自己弁護できるようにしよう。
正晋国の内乱発生を阻止できないかと画策してみたが、そちらは止められなかった。
諸葛老師と呼ばれる地仙老師や、妖狐である后は、霞幽には太刀打ちできない格上の術師だったからだ。
一度目の人生で紫玉公主に「眷属」にさせられた記憶もあり、特に妖狐への警戒心は強かった。できるだけ近づきたくない。せいぜい友好の意思を手紙で伝えたり、これから反乱の手が城に及ぶことを警告したりする程度。
后は手紙を公主への縁談と解釈し、反乱発生を知ってからは「公主を託します」と手紙の返事を送り、頼んできた。
「好意をアピールしてきた公子なら、娘を大切にするだろう」と思ったのだろうか。危機が迫る余裕のない状況で、藁にもすがる想いで「娘が巻き込まれて邪悪な妖魔扱いされぬように。すこしでも生存確率を高くできるように」と託したのだろう、と思われた。
一度目の人生では「近いから」という理由で白家の領地に逃げてきた公主だったが、ここで少し変化が出たわけだ。
公主以外の正晋国旧王朝の王族も、保護できないだろうか?
特に、皇子と后の運命を放置していては、破滅が待っている気がしてならない。
そう思った霞幽は、紫玉公主を桓温に任せた。
「この手紙を紫玉公主に渡すように。保護するつもりだが条件があり、従えないなら殺すと伝えよ」
彼女が平穏な道を選ぶなら、幸せな生き方ができるよう支援しよう。
が、戦いに身を投じて周囲を巻き込み破滅する道を選ぶなら、人生を終わらせた方がよい。
失った情があれば別の考え方をしたかもしれないが、情を失った霞幽はこの時、そんな考えを抱いていた。
桓温に公主を任せた後は、危険を承知で能力を使い、正晋国の皇城に近付いた。
すると、城の中で岳不群が皇子を人質に取って妖狐の后に迫っているではないか。
幸い、諸葛老師は不在の様子。
ここは介入の好機。
逆を言えば、この機会を逃すと願いを叶えられなくなる気がする――そんな危機感を抱いた霞幽は、岳不群を暗殺し、皇子を保護した。
そして、妖狐の后に自分が味方であることを伝え、保護を申し出た。
しかし、妖狐の后はたいそう怒っていた。
岳不群は死んだが、他の悪逆の輩は生きている。
諸葛老師はまだ生きている。
彼らを支援した他国の野心家がいる。
当晋国の奸臣一族がいて、自分を脅した。
その奸臣一族は皇子を人質に取り、家宝とやらに術を籠めさせられた。
それを悪用して、罪のない妃や東宮を殺すつもりだと聞いた。
家名も名乗らず、国内でどのような地位にいるのか知らないが、許すわけにはいかない。
人の負の感情にあてられてか、一連の事件による怒りや復讐心からか、妖狐の心はすでに暴走しているように霞幽には思われた。
「お待ちください。詳しく教えてくだされば、私が雪辱を晴らします。奸臣一族や老師の企みを阻止します。ですから、あなたは何もなさらず……」
止める声は、妖狐には届かなかった。
理性を失っていたであろう妖狐は、我が子をひったくるように奪い、疾風のように東へと駆けて、姿を消したのだ。
「妖狐を探しつつ、妖狐の仇も探す。奸臣一族や老師の企みを阻止する。王族の方々は……」
今後の方針を練りながら桓温と合流すると、自分がいない間にちゃんと紫玉公主に手紙を渡し、保護してくれていた。
『過去を捨てる、争いを望まない』と誓ってくれたという。
「彼女への情は失われているが、妖狐も暴走して行方不明なことだし、生かしたまま保護して成長を見守ってみよう」
彼女の「幸せ」な状態を実現できるよう、世の中を自分が変えてみせよう。
例えば、普通の人間よりも強い術師、人外の存在を、「国家の守護をする英雄的存在」としてみてはどうか。
妖狐や半妖狐の異能力者を、畏怖ではなく憧憬や尊崇の対象にしてはどうか。
あるいは、珍しくもなんともない「ちょっと優秀な普通」にしてみてはどうか。
何をするべきか、何を防ぐべきか、日々考え、「先見の公子」は皇帝を陰で操るようにして、国の在り方を変革していった。
