後宮の妖狐は尻尾を見せない〜天仙公子のやり直し

朱音ゆうひ

文字の大きさ
上 下
22 / 63
1章

21、左利きの侍女頭(2)

しおりを挟む
「この扉の向こうに彰鈴シャオリン妃がいらっしゃいます。ご挨拶できる準備ができたら呼びますから、少しお待ちなさい」
 
 雨萱ユイシェンはそう言って扉の向こうに入っていった。
 
 待っている間、扉の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 
 花の装飾が凝らされた扉の向こうで交わされる会話は、普通の人間なら聞き取れない声量。でも、紺紺は耳がいいので会話が丸聞こえだ。

「まあ、桜綾ヨウリン、これが冶葛やかつですって? わたくしに毒の備えを勧めますの? 恐ろしい……わたくし、毒よりも花茶が好きですわ」
彰鈴シャオリン妃。黒貴妃様や紅淑妃様はご実家から開運招福の家宝を後宮に持ち込んでいると聞きます。ご実家が護衛用の術師を送ってくれている妃様もいらっしゃるんですよ」
 
桜綾ヨウリン。実家、実家と、気が滅入ることを言わないでください。他家の妃に比べて実家がわたくしを守ってくれていないことなんてわかってます」
「いつどのようないさかいに巻き込まれるかわかりませんもの。有事に備えて、せめて出来る備えをなさいませ」
 
「……諍いに巻き込まれて、毒をどのように使いますの? わたくし、今よりも上の地位を目指す気はありませんの。現状維持で、諍いに巻き込まれないように平穏に過ごすつもりですの」

 ……不穏な会話。
 
 桜綾ヨウリンは、以前お仕事をたくさん抱えて走っていた時に声をかけてくれた侍女だ。そういえば、彼女は咸白宮かんはくきゅうの侍女だった。
 
 紺紺がついつい耳を澄ませていると、時間を知らせる声が二人の会話を遮った。

「お話中、失礼します。新人の侍女が挨拶に参りました」
「もうそんな時間でしたか。通してくださる?」
  
 雨萱ユイシェンが扉を開けて中へと招いてくれるので、紺紺は礼をした。

 長榻ながいすくつろぐ彰鈴妃は、儚い印象の姫君だった。
 
 金木犀をあしらった薄黄の上衣がよく似合っていて、柿色の帯に若菜色の紐飾りを重ね結びしているのが可憐だ。
 腕にかける薄紗の布は帔帛ひはくといい、ひらひらしていて天女の羽衣のよう。髪を彩る蛋白石たんぱくせき付きのかんざしも、動くたびにきらきらしていて、綺麗。

 手に持っている二つの黒い陶器の壺は、桜綾から渡された毒物だろう。
 受け取ってしまったらしい。彰鈴妃は少し迷ってから侍女頭の雨萱ユイシェンに壺を渡し、棚に仕舞わせた。
 そして、紺紺に着座を勧めた。しかも、自分の座る隣を手で示して。

「立っていると疲れるでしょう。お座りください」
「え、あ、ありがとうございます……っ?」
 
 普通、侍女は主人の隣に座らない。
 この待遇はおかしいのでは?
 周囲を見るが、雨萱ユイシェンは「いいのよ」と頷いてくれた。
 いいらしい。
 
 ……本当に? 
 いきなり「無礼者」とか言い出さない?

「いいのよ」
「あっ、はい」
   
 ちょこんと座ると、彰鈴妃は何かを運ばせた。
 ……揚げ芋?
 
「わたくしは、彰鈴です。お名前を教えてくださる? あ、この揚げ芋さん、わたくしが育てたお芋さんです。お料理も、わたくしがしたの。召し上がって」
「ふぇっ? 今、なんて……あ、名前は、紺紺です」
「変わった名前。紺は青地に赤色を挟みこんだ色。一色に染まらず複雑な色合いを見せる夜空の色。そして、文字自体は縁を紡ぐより糸の形と甘の形で造られている……素敵なお名前ですわね」 
「ありがとうございま……」
 
 「育てた」とか「料理した」とか聞こえた気がする。気のせいかな?
 そして、なぜ揚げ芋を箸で挟んで「あーん」と食べさせようとしてくるのかな?

