後宮の妖狐は尻尾を見せない〜天仙公子のやり直し

朱音ゆうひ

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2章

43、十五歳の人間賛歌

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 悪女って、どんな人だろう。
 悪女じゃない人って、どんな人だろう。

 紺紺コンコンが好きなものは、お日様と青空だ。
 真っ白な雲もいい。それから、清潔な布。綺麗なお水。
 畑や木に実る作物や果実もいい。道端に咲くお花も、生きてるって感じがする。

 好きな言葉は、「元気」とか「どっかん」とか「頑張る」とか。
「大好き」とか「お友だち」「仲間」なんて言葉もいいと思う。

 あと、人間。
 子供も、大人も。男性も、女性も。
 おおらかな人、溌剌とした人、繊細な人、神経質な人、怒りっぽい人、よく泣く人、よく笑う人。
 ――たくさんの感情をぶつけあう人間たちが、大好きだ。
 
 そんな好みを紺兵隊のみんなに話すと、みんなは「いいですね、お嬢様」と笑顔になってくれる。

 過去を捨てることを条件に自分たちを保護してくれた白 霞幽ハク カユウは、「悪女にならないように」「騒乱の種にならないように」といつも気にしていたように感じた。
 だから、紺紺は過去を捨てたし、悪女というイメージから遠い自分でいようと思ってきた。ずっと、ずっとだ。

 幸い、紺兵隊のみんなは自分に優しくて、いい大人たちだった。
 石苞は最初に出会った時からずっと「紺紺を明るい気持ちにさせよう、元気付けよう」という意思がわかりやすい人だった。
 彼は不器用で、自分自身も無理をしていて、それが子供の紺紺にも伝わっちゃうような人だった。わかりやすかったから、子供の紺紺は「無理して明るく前向きにしてるんだ。それは私のためなんだ」と「わかる」ことができた。  

 誰かを思いやり、誰かのためにがんばること。
 誰かを励まそうとする心は、とうといと思った。

 だから紺紺は「私は泣くまい。前向きでいよう。誰かを思いやる心をもち、励ます側になろう」と思ったものだった。

 嘆かない。弱音を吐かない。
 前向きでいる。明るく笑う。
 誰かを元気づけたい。励ましたい。
 心配をかけるような振る舞いは、しない。
 
 それは、霞幽に言われた「悪女にならない」ということと、とても相性が良いことに思えた。
 悪女の反対……善人って、こっちね。
 紺紺は、そう思った。

【だから私は、おひさまが好きだよ】【よく晴れた、眩しいお空が好き】【みんなの笑顔が好き】【私もいつも笑っているよ】【何をしていても楽しいよ】【人間を傷つけたりしないんだ】【私は、誰かの役に立つために生きているんだ】【いつも元気でいるよ】【嫌なことを言われても、怒ったりしないよ】【だって、私を人間だと思ってお話してくれてるから】【同じ生き物だと思ってくれているのが、嬉しいんだ】【私が傷つくと思ってくれているのが、嬉しい】【傷つけてくれるから、痛みがわかる】【痛いときに優しくしてくれる人がいて、優しさがわかった】【ありがとう】【喧嘩する人たちも、好き】【だって、すごく人間らしい】【心がザワザワして、むかむかすると、なんだか生きてるって感じがする】【涙は流さないの】【だって、石苞が心配するもの】【私は、励ます側の人間なの】【私はとっても強いんだ】【でも、怖い化け物じゃないよ】【ただ、広い世の中の隅っこで息をしてるだけでいいの】【存在を許して】【私を受け入れて】【私は大丈夫】【大丈夫だと思ってほしい】【でも、心配してくれるのは嬉しいな】【嬉しい気持ちにさせてくれる人は、大好き】【私を好きになってほしい】【ああ、今私、すっごく】【人間だ】
   

 石苞、きいて!
 私、毎日が楽しいよ。
 
 お天気がいい朝は、それだけでワクワクするね。
 今日はいいことがあると思う。毎日いいことばっかりだけどね!