想いを。
死にゆく者の、必死な願いを。
――全てを失っても叶えたいという、必死の懇願を。
「供物をささげて、願うの」
――天は、それを聞くのだという。
ひび割れ、かすれた声は、聞いているだけで心が締め付けられるようだった。
刻一刻、彼女の生命力が失われていく。秘宝に吸われていく。
「人を殺め、騙し、操り、魂が穢れ切った私では、きっとダメ。でも、妻としての私が供物となり、穢れていない夫の霞幽が願う者となれば、天に届くかも、しれない……内助の功って、こんな感じかしら」
――そんなおとぎ話は、言われてみれば元々、この大陸に息づいていた。
徳高く修行を積み、高みを目指し続けた者が、天に認められ、高みに昇る。
仙人となる――そんな昇仙信仰だ。
「時を、戻せたら……と、思う。私は、母をあんな風にさせたくなかった。母が人間を殺したりせず、妖魔の群れをつくりだすこともなく、人間の国を滅ぼしたりせず、人間たちに妖狐が怖がられることなく……、石を投げられることもなく……生きて欲しかった」
霞幽の主人であり、妻である少女は、自分が生きることではなく、すでに死んでいる母の幸せを願った。
「手を握ってほしい」
少女の願いに、愛しさが湧いた。
握った手は小さくて、幼さを感じさせた。哀れだと思った。
「私、本当は……妖狐になんて、産まれたくなかった。普通の人間がよかった。みんなに怖がられたり、みんなをたぶらかしたりする自分が嫌いだった……」
少女の声は、悲痛な本音だった。
「誓って……ほしい。母を……たすけて」
もう残された時間がないのだ、というのが、ひしひしと伝わってくる。
霞幽は懸命に声を聞かせた。
「誓います」
自分が誓い、必ず助ける。
母君だけでなく、あなたも。
この少女は、自分の特別な存在であり、妻である。
この妻を安心させるために、自分は今日まで生きていたのだ。
「どんなに困難でも、何を失っても……必ず、私があなたを幸せにしてみせましょう」
妻の亡骸を抱きしめて、霞幽は秘宝に願った。
願い続けた。
天は、望みを聞き届けよ。
妻は妖力と生命を差し出した。自分も、全てを差し出す所存である。
願いを叶えるために不要なものは、全部捧げて構わない。
何もかもを失っても、叶えなければならぬのだ。
――朝がきて、昼になり、夜が再び訪れる。
それを何度繰り返したかわからなくなる。悲しみの涙が枯れ、全身の感覚が痺れてきて、飢餓感や疲労感がわからなくなっていく。
自分が普通の生き物であればすでに死んでいる。そんな思いを抱きながら、願い続ける。
いつまでも、いつまでも。
永遠にも思える時間の中で、彼は妻を抱きしめたまま、願い続けるだけの生き物となった。
そして、何もかもがわからなくなりかけた時――――天は願いを聞いた。
――『願いを叶える機会』をくれたのだ。
人によっては、この体験を「昇仙」と呼ぶかもしれない。
* * *
気づけば、時が戻っていた。自分は子供になっていた。
……二度目の人生のやり直しが始まった。
霞幽は変化を自覚した。
一度目の人生で妖狐の眷属となって獲得した霊力は、二度目の人生でも健在なように思われる。
あるいは、「昇仙」して仙人みたいになっているのかもしれない。
自分がどういう生き物になっているのかは明確ではないが、普通の人間ではないのだけは確かだ。
そして、無感情になっている。
喜びも悲しみも感じないのだ。
霞幽は「天が機会をくれたのだから、自分はこれから願いを叶えるために生きるのだ」という使命感を抱いた。
「願いを叶えるためには、自分が行動しないといけないのだ」「感情は、願いを叶えるためには不要なのだ」と事実を受け止めた。
一度目の人生の終わりには紫玉公主への憐憫や愛情があったように思えるが、それもまっさらに消えている。
……ところで、「願いが叶った状態」とはどのような状態だろうか?
……「幸せな状態」とはどのような状態であろうか?
