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 エイル カルナバン 
 
 〈アラニ〉から離反してエイルに迎え入れられた導者たちは、カルナバンの森のすぐ近くに集落を構えていた。 
 そこは導者たちだけに居住を許された集落で、部外者の立ち入りは基本的に許可されていなかった。それは、元〈アラニ〉だった彼らが不特定多数の者と交流を図ることを阻止するための掟であり、彼らに向けられる厳しい眼差しから彼ら自身を守るための盾でもあり、何より、導者たちの望みでもあった。 
 彼らが秘密主義に徹するのは、理解できなくもない。身を置いていた環境──そして、長いこと〈アラニ〉に利用されてきた経緯を思えば、このエイルで同じ轍を踏まないように警戒するのは当然だ。 
 ゲラードと彼らの面会の手はずは、文部卿のソーンヒルによって整えられた。 
 ゲラードが貴銀しろがねうからであることは、限られた者にしか明らかにされていない。神を見出すほどの能力を、どう悪用されるかもわからないからだ。 
 だから、導者たちにはゲラードの素性を明かすつもりだという話をソーンヒルから聞いたとき、フーヴァルは反対した。 
「そんなことして、連中が何か企んでたらどうすんだ?」 
 ソーンヒルは、眼鏡の奥の目をしばたかせた。「何か、とは?」 
 文部卿の執務室は、ありとあらゆる方向性の好奇心を奔放に追求した結果の産物だった。天井から所狭しと吊された剥製に、棚に詰め込まれた魔道具フアラヒ、そしてその隙間にねじ込まれた本に巻物に紙束。なんとなく、ナドカの魅力に骨抜きにされていた、昔のゲラードの学問版とでも言えそうな気がした。だからこそ、危なっかしいと思わずにはおれない。 
「例えば、こいつを操って自分たちに都合の良い神を生ませるようなことを、だ」 
「まさか」 
 基本的に、このお人好しの文部卿は人を疑うということをしない。頭でっかち──つまり、学者のような人種に対しては特に警戒が緩くなる。彼らが学ぶのは純粋な向学心を持っているからで、そんな者に二心などあるはずがないと思っているのだろう。 
 ゲラードは小さく咳払いをした。 
「いいかな?」 
 妥協の印に両腕を組んで黙り込むと、ゲラードは言った。 
「僕は、彼らに本当のことを言うべきだと思う」 
 反論しようとすると、ゲラードは手をあげた。 
「第一に、僕だってそう簡単に誰かの口車に乗せられるようなことはしない。第二に……僕はもっと、自分のことを知りたい。そのためには、僕の方から彼らに歩み寄らなくては」 
 ゲラードの目は、揺るがなかった。それ以上は何を言っても意味がないときの目だ。 
 フーヴァルは舌を鳴らした。 
「なら、俺が口を挟むことじゃねえけどよ」 
 ソーンヒルが両手を合わせた。 
「そう言ってくれて嬉しいよ、スカイワード殿。だが僕が思うに……付き添いは必要だ。いかにも腕っ節が強そうな誰かがね」 
 そして、フーヴァルを見る。 
「なんでだ? 興奮した導者どもに群がられて、服を剥ぎ取られるってのか?」 
「そこまででは」文部卿は笑いながら首を振った。「ただ……貴銀の族というのは、伝説よりも更に古い物語の、断片の中に辛うじて存在していた者たちだ。歴史を学ぶ者にとっては、スカイワード殿は自分を食ったり燃やしたりしようとしない、喋る竜に等しい。導者たちのほとんどは理性的なひとたちだが、激しい探究心を抑えきれない者も、中にはいる。少なくとも、かつてはいた。そう聞いた」 
 理解し切れていないので、その通りの顔をしてみせる。すると、彼は言った。 
「つまり……彼らがあなたの血や毛髪を欲しがらないという保証はない。ということさ」 
