24 / 63
1章
23、桃園の契り 毒殺未遂事件
しおりを挟む「すみません、楊釗様。一体何があったのか教えてください」
「むっ。貴様は胡月妃に目をかけられている小娘ではないか」
「えっ、そうなんですか?」
それは初耳。初対面以来、会ってないけど?
驚きつつ、紺紺は事件の顛末を聞いた。
* * *
茶会は、北にある鍾水宮の庭園にある四阿で催された。
時刻は、もうすぐ午の刻(十二時)という昼であった。
楊釗は休日だったのだが、上司に「お前、爪紅など塗って暇そうだな。似合いもせんのに」と目をつけられ、茶会の立ち合い人をするよう命じられて不機嫌だった。
妃たちは美しくて目の保養だが、見ているとたまに「俺も女になれたらなあ。あんな風に着飾るのになあ」という妙な考えが浮かんでいけない。
楊釗は去勢されてはいても、男だと性自認している。
なので、妙な考えをしてしまうたびに「お、俺は今何を考えていた?」と自分が怖くなってしまう最近なのである。
さて、鍾水宮の主は『黒貴妃』華蝶妃だ。
現在、三十二歳。
成熟した色香のある女性で、目元がつり上がっていて、きつい印象がある。
実際この妃には恐ろしいところがあり、宮殿内に拷問室と処刑場を設けて、ちょっとした罪で刑に処するのである。怖い。
しかし胸元はたゆん、むちっとした豊満ぶりで、五歳になる公主の母親というのもあって母性的。きつさと母性がいい感じに相殺し合っている感がある。
今上帝に大切にされている――妃の中で最も位が高い権力者だ。
身に纏うのは、大陸の三大刺繍とうたわれる相良刺繍の衣裳。相良刺繍は生地に糸を通して結び玉を作り、その結び玉で模様を作る技法で、刺繍部分が生地から盛り上がっていて、立体的な仕上がりになっている。首から下げた大きな珠の首飾りがたいそう美しく、その下の豊かな胸の存在感もあって、つい首や胸に目を向けてしまう。
その衣裳は、吉祥文様や魔除けの刺繍が「やりすぎでは?」と思うくらいに凝らされていた。霊験あらたかなものに目がなく、信心深い妃なのである。
それにしても眠い!
昨日同僚と囲碁に熱中しすぎたせいか。
楊釗が欠伸を噛み殺す中、配膳係が香り高いお茶を注ぎ、籠盛りの果物を置いた。配膳係は……貧乳だ! だが、そこがいい。楊釗は貧乳派である。
もっとも、魔性の乳とでもいうべきか、華蝶妃は「大きいのもいいな」と唸らせる魅力にあふれている。近くにいるといい匂いが漂ってきて恍惚となるし。
と、乳の好みと匂いを噛みしめてうっとりしている間に、妃同士の優雅な会話が始まっていた。
「お待ち申し上げておりました、華蝶妃。本日は花見に誘ってくださってありがとう存じます」
「彰鈴妃、お待たせしてしまったみたいで失礼しましたわ。昨夜は主上がいらしたものだから、ついつい普段よりもゆっくりとした朝を過ごしてしまって」
華蝶妃は申し訳なさそうに睫毛を伏せた。
おお、謝罪のようでいて、「昨夜わたくし、主上の寵愛を受けたのよ」と自慢しているんだコレ。
優位をわからせている。女性同士のどろどろしたやつだ。怖い。
これに対して、彰鈴妃は「全く機嫌を損ねていません」という顔で微笑んだ。
これが朝露の中で儚く濡れ咲くすずらんのように可愛らしい。
なお、すずらんには毒がある。すずらん様は、以下のように仰った。
「まあ。そういう御事情なら仕方ありませんね。それにしても、茶会の席で閨の事情をお話くださるなんて、まだ日も高いのに花咲く山中に琴を奏でに出かけられましたのかと思ってしまいましたわ」
『花咲く山中に琴を奏でに』とは、李白という詩人が詠んだ詩のネタだ。
「花咲く山中でお酒を飲んでおいしかったねー、明日の朝また琴を抱えてきてくれよ!」という詩なのだが、それを用いて「閨事情をあけっぴろげに話してお下品ね。酔っぱらっているのかしら」と皮肉っているのだ。
妃たちの優雅な会話とはこのようなものであるらしい。背筋がむずむずする会話だ。
「くすくす、琴を弾いて差し上げましょうか? お酒も飲みましょうね」
「わたくしをそれだけ親しい友と想ってくださっているのですね。うれしゅうございます」
仲が良さそうに笑顔を交わす二人の妃。
いや、絶対この二人、不仲だろう。
楊釗は帰りたくなった。
そんな会話を背景に、配膳係は「何も聞いていません」という顔で仕事をしている。
籠に盛られた果物から二つが取られ、二つの皿に置かれた。
そして、華蝶妃側に置かれた皿のそばには華蝶妃の毒見役の侍女がいる。そこに、彰鈴妃の侍女頭が皮むき係として並ぶ。
彰鈴妃側に置かれた皿のそばには彰鈴妃の毒見役の侍女がいる。華蝶妃の侍女頭が皮むき係として並ぶ。
ちょっと複雑な配置だ。
これは何をするのかというと、ごっこ遊びみたいな友好の儀式をするのである。
