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1章
20、左利きの侍女頭
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「大河が燃えただと。そんな現象が起きるものか」
「自然現象ではございませぬ。術でございます。当晋国には、『人間ではない』と囁かれる術師が何人もいるのでございまして」
「なにっ」
克斯国の二代目少年王、十五歳の岳武輪は耳を疑った。
十年前に旧王朝を打倒して成り上がった父王が亡くなり、五歳で即位してから臣下の傀儡気味であった武輪は、最近になって「うおおお、俺は自分で政治をするぞ」と自立の志を見せている。
血気盛んな武輪は、戦術論の講義で名のある諸葛老師に褒められたばかり。
「陛下は戦術の天才であらせられる」
というお世辞を真に受け、「よし、戦争だ!」と兵を北東に向かわせたのである。
傀儡王の暴挙がまかり通ったのは、諸葛老師が「実戦も必要ですからな」と笑って賄賂をばら撒いたせいだという。
諸葛老師が豪快に「そーれ」と放る宝石は、それはもう美しかったのだとか。
「俺の父、岳不群は、『君子剣』の異名を持つ名将軍であった。父であれば、燃え盛る大河を越えて敵将の首級をあげたであろうな」
「陛下、それはどうでしょう。炎はあっちっちでございますし。剣の腕があっても」
「俺の父は強かった! 剣は炎などに負けぬ。……いいなこの言葉。剣は炎などに負けぬ、俺の決め台詞にしよう。爺、覚えておいてくれ」
武輪は父大好き男であった。
父は神のごとき存在であり、十年前に父を弑した暗殺者の存在は決して許さないと誓っている。
そして、そんな「暗殺者」は東の方角に逃れたという。
当時を知る臣下はいつも言葉を濁すのだが、暗殺者は人間ではなかったらしい。
『君子剣』は人間相手では最強であったが、人外の魔物に負けたのだから仕方ないですよ、人外の魔物は恐ろしい存在で、人間が太刀打ちするのは至難なので、その名誉は傷つきません、むしろ命と引き換えに人外を追い払ってくれたんです、英雄ですよ……と言うのだ。
「当晋国の術師について調べよ。もしや、父の仇なのではあるまいか」
調べさせてみると、当晋国では『皇帝の九術師』なる存在はたいそう民衆に人気があり、国家の守護者だとか英雄だとか褒め称えられ、憧憬の対象になっている。
「我が国では異能は迫害されるものだが。当晋国の民は異能に憧れるのか。不思議だな」
武輪は報告書に首をかしげ、「それにしても、『傾城』というのは美少女らしい。ちょっと顔を見てみたい」と少年らしい欲を覗かせた。
武輪は、父も好きだが乳も好きだ。
「傾城は、豊満であるか?」
とりあえず最初に気になったのは、胸の大きさだった。調べによると、年齢を考慮するとまだまだこれからではないか、という。
「そうか、これからか。俺もこれからの男だ。お互いがんばろうな、傾城」
武輪は、会ったこともない傾城に勝手に親近感を抱いた。
* * *
蒼天を雲が覆う朝。
黄緑色の花を咲かせた枝垂れ柳が気持ちよさそうに葉を揺らす中、新米宮女たちは、それぞれの配属先へと巣立った。
小蘭は宮内の文書、詔勅、名簿を司る尚宮局へ。
萌萌は食膳を供し、毒見をする尚食局へ。
雨春は礼儀起居を司る尚儀局へ。
そして、紺紺は咸白宮へ。
「侍女長さんが直々にお迎えにきてくださるなんて、びっくりです。ありがとうございます」
「うふふ。お迎えついでに妹に会いにきたの。自分の新米だった頃、同期とあなたたちみたいに仲良くできていたのを思い出すかしら」
お迎えに来てくれたのは、咸白宮で侍女頭をしている雨萱という女性だ。雨春の異母姉で、二十六歳だという。
「私の同期は、粗相を働いて黒貴妃様に処刑されてしまったり、自然と疎遠になったり、不仲になったりしているけれど……あら、暗いお話をしてしまってごめんなさいね。嫌な気持ちにさせてしまったかしら」
