恋するクロネコ🐾

秋野 林檎 

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花音のおばあちゃんの話。

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茶色いソファを、ぬいぐるみの集団が占領しているリビングは、いかにも花音の家って感じだ。「花音はもう~!」と言いながら、おばあちゃんは片付け始めたが、その様子を見ていたら心がほんのり温かく感じた、花音の周りは温かい、物もそして…人もだ。俺の一番の理解者の真一、さっき俺を見るなり、涙ぐんだ花音のお母さん、さっきから風邪よと言いながら鼻を啜り、目を擦る花音のおばあちゃん。


11年前、砕けた俺の心のピースをひとつ、ひとつ合わせてくれた。
その温かさの源・・・花音


幸せは見えるものではないが、でも君を通してなら、幸せという形が見えるような気がする。



俺がそんなことを考え、ほんのり温かくなった心を、噛み締めていたら、茶色いソファを占領しているぬいぐるみの集団の一部が、片付けられていることに気がつき、慌てておばあちゃんを見たら、にっこり笑ってソファを勧められ、俺はなんだか恥ずかしくなって、ただ頷き片付けられた茶色いソファに腰を下ろした。

おばあちゃんは、俺が腰を下ろしたのを見て、自分もゆっくりと腰を下ろし、

「翔太君、取り敢えず、話を聞いてくれる?」

「話ですか…?」

「秋月さんを亡くして、心細いこんな時にと、人から言われそうだけど…今、言わないと、翔太君と松宮さんの関係は捻じ曲がったままだと思うの。だから辛いとき、本当にごめんなさい。もう私しかこの話をできる人はいないと思うから…」

(あとでねぇ。)と言っていた、あの人と花音のおばあちゃんとの関係のことだ。

「翔太君のお母さん美鈴さんと、翔太君のお義父さん裕樹さん、そして松宮さんは、大学の同級生だった事は知ってる?」

俺は、おばあちゃんがなぜあの人を知っているのかという話だと思っていたので、意外な話の滑り出しに呆然とした。
3人は同級生…だった?でもあの人と母さんが写っていた大学の頃の写真には…父さんは写っていなかったが…。

「知らない見たいね。この話は翔太君のおじいさん、秋月さんが、一年前、癌だと宣告されたときに、私に話してくれたの。」そう言って、おばあちゃんは一口、コーヒーを口に含むと


「大学入学時は祐樹さんひとり、学部が違っていたけど、サークルで一緒になって三人はすぐに意気投合し、仲の良い友人関係になったと聞いているわ。」

あの写真は学部の人達と一緒の写真だったから、父さんは写っていなかったのか…。

「仲の良い友人関係が、どうしてこんなに複雑な関係にと思うわよね。ただ事実だけを順に言えば…。

祐樹さんが知り合った頃には、もう松宮さんと美鈴さんはお付き合いをしていたそうよ。
裕樹さんは、後で秋月さんに言ったらしいわ。
(知り合った頃から松宮が美鈴と付き合っていたのを知っていたのに…自分も美鈴を好きになるとは…。友人の恋人を好きになるとは…。)と、でもずっと隠していた。ううん、一生隠していくと祐樹さんは秋月さんにいっていたそうよ。

でも、皮肉よね。隠しながら友人関係を続けていた裕樹さんを、そして少しづつ裕樹さんに惹かれていく美鈴さんに、いちはやく気がついたのが松宮さんだったの。

松宮さんも辛かったと思うわ、当時、松宮さんは美鈴さんに卒業後結婚しようとプロポーズしていたんだもの。それくらい美鈴さんのことを好きだったのに、松宮さんは卒業するときに…美鈴さんに別れを告げたの。
惹かれあっているふたりから、身を引こうとしたのかもしれないわね。

松宮さんと別れてまもなく、美鈴さんと裕樹さんは結婚したの。だから松宮さんが美鈴さんを捨てたと言う話ではないのよ。そして松宮さんも、美鈴さんや裕樹さんの結婚と、そうかわらない時期に親の勧めで結婚されたの。」


俺は…わけがわからなかった。
父さんと一緒に暮らし始めたのは、花音達と知り合ったあのアパートからだ。
なぜ?結婚していたのなら、なぜ?一緒に暮らしていなかったのだ。
その疑問に、おばあちゃんは言いづらそうにして、なかなか口を開かなかった。

