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ミーナが公爵家にバックひとつで、現れたことを執事エパードから、騎士団の詰所にいた俺に連絡がきたのは、昼頃だった。



ーなぜなんだ、なぜ、俺がコンウォール家に行くのを待てない。
公爵家の婚約者がひとりで、バックひとつでやって来るなんて…ましてや、公爵家にはパメラがいるのだ。

なぜ、俺に頼らない!



そう思うと、無性に彼女に対して腹が立ち
「屋敷に戻るから、アーガイル副団長に伝えるように」と告げ俺は団長室を飛び出した。



急いで馬を走らせ、公爵家が見えた頃だった。
俺の頭をふとある思い過ぎった……。

ー偽りの結婚だから、彼女はどうでもいいと思っているのか?
俺は頼るべき男ではない…そういうことなのか?だから、軽装でひとりで来たのか?


そう思ったら、騎士団の詰所を出た勢いは、無くなっていた。
門の前で立尽くす俺の前に、使用人の誰かが知らせたのだろう、



エパードが驚いて現れたが、すぐに落ち着いたいつもの態度で
「旦那様、昨日からパメラ様は王妃様のお召しで王宮に行かれて、まだお戻りになられておりません…ご安心を。ミーナ様にもそのように申しますと、それならとフランシス様に先にご挨拶をと言われ、 今おふたりでお庭のほうにいらっしゃいます。」

「庭…?」

 ―庭?フランシスが?部屋を出ているのか?

俺は馬をエパードに預けると、庭へと歩き出した。

小鳥の声がする木々を見上げると、木々の間から零れる日差しが、キラキラと光の粒を撒いていた。 足元に咲く花が、俺のブーツに体を寄せながら、(どうしたの?)と言ってくる。
高い木々の間から顔を覗かせた白い花達が、久しぶりに庭をゆっくり歩く俺に、まるで(元気だった?)と懐かしげに声をかけて来るかのように、次々を舞い降りてきた。


自然と俺の口元に笑みが零れた…。



時間がここだけは、ゆっくりと流れているようだった。母上が、そして父上が亡くなってから、俺はずっと走っていたのだろうな。こんなに心が休まる場所があることを知っていたのに…忘れてしまうくらい俺は追い込まれていたんだ。

庭園内につくられた装飾的なこの小さな建物ガゼボの支柱に体を預け、眼の前で風に揺れる黄色い花に眼をやった。


母が生きていた頃、公爵家の庭園は四季折々の花が咲き乱れていた。
今も、エパード達が手入れをしていてくれるが、やはりあの頃とは違って華やかさは、少し翳ったかもしれない。だが、やはり…我が家の庭は美しかった。


風に乗って、女性たちのにぎやかな笑い声が聞こえた。



ふと、懐かしい思い出が過ぎった。
ノーフォーク王妃、マールバラ王妃、そして母上…幼馴染三人のお茶会…あの頃の庭園…。
幸せだった日々を振り返るのが辛くて、フランシスと同様、俺もこの庭には足を踏み入れることがなかなか出来なかった。


母が愛した庭だった、至る所に母の思い出があった。
このガゼボにも…。あの楠にも…。あの…花壇に溢れように植えられた花達の中にも…。この庭を愛した母の愛が、そして優しさがあった。



周りをぐるりと見渡す俺に、暖かい風が…頬を撫でていった。


「母上…長い間、独りぼっちにさせてすみません。」と自然とそんな言葉を口にしていた。



大きな楠を側を通る時、フランシスの後姿が見えた。あれほど外を嫌がっていたのに、ましてやこの庭は母が階段から落ちるきっかけとなった場所、その場所で妹が…そしてミーナが笑っている。
今はフランシスとミーナで、女性たちは変わったが、やはりこの庭園は女性たちの笑い声がよく似合う。 一際大きな笑い声が聞こえた、フランシスの声だ。そのフランシスの前で、身振り手振りを交えて話す……彼女が見えた。