当晋国には、血のつながらない娘二人が桃園で桃の果実を共に食べ、義姉妹の契りを交わし、同じ短刀で胸を突いて俗世との縁を断ち、一緒に昇仙した(仙女になった)……という言い伝えがある。
この姉妹の絆を『桃園の契り』というのだが、それにあやかり、後宮では『桃園姉妹の契り』ごっこが流行っているのだ。
具体的には、以下の手順。
まず、小さくて食べやすい果物を用意する。
次に、同じ短刀で皮を剥く。
そして、同時にパクリと食べる。
終わり。果物は、二人で一個でもいいし、二個でもいい。『同じ短刀を用いて』、『同時に食べる』、というのが要点らしい。信頼してますよ、という絆を確かめ合う儀式なわけだ。
ただ、ここでツッコミしたくなるのが「この茶会で果物を食べるのは、毒見役の侍女」という点だ。妃は食べない。
理由はというと「果物に毒が混入されているかもしれないから」。
そう、この二人の妃。
ぜんっぜん、お互いを信頼してないのである……。
話を続けよう。
用意されていた果物は、無花果だった。
不老不死の果実とも呼ばれる、健康に良い果物だ。果物を指し、華蝶妃はにっこりとした。
「花を咲かせぬ果実と呼ばれていますわね。彰鈴妃にピッタリだと思いましたのよ」
楊釗は汗を拭った。
ただいまのご発言は、意訳すると「彰鈴妃はこれから先、ひと花も咲かせることもできない人生ですからね」と言っているのである。
うわぁ~、彰鈴妃はさぞご機嫌を損ねただろう、と見てみると。
「咲かせぬと見せかけ、うちに小さな花が多数入った花嚢をつけておりますね。下のものから順に育つところなんて、わたくしの好みです。なにより、ちゃんと実として食べられて、毒もなく、体にも良いのですもの。素晴らしいですわね」
気丈な返答をして微笑んでいる。
こんなやりとりも日常なのだろう。楊釗は「自分が妃じゃなくてよかったかも」と思った。
「まあ。その仰りようですと、愛でられぬのに種をどこからかいただいて実を結ぶみたい」
「想像力が逞しくていらっしゃるのね。ご自分でいつもそのようなことを考えていらっしゃるからですか?」
二人の妃は、「あらあら、うふふ」「おほほ」と黒い笑みを交わし合っている。
おーい、段々と優雅じゃなくて棘だらけの舌戦になりつつあるぞ。
大丈夫か! 帰ってもいいか!?
楊釗がぷるぷる震えている間にも、侍女は「いつものことですから」という空気感で淡々と仕事を進めていた。
先に華蝶 妃の侍女頭が無花果の皮を剥く。
そして、皮を剥いた無花果は毒見役に渡し、剥くのに使った短刀は雨萱に渡した。
短刀を受け取った雨萱が、無花果の皮を剥く。
そして、無花果を毒見役に渡した。
「いただきましょう」
「ええ、ええ」
二人の妃の毒見役が、同時に無花果を口にする。
箸で持ち上げ、儀式的にひとくち食べて、皿に一度置く。ここまでで『桃園姉妹の契り』ごっこは完了だ。『同じ釜の飯を食う』という言葉があるが、「これでわたくしたち、仲間ね」というのである。
食べたのは毒見役であって、妃たちは食べてないが――というツッコミをするとクビが飛ぶので、楊釗は固く口を引き結んだ。
思ったことをぺらぺら口にすると生死に関わる。
軽口、だめ、ぜったい。
先日も胡月妃に「めっ」された身としては、気を付けたいところだ。
「それでは、このあとは普通のお食事を……」
あとは普通の料理をお召し上がりいただく流れなのだが、ここで異変が起きた。
「辛っ!?」
彰鈴妃の毒見役は無事であったが、華蝶妃の毒見役だけが味の違和感を訴え、倒れたのだ!
2
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
皇帝の寵妃は謎解きよりも料理がしたい〜小料理屋を営んでいたら妃に命じられて溺愛されています〜
空岡
キャラ文芸
後宮×契約結婚×溺愛×料理×ミステリー
町の外れには、絶品のカリーを出す小料理屋がある。
小料理屋を営む月花は、世界各国を回って料理を学び、さらに絶対味覚がある。しかも、月花の味覚は無味無臭の毒すらわかるという特別なものだった。
月花はひょんなことから皇帝に出会い、それを理由に美人の位をさずけられる。
後宮にあがった月花だが、
「なに、そう構えるな。形だけの皇后だ。ソナタが毒の謎を解いた暁には、廃妃にして、そっと逃がす」
皇帝はどうやら、皇帝の生誕の宴で起きた、毒の事件を月花に解き明かして欲しいらしく――
飾りの妃からやがて皇后へ。しかし、飾りのはずが、どうも皇帝は月花を溺愛しているようで――?
これは、月花と皇帝の、食をめぐる謎解きの物語だ。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる