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2章

45、霞幽の一度目の人生の話(2)

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 紫玉公主は、父と一緒だった。

「霞幽。白家の婚姻政策が定まったぞ」
 
 父は「霞幽と紫玉公主が夫婦となる」「妹の彰鈴シャオリンが皇帝の上級妃として後宮入りする」という二点を知らせた。

 紫玉公主は、悪女の汚名を払拭するため、今後は家から出ないようにしていただく。
 内助の功――夫を支えることに注力してほしい。
 父は、そう願った。

「西の国土を奪還した際は、お前は復興する正晋国せいしんこくの女王の婿となるのだ。当然、彰鈴シャオリンには当晋国とうしんこくの国母を目指してもらう」

 父はこの状況で野心を抱いていた。したたかだ。

 なるほど、戦乱の世で一族を引っ張っていく当主とは、このように一族の利益を考えるのだなぁ。
 と、霞幽は感心した。
 
 * * *
 
 一度目の人生で紫玉公主と夫婦になることが決まった霞幽だったが、二人はあまり打ち解けることがなかった。
 
 毎日、朝から晩まで各地の妖魔被害の知らせが届き、どこそこの村が全滅したとか、侵攻を食い止めようとした軍が食い荒らされたとか、国が滅びたとか、絶望が大陸を染めていくような話ばかりが届くのだ。浮かれる気になど、なれなかった。
 
 祝言をあげた夜、二人は初めて口付けを交わした。

 やわらかな唇に唇を合わせた瞬間に、ガリッと唇を噛まれて、霞幽は驚いた。

「美味しい」
 紫玉公主は唇についた霞幽の血を舐めてから、自分の指を噛んで自身も血を流した。そして、血がにじむ指を霞幽の唇に押し付けた。
 
「霞幽公子。私はどうやら妖狐の血を持っているので、人間に崇拝されたり供物をもらうことで身体能力や妖力が増すのです。その事実に気付くまでにかなりの時間がかかってしまいましたし、気づいてからもどんな妖術をどのようにして使うのかの先生がいないので、だいぶ苦労しましたが……あなたという人物は、白家から私への供物なのですわ」

 妖しい瞳が霞幽を見つめて、赤い唇が可憐に命じる。

「霞幽公子。あなたは私の眷属……下僕となりなさい。私はこれから神狐を殺しに行ってまいります。あなたの魂も心も全て私に捧げて、私の妖力の源となりなさい」

 その瞬間、霞幽は心臓が見えない鎖でがんじがらめに縛られるような感覚に陥った。
 同時に、全身が今までよりもずっと軽くなっていて、才能がないと言われていたのに霊力がぐんと増えていることに気付いた。
 簡単に言うなら「強くなった」「人間ではなくなった」。
 ――そんな感覚だ。

「妖狐は、このようにして自分の下僕を増やす。神狐はこの術の強化版のような術を使って、妖魔を増やしていったに違いないわ」

 その言い方だと、自分は妖魔にされてしまったのだろうか?
 霞幽は呆然としたが、紫玉公主は「あなたは、私のものになったのです。自分は紫玉公主への供物です、と言いなさい。私を愛し、私に尽くし、私のために生きて死ぬ、と言いなさい」と迫った。

「霞幽。言いなさい」

 名前を呼ばれ、命令されると、本能みたいなものが強烈に情動に働きかけてきて、従わないといけないという凄まじい強迫観念に襲われる。
  
「自分は紫玉公主への供物です。あなたを愛し、あなたに尽くし、あなたのために生きて死にます……」

 紫玉公主は、妖しく美しく微笑んだ。

「素晴らしいわ」

 公主はそのままの姿で外に出て、祝いの宴で飲み食いしていた人々の度肝を抜いた。
 何事か、と騒ぐ人々の前で堂々と微笑み、彼女は言った。

「弱き者たち。愚かで利己的な愚民ども。虫けらのように妖魔に蹂躙されて、身を寄せ合って震えながら恐怖を紛らわせている可哀想な大人たち」
 
 幼さの残る公主の声には、嫌悪があった。
 嘲りがあった。けれど、慈愛もあった。
 
「あなたたちは、自分に反撃してこない生き物を残酷に虐げて愉悦する精神性を持っている。でも、憐憫の情をあふれさせて弱者に手を差し伸べる心もある。そんな二面性が、愚かで可愛いと私は思う。そんなあなたたちが、私を悪女と批判しつつも私にたぶらかされてくれる。これが、楽しい」