俺は、辛抱できず
「なぜ?2年ほど母さんは、ひとりで俺を育てていたんですか?」

と一気に言ったが、その瞬間…浮かんだのは…

俺が父さんの子じゃなかったという事実。

「翔太君、ごめん。どう話したらいいのかと考えてしまい、言葉を選ぼうとしたから…なかなか言葉が出てこなくて…。秋月さんからも言われていたのに…ほんと私って駄目ね。秋月さんは仰っていたわ。自分から話すつもりだが、もしそれができずに逝ったら頼みます。そして、その時は、3人の気持ちは、3人だけしかわからないことだから、飾る言葉で誰ひとり庇わないで、事実だけを翔太に言って欲しいと言われていたのに、ごめんなさい。」そう言って、おばあちゃんは頭を下げた。

俺は、頭を横に振って…小さな声で「そんな…」と唇を噛んだ。

おばあちゃんは唇を噛む俺を見て
「翔太君の疑問はわかってるわ。松宮さんと別れ、祐樹さんと結婚した美鈴さんがどうして、松宮さんの血を引く翔太君を妊娠したのか?と思っているのよね。」


俺はおばあちゃんから、視線を外し…俯いた。

結局、別れたのは形だけだったんだと思ったら、自分が薄汚れたように感じたからだ。

強く噛んだ唇から血が滲んだのだろうか、血の味がした。

…この血が…この血の味が吐き気を催した。


おばあちゃんは俺の手を握り
「翔太君、不倫じゃないわよ。」

「…えっ?」

意味が…分からなかった。
お互い別の人と結婚していたのに…俺が生まれたというのに不倫じゃない?
結婚後も会っていたという事じゃないと?

おばあちゃんは微笑むと
「違うのよ、不倫じゃないの。美鈴さんが翔太君を身ごもったことに気が付いたのは、結婚してひと月足らずだったの。」

「…」

「裕樹さんの子供じゃないとわかった美鈴さんは、ただあなたが愛おしくて、生むことしか考えられなかった。だから家を出たの。結婚していた松宮さんにはもちろん言えない。そして 自分を愛してくれる裕樹さんにも…。

そんな美鈴さんを裕樹さんは捜し、2年後ようやく見つけたのよ。翔太君がお母さんが不倫してできた子供と言われたのは…そこなのよ。籍は秋月裕樹の妻、でも結婚して、ひと月足らずで行方不明。そして2年後、見つかった時には子供いたということで、不倫をして…と周りから言われたのよ。

裕樹さんは、美鈴さんが消えた理由に気づいていたらしいわ、だから捜したのよ。ひとりですべてを受け入れた美鈴さんを、誰よりも愛していたから…ふたりで翔太君を育てようとね。
だから松宮さんは知らなかったの。美鈴さんとの間に翔太君が生まれたことも。

秋月さんも一生隠すつもりだった、でも自分の命が長くないとわかったとき、まだ17歳の翔太君をひとりにできなかった、11年前の翔太君を知っている秋月さんには、できなかったのよ。だから、1年前に松宮さんに連絡を取ったの。でもそれは父親だと認知してくれと言ったのではないわ。あの時私も秋月さんと一緒に松宮さんと会ったから、これは本当よ。翔太君が成人するまで後見人として、相談にのってくれという話だった。

祐樹さんが友人である松宮さんの人生も守りたいと思っていたから、翔太君の事を知らせなかったことをわかっていたから、秋月さんは松宮さんに無理な話を持っていきたくなかった。
そしてなにより、翔太君の気持ちを考えると、友人の子の後見人と言う立場でお願いしたいと思っていたの。

松宮さんだって、そういう秋月さんの気持ちは分かっていたと思っていたんだけど…。

…松宮さんはきっと自分が許せないね。だから、認知あるいは、養子という形でもいいから、翔太君を引き取りたいと言っているのかもしれないわね。翔太君、お願い、認知とか養子とかは一旦置いて、松宮さんとゆっくり話してみて」



話…なにを話せばいいのだろう。
十数年の間、何も知らずにいたあの人。
俺さえいなければ…あの人の家庭は、幸せだったのに…そんなあの人になにを話せばいいのだろうか…。

俺は、あの人を責める資格なんかなかったんだ。
母さんの妊娠さえ知らなかったあの人に。

俺は...
やっぱり生まれてくるべきではなかった。母さんは俺ができたせいで、2年の間身を潜め、愛する人の前から姿を消し、父さんはそんな母さんを捜しつづけ、ようやく幸せをかみ締めたのに、その月日はわずか4年。

俺さえいなければ…誰も不幸にならなかった。

頭の中に、その言葉だけぐるぐる回っていた。

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