 フーヴァルはゲラードを見た。 
「だってよ、ガル」 
 ゲラードもフーヴァルを見た。 
「それくらいは、別に構わない」 
「安請け合いするんじゃねえ。イチモツをくれって言われたらどうすんだ」 
「そうなったら、君が止めてくれるだろ」ゲラードは微笑んだ。 
 フーヴァルは盛大なため息をついた。その通りなのが、本当に腹が立つ。 
 
 カルナバンに足を運ぶ用などなかったので、フーヴァルが大学の学舎を目にしたのはそれが初めてだった。エリマス城や、あるいは海事庁のような建造物を想像していたのだが、大学は予想とは違っていた。 
 簡単に言えば、馬鹿みたいにデカい貴族の屋敷が五、六軒ほど並んで立っているような場所だ。塔、円蓋の館、無数の窓を持つ多層の建物、柵で仕切られた空間。詳細はともかく、目に映る全ての建物が何らかの役割を持っているのはわかった。焼け焦げた石柱が立つ広場だとか、赤い煙を吐き出す妙な形の炉もある。硝子製の円蓋を持つ建物には、どうやら植物が詰め込まれているらしい。防衛の必要はないと考えられているのか、敷地を取り囲む壁は見当たらない。 
 自分も含め、学問を志す者に悪人はいないと思いがちなソーンヒルのような手合いが、ここに何千人も居るのかと思うと妙な気分がした。 
「これじゃ、誰でも自由に出入りができちまうじゃねえか」 
 フーヴァルは誰にともなく呟いた。 
「きっと、それで良いんだろう」ゲラードが言う。 
「お気楽すぎやしねえか?」 
 自分たちが他国からこの国に招いたナドカたちが持つ、命の次に代え難い財産が情報だ。それをこうしてひとつ処に集めておきながら、それを盗んでくれと言わんばかりに無防備に晒しておくのは、今更ながらフーヴァルの不安を誘った。 
 現に、ここで行われた研究の成果として天の矛スローデが誕生したことを思えば、行きすぎた心配でもないだろう。 
「カルタニアの連中は、間違いなくこの大学を略奪の標的に定めてるはずだぜ」 
「心配には及ばんよ、フーヴァル・ゴーラム殿」 
 不意に聞こえた声に振り向くと、そこには髭もじゃの樽のような男がいた。質素な麻の長衣で覆われてはいるが、指の先まで漏れなく筋骨隆々の体つきをしているのはひと目でわかる。顔の半分以上を隠すこわい髭の毛先を三つ編みにまとめているせいで、大昔に緑海で暴れ回った、ウサルノの海賊のように見える。ただし、限界まで毒気を抜かれた海賊だが。 
 彼は大学の敷地を手で示して、言った。 
「大学の敷地には強力な結界が張られている。許可を得ていない者が立ち入ることはできないし、ここから何かを持ち出すこともできんようになっているそうだ」 
 ガタイに似合わず、彼の声は深く落ち着いていた。 
「そりゃ、安心だ」 
 フーヴァルが肩をすくめると、彼は目を細めた。 
「わしも、はじめにここに来たときはたまげたよ」 
「ゲラード・スカイワードです」ゲラードが手を差し出した。「あなたが、導者ナイェルでいらっしゃいますか?」 
 導者はその手をそっと包んで、「いかにも、いかにも」と言った。 
 つまりこの男こそ、ゲラードと話をすることになっている導者たちの代表者なのだ。 
「さすがの慧眼だ。わしの体格を見て導者だと見抜く者はそうおられませんぞ」 
 そりゃそうだろう。話が通じる相手だと見抜く奴がいるかどうかも怪しいと思ったが、フーヴァルは黙っておくことにした。 
 なんと言っても、今日の俺はただの付き添いだ。 
「あなたにも、お目にかかれて光栄だ。フーヴァル殿」彼はボサボサの眉と、陽気に盛り上がった頬の間で瞳を燦めかせた。「実は、妖精シーの話になると一昼夜語り続ける仲間がいるんだが──」 
 おい待て。イチモツを狙われるのは俺の方か? 
