こんこん公主の後宮調査 ～彼女が幸せになる方法

1章

30、ご褒美がほしいと、彼女は啼いた。

　この人は、とても人間らしい人だ。

　紺紺コンコンはその時、そう思った。

　悲しくて、辛くて。
　傷付けられて、泣きながら他人を傷つけて。
　何かを「こうに違いない」って思い込んでしまって、それが全てになっちゃって。
　自分が、自分が、ってなって。どうしようもなくなって。
　
　……苦しいんだ。

「来ないで！」　
「刻限が近いんです。止まりません。だって、急いだら助かる命があるから。止まったら助からなくなるから」
　　
　そんな彼女に、紺紺は近づいた。

　雨に濡れた全身が、冷たい。寒い。
　けれど、腹の底から灼熱のような感情が湧いて、溢れて、止まらない。

「疾シッ」　
　
　短く舌打ちして目標を睨むと、炎が奔はしる。
　雨滴にかき消されそうなほど小さな炎は、淡い紫色をした狐火だ。
　
　赤と青のあわいの色。
　中途半端な、微妙な色は、まるで半妖の血の象徴みたい。

「ひっ、ば、化け物……!?」
　
　狐火は、消えることなく虚空を飛んで、炎に目を奪われていた桜綾ヨウリンの手を焼いた。
　短刀を握る指をジュッと焼いて、その手から短刀を落とさせることに成功した。塗れた地面に短刀が落ちて、泥がつく。

「一緒に来てほしいんです」

　驚愕して恐れおののく桜綾ヨウリンの手を掴み、引く。
　手は、冷たくて、痩せていて、荒れていて、骨ばっていた。
　
「い…………、いやよ。雨萱ユイシェンは、罪人として絶望して死ぬのよ！　私に嵌はめられて悔しい、って悔しがりながら死ぬの！　それだけが――それだけが、私がこの人生を生きたことに対するご褒美なの！」

　ご褒美がほしいと、彼女は啼ないた。

「あの女が泣いて死んでくれなきゃ、絶対にいや！　私が不幸なんだから、あの女はもっと不幸にならなきゃダメ。無能で下衆な悪女として評判を地に落とされて、みんなに嫌悪されるべきなんだ……‼」

　取り乱して叫ぶ桜綾ヨウリンを引きずるように数歩歩いて、面倒になって荷物のように担ぎ上げた。

「ぎゃあ！　放して、おろして！　化け物！　化け物！」

　傷付いた顔なんて見せたくない。
　紺紺は笑顔をつくった。

「あなたを連れていって罪を認めさせると、雨萱ユイシェン様は助かるのです」
「やだ……いやだあぁぁぁっ‼　雨萱ユイシェンが助かるなんて、いやだああぁぁぁっ‼」

　
　＊　＊　＊
　
　酉の刻（十八時）。
　
　雨天の中、世界は夜へと色彩を変えようとしていた。

　沈む太陽が朱色に染める空の領域で、冷たい藍色が支配域を広めていき、真昼の間は存在感がなかった綺羅星が暗さに引き立てられるようにして輝きを魅せ始める。

　そんな時間に、黒貴妃、華蝶カディエ妃による処刑宣言が下された。
　
「刻限ですわね。刑を執行なさいな」
「ひっ……」

　処刑台で震えあがっていた雨萱ユイシェンの顔が絶望に染まる。

「わ、私ではありませ……、た、助けてください。どうか……どうか」
　　
　必死の懇願は、聞き届けられない。
　
　命令に従う宦官たちが動き、容赦なく刑が執行されようとした時。
　
　少女の声が、響いた。
　
「いいえ。間に合いました。待ってください……！」　
　
　証人と証拠品を抱えた紺紺コンコンが、処刑場に駆け込んできたのだ。
　
　華奢な体格で細腕なのに、重さを感じないような安定感で桜綾ヨウリンを担いで、走っている。
　
　これは現実の光景か、と全員が目を剥いた。
　
　と、ちょうどそのタイミングで、断首刀が重力に引っ張られて下へと落ちる。

「いやああああっ‼」
　　
　自分の首を落とす刃が迫りくるという現実に雨萱ユイシェンが絶叫する。
　
　その一瞬。

「ダメッ！」
　　
　引きずってきた桜綾ヨウリンを投げるように楊釗ヤンショウに渡し、紺紺は全力で床を蹴って処刑台に飛び込んだ。
　
　滑り込むようにして雨萱ユイシェンの上に覆いかぶさり、身をひねり、両手を上に伸ばす。
　ぱあの形で開いた手のひらに、よく研がれた刃が飛び込んでくる。
　
「……はぁっ！」
　
　側面を指で掴み、重力に逆らい、上へ押し上げるようにして。
　
　常人離れした反射神経と膂力で、紺紺は刃を止めた。

　鈍い刃は肉を断ち、血しぶきを生み。
　けれど、止まった。止められた。

　手のひらは少し切れてしまって、真っ赤な血をだらだらと垂らしている。
　痛い。
　でも、九死に一生を得たのだと思えば、これくらい平気だ。

「あんな小娘が刃を止めたぞ!?」
「今の動きを見たか」
「ば……化け物」

　助けたい人を助けられた。
　だから、平気だ。

「さあ……桜綾ヨウリン様。言ってください」

　全身が泥だらけで、冷え切っていて、手が痛くて、とても疲れていて、体の芯はカッカッと炎が燃えているみたい。いろんな感情がぐつぐつ沸騰しているみたい。

　でも、なんとかなりそうだ。
　桜綾ヨウリンは連れてきたし、短刀もある。
　
　危ないところだったけど、処刑は防いだ。
　色々誤魔化さないといけないことはできたけど、先見の公子にお願いしよう。
　
　あとは、桜綾ヨウリンに言わせればいい。
　『私がやりました』と言わせて、この事件に幕を引こう。
　
　黒幕が黒貴妃、華蝶カディエ妃であることは、先見の公子と相談して皇帝に奏上すればいい。
　後宮の権力が彼女に掌握されていて危険だ、というのも伝えるんだ。

　きっと、しかるべき対応をしてくれる。

　――しかし。
　
「……いや。絶対」

　
　桜綾ヨウリンは、拒絶した。


　幻惑の術を使っても、楊釗ヤンショウが脅しても「いや、いや！」と首を振った。
　
　何がなんでも雨萱ユイシェンは不幸にしてやりたいんだ、という妄執のようなものを感じさせる、すさまじく強固な意思だった。


　この人に、どうすれば罪を認めさせることができる？


　紺紺が必死に考えていると、処刑場に新たな人影が現れた。

「招かれていないけれど、お邪魔いたしますわね」

　ふんわりとした、美声。
　そして、恍惚とさせる妖香。

「……胡月フーユエ妃？」

　突然、処刑場にやってきた一団は、『紅淑妃』胡月フーユエ妃とその侍女団だった。