恋するクロネコ🐾

秋野 林檎 

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18枚の母の人生

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何度も寝返りをうったが、なかなか寝心地の良い位置を決めきれず、結局、仰向けになり、薄暗い部屋の中、俺は天井を見つめ、そして待った。だが眠りは一向にやって来なくて、諦めて枕元に置いていたリモコンで部屋の明かりをつけ、リモコンの横に置いていた報告書へと目をやった。

知りたい、知らなければならないとまで思っていたのに…迷っていた。

花音のおばあちゃんから聞いて、あの人が何も言わないのは、父さんも母さんもいない今、24年前に3人の心の中に溢れた思いは、きっとどういう形であっても、上手く言えないと思っているのだろうと…。

それは母さんの恋を、父さんの恋を、そして、あの人…松宮さんの恋を、文字として表現できないものだとも思えたからだ。

きっと、24年前の3人だけしかわからないと思う。
だが、俺が生まれできた理由は、これしか知り得る事ができないのも事実。

真一から受け取った封筒を手に取り
「母さん、見せて。母さんがどんな思いでいたのか…やっぱり俺は知りたい。」


手に取った封筒のその中は、A4の書類、僅か18枚に纏められた、母さんの人生の一編があった。


秋月 美鈴【旧姓】 黒峰 美鈴
昭和47年(1972年)7月16日、福岡県福岡市中央区桜坂1丁目3の15。
父、黒峰 高志、母、祐美の長女として誕生。
父、黒峰 高志は、黒峰工務店を経営。




俺はパラパラと捲リ、飛ばしていった。知りたいところだけ…それ以外は見てはいけない気がしたからだ。
どこかで、母親の過去を知らべるという行為に、後ろめたさを感じていたから…。



―平成3年(1991年)4月、〇〇大学にて、秋月 裕樹、松宮 和也の両人と知り合う。松宮 和也氏との交際は多くの人の証言から、大学2年の頃と思われるが、秋月 裕樹氏3人で行動していたため、はっきりとはわからない。


―当時同級生だった、吉田 巧さんによると

あいつら、ほんとに仲が良かったですよ。

どんな人達だった?…と言われると…そうですね。ミネは…あっ!ミネって黒峰 美鈴のことですよ。第二外国語が、あいつら3人はフランス語だったんですけど…ミネ(minet )ってフランス語で猫を可愛らしく呼ぶ言い方らしいですよね。catをpussyと呼ぶ感じですよ。その愛称がぴったりの女性で…えっ?猫みたいに気まぐれで、つかみどころがないから、そう呼ばれていたのかって?
とんでもない!彼女って、あんなに美人だったのに、全然気取ってなくて、明るくて親しみやすくて、ミネに焦がれる奴らは結構いましたよ。ほら、名前からですよ、くろみね(黒峰)の峰(ミネ)から取ったんですよ。

ほんと、イイ女でしたね。
でも、ナイトが2人もいては近づけませんでしたが、それもイイ男が2人ですからね。
秋月は正統派のイイ男で、松宮は良いところのボンボンのくせに、ちょっとワイルドで…。
あの3人だけが、別世界のように見えましたよ。




ミネ(minet )…ってフランス語で猫を可愛らしく呼ぶ言い方…。

黒…ミネ…か。

俺はまた数ページ捲った。そのページはスーパーの店員をしていたと言う女性の話だった。



―黒峰 美鈴さんが妊娠に気がついた頃に、スーパーに一緒に勤務していた新田 久子さんによると

えぇ、覚えていますよ。若くて綺麗な人でしたよね。でも妊娠中だとは知らなくて、かなり無理な仕事を頼んじゃったりして…でもまさか妊娠していたなんて思わないじゃないですか。だんだんお腹は大きくなるし、でもご主人はいないし、あの人ってなんか訳ありの女じゃないかと評判でしたよ。でもね。あの人、明るいのよ。陰口は聞こえているはずなのに、いつもにこにこしてて…だから、あたし堪らず聞いちゃったんですよ。
旦那いないの?ひとりで子供を産むつもり?って、そうしたら、何を言われてもにこにこしていたあの人…泣いちゃって、マズい事言っちゃったと思っていたら、あの人、ポツリと…

この子を産むことで、いろんな人に迷惑をかけるかもしれないけれど…好きな人の子供だから、どうしても産みたいと言って、泣き出して。


俺の手が止まった。
好きな人の子供だから…?
人じゃなくて、人の子供…?

次の行へと、目をやると

子供の父親は、良いところのボンボンだったらしいわね。付き合っている時に、そっちの親から相当言われたらしいの。うちの家に、あなたみたいな女を入れる訳にはいかないとか言われて、それでも別れなかったから、お父さんの会社に圧力をかけられたりと大変だったみたいよ。そこで、友達が助けてくれたらしいの。


父さんと惹かれあっていることに、気がついた松宮さんが…身を引いたのではなくて…もしかして…母さんと父さんは惹かれあっている芝居をした?

母さんは松宮さんが好きだったから、俺を産んだ?



