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 妻は猫の扱いに慣れていたようで、湯あみを済ませて夕餉をいただく頃には猫たちはごろごろと喉を鳴らして安らいでいた。
 暖かく安全な我が家にて憩う母猫と子猫の姿は、いいものだ。
 こんな光景が見たかったのだ――男は満たされた気分になった。
 
「ああ、そうそう。こちらが本日の和歌です」
 
 和歌の先生に提出するようにかしこまって和歌を渡せば、妻は受け取ってくれた。
 
 そして、いそいそと文方卓ふみつくえに向かうではないか。
 さすが由緒正しき家柄の姫。
 和歌のお返事も息を吸うようにすらすらと書かれるのだな――と思っていた男は、差し出されたお返事を見て目を丸くした。
 
 渡された紙には、和歌ではなく猫の絵が描かれていたのである。
 母猫と子猫。そして、大きな猫がもう二匹……身を寄せ合い、幸せそうにしている。
 
 袖をもちあげて顔を隠しながら、妻は男に秘密の話をしてくれた。
 恥ずかしそうに言ってくれる姿はなんとも可愛らしく、男は胸が高鳴って苦しくなった。
 
「実はわたくし、和歌があまり得意ではないのです」

 妻が言うには、彼女は和歌を書いても伝えたいことと逆の意味に受け取られてしまうのだとか。

 ……ということは、今までのつれない恋文の返答はすべて……? 
 
 いや、あの和歌やこの和歌を逆の意味に解釈しろというのは、かなり難しいのではないか?
 誰が読んでも同じ意味に受け取ると思うが……。
 しかし、本人が言うのだから、そうなのだろう。
 
 男は過去の和歌の数々を今度じっくり「再解釈」してみようと決意しつつ、妻に心を伝えた。
 
「私も実は和歌が苦手でした。身分が高く教養のある姫に釣り合う自分でありたいと、背伸びばかりをしていたのです……」

 妻の手を握ると、指先がかすかに震えていて、ひんやりと冷えて彼女の緊張を伝えていた。
 顔を見ると、耳が赤い。
 恥じらいながら男を見つめて微笑む表情には、甘やかな情が花開いているように思われた。
 
「和歌ではなく、素直な言葉であらためて申し上げたい。私は姫を初めてお見掛けした時から、お慕いしておりました。他のどの花も目に入ることはありません。誓ってあなただけを愛しております」
  
 黒髪に触れると綺麗な髪が指の間をさらさらと滑り落ちていく。
 妻は、恥ずかしそうにしながらも「わたくしもお慕いしておりますわ」と言葉を返してくれた。

「だって、わたくしの下手なお歌に嫌な顔せず、良いお歌を返し続けてくれるのですもの。雨に濡れた猫さんを泥だらけになってお迎えしてくださる方ですもの」
  
 肩に触れると華奢な体付きが感じられて、呼吸に上下する胸元が頼りなく無防備だ。
 憧れの姫は、他の誰でもない自分を受け入れてくれたのだ。
 この貴き花に触れる権利が、自分にはあるのだ。

 そんな高揚に頭が痺れるような心地がして、男は妻を抱き寄せ、その唇に自分の唇を重ねた。
 
 夫婦になる過程で当然、体は重ねていたので、もちろん接吻は初めてではない。
 
 しかし、この夜に重ねた唇は想い合っているという喜びにあふれた極上の甘さで、触れ合う一瞬一瞬が「心がつながった」と感じる特別で幸せな時間だった。

 
 いつの間にか雨も上がった、月と星が輝く夜。
 新婚の二人は猫を家族に迎え、仲良くなったのである。


 めでたし、めでたし。
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