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 自分が足手まといになることははじめからわかっていた。だからこそホラスは、炎薬を義手の中に仕込んでくれるよう、技師のオロメルに頼み込んだのだ。 
 その話を持ちかけたとき、彼は驚きもせずこう言った。 
「死ぬつもりなら、もっとマシな方法があるでしょう」 
 ホラスは笑った。 
「死ぬつもりなら、起爆装置も左手につけてくれと頼んだはずです」 
 オロメルは、ホラスが手渡した設計図を一瞥した。そこには確かに、起爆装置は右の義足の付け根に、と書かれている。 
 眉を上げてこちらを見るオロメルに、ホラスは言った。 
「生き延びたいからこそ、切り札が欲しいのです」 
 オロメルは肩をすくめて、長々とため息をついた。 
 やはり聞き入れてはもらえないだろうかと思いかけたとき、彼が肩をすくめた。 
「絶対に後悔すると思いますがね。あとから文句を言われても、受け付けませんよ」 
 
 後悔はしなかったが、炎薬の量について事前に聞いておくべきだったかも知れない。 
 どうやらホラスは、爆発の衝撃で気絶していたらしい。意識を取り戻して身を起こそうとしたとき、割れるような頭痛に襲われて目を閉じた。頭を強く打ったせいだろう。 
 ホラスはそっと目を開けて、もう一度、今度はゆっくりと立ち上がった。生身の方の手はひどい火傷を負っていた。無理もない。むしろあの爆発に巻き込まれて死ななかったのだから、幸運としか言いようがない。 
 目の前には、崩壊しかけた市壁があった。どこもかしこも黒く焼け焦げ、今にも崩れ落ちそうだ。 
 爆風で、ホラスはかなり後方に飛ばされていた。最初の崩落に巻き込まれずに済んだのは、きっとそのためだ。 
 大きくくぼんだ壁の反対側には、ブライアが立って、ホラスを待っていた。 
 彼の方へ行こうとすると、何かに足を掴まれた。 
「ホラ……ス」 
 掠れた声がする方に身をかがめると、瓦礫のただ中にギランが居た。黒焦げになった顔面の中で、彼の目だけが異様に輝いていた。こちらの臓腑を抉ろうとするかのようなギランの眼差しを、ホラスは受け止めた。 
「何故」彼は言った。「何故──何のために、そうまでして……背く」 
 何のために? 
 それこそ、今までに何度も自問してきた。 
 その度に、ごくごく単純な動機しかないことに気づいて驚く。そして、その単純な動機が、自分にどれほどの力を与えるかに気付いて、さらに驚く。 
「わたしが信じるものを守るために」ホラスは言った。「世界をよくするために、背いた」 
 だが、ギランはその言葉を聞くまでもなく死んだ。 
 ブライアは、ただ待っていた。彼は剣を持たず、抵抗する素振りも、恐怖さえも見せなかった。 
「わたしは、わたしの神の道には背かない」ブライアは静かに言った。「お前に成すべき事があるというのなら、成すがいい」 
 ホラスは躊躇った。 
 すると、ブライアは言った。 
「わたしは陽神の子ディナエだ。お前もそうだ。それだけは何があっても変えることはできぬ」 
 ホラスは頷いた。 
「再び言葉を交わすことができたのも、神の思し召しであろう。だが──」 
 彼は微笑んだ。それは寂しげで──同時に安らかな微笑みだった。 
「わたしは、この歪んだことわりの中で生き続ける気はない。最後まで陽神の子ディナエのまま死に、神と共に往く。もう二度とは還らぬ」 
 彼を憎みきれなかった。さりとて、赦すことができるかどうかもわからない。 
 セオン・ブライアという男は永遠に、ホラスの葛藤の中に存在し続けるのかも知れない。だがいまは、彼が望み通りの結末を迎えることを、素直に言祝ぐべきだと思った。 
「お別れです、師よ」 
「ああ、さらばだ」 
 彼は目を閉じ、大気の抱擁を味わうかのようにゆっくりと倒れ込んだ。そして音もなく、壁の向こう側へと落ちていった。 
 壁は、それを待っていたかのように崩れ始めた。 




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「ホラス!!」 
 マタルは上空から、ホラスを見つけた。倒壊しそうな市壁の上を走っている。壊れかけた魔道具フアラヒの義手をぶら下げて、右足の動きもおぼつかない様子だ。崩落は彼のすぐ後ろまで迫っていて、あと三歩で巻き込まれてしまうだろう。 
 マタルは文身の力を限界まで引き延ばした。曙神アシュタハが彼に与えた最後の贈り物は、剣として振るうには頼りない。だが、翼にはなる。誰かを救おうとするなら、翼があれば十分だ。 
 マタルは翼を畳み、ほとんど落下するような速度でホラスの元へ向かった。 
 あと一歩、二歩──手を伸ばすけれど、まだ届かない。 
 三歩目! ホラスが体勢を崩した。その横腹にマタルは突っ込み、胴を抱きかかえた。そして翼を広げて、風を捕らえた。ぐらつく身体をなんとか安定させ、ようやく風に乗ることができた。 
「や、やった!」 
 ホラスが、長い安堵のため息をついた。「ありがとう、マタル」 
 生き延びたぞ。 
 二人で生き延びた! 
「やったよ、ホラス!」 
 喜びと達成感が湧き上がり、マタルは思わず笑い出していた。 
 
