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後日譚
華美(かび)の祭典 1
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雪は黄城にある黄帝陛下に謁見を申し入れた。今では両陛下の私的な住まいとして金域に移築された寝殿ーー光輪の御殿で黄后陛下である朱桜の世話を担っているが、黄城に出向くことは稀である。
守衛に案内されて通路を進んでいると、向こう側に黒麟である麟華の姿があった。人型に変幻して天界に則った略式の衣装を纏い、雪に気づくと真っ直ぐこちらに歩み寄って来る。
後頭の高い位置で結われた癖のない黒髪が、颯爽と歩く麟華の調子に合わせて左右に振れた。
「麒華様、お久しぶりです」
雪が頭を下げると、立ち止まった麟華は珍しいモノを見るように目を丸くした。
「どうしたの? 玉花の姫君。何か悩み事?」
麟華は守衛に退がるように促すと、ぽんと雪の肩を叩いて笑う。
「ここからは私が案内するわ」
「え? でも、お忙しいのでは?」
「まぁね。でも、久しぶりにこちらに顔を出したついでだし、少しぐらい大丈夫よ」
「ありがとうございます」
「ちょっと、もう誰もいないわよ。そのよそよそしい感じはやめて」
本来であれば、雪が黄帝の守護である黒麒麟に馴れ馴れしく接することは許されないが、闇呪が黄帝の座につくまでの経緯や、未熟な鳳凰の変わりに朱桜の世話を任されている立場から、互いに友人のような親しみが芽生えている。
「はい。では、陛下の元までお願いします。でも麟華がこちらにいるのは珍しいですね。まさかお会いできるとは思っていなかったので、少し驚きました」
「たまには主上の顔を拝んでおかないと」
異界の天宮学院に関わる業務を、現在は黒麒麟の二人が担っているようだ。当初は両陛下の役割だったが、天地界の視察や執務との兼任はあまりにも負担が大きく、見かねた黒麒麟が強引に交代した成り行きがある。
「それで? 聡明なことで有名な玉花の姫君が、険しい顔をして陛下を訪ねる理由は何なの?」
「実は大兄から、華火の祭典に関する裁可がまだ金域から出ないのかと聞かれて」
「華美の祭典? たしかに期日が迫ってきているわね」
地界の中央には四国の重要な水源となる大きな湖ーー祭湖がある。天地界の疲弊が続いていた時期には開催されることがなかったが、活気を取りも出した今、人々も華やかな催しを欲している。
地界の高まる欲求にこたえるため、今期から華美の祭典ーー祭湖で行われてきた催しを復活させることになった。
現在は各国の王にかわり、後継者が準備を進めている。祭湖自体は四国にまたがっているが、湖岸と水辺を提供するのは透国である。雪の兄皇子である白虹が主導していた。
「私が大兄からの文書を、直接陛下にお取次ぎすれば良かったんですけど、陛下は地界を視察に回られていたので、文官に託したのですが……。でも、あれからかなり時間が経っていますし、どうなっているのか心配になって」
「ーーそうね。届いているなら、主上が見落とすことはないと思うけれど……」
二人で黄帝の執務室へ向かうと、慌ただしく人が出入りしている。麟華が「おや?」と言いたげに眉を潜めた。
「おかしいわね。さっきまでこんなことはなかったのに」
麟華がさらに歩を進めると、彼女の存在に気付いた者たちが一斉に頭を垂れた。黄帝の守護である麟華は、天地界では天帝に次ぐ地位を持っているに等しい。恭しく振る舞う人々に麟華はすぐに言葉を投げる。
「私のことは構わず、為すべき事に従事してください」
彼女の声で、再びわらわらと人が動き始めた。麟華は何のためらいもない様子で、黄帝の執務室に足を踏み入れる。雪も遅れず後に続いた。室内を進むと、見たことのある文官と黄帝である闇呪が、奥の卓を囲むようにして深刻な面持ちで何かを話していた。
「主上、この騒ぎはいったい何事ですか?」
「麟華。まだ黄城にいたのか」
緩やかな癖をもつ闇呪の黒い頭髪が、雪の眼に鮮烈に映る。以前は恐れていたが、今となっては艶やかな漆黒を美しいとさえ思う。闇を纏っても、黄帝の端正な振る舞いや美貌が損なわれることはない。雪がそっと嘆息をつくと、闇呪は素早く席を立ってこちらにやって来た。
「玉花の姫君も一緒か?」
雪は作法に則って、闇呪に一礼した。
「いったい何があったんです?」
麟華がもう一度問うと、闇呪がふうっと大きな息をついた。
「どうやら、裁可すべき文書が紛失しているようだ。期日の迫っている物もあり、今確認を急がせている」
「文書が持ち出されたということですか?」
雪が思わず声をあげると、闇呪が困ったように頷いた。
「人の出入りについても調べさせているが……」
「でも主上、出入りといっても、この執務室を自由に出入りできる者は限られているではありませんか」
「ーーそうだな」
二人には既に予感があるのだろう。雪がさっと血の気の引く思いで咄嗟に平伏した。
「私がお二人をきちんと見ていなかったせいです。お叱りは私が受けます」