「いえ」
「お詫びというか、歓迎のしるしみたいなものだけど、あげるわ。どうぞ」
雨萱が小さな果物をくれる。北方で採れる、通常より小ぶりの北方茘枝だ。
「わ、ありがとうございます!」
「紺紺さんは、病弱なのですって? 雨春から聞いているわ。あまり体に負担のかからないお仕事をしてもらうから、栄養をいっぱい摂って、健康になれたらいいかしら」
「実は、私、健康です」
「あら、あら。大丈夫よ。彰鈴妃様は個人の能力差があるのは当たり前という考え方で、無理せず出来る仕事を出来る子がしましょうという主義なの」
「優しい方なんですね?」
「お兄様が特別な方だから……ああ、お身内のお話を勝手にするのはよくないかしら。ごめんなさいね」
お兄様というと霞幽を指す。
白家の兄妹事情には興味があったので、もっと話してほしいくらいだ、と思っているうちに、咸白宮に到着する。
上級妃の宮殿ではその宮殿内の些末な事柄は主である妃に一切の采配権がある。
咸白宮の主は、現在の後宮で上から三番目に地位の高い白徳妃、二十歳の彰鈴 妃だ。
後宮は、皇帝の妃が暮らす場所。
妃の地位は、皇帝の寵愛や家柄で決まる。
白家は四大名家な上、兄の霞幽が皇帝の寵臣である。後ろ盾は十分だ。
けれど、今上帝は四十二歳。しかも、すでに東宮がいる。
東宮の母妃は皇后位に就く前に亡くなり、十歳の東宮も最近は病気がちらしい。
今よりも上の地位を目指そうと思えば、方法がないわけでもないが、道は狭い。
よほどやらかさない限りは落ちぶれることはない――そんな地位だ。
* * *
咸白宮は、後宮内の西にある。
優美な雰囲気のある宮殿だ。他の場所と違って、お札が貼られていない。鎮宅霊符もないし、それに似せたお札もない。宮殿内には、白地に青い模様が特徴の青花と呼ばれる東南名産の陶器が多く置かれている。
玻璃の張られた花窓からは、庭が覗ける。
赤い欄干の太鼓橋に、色鮮やかな鱗の鯉が泳ぐ池。下向きに花咲く日向水木。白花が群れ咲く雪柳。白虎の像に、過ごしやすそうな四阿。
見ごたえのある庭園景色なので、ついつい目が窓の外に向いてしまう。
「彰鈴様とは後ほど顔合わせの時間を用意しています。先にあなたの寝起きするお部屋を案内しようかしら」
雨萱は左手で引き戸を開け、ひととおり咸白宮を見せて回ってから部屋に連れて行ってくれた。
ありがたいことに、個人部屋だ。
清潔で寝心地がよさそうな臥牀に、文方卓と椅子。棚には書簡が並んでいて、香炉もある。
「すごい。新人なのに、こんなお部屋。いいんですか?」
集団での共同部屋も楽しかったけど、毎日だと気疲れする時もある。それに、先見と仕事の話をする時も個人房室があるとやりやすい。
紺紺は目を輝かせた。
「あなたは病弱だから配慮してあげるように、とお達しがあったの」
雨萱は刺繍道具を棚から出した。
「最近、後宮に妖狐が潜んでいると言う噂があるでしょう? 噂のせいで、辟邪(魔除け)の刺繍が流行っているの」
裁縫用具を置き、針を持って刺繍のお手本を見せてくれる雨萱の語る話によれば、彰鈴妃は大陸の三大刺繍のひとつである蘇州刺繍を好む。
これは細い絹の糸を使って盛り上がらない様にする技法だ。
平面的で、絵画のような仕上がりになる。
「さあ、お手本ができたわ。彰鈴妃にご挨拶をしたあと、最初のお仕事はこれと同じ刺繍をいくつか縫ってもらおうかしら」
「わかりました」
「そうそう、さっきの北方茘枝を剥いてあげるわ」
侍女頭は多忙な身のはず。
けれど、雨萱は「ご挨拶の時間まではまだ余裕があるから」と言って右手に茘枝を持ち、左手の短刀で皮を剥いてくれた。
「いただきます」
小ぶりな北方茘枝は、ひとくちサイズだ。
皮を剥いだあとは丸ごとぱくっと食べられる。味は瑞々しくて、甘酸っぱい。
「おいしいです~~っ!」
「よかった……そろそろ時間ね。行きましょう」