 眼下の戦場では、女王軍がベイルズ軍を制圧していた。 
 立派な騎士に、弓兵に歩兵。いかにも正義の軍勢のようにみえるベイルズの軍を、魔獣の群れと、ナドカと、人間の混成軍が圧倒しているのを見るのは、おかしな気分だった。だが、もしかしたら、それがあの女王が思い描く世界なのかも知れない。正しく見えるからといって、それが本当に正しく公正なわけではないと言うことを、彼女はこの戦いで──本人にそのつもりはなくても──証明して見せたのかも知れなかった。 
 程なくして崩れかけた市壁に白旗が揚がり、アドリエンヌが姿を現した。 
 泥にまみれ、髪も乱れたエレノア女王に比べると、美しく着飾ったアドリエンヌこそが女王にふさわしいようにも思える。だが、二人を見比べる時間が長くなればなるほど、その印象は変わっていった。 
 毅然とした表情でアドリエンヌを見つめるエレノアに対して、アドリエンヌは小さく見えた。威厳を装っては居ても、彼女の中には、自ら戦いに身を投じる強さはない。 
「ようやく面と向かってお話ができますね、義姉上」エレノアは言った。「此度の叛乱に対して、償うべき事柄は多い。けれど、それはひとまず差し置いて、まずは未来の話をしましょう」 
 戦場に風が吹き渡った。それはすがすがしさとは無縁の腥風せいふうだった。烏が鳴き交わし、新鮮な獲物にありつこうと集まってくる。それでも、そんな凄惨な光景のただ中に立つエレノアの周りには、不思議な空気が漂っていた。勝利をひけらかすでもなく、負けた相手を貶めるでもない。彼女はただ遠くを見つめていた。この戦いが終わった後の世界を。それよりもさらに遠く未来の世界を。 
「アドリエンヌ、あなたには、こちらの定めた相手と結婚するか、一生結婚せぬかを選んでいただく。結婚による同盟ほど厄介なものはありません。無論、ガーナリン城主との婚約も認めるわけにはいきません。今後はわたくしの暗殺を計画せず、陽神教の復権を目論むためのいかなる謀にも加担しないように。フェリジアが何を唆しても、耳を貸してはなりません」 
 アドリエンヌは、言葉もなく項垂れた。 
「これを約束していただけるなら、あなたの息子をわたしに次ぐ王位継承者として指名しましょう」 
 この言葉に、アドリエンヌは顔を上げた。 
「今、なんと……?」 
「理にかなったことです。わたしは子を成しません」エレノアはきっぱりと告げた。「リカルドは王宮に迎え入れ、次なる王としての教育を施しましょう」 
 アドリエンヌは口を開いた、震える唇を一度引き結んでから、ようやく言った。 
「それは……人質に他なりません」 
「ええ」エレノアは少しの間考えてから、頷いた。「ええ、そうですね。ダイラで最も恵まれた人質になるでしょう」 
 彼女は微かな笑みを浮かべた。「おわかりになりませんか、アドリエンヌ?」 
 そしてエレノアは、自分の背後に控えた軍勢に目を向けた。 
「王というものは、みな国の人質ですよ」 
 
 難攻不落のガーナリンが初めて陥落したその日、ダイラとベイルズの内戦は終わった。アドリエンヌはエレノアが提示した条件を承諾し、ベイルズは改めて、王座に忠誠を誓った。 
 その輝かしい瞬間に、世界が震えた。 
 文字通り。 
 ズン、という音がしたと思ったら、怖ろしい震えが大地を駆け抜けた。全ての命は震撼した。地の底の虫から、空を飛ぶ鳥たちまで例外はなかった。 
「ホ、ホラス、これって──!」 
 マタルもホラスも、その場に立っていることができずに、互いにしがみついて膝をついた。 
「地震だ」ホラスは言った。「カルタニアとおなじように、ダイラまで揺れている──普通じゃない」 
「そんな」マタルは呆然と空を見上げた。 
 新しい神に食い尽くされる前に、マタルは曙神アシュタハを解放した。 
 そのはずなのに。 
「新しい神の誕生を阻止するには、まだ足りないってことなのか──!?」
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