 本能的に逃げ道を探し始めると、ナイェルはよく響く声でハッハッハと笑った。 
「彼のことは遠ざけておいたから、安心していただきたい」 
 出会ってからまだ四分の一刻も経っていないが、このじいさんを好きになれば良いのか、嫌いになれば良いのかわからなくなりつつある。 
「立ち話もなんです。早速、我々導者の巣にご案内しよう。どうか気を楽にしてくださいよ。お互いに緊張があってはろくに話もできんから。そうだ! 景気づけに蜂蜜酒でもお持ちしよう──」 
 彼は快活に笑いながら、導者たちの集落へと二人をいざなった。 
 
「急ごしらえの家ですので、居心地は保証できませんが」とナイェルは言った。 
 集落に並んでいたのは、丸太作りの家々だった。この男が素手で引っこ抜いた丸太だろうかとフーヴァルは思った。 
「我々は大昔から、最低限の快適さのみを確保して勉学に励むというしきたりを守ってきました」その声には誇りが滲んでいた。「豊かさを望めば、権力におもねることになる。そうすれば、やがて知識は歪められます」 
 集落を貫く通りを歩きながら、ナイェルは言った。 
 ここが唯一の通りだろうに、人の数は少ない。だが、何人かは小さな子供もいる。確か、導者は一生独身を貫くと聞いていたような気がしたのだが。 
 フーヴァルの視線に気付いて、ナイェルが側に寄ってきた。 
孤児みなしごたちです」彼は声を落として言った。「〈アラニ〉の周辺には、親を亡くした子が本当に多かったのですよ。人とナドカの別を問わず」 
「彼らも、ゆくゆくは導者に?」ゲラードが尋ねると、ナイェルは首を振った。「それは彼らが大人になったときに決めさせます。十人のうち一人は残ることを選びます。わたしも、そうして知識を継承したものの一人です」 
 そうこうしていると、ナイェルの家に着いた。導者の代表なのに、家の造りは他の者たちと何ら変わりがない。 
 低い戸口を潜るように中に入ると、中は思ったより広く、そして温かかった。 
「さあ、どうぞ。どうか火の側に」ナイェルは言った。「仲間を呼んで参ります。あなたがたの血や臓器を欲しがったりしないように、厳重に注意してありますから心配はご無用」 
 冗談か本気か測りかねていると、ナイェルは笑った。「冗談ですよ! 先々代までの導者たちならいざしらず──みな真っ当な連中です。もっとも、世俗を離れた暮らしが長いのは否めませんが」 
 そして、戸口を潜って出て行った。 
 ややあって、ナイェルは三人の導者と、一人の見習いを引き連れて戻ってきた。 
 三人の導者は、それぞれオラメル、サイロン、グラムラナと名乗った。どの言語のものともわからない、耳慣れない名前ばかりだ。老齢にさしかかっている彼らの身なりも質素だ。彼らはこの粗末な小屋と、できすぎじゃないかと思えるくらいよく馴染んでいた。まるで古びた本や巻物のように……なんというか、乾いている。 
 彼らに比べると、見習いの導者だというイヴランには水気が残っていた。ゲラードより少し若いか、同じくらいの歳に見える。巨大な木枠の眼鏡がなければ、そこそこの美男子で鳴らしたかもしれない。彼が小屋に入ってきた瞬間からその目はゲラードに据えられていた。驚きと賞賛の視線。フーヴァルは一目で、この導者見習いには警戒すべきだと感じた。 
 ガルのイチモツを寄越せって言い出す奴がいるとしたら、あいつかもな。ただし、それが研究のためなのかどうかは怪しいところだが。 
「イヴランは見習いです。しかしながら、我々の中では二番目に、貴銀しろがねうからに詳しい導者です」 
「一番目は?」 
 ゲラードが尋ねると、ナイェルの表情が僅かに翳った。 
「カルヴォと言います。しかし、病の床に伏しているのですよ。もう数日と保たんでしょう」 
「それは……お気の毒に」 
 イヴランが言った。「お師匠は、このエイルの地を踏めて喜んでいました。きっと安らぎのうちにゆけるでしょう」 
 ゲラードが労りの籠もった眼差しでイヴランを見る。見習いはわずかに頬を赤らめ、恐縮するような……それでいて昂揚するような表情を浮かべた。 
 フーヴァルはこっそりと天を仰いで目を回した。だから嫌だったんだ。これ以上ゲラードがこの男を骨抜きにする前に、さっさと終わりにしちまいたい。 
「日が暮れるまでには返してもらえるんだろうな」 
 フーヴァルが言うと、ナイェルが大きな声で笑った。体がデカいせいか、声もやたらとデカい。 
「そうですな! さっそく本題に入りましょう」 