いよいよ、彰鈴妃と会えるらしい。
紺紺は緊張と期待でドキドキしながら雨萱についていった。
「自然現象ではございませぬ。術でございます。当晋国には、『人間ではない』と囁かれる術師が何人もいるのでございまして」
「なにっ」
克斯国の二代目少年王、十五歳の岳武輪は耳を疑った。
十年前に旧王朝を打倒して成り上がった父王が亡くなり、五歳で即位してから臣下の傀儡気味であった武輪は、最近になって「うおおお、俺は自分で政治をするぞ」と自立の志を見せている。
血気盛んな武輪は、戦術論の講義で名のある諸葛老師に褒められたばかり。
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傀儡王の暴挙がまかり通ったのは、諸葛老師が「実戦も必要ですからな」と笑って賄賂をばら撒いたせいだという。
諸葛老師が豪快に「そーれ」と放る宝石は、それはもう美しかったのだとか。
「俺の父、岳不群は、『君子剣』の異名を持つ名将軍であった。父であれば、燃え盛る大河を越えて敵将の首級をあげたであろうな」
「陛下、それはどうでしょう。炎はあっちっちでございますし。剣の腕があっても」
「俺の父は強かった! 剣は炎などに負けぬ。……いいなこの言葉。剣は炎などに負けぬ、俺の決め台詞にしよう。爺、覚えておいてくれ」
武輪は父大好き男であった。
父は神のごとき存在であり、十年前に父を弑した暗殺者の存在は決して許さないと誓っている。
そして、そんな「暗殺者」は東の方角に逃れたという。
当時を知る臣下はいつも言葉を濁すのだが、暗殺者は人間ではなかったらしい。
『君子剣』は人間相手では最強であったが、人外の魔物に負けたのだから仕方ないですよ、人外の魔物は恐ろしい存在で、人間が太刀打ちするのは至難なので、その名誉は傷つきません、むしろ命と引き換えに人外を追い払ってくれたんです、英雄ですよ……と言うのだ。
「当晋国の術師について調べよ。もしや、父の仇なのではあるまいか」
調べさせてみると、当晋国では『皇帝の九術師』なる存在はたいそう民衆に人気があり、国家の守護者だとか英雄だとか褒め称えられ、憧憬の対象になっている。
「我が国では異能は迫害されるものだが。当晋国の民は異能に憧れるのか。不思議だな」
武輪は報告書に首をかしげ、「それにしても、『傾城』というのは美少女らしい。ちょっと顔を見てみたい」と少年らしい欲を覗かせた。
武輪は、父も好きだが乳も好きだ。
「傾城は、豊満であるか?」
とりあえず最初に気になったのは、胸の大きさだった。調べによると、年齢を考慮するとまだまだこれからではないか、という。
「そうか、これからか。俺もこれからの男だ。お互いがんばろうな、傾城」
武輪は、会ったこともない傾城に勝手に親近感を抱いた。
* * *
蒼天を雲が覆う朝。
黄緑色の花を咲かせた枝垂れ柳が気持ちよさそうに葉を揺らす中、新米宮女たちは、それぞれの配属先へと巣立った。
小蘭は宮内の文書、詔勅、名簿を司る尚宮局へ。
萌萌は食膳を供し、毒見をする尚食局へ。
雨春は礼儀起居を司る尚儀局へ。
そして、紺紺は咸白宮へ。
「侍女長さんが直々にお迎えにきてくださるなんて、びっくりです。ありがとうございます」
「うふふ。お迎えついでに妹に会いにきたの。自分の新米だった頃、同期とあなたたちみたいに仲良くできていたのを思い出すかしら」
お迎えに来てくれたのは、咸白宮で侍女頭をしている雨萱という女性だ。雨春の異母姉で、二十六歳だという。
「私の同期は、粗相を働いて黒貴妃様に処刑されてしまったり、自然と疎遠になったり、不仲になったりしているけれど……あら、暗いお話をしてしまってごめんなさいね。嫌な気持ちにさせてしまったかしら」
「いえ」
「お詫びというか、歓迎のしるしみたいなものだけど、あげるわ。どうぞ」
雨萱が小さな果物をくれる。北方で採れる、通常より小ぶりの北方茘枝だ。