 霞幽は「その言いようはまさに悪女」と思ったものだ。
 悪びれることがない「悪女」の姿には強烈な覇気があり、魅力的だった。
 
「だから、私はそれを糧にして、より妖魔に近付きましょう。あなたたちにできないことが、私にはできるのです。毒をもって毒を制す――堕ちた神狐と戦うには、妖魔にならなければ」

 それは、恐ろしいことのように霞幽には感じられた。だが、止めることはできなかった。

「全員、私への供物となりなさい。膝をつき、誓いなさい。捧げなさい、その心を。魂を。全て」

 幻惑の術だ。
 術を使われて、人々が次々と――彼女の糧となるのだ。

「それでは、私は神狐とじゃれあってきます」

 彼女は止める暇もなく家を出た。
 そして、ひと月後、本当に神狐を捕まえてきたのだった。神狐も紫玉公主も、激戦の痕を全身に刻まれていて、傷だらけ。妖力を封じられ、瀕死になった神狐は、自分はただの妖狐だと言った。
 邪道の地仙が神狐と偽っただけで、天からの使いでもなんでもないと自白した。
 そして、民衆に石を投げられて燃やされた。

「……お母様だった」

 そう言って処刑の炎を見つめる紫玉公主は、自身も炎をくべながら、「妖狐がいなくなったら、民衆は次の脅威を排除しようとするでしょうね? 次はやっぱり、私の番かしら?」と妖しく笑ったのだった。

 * * *

 数か月後。
 妖魔がいなくなった西の国土をめぐり、人間たちは新たな争いを始めた。
 
 そこで出てきたのが、紫玉公主の兄である紫玄シシェン皇子だった。紫玉公主と同じく半分だけ妖狐の血を持つ彼は、岳将軍が裏切った当初は母后を言いなりにさせるための人質になっていたらしい。
 そして、母后が暴走してからは、一緒に暴走していた。彼は罪に問われず、西の国の王位継承者として価値を見出され、各国の姫との縁談を迫られることになっていた。
 
 * * *
 
 四年後、白家は奸臣一族として滅ぼされる結末にたどり着いた。
 
 妹の彰鈴シャオリンが後宮で事件を起こし、一族も連座となったのだ。

 紫玉公主は白家を救おうとしてくれた。皇宮に赴き、幻惑の術を使って人の心を惑わしてしまおうと言って。
 だが、そこに兄である紫玄シシェン皇子が現れ、彼女を「母の仇」と罵って、攻撃し始めた。

 紫玉公主は、そこで初めて弱さを見せた。

 自分は母を殺したくなかった、仕方なかった。
 救えるなら、救いたかった。

 こんな化け物になりたくなかった。
 悪女になりたかったわけではなかった。
 こんな人生は、まるで罰のよう。
 
 その年齢の少女らしさを感じさせる弱さと取り乱した姿を見せて、彼女は負けた。
 負けた少女を抱き上げ、霞幽は逃亡した。自身も傷を負いつつ、なんとか紫玄シシェン皇子から逃げ切った。

 けれど、紫玉公主の傷は呪われており、癒えることがなかった。
 どんなに手当をしても傷はひらき、血を流し続けた。
 傷口は腐り、高熱と苦痛に苦しみ、紫公主はどんどん弱っていった。
 
 * * *
 
 そして、彼女の最期の日は訪れた。
 
「これを……」

 死の運命を受け入れた様子の紫玉公主は、霞幽に秘宝を押し付けた。

「母と戦う時に集めた秘宝よ」

 それは、朱雀、青龍、玄武、白虎。四神の力を秘めし、四大名家の家宝である霊珠だった。
 
 四大名家の公子である霞幽は、その家宝が「術をあらかじめ籠めて使う道具」だと知っていた。
 しかし、紫玉公主は「全てを集めて使うと、それ以上のことができるのよ」と教えた。

「私が各地の言い伝えをまとめたところ、これは『願いを叶える機会をくれる』秘宝みたいなの。宝貝パオペイって知ってる? そんな類のもの……天が人々に与えたもう、特別な宝ね」

 紫玉公主はそう言って、残りの妖力を全て秘宝に注いだ。
 さらに、短刀で自分の胸をつき、鮮血の飛沫をあげた。

「供物を、ささげるの」

 そう言って、必死な目で霞幽を見つめた。
 
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