 知識の宝庫と言うからには、彼らの家にはさぞかし膨大な量の本や巻物があるのだろうと思っていたが、そうではなかった。新たに加わった導者たちも、書き付けに使う紙切れひとつ持っていなかった。その理由を、ナイェルが説明した。 
「知識の流出を防ぐため、記録は最小限に留めてあります」 
 そして、彼はひとつの巻物を開いて見せた。小蠅ほどの小さな文字がびっしりと並んでいるが、どれだけ目をこらしても読み取ることができない。 
「導者のみに伝わる古代文字で書かれているのですよ」 
 甲羅のない海亀を彷彿とさせる、サイロンという名の導者が言った。 
「ひと文字に多くの意味を含んでいます。この巻物ひとつに、本にすれば五十冊分の知識が収められている」 
「それはすごい」思った通り、ゲラードは目を輝かせた。 
「なんで知ってることを隠す?」フーヴァルは口を挟んだ。「導者ってのは、知識で導くのが役割なんだろ」 
 ナイェルは重々しく頷いた。「我々の務めは、知識を蓄えること──そして、それを正しく用いることです。古の言い伝えの中には、この世界に均衡の変化をもたらすようなものもある」 
「例えば、エイルの瘴気の晴らし方とか?」 
 ナイェルの急所を突いたらしい。彼がうつむくと、口元が髭に埋もれた。 
「そう。その通りです」彼は言った。「ガランティス──マルヴィナ・ムーンヴェイル。我々の祖が〈アラニ〉に保護を求めたときにはまだ、彼女は本性を現してはいなかった。それが、時が経つにつれ……」 
「彼女の追求は、熾烈だった」グラムラナが、しわがれた声で言った。「拷問まがいのことをされたものもいれば、正気を失うまで幻惑されたものもいた。私の弟子も、そうして自ら……命を絶った」 
 サイロンが、彼女の背中にそっと手を置いた。その様子をみて、ナイェルが言葉を引き継いだ。 
「我々が〈アラニ〉からの離脱を望んだのには、こうした理由もあったのです。〈アラニ〉は、我々から有益な情報を搾り取れると知ってしまった。瓦解しかけた〈アラニ〉に我々が留まればどうなっていたか」 
 ふうん、とフーヴァルは言った。「俺たちもあんたらから情報を搾り取ろうとしているんだが、それはかまわねえのか?」 
 ナイェルは少し驚いたような顔をして、それからまた馬鹿でかい声で笑った。 
「確かに!」彼が身体を揺らして笑うと、ちょっとした紙切れなら吹き飛んでしまいそうになる。「だが今回は、わしらも得るものはある。そうでしょう? わしは、これを取り引きだと考えておるのです。等しい価値を持つ情報を交換するのですよ」 
「すなわち、僕のことについて」ゲラードが言った。 
「イヴランは間もなく一人前の導者となります。貴銀しろがねうからであるあなたを知己として得ることが、我々への何よりの報償だと思って頂ければいい」 
「もちろん、研究の対象としてだけではなく、友人になれたら……光栄です」イヴランは慌てたように口添えた。 
「それは僕からもお願いしたい」ゲラードは言い、にっこりと笑った。「よくわかりました。僕にできることなら何なりと」 
 意図せずして場が丸く収まる手助けをしてしまったらしい。フーヴァルはフンと鼻を鳴らした。 
「これはなんについて書かれている巻物ですか?」ゲラードが巻物に視線を戻した。 
「実は、分類などはなされていません。読む者は、どの巻物の何処に探し求める知識があるのかを記憶しておかねばならないのです」 
「不便ではありませんか?」 
 サイロンはゆっくりと頷いた。 
「確かに不便ですよ。しかし、知識を分類してひとつ処に集めますとね、他のことを学ぶ労力を惜しむようになります。着想は魚、知識とは網のようなものなのですよ。網の目が多ければ多いほど、小さな魚を逃さず捕らえられる」 
 ゲラードの顔を見るまでもなく、フーヴァルにはわかった。いま彼の瞳には銀の星が弾けているだろう。導者たちは押し殺しきれない好奇の眼差しで、ゲラードの顔を見つめていた。 
「さて。神の誕生について、ですな」 
 ナイェルは火の側に置かれた机に巻物を拡げると、三角柱の石を文字の上に載せた。すると、石の表面に巻物の文字が大写しになった。 
「これは拡大石です。わしらは誰も彼も老眼なもので──」そう言って笑うと、彼は巻物の上で石を滑らせた。 
「残念ながら、神の誕生ほど古い知識を語れるものは、我々の中には居ません」 
 フーヴァルは、ゲラードと顔を見合わせた。驚いた顔をしてはいたが、ゲラードはまだ、可能性を手放してはいなかった。 