「召し上がって」

 このちょっと逆らいにくい雰囲気は、兄の霞幽に似ている。
 ほくほくの揚げ芋を味わいながら、紺紺は思った。
 
「美味しい? あなた、病気がちなのですって? わたくしが美味しいものをいっぱい食べさせてあげるから、元気になりましょうねえ」 
「おいひいです……私は元気です……」  
「たんと寝て、栄養を摂取して、わたくしと一緒に傾城様ごっこをしましょう。健やかになりますわ」

 儚げな微笑で、よくわからないことを言っている。
 彰鈴妃は、不思議な妃だ。
 謎なところは「兄君と似ている」と言えなくもない……かもしれない?
 
「んふふ。咸白宮かんはくきゅうの侍女は、全員わたくしの姉妹です。ここをお家だと思い、他のみんなを家族だと思って過ごしてくださいね」
「はい……!」

 彰鈴妃は「妹が増えましたわ」と微笑み、揚げ芋を持たせて個人部屋に返してくれた。本日は、挨拶だけでお仕事が終わりらしい。

「優しい方でよかった」

 どちらかというと、優しすぎてびっくりかもしれない。
 自室に戻った紺紺は、霞幽からの二枚目の手紙を開いた。咸白宮かんはくきゅうに着いたら読むように、と言われていたからだ。

 
咸白宮かんはくきゅうで働くと聞いたので、君の参考になればと思い、妹のことを書きます。
 
 妹について――
 
 年齢ニ十歳。好物不明。嫌いな人物は私。
 お気に入りの侍女は雨萱ユイシェン
 何がしたいか不明。
 何を考えてるか不明。
 悪女としてお気に入りの侍女と断罪されるかもしれない。詳細不明。
 
 おまけ、主上が羊に「めえこ」と名をつけました』 

 
「……悪女としてお気に入りの侍女と断罪されるかもしれないっ?」
  
 あの優しそうな方々が? 
 
 それにしても、「参考になれば」と言う割に不明情報がいっぱい。何を参考にしたらいいのだろう。
 
 それに……「めえこ」の情報、いる?

「今日はもう就寝時間だし、寝ようかな」

 おやすみなさい、と呟いて灯りを消すと、部屋が真っ暗になる。
 臥牀は寝心地がいい。
 でも、「おやすみ」に返事してくれる人は誰もいない。

「……」

 そよそよとした外の音が聞こえる。
 集団房室と違って、誰かの寝言や寝息が聞こえてきたりしない。
 誰かがごそごそ寝返りを打ったり、ぐすぐすと泣き出したり、厠に起き出したり、「ねえ起きてる?」と囁き声で夜更かし話をすることもない。
 
 静かな寝室は、伸び伸び過ごせる一方で、ちょっとだけ寂しい……。 

「みんな、今日どんなお仕事したのかなぁ」
 
 どんな出来事があって、何を感じたんだろう。
 親しい人たちの顔を思い浮かべて寝返りを打ったけれど、寝付ける気がしない。

 そんな紺紺の耳に、部屋の外の声が聞こえてきた。普通の人間の聴力では聞こえない、小さな声だ。

「こんな時間まで大変ね」
「桜綾さんも」
「ねえ、今日配属された新人がいるでしょう?」

 どきりとした。それは、自分のことだ。
 
雨萱ユイシェン様って、私たちに嫌われているから新人を味方につけようとしてるみたい。すごく甘やかしてたわ」
「へえ……そうなんですか……」
「あなた知ってる? この前ね、雨萱ユイシェン様が私に言ったの。あなたたちをクビにして人員を刷新する時期かもねって」
「えっ、やだ。そんなことを仰ったんです……?」

 会話していた人たちが遠ざかり、やがて声は聞こえなくなった。
 声が完全に聞こえなくなってから、紺紺は耳を塞いだ。
 
 聞かない方がいい会話だった気がする。
 少なくとも、聞いていて良い気分はしなかった。

 今のは、陰口だ。
 それも、「良い人だ」と思っていた桜綾ヨウリンが「良い人だ」と思っていた雨萱ユイシェンの陰口を言っていた。

「実は悪い人? それとも、良い人だけど悪く言われてる? ……どっちが?」

 紺紺は布団の中で悶々として、夜明け近くになってからようやく眠りについた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシャリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

処理中です...