 私の好きな言葉は、どっかんどっかん!
 元気が出るよ、何回でも言っちゃうよ。
 あとは、元気、元気。頑張る、大好き、お友だち、仲間……
 
 でも、本当は「家族」という言葉に、一番の特別な魅力を感じるよ。
 
【私には、可能性があった。国を取り戻せる可能性だ。反逆した臣下を批難して、家族の名誉を回復できた可能性だ】
  
 紺紺にとって、母親の記憶は消えることのない炎のようなものだ。

【自分が何もしないでいても、世の中は動いて変化する。放っておくと新しい王朝が当たり前になる。正統ってみんなが思う。「ちょっと待って」「その王様は反逆者でしょう」って言うなら、早くしないと。そんな焦りが、いつもある】

 胸の真ん中のあたりがチリチリと焦げ付くようでいて、熱さを感じるのだ。

【私は、一日、一日、「ちょっと待って」と言う衝動を我慢して、自分が世の中を変えようと思えば変えられるという思いを飲み込んで隠して見ないようにして、旧王朝奪還の可能性を小さく、小さくしてきた。そう誓ったからだ】
  
 母のことを、慕わしい、と思う。
 同時に「自分が過去を捨てた」と誓ったため、「思い出してはいけないことなのだ」という罪悪感もある。
 
 母との別れを思い出したり、母がもういないと思うと、胸が痛む。
 でも、嫌いか、いやかと問われれば、そうではないと主張したくなる。
 
 母が生きていると言われれば、会いたい、話してみたいと思う。
 同時に、妖狐の姿の母は人間とは違いすぎていて、戸惑ってしまう。
 人間の美女だった母の笑顔と重ねることが難しくて、それだけに怖くなる。
 
 自分も突然、あんな姿になってしまったりして。
 そう思うと、恐ろしい。
 

【私はいつも、何かに深く思い悩むことはない】
 こわい。
【夜はすやすや。朝はおはよう!】
 こわくない。
【昨日は楽しくて、健やかな一日だった。今日もきっと、そうなるね。石苞に、紺兵隊のみんなに、霞幽様に、そう言って笑うんだ】
 私は。
 明るい。
【みんな、心配しないでね。安心してね。大丈夫だよって、笑うんだ】
 私は、普通の女の子だ。
 みんなと同じなんだ。

 
 その夜、紺紺は悪夢にうなされた。
 母の夢や、自分が異形になる夢だ。

「そんな自分、だめだよ」と思っている自分が、「今までの自分なんて、かりそめだよ」と笑って、偽装していた人間の皮を破って、みんなの前に出ていっちゃいそうになる悪夢だ。
 
「だめだよ、だめ」
 
 けれど、悪夢の途中で石苞が「うおおおん」と泣きだして、「石苞、泣かないで」と慰めていたら小蘭シャオランが「どっかんだよ、紺ちゃん」と水墨画を見せてきた。

「どっかんだよ」
 
 よくわからないけどどっかんだね、と笑っていたら、彰鈴シャオリン妃が「お兄様には感情がないのですわ」とむすっと愚痴って、「その通りなんだ」と霞幽カユウが暗がりで皇帝の首を絞めていた。
 皇帝の背中には、羊のめえこと幼い東宮がいて、「やめてぇ」「めええ」と泣いていた。

「霞幽様、やめてください、めえめえです」
 紺紺が止めると、「何を?」と問われる。

「皇帝陛下を……、ん……?」
  
 目を開けると、室内は、まだ夜の暗さだった。

 お風呂に入って清潔になった自分は臥牀しんだいに寝ていて、寝言で変なことを言ったかもしれない。
 視線をずらすと、真っ白でふわふわの猫がいた。
 先見の公子――霞幽だ。猫の姿で両手を揃えて、お行儀よく枕元に座っている。

「なんで一緒に寝てるんですっ?」

 紺紺は赤くなった。 
 確か、部屋に紺紺を送り届けた後、彼は「お休み」と言って部屋から出て行った気がしたのだが。

 寝顔を見られたり、寝言を聞かれたりしていたと思うと恥ずかしい!