「けれど、別のことを教えていただける?」 
「ええ。神の誕生が行われる場所について」 
 ゲラードの横顔が変わった。弓に矢をつがえ、射貫く的を見据えるような顔になった。 
「どうかお願いします」 
 ナイェルは頷き、他の導者たちも頷いた。静寂に支配された小屋の中に、深く息を吸い込む音がする。全員の集中は、一点に注がれた。ナイェルの声に。 
「あなたがたははざまの領域に赴いたのでしたな。妖精──人魚セイレーンの導きによって。本来、人間はあの領域には立ち入ることができないはずなのです」 
 そう言って、イヴランに目配せをする。彼は頷いて、話を引き継いだ。 
「ただし、貴銀しろがねうからは別です。彼らは金属の身体を持つとも言われています。金属は熱すると液体となり、どんなものにも形を変える。そうすることで、常人が至ることのできない領域にまで旅をします。その領域のひとつが、硲の領域であり……そこは、精霊の住む領域なのです」 
 ゲラードは頷いた。 
「精霊たちは神出鬼没ですが、彼らにとっての居心地の良い場所というものはある。洞窟や祠、岩の割れ目や木の洞といった、閉ざされた空間です」 
「あの洞窟の壁──」ゲラードが呟いた。「父がいたあの場所にも、精霊の痕跡があった」 
「話は伺っています。そこには死というものが存在しなかったと」 
「ええ。僕の父のもの以外は」ゲラードは言った。 
「精霊の住み処は、増殖の行われる空間です。死者の領域であると同時に、生命の貯蔵庫でもある」イヴランは巻物に並ぶ不可解な文字に時折視線を移しながら説明した。「時間の法則は失われ、過去と未来とが同時に存在する」 
 そういえば、シドナも似たようなことを言っていた。そういう滅茶苦茶な世界だったからこそ、ゲラードは父親の姿を見たのだろう。 
「神は、そこで生まれます。硲の領域で」ナイェルが言った。「正しくは、硲の領域に赴いた貴銀しろがねうからが、この世界に神をもたらすのだと言われています」 
 フーヴァルは、ナイェルの顔を見つめ続けた。視線を動かさなかったのは、ゲラードが今どんな表情をしているか、見るのが怖かったからでもある。 
「僕は、そこへ行き、戻った」ゲラードが言った。「いま世界に起きている異変は、もしかして──」 
「そうではあるまいて」 
 それまで口をつぐんでいたオラメルが言った。だが、彼はそれ以上は語らなかった。かわりに、イヴランが言った。 
「一口に硲の領域と言っても、その実情は様々なのです。森をさまよううちに、気がついたら迷い込んでいるような場所もあれば、何百年ものあいだ聖域として守られている場所もある。そこで行われる営みも多岐に亘るようです。バリェーナ島には、神を生み出す役割はないように思います」 
 ゲラードの肩から、僅かに力が抜けた。 
「そうですか……」 
 すると、導者たちは顔を見合わせ、なにやら無言でうなずき合った。 
「ひとつ伺いたい」ナイェルが言った。「神の誕生についての真実を知ったとき、エイルの王たちはどうするおつもりなのでしょう」 
 導者に課されている使命は、知識を正しく用いること。 
 彼らが知識の番人なのだとしたら、フーヴァルとゲラード、ひいてはヴェルギルとクヴァルドは今、彼らが守る門の前に立って審問をうけているのだ。 
 フーヴァルはゲラードを見た。その横顔に浮かぶ表情を見た。 
「それは、まだわかりません」彼は言った。「ですが、これだけは確かです。シルリク陛下もフィラン陛下も、何かを陥れ、害するために知識を使うことはないでしょう。それをご承知だからこそ、あなた方はエイルに保護を求めた。違いますか?」 
 古びた蔦のような眉毛の下にあるナイェルの目は、微動だにせずゲラードに据えられていた。彼はそのまま、じっとゲラードを見つめていた。そして瞬きをして、長いため息をついた。 
「その通りです」ナイェルは言った。「その通りだが──あなたの口から、それを聞きたかった。確信を得るために」 
 彼は微笑み、もう一度仲間たちと頷き交わした。 
「ではこれから、最も価値のある知識をお伝えしましょう」 
 今度はゲラードとフーヴァルが、互いの顔を見交わす番だった。 
「価値のある知識?」 
 ナイェルは頷いた。 
「古の記憶を持つものの居場所です。神の誕生について語れるものがいるとしたら、その者以外には存在しますまい」
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