時には男達を圧倒する厳しさと威厳を持ち、そしてある時は子供のような純真さと無邪気さを持つミーナ=コンウォール男爵令嬢。


彼女の姿を見て、また心がざわついた。
彼女への思いを恋だとまだ認めたくない複雑な気持ちと、彼女が俺に言えない秘密がなんなのかと…胸の中で渦巻く。


じっと見つめていた俺にいち早く気づいた彼女は、やさしく微笑んだ。

「お兄様?!」フランシスは突然現れた俺に驚いたようだったが、明るい笑顔で手を振ってきた。


フランシスは、俺に早く話したかったのか、俺の顔を見るなり早口で

「ミーナ様がお庭に行こうって…本当はすごく怖かったの、でもね、ミーナ様が‥‥」
と言ったフランシスの目にうっすらと涙が浮かんだが、ぱちぱちと瞬きをして堪えたかと思ったら、にっこり笑って、でも少し震える声で

「ミーナ様が、あのコスモスはもう咲いていないけど、ここでお母様とコスモスを植えた思い出は、ずっと残っていますよ。だから、ここでお母様に私を紹介してくださいって言ってくださったの。嬉しかった…。」


そうか…彼女も、感じてくれたんだ。この庭にある母の息吹を…。

俺は頷きながらフランシスから、ミーナに視線を移した。

フランシスの言葉にミーナの眼は潤み、そして…「…フランシス様…」と言った声は震えていた。



フランシスは、泣いたことが恥ずかしかったのか、少し下を向いて照れたように
「ミーナ様は、ほんとに素敵な方、さすがお兄様が選ばれた方ですね。」


真っ赤になった彼女の視線が、(恥しいです。助けてください。)と言って俺に向いた。
彼女の眼が…緑色の瞳が…俺を見ていた。だが一言も話さない俺に戸惑っているのだろう。彼女の緑色の瞳は、不安そうに揺れだした。


その緑の瞳に俺はどう映っているのだろう。

彼女はこの結婚は国の為にと言った。俺もそう言って約束した。
これは偽装結婚。偽りの愛。

だが…揺れている緑の瞳が愛おしいと思う。
この震える唇からたとえ偽りであったも、愛の言葉を聞きたいと思う。



…もう、認めるしかないな。彼女が隠すものが俺の心を切り裂くものであっても、俺は…



「ミーナ…」と呼んでそっと手を引き、抱き寄せると、俺の胸に飛び込んできたような形になった彼女は、とっさに俺の胸元の服をつかみ、驚いて眼を丸くしながら俺の顔を見上げた。


俺はずるい。フランシスがいるこの場なら、彼女は拒めないとわかっている。
これはお芝居だと彼女は思っているから、だから彼女の気持ちはここにはない。
それでも俺は今言っておきたい。俺の大事な母と妹の前で、この人が俺の好きな人だと。


震えている華奢な体をより強く抱きしめ…彼女の耳元に唇をよせた。
これも偽造結婚の為のお芝居だと思っている君には届かないだろう、でも言わせてくれ。

 

「愛してる…。」




俺は…。


何れ女王として立つエリザベスを命を懸けて守れる男になりたかった。
だが俺は何もできないままエリザベスを逝かせてしまった。そのことがずっと俺の心にあった。だからもう大切な人を作ってはいけないと思った。それがエリザベスへの贖罪だと思ったんだ。

いいだろうか…エリザベス。

君を守るために使うと誓った俺の命、他の女性のために使うことを、君は許してくれるか?


赤い髪が風に揺れ、そして俺の頬を通りすぎる時

「アークのその生真面目さは相変わらずね。」と笑うエリザベスの声が聞こえた気がした。




「お兄様が!お兄様が…驚いたわ。」

と言って騒いでいるフランシスの声を聴きながら、俺は目を瞑った。

彼女を見る勇気がなかった。

俺の言葉をどう思ったのか恐くて見れなかった。




だから、気づかなかった。





彼女が、俺の腕の中で青ざめていたことに… 。

 
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