「霞幽様、婚前の男女は同じ部屋で二人きりになっちゃいけません、夜に一緒に眠るのは、ふしだらです、はしたないです……ふにゅっ」
「紺紺さん。私は感情を持たない。猫以下の生き物だが?」
「あなたは人間です」

 猫の霞幽は立ち上がり、紺紺のおでこにお腹を載せるようにしてうつ伏せに寝た。
 おでこの上に猫が載るなんて、初体験だ。

 なあに、これ。ふわっふわ。あったかい。

「霞幽様、変な寝方しないでください」
「この姿勢は寝にくいな」
「なら、やめてください?」

 文句を言っていると、ごろごろという音が聞こえてくる。

 ……この音、もしかして、猫さんがご機嫌の良いときに喉を鳴らす音じゃない?

 音の正体に思い至った紺紺は、「やっぱり、感情があるんじゃないですか」と思った。
 
 「どこを探してもないよ」と言われていたお宝が、あった。
 今、この猫の公子はご機嫌がいいんだ。

 そう思うと、くすぐったい気分になった。

 ああ、あったかい。
 この人も私も、生きている。

 * * *
 
 翌朝、桃瑚タオフー妃は紺紺に楊太真紅玉膏ようたいしんこうぎょくこうという美容軟膏を贈ってくれた。真珠の粉や杏仁粉、滑石を練り込んだ軟膏で、顔をよく洗ったあとに塗り、しばらくしてから洗い流す、という使用方法だ。

「わあ、ありがとうございます」
  
 侍女仲間たちが「わぁ、いいわね」と羨ましがる中、桃瑚タオフー妃は充血した目で言った。

 帔帛を纏った両腕を大きな動作で広げて言う姿は、紺紺の目には自分が「どっかん、どっかん」と言うときみたいな、自分をふるいたたせようとしているように見えた。
 だから紺紺は、この妃に妙な親近感を覚えた。
 
「うちは、き母、立派な妃だと自負してきた。家柄も四大名家やし? まあまあ器量よしやし? おっぱいも大きいし? 娘も産めた。勝ち組っていうのは、うちのためにあるような言葉や」

 2歳の杏杏シンシン公主が、母妃の帔帛ひはくに「きれいねー」と手を伸ばしてはしゃいでいる。元気そうだ。
 
「せやけど、もう若くはないし、むっちゃ悔しいけど若い子に嫉妬することもある。認めるのは悔しいけど、性悪なことやらかしたりすることもある。昨日もやった! ごめん! うちは、格下の侍女にお友だちや主上を取られちゃうような気がして嫉妬して、意地悪言った。悪かった!」
 
 杏杏シンシン公主は「おかあちゃま、ごめんなの?」と無邪気に首をかしげている。母妃は「自分が悪いな、って思ったらごめんするのが杏杏シンシンのおかあちゃまやで」と教えるように言って「おかあちゃま、悪いことしてしもうてん」と眉を下げて笑った。
 それは、気取らない感じで、威厳がなくて、でもそこが好ましいな、と感じるような笑顔だった。
 
「玉で玉を磨く、切磋琢磨っちゅう言葉がある。うちは玉でありたい。せやから、うちはこれからもっとピッカピカのおかあちゃまになれるよう、がんばる。ほんで、紺紺ちゃんに『あの妃様、魅力的で悔しい。素敵。あんな風になりたい』って、嫉妬して憧れてもらえるように目指すわ!」

「へっ? 私が嫉妬して憧れ……ですか?」

 目がギラギラしてて、やる気にあふれてる。
 紺紺にはよくわからないが、妃は元気そうだし、公主も「おかあちゃま、がんばえ!」とはしゃいでいる。

「なんとお返事したらいいのかわかりませんが、恐縮です、はい」

 おかあちゃま、だいすき――と、幼い公主が無邪気に笑う。

 紺紺は「公主様がお元気でよかった」と思った。

 元気な杏杏シンシン公主は、幸せの象徴みたいだった。
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