―(補足)当時、黒峰 美鈴さんと関わりあった人からの聞き取り調査、また戸籍によって、下記のことがあったと思われます。

秋月 裕樹氏と黒峰 美鈴さん入籍は、当初1995年に入籍したと思われていましたが、戸籍上では1997年3月10日に入籍となっておりました。なぜ、1995年に入籍したことになっていたかは不明。ただ同時期に松宮 和也氏が入籍されたことと関係があるのではないかと思われますが、松宮家への調査は出来ませんでした。



―あらためて、新田 久子さんに尋ねたところ

1997年1月3日(初売りだったため、月日は間違いないとのこと)、初売りで店内が混んでいたんですよ。レジがいくつも開いて、もうそりゃ大変だったの。その中のひとつをあの人がやっていたんですけど…あの人のレジに並んでいた中の若い男性が、自分の番が来たら、あの人の手を取って(ミネ!逃げるな!俺が守ってやるから来い!)言って、店内から連れ出そうとしたんですよ。彼女は(ほっておいて!)と叫んで…そうしたらあの若い男性が叫んだのよ。

(昔からずっとミネが好きだった!だからミネを守りたい!)って、あれはおばちゃん達の胸にも響いたね。
彼女が茫然としたのは当たり前だけど、告白した男性の方も茫然として…おかしかったわよ。きっと、あの男性は彼女への気持ちを隠しておこうと思っていたんじゃないかしら。
なのに思わず(好きだ!)と言っちゃって…自分で言ったくせに驚いて、可笑しかったわ。
でもね。あの茫然とした顔を見たら、あぁ、この人は本当に、彼女が好きなんだなぁと思えてね。あのイイところボンボンより、彼女を幸せにしてくれると思ったわ。

あれから、どうなったかって?

もちろん聞いたわよ。そうしたら、もう真っ赤になって結婚しますって、あの時は、もうみんな大騒ぎだったわ。


―(補足)
新田 久子さんの話から、黒峰 美鈴さんと秋月 裕樹さんの間には、1997年1月3日の時点まで男女の付き合いはなかったと思われます。おそらく、松宮家の圧力に耐え切れなかった黒峰 美鈴さんが、友人の秋月 裕樹氏に相談をする様子を見た松宮 和也氏が、もともと秋月 裕樹氏の黒峰 美鈴さんに対する気持ちに気付いて事もあり、勘違いをして去ったのか、あるいはそう勘違いさせるように黒峰 美鈴さんと秋月 裕樹氏がやったのか、おふたりの死亡により確認は出来ませんが、黒峰 美鈴さんと秋月 裕樹氏との男女の付き合いは、1997年1月3日まではなかったと思われます。


母さんは…少なくとも父さんと結婚するまでは…あの人、松宮さんを愛していたんだ。

松宮家の反対で、松宮さんと結ばれることを諦めた母さんだったけど、でも松宮さんを愛しているから、俺を産んだんだ。そしてそんな母さんを、父さんは2年もの間探すくらい、母さんを愛していた。


そんな父さんを…母さんは好きになったんだ。

その後ふたりを俺は知っている、ふたりは本当に仲が良かった。



(翔太は、サッカーの才能がある!将来はW杯だ。父さんを連れて行ってくれよ!)

2歳の子供に、サッカーの才能が有無などわかるはずもないのに、父さんはよく俺を自慢していた。そんな父さんを母さんはいつも笑って(何言ってるの?)と言っていた。そうだ…俺は…こんな大事なことを忘れていた、俺は間違いなく、母さんにそして父さんに愛されていた。

こんなに仲の良い親子3人で、松宮さんと顔を合わせることができていたら、俺を友人の息子と疑いもしなかっただろうな。

もし…顔を合わせていたら…か。

そうだったら、最初はぎこちない笑みを浮かべていても、友情から始まった3人なら、だんだんと本当の笑みに代わって行き、そして大学時代の出来事は青春だったよなぁと、3人はほんの少しの苦さと、輝くような日々を懐かしく思っていた気がする。

だが…すべては俺の夢。そうであって欲しかったと願う俺の夢。

何もかもが今更だが、そう思ってしまうくらい、父さん、母さん、松宮さんの思いが少しだがわかる気がした。

この10数枚の書類は…教えてくれた。
母さんが松宮さんを愛したから、俺が生まれたという事を。
父さんが母さんを愛したから、そして母さんが父さんを愛したから、ふたりの温かい優しさに包まれて、こうやって育つことが出来た事を。


松宮さんはおそらく、じいちゃんから1年前、俺の出生を聞いてから調べたはずだ。
だからきっとこの事実を知っているだろう。

松宮さんは純粋に母さんを愛して、ふたりの将来を夢見ていた、若かったとはいえ、あの時自分の家の大きさに、格式に拘る両親がどんな行動に出るのか、予測できなかった自分が許せないから…俺の責める言葉に反論しなかったんだ。
すべては自分が悪いと思って、自分の家族を傷つけるとわかっていても、真実を明らかにし、俺を保護する事が…。

24年前、愛した母さんと、父さんへの友情の証だと思ったのかもしれない。




俺は…布団を被り…泣いた。

24年前、大学のキャンパスで、3人の男女が笑っている姿を思い浮かべ…俺は泣いてしまった。
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