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1章

23、桃園の契り 毒殺未遂事件

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「すみません、楊釗ヤンショウ様。一体何があったのか教えてください」
「むっ。貴様は胡月フーユエ妃に目をかけられている小娘ではないか」
「えっ、そうなんですか?」

 それは初耳。初対面以来、会ってないけど?
 驚きつつ、紺紺は事件の顛末を聞いた。
 
 * * *

 茶会は、北にある鍾水宮しょうすいきゅうの庭園にある四阿あずまやで催された。
 時刻は、もうすぐ午の刻(十二時)という昼であった。
 
 楊釗ヤンショウは休日だったのだが、上司に「お前、爪紅など塗って暇そうだな。似合いもせんのに」と目をつけられ、茶会の立ち合い人をするよう命じられて不機嫌だった。
 
 妃たちは美しくて目の保養だが、見ているとたまに「俺も女になれたらなあ。あんな風に着飾るのになあ」という妙な考えが浮かんでいけない。

 楊釗ヤンショウは去勢されてはいても、男だと性自認している。
 なので、妙な考えをしてしまうたびに「お、俺は今何を考えていた?」と自分が怖くなってしまう最近なのである。

 さて、鍾水宮しょうすいきゅうの主は『黒貴妃』華蝶カディエ妃だ。
 現在、三十二歳。
 成熟した色香のある女性で、目元がつり上がっていて、きつい印象がある。
 実際この妃には恐ろしいところがあり、宮殿内に拷問室と処刑場を設けて、ちょっとした罪で刑に処するのである。怖い。
 しかし胸元はたゆん、むちっとした豊満ぶりで、五歳になる公主の母親というのもあって母性バブみ的。きつさと母性がいい感じに相殺し合っている感がある。
 
 今上帝に大切にされている――妃の中で最も位が高い権力者だ。

 身に纏うのは、大陸の三大刺繍とうたわれる相良さがら刺繍の衣裳。相良さがら刺繍は生地に糸を通して結び玉を作り、その結び玉で模様を作る技法で、刺繍部分が生地から盛り上がっていて、立体的な仕上がりになっている。首から下げた大きな珠の首飾りがたいそう美しく、その下の豊かな胸の存在感もあって、つい首や胸に目を向けてしまう。
 
 その衣裳は、吉祥文様や魔除けの刺繍が「やりすぎでは?」と思うくらいに凝らされていた。霊験あらたかなものに目がなく、信心深い妃なのである。
 

 それにしても眠い! 
 昨日同僚と囲碁に熱中しすぎたせいか。
 
 
 楊釗ヤンショウが欠伸を噛み殺す中、配膳係が香り高いお茶を注ぎ、籠盛りの果物を置いた。配膳係は……貧乳だ! だが、そこがいい。楊釗ヤンショウは貧乳派である。
 もっとも、魔性の乳とでもいうべきか、華蝶カディエ妃は「大きいのもいいな」と唸らせる魅力にあふれている。近くにいるといい匂いが漂ってきて恍惚となるし。

 と、乳の好みと匂いを噛みしめてうっとりしている間に、妃同士の優雅な会話が始まっていた。
 
「お待ち申し上げておりました、華蝶カディエ妃。本日は花見に誘ってくださってありがとう存じます」
彰鈴シャオリン妃、お待たせしてしまったみたいで失礼しましたわ。昨夜は主上がいらしたものだから、ついつい普段よりもゆっくりとした朝を過ごしてしまって」

 華蝶カディエ妃は申し訳なさそうに睫毛を伏せた。
 おお、謝罪のようでいて、「昨夜わたくし、主上の寵愛を受けたのよ」と自慢しているんだコレ。
 優位をわからせマウンティングしている。女性同士のどろどろしたやつだ。怖い。
 
 これに対して、彰鈴シャオリン妃は「全く機嫌を損ねていません」という顔で微笑んだ。
 これが朝露の中で儚く濡れ咲くすずらんのように可愛らしい。
 なお、すずらんには毒がある。すずらん様は、以下のように仰った。
 
「まあ。そういう御事情なら仕方ありませんね。それにしても、茶会の席でねやの事情をお話くださるなんて、まだ日も高いのに花咲く山中に琴を奏でに出かけられましたのかと思ってしまいましたわ」

 『花咲く山中に琴を奏でに』とは、李白という詩人が詠んだ詩のネタだ。
 「花咲く山中でお酒を飲んでおいしかったねー、明日の朝また琴を抱えてきてくれよ!」という詩なのだが、それを用いて「閨事情をあけっぴろげに話してお下品ね。酔っぱらっているのかしら」と皮肉っているのだ。
 妃たちの優雅な会話とはこのようなものであるらしい。背筋がむずむずする会話だ。

