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 モノクロの荒涼とした街並み。その夜の底をひとりの男が歩く。プライドのパレードを締めくくるルカのショートムービーは、そんなシーンから始まった。
 阿形の言葉とルカの映像が、静かに、そして力強く語りかける。
『君だけの鼓動を、高らかに鳴らせ』と。『その鼓動に嘘をつかずに、自分らしく生きることができる未来が、きっと訪れる』と。
 やがてスクリーンは色彩と光の渦に包まれた。あるものは手を取りあい、あるものは一人で、あるものは肩を抱き合い、あるものは抱擁の中で、洗礼のような、夜明けの光を浴びた。
 最後に、『TOKYO PRIDE 20XX』という文字が映し出され、映像は終わった。
 パレードの終着点であり、祭りのメイン会場でもある公園の広場は、水を打ったような静寂に包まれていた。まるで時が止まったかに思えた一瞬のあと、歓声と拍手が沸き起こった。そして、そのときを待っていた花火が夜空に打ちあがり、フィナーレを迎えるための最後のお祭り騒ぎが始まった。
 最初のうち、この作品は会場に出展する《ウィル・シー》のブースでのみ放映される予定だった。だが、望月がパレードの主催者のひとりにこの作品を見せたところとても気に入り、是非もっと多くのひとに観てもらいたいと言ってくれた。
 こうしてルカの作品が、この年のプライドを締めくくったのだった。
「やったな」巨大なスクリーンの前で、ルカを抱きしめたまま、阿形は言った。
 次々とあがる花火と、それに重ねられた音楽、興奮した人々の喧騒のなかで、触れ合った肌が囁きを伝えてくれる。
「うん」ルカは涙声で言った。「全部、ノブさんのおかげだ」
「違うよ、ルカ」阿形は微笑み、首を振った。「お前と出会ってなかったら、俺はいまでも一人の世界にいた」
 すべてを諦めている振りをして、そのくせ何一つ手放せなかったあの頃──自分を守ることだけで精一杯だった。平穏だったし、それなりに幸せだったけれど、もうあの薄暗い場所に戻ろうとは思わない。
 阿形はルカの耳元に口を寄せて囁いた。
あなたはわたしの人生の光だヴォセ・エ・ア・ルズ・ダ・ミア・ヴィダ」頬に滲む熱を感じながら、ルカの顔を窺う。「これ、通じてるか?」
 ルカは驚いた顔で固まった。それから、弾けるように笑って、阿形を抱きしめた。
「ヴォセ・エ・メウ・トゥード、アモ」
 今度はルカが、流暢なポルトガル語で言った。
 阿形を見つめる瞳の中で、色とりどりの花火の欠片が躍っている。それがうっすらと滲み、輝きを増す。
「あなたは、俺のすべて」ルカは言い、そっと額を合わせた。「愛してる」
 こんな夜が訪れることを想像できただろうか。人生とは、自分ひとりのためにあるものなのだと思っていた頃──完璧な人生など存在しないと信じていた頃の自分に。
 夢見た未来は微睡まどろみの中にあって、いつか目覚める瞬間を待っている。その日のために捧げる祈りがあるのなら、それはきっと、全力で生きて、愛する──そんな日々によって紡がれてゆくのかもしれないと、いまならそう思うことができる。
 すべての愛を祝福する花火に照らされて、二人はもう一度、口づけをした。
 抱きしめた掌から伝わる、温かく力強いルカの鼓動。それに応えるような自分の鼓動を捧げながら、不思議な確信が胸に広がるのを感じた。
 きっと世界は、こんな夜を重ねて、少しずつ変わっていくのだ。


 その年の秋の暮れに、一冊の小説が刊行された。
 ひとりの同性愛者の喪失と再生の物語は、出版業界では未曾有の不況と言われる昨今の文芸部門において、久々のヒットを記録した。
 阿形にとっては、ありがたいことだと思う一方で、注目を免れないことが煩わしくもあった。ただ、ルカが我がことのように喜ぶので、たいして気にもならないけれど。
 ゲイコミュニティに生きる主人公の真に迫る描写──それに、新聞での連載のこともあり、多くの読者が予想していた通りの質問をした。
『あなたはゲイなのですか?』と。
 そうした質問を受けるたび、阿形はこう答えるようにしていた。
「わたしが誰を愛そうと、物語に触れる人にとってはたいした問題ではないはずです。わたしという人間は、わたしが書くもののなかにある」
 そして、ときにはこんな風に続けることもあった。
「ただ、わたしは自分の文章を、嘘から始めたことはありません」と。
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