「わ、ありがとうございます!」
「紺紺さんは、病弱なのですって? 雨春から聞いているわ。あまり体に負担のかからないお仕事をしてもらうから、栄養をいっぱい摂って、健康になれたらいいかしら」
「実は、私、健康です」
「あら、あら。大丈夫よ。彰鈴妃様は個人の能力差があるのは当たり前という考え方で、無理せず出来る仕事を出来る子がしましょうという主義なの」
「優しい方なんですね?」
「お兄様が特別な方だから……ああ、お身内のお話を勝手にするのはよくないかしら。ごめんなさいね」
お兄様というと霞幽を指す。
白家の兄妹事情には興味があったので、もっと話してほしいくらいだ、と思っているうちに、咸白宮に到着する。
上級妃の宮殿ではその宮殿内の些末な事柄は主である妃に一切の采配権がある。
咸白宮の主は、現在の後宮で上から三番目に地位の高い白徳妃、二十歳の彰鈴 妃だ。
後宮は、皇帝の妃が暮らす場所。
妃の地位は、皇帝の寵愛や家柄で決まる。
白家は四大名家な上、兄の霞幽が皇帝の寵臣である。後ろ盾は十分だ。
けれど、今上帝は四十二歳。しかも、すでに東宮がいる。
東宮の母妃は皇后位に就く前に亡くなり、十歳の東宮も最近は病気がちらしい。
今よりも上の地位を目指そうと思えば、方法がないわけでもないが、道は狭い。
よほどやらかさない限りは落ちぶれることはない――そんな地位だ。
* * *
咸白宮は、後宮内の西にある。
優美な雰囲気のある宮殿だ。他の場所と違って、お札が貼られていない。鎮宅霊符もないし、それに似せたお札もない。宮殿内には、白地に青い模様が特徴の青花と呼ばれる東南名産の陶器が多く置かれている。
玻璃の張られた花窓からは、庭が覗ける。
赤い欄干の太鼓橋に、色鮮やかな鱗の鯉が泳ぐ池。下向きに花咲く日向水木。白花が群れ咲く雪柳。白虎の像に、過ごしやすそうな四阿。
見ごたえのある庭園景色なので、ついつい目が窓の外に向いてしまう。
「彰鈴様とは後ほど顔合わせの時間を用意しています。先にあなたの寝起きするお部屋を案内しようかしら」
雨萱は左手で引き戸を開け、ひととおり咸白宮を見せて回ってから部屋に連れて行ってくれた。
ありがたいことに、個人部屋だ。
清潔で寝心地がよさそうな臥牀に、文方卓と椅子。棚には書簡が並んでいて、香炉もある。
「すごい。新人なのに、こんなお部屋。いいんですか?」
集団での共同部屋も楽しかったけど、毎日だと気疲れする時もある。それに、先見と仕事の話をする時も個人房室があるとやりやすい。
紺紺は目を輝かせた。
「あなたは病弱だから配慮してあげるように、とお達しがあったの」
雨萱は刺繍道具を棚から出した。
「最近、後宮に妖狐が潜んでいると言う噂があるでしょう? 噂のせいで、辟邪(魔除け)の刺繍が流行っているの」
裁縫用具を置き、針を持って刺繍のお手本を見せてくれる雨萱の語る話によれば、彰鈴妃は大陸の三大刺繍のひとつである蘇州刺繍を好む。
これは細い絹の糸を使って盛り上がらない様にする技法だ。
平面的で、絵画のような仕上がりになる。
「さあ、お手本ができたわ。彰鈴妃にご挨拶をしたあと、最初のお仕事はこれと同じ刺繍をいくつか縫ってもらおうかしら」
「わかりました」
「そうそう、さっきの北方茘枝を剥いてあげるわ」
侍女頭は多忙な身のはず。
けれど、雨萱は「ご挨拶の時間まではまだ余裕があるから」と言って右手に茘枝を持ち、左手の短刀で皮を剥いてくれた。
「いただきます」
小ぶりな北方茘枝は、ひとくちサイズだ。
皮を剥いだあとは丸ごとぱくっと食べられる。味は瑞々しくて、甘酸っぱい。
「おいしいです~~っ!」
「よかった……そろそろ時間ね。行きましょう」
いよいよ、彰鈴妃と会えるらしい。
紺紺は緊張と期待でドキドキしながら雨萱についていった。
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