「くすくす、琴を弾いて差し上げましょうか? お酒も飲みましょうね」 
「わたくしをそれだけ親しい友と想ってくださっているのですね。うれしゅうございます」
 
 仲が良さそうに笑顔を交わす二人の妃。
 いや、絶対この二人、不仲だろう。
 楊釗ヤンショウは帰りたくなった。
 
 そんな会話を背景に、配膳係は「何も聞いていません」という顔で仕事をしている。
 籠に盛られた果物から二つが取られ、二つの皿に置かれた。
 
 そして、華蝶カディエ妃側に置かれた皿のそばには華蝶カディエ妃の毒見役の侍女がいる。そこに、彰鈴妃の侍女頭が皮むき係として並ぶ。
 彰鈴シャオリン妃側に置かれた皿のそばには彰鈴シャオリン妃の毒見役の侍女がいる。華蝶カディエ妃の侍女頭が皮むき係として並ぶ。
 
 ちょっと複雑な配置だ。
 これは何をするのかというと、ごっこ遊びみたいな友好の儀式をするのである。

 当晋国とうしんこくには、血のつながらない娘二人が桃園で桃の果実を共に食べ、義姉妹の契りを交わし、同じ短刀で胸を突いて俗世との縁を断ち、一緒に昇仙した(仙女になった)……という言い伝えがある。
 この姉妹の絆を『桃園の契り』というのだが、それにあやかり、後宮では『桃園姉妹の契り』ごっこが流行っているのだ。

 具体的には、以下の手順。
 まず、小さくて食べやすい果物を用意する。
 次に、同じ短刀で皮を剥く。
 そして、同時にパクリと食べる。
 終わり。果物は、二人で一個でもいいし、二個でもいい。『同じ短刀を用いて』、『同時に食べる』、というのが要点らしい。信頼してますよ、という絆を確かめ合う儀式なわけだ。
 
 ただ、ここでツッコミしたくなるのが「この茶会で果物を食べるのは、毒見役の侍女」という点だ。妃は食べない。
 理由はというと「果物に毒が混入されているかもしれないから」。
 
 そう、この二人の妃。
 ぜんっぜん、お互いを信頼してないのである……。
 
 話を続けよう。
 
 用意されていた果物は、無花果いちじくだった。
 不老不死の果実とも呼ばれる、健康に良い果物だ。果物を指し、華蝶カディエ妃はにっこりとした。
 
「花を咲かせぬ果実と呼ばれていますわね。彰鈴妃にピッタリだと思いましたのよ」

 楊釗ヤンショウは汗を拭った。
 
 ただいまのご発言は、意訳すると「彰鈴妃はこれから先、ひと花も咲かせることもできない人生ですからね」と言っているのである。

 うわぁ~、彰鈴シャオリン妃はさぞご機嫌を損ねただろう、と見てみると。
 
「咲かせぬと見せかけ、うちに小さな花が多数入った花嚢かのうをつけておりますね。下のものから順に育つところなんて、わたくしの好みです。なにより、ちゃんと実として食べられて、毒もなく、体にも良いのですもの。素晴らしいですわね」
 
 気丈な返答をして微笑んでいる。
 こんなやりとりも日常なのだろう。楊釗ヤンショウは「自分が妃じゃなくてよかったかも」と思った。
 
「まあ。その仰りようですと、愛でられぬのに種をどこからかいただいて実を結ぶみたい」
「想像力が逞しくていらっしゃるのね。ご自分でいつもそのようなことを考えていらっしゃるからですか?」
 
 二人の妃は、「あらあら、うふふ」「おほほ」と黒い笑みを交わし合っている。
 
 おーい、段々と優雅じゃなくてとげだらけの舌戦になりつつあるぞ。
 大丈夫か! 帰ってもいいか!? 
 
 楊釗ヤンショウがぷるぷる震えている間にも、侍女は「いつものことですから」という空気感で淡々と仕事を進めていた。
 
 先に華蝶カディエ 妃の侍女頭が無花果の皮を剥く。
 そして、皮を剥いた無花果は毒見役に渡し、剥くのに使った短刀は雨萱ユイシェンに渡した。

 短刀を受け取った雨萱ユイシェンが、無花果の皮を剥く。
 そして、無花果を毒見役に渡した。

「いただきましょう」
「ええ、ええ」

 二人の妃の毒見役が、同時に無花果を口にする。

 箸で持ち上げ、儀式的にひとくち食べて、皿に一度置く。ここまでで『桃園姉妹の契り』ごっこは完了だ。『同じ釜の飯を食う』という言葉があるが、「これでわたくしたち、仲間ね」というのである。

 食べたのは毒見役であって、妃たちは食べてないが――というツッコミをするとクビが飛ぶので、楊釗ヤンショウは固く口を引き結んだ。
 
 思ったことをぺらぺら口にすると生死に関わる。
 軽口、だめ、ぜったい。
 先日も胡月フーユエ妃に「めっ」された身としては、気を付けたいところだ。
 
「それでは、このあとは普通のお食事を……」
  
 あとは普通の料理をお召し上がりいただく流れなのだが、ここで異変が起きた。
 
からっ!?」

 彰鈴シャオリン妃の毒見役は無事であったが、華蝶カディエ妃の毒見役だけが味の違和感を訴え、倒れたのだ!
 


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