感情を失った霞幽は「自分がどのように行動し、どのような悲劇を回避すべきか、どのような結末を目指すべきか」を考えた。
そして、「場合によっては、苦しむ前に殺してあげるのも『幸せにした』と言えるのでは?」などと物騒な考えを抱きながら動き始めた。
まず、未来知識を活かして先見の能力者になりすまし、発言力や影響力を獲得する。
最初は白家での地位を固めていき、次は国の政治に働きかけられる強力な地位を求め――暗殺されるはずだった東宮(慈煕 )を救い、皇帝にした。
仙人なら尊敬されるが、魔性の妖魔と言われれば最悪火刑に遭うかもしれない。
家宝の白虎の珠をうまく使い、いざとなった時に「これは家宝を使ったのです」と自己弁護できるようにしよう。
正晋国の内乱発生を阻止できないかと画策してみたが、そちらは止められなかった。
諸葛老師と呼ばれる地仙老師や、妖狐である后は、霞幽には太刀打ちできない格上の術師だったからだ。
一度目の人生で紫玉公主に「眷属」にさせられた記憶もあり、特に妖狐への警戒心は強かった。できるだけ近づきたくない。せいぜい友好の意思を手紙で伝えたり、これから反乱の手が城に及ぶことを警告したりする程度。
后は手紙を公主への縁談と解釈し、反乱発生を知ってからは「公主を託します」と手紙の返事を送り、頼んできた。
「好意をアピールしてきた公子なら、娘を大切にするだろう」と思ったのだろうか。危機が迫る余裕のない状況で、藁にもすがる想いで「娘が巻き込まれて邪悪な妖魔扱いされぬように。すこしでも生存確率を高くできるように」と託したのだろう、と思われた。
一度目の人生では「近いから」という理由で白家の領地に逃げてきた公主だったが、ここで少し変化が出たわけだ。
公主以外の正晋国旧王朝の王族も、保護できないだろうか?
特に、皇子と后の運命を放置していては、破滅が待っている気がしてならない。
そう思った霞幽は、紫玉公主を桓温に任せた。
「この手紙を紫玉公主に渡すように。保護するつもりだが条件があり、従えないなら殺すと伝えよ」
彼女が平穏な道を選ぶなら、幸せな生き方ができるよう支援しよう。
が、戦いに身を投じて周囲を巻き込み破滅する道を選ぶなら、人生を終わらせた方がよい。
失った情があれば別の考え方をしたかもしれないが、情を失った霞幽はこの時、そんな考えを抱いていた。
桓温に公主を任せた後は、危険を承知で能力を使い、正晋国の皇城に近付いた。
すると、城の中で岳不群が皇子を人質に取って妖狐の后に迫っているではないか。
幸い、諸葛老師は不在の様子。
ここは介入の好機。
逆を言えば、この機会を逃すと願いを叶えられなくなる気がする――そんな危機感を抱いた霞幽は、岳不群を暗殺し、皇子を保護した。
そして、妖狐の后に自分が味方であることを伝え、保護を申し出た。
しかし、妖狐の后はたいそう怒っていた。
岳不群は死んだが、他の悪逆の輩は生きている。
諸葛老師はまだ生きている。
彼らを支援した他国の野心家がいる。
当晋国の奸臣一族がいて、自分を脅した。
その奸臣一族は皇子を人質に取り、家宝とやらに術を籠めさせられた。
それを悪用して、罪のない妃や東宮を殺すつもりだと聞いた。
家名も名乗らず、国内でどのような地位にいるのか知らないが、許すわけにはいかない。
人の負の感情にあてられてか、一連の事件による怒りや復讐心からか、妖狐の心はすでに暴走しているように霞幽には思われた。
「お待ちください。詳しく教えてくだされば、私が雪辱を晴らします。奸臣一族や老師の企みを阻止します。ですから、あなたは何もなさらず……」
止める声は、妖狐には届かなかった。
理性を失っていたであろう妖狐は、我が子をひったくるように奪い、疾風のように東へと駆けて、姿を消したのだ。
「妖狐を探しつつ、妖狐の仇も探す。奸臣一族や老師の企みを阻止する。王族の方々は……」
今後の方針を練りながら桓温と合流すると、自分がいない間にちゃんと紫玉公主に手紙を渡し、保護してくれていた。
『過去を捨てる、争いを望まない』と誓ってくれたという。
「彼女への情は失われているが、妖狐も暴走して行方不明なことだし、生かしたまま保護して成長を見守ってみよう」
彼女の「幸せ」な状態を実現できるよう、世の中を自分が変えてみせよう。
例えば、普通の人間よりも強い術師、人外の存在を、「国家の守護をする英雄的存在」としてみてはどうか。
妖狐や半妖狐の異能力者を、畏怖ではなく憧憬や尊崇の対象にしてはどうか。
あるいは、珍しくもなんともない「ちょっと優秀な普通」にしてみてはどうか。
何をするべきか、何を防ぐべきか、日々考え、「先見の公子」は皇帝を陰で操るようにして、国の在り方を変革していった。
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