「いや、違う。姫君。顔をあげなさい。鳳凰を縛る法が天界にはまだない。そんな二人の御守りを任せている私達に責がある。これは姫君のせいではない」
「そうよ、姫君のせいじゃないわ。とりあえず、私が二人を呼びます」
麟華が天を仰ぐようにして咆哮する。けれど、雪の耳に声が響くことはない。麒麟の持つ特殊な音階で吠えているのだろう。
黒麒麟の咆哮のあと、しばらくすると執務室に見慣れた輝きが現れた。くるりとした癖のある金髪が素性を表している。小柄な二人が嬉しそうに駆けつけた。
「麟華! 戻ってたんだ!」
「おかえり!」
黒麒麟に飛びつく鳳凰を見ながら、闇呪が背後の文官に何かを耳打ちする。途端に執務室から人が引いた。どうやら人払いをしたようだった。
闇呪と麟華、鳳凰と雪だけになった執務室で、鳳凰が無邪気にはしゃいでいる。雪は複雑な気持ちでため息をついた。同時に執務室に黄后である朱桜が遅れて顔を出した。
黄帝の寵愛を一身に受ける相称の翼。結われた豊かな金髪は、まるで燐光を放っているかのように輝いて見える。身を飾るように朱桜の動きに合わせてゆるく光が反射する。
「陛下、失礼いたします。あの、こちらに鳳凰が……」
「朱桜。ちょうど良かった」
闇呪が迎えると、執務室の様子を見て朱桜がぱっと顔を輝かせる。
「麟華、戻っていたの? 玉花の姫君も来ているし。それで二人が突然出て行ったんだね」
「ええ。私が呼んだの。どうやら問題が起きているみたいよ」
「え? 問題?」
人払いされていることに気付いているのか、朱桜は伺うように雪の顔を見る。雪が横に首を振ると、不安そうに黄帝である闇呪を仰いだ。
「陛下、問題って……?」
「どうしたの? 黄王、何か困ってるのか?」
闇呪は何とも言えない顔で、無邪気な至鳳を見た。
「一つ聞きたいことがあるが、この部屋から何かを持ち出したりしなかったか?」
「したよ」
あっさりと至鳳が答える。凰璃も不思議そうに闇呪を仰いだ。
「黄王の仕事が減るかと思って、卓に積まれていた紙を頂戴したわ」
雪の予想を全く裏切らない無邪気さである。執務室に不気味な沈黙が満ちた。
「――はぁ!?」
やがて麟華が素っ頓狂な声をあげる。
「何ですって? 紙を持ち出した? どんな?」
「なんか難しいことが書いてあったような気がするけど、よく見てない。外で焼き饅頭を作る火種にしたんだ」
「とっても美味しく焼けたわ」
雪はああと心の中で落胆の悲鳴をあげたが、麟華の怒りはすさまじかった。あまりの激怒に本性に戻ってしまい、勢いで攻撃したため、鳳凰の二人も慌てて変幻を果たし応戦する。
「おまえたち! いい加減にしないか!」
闇呪がすぐに間に入ったが、天堂に剣を預けているため、黄帝の持つ圧倒的な礼神を発揮することは出来ない。
霊獣達はすぐに動きを止めたが、すでに黄城の執務室が半壊していた。
守衛に案内されて通路を進んでいると、向こう側に黒麟である麟華の姿があった。人型に変幻して天界に則った略式の衣装を纏い、雪に気づくと真っ直ぐこちらに歩み寄って来る。
後頭の高い位置で結われた癖のない黒髪が、颯爽と歩く麟華の調子に合わせて左右に振れた。
「麒華様、お久しぶりです」
雪が頭を下げると、立ち止まった麟華は珍しいモノを見るように目を丸くした。
「どうしたの? 玉花の姫君。何か悩み事?」
麟華は守衛に退がるように促すと、ぽんと雪の肩を叩いて笑う。
「ここからは私が案内するわ」
「え? でも、お忙しいのでは?」
「まぁね。でも、久しぶりにこちらに顔を出したついでだし、少しぐらい大丈夫よ」
「ありがとうございます」
「ちょっと、もう誰もいないわよ。そのよそよそしい感じはやめて」
本来であれば、雪が黄帝の守護である黒麒麟に馴れ馴れしく接することは許されないが、闇呪が黄帝の座につくまでの経緯や、未熟な鳳凰の変わりに朱桜の世話を任されている立場から、互いに友人のような親しみが芽生えている。
「はい。では、陛下の元までお願いします。でも麟華がこちらにいるのは珍しいですね。まさかお会いできるとは思っていなかったので、少し驚きました」
「たまには主上の顔を拝んでおかないと」
異界の天宮学院に関わる業務を、現在は黒麒麟の二人が担っているようだ。当初は両陛下の役割だったが、天地界の視察や執務との兼任はあまりにも負担が大きく、見かねた黒麒麟が強引に交代した成り行きがある。
「それで? 聡明なことで有名な玉花の姫君が、険しい顔をして陛下を訪ねる理由は何なの?」
「実は大兄から、華火の祭典に関する裁可がまだ金域から出ないのかと聞かれて」
「華美の祭典? たしかに期日が迫ってきているわね」
地界の中央には四国の重要な水源となる大きな湖ーー祭湖がある。天地界の疲弊が続いていた時期には開催されることがなかったが、活気を取りも出した今、人々も華やかな催しを欲している。
地界の高まる欲求にこたえるため、今期から華美の祭典ーー祭湖で行われてきた催しを復活させることになった。
現在は各国の王にかわり、後継者が準備を進めている。祭湖自体は四国にまたがっているが、湖岸と水辺を提供するのは透国である。雪の兄皇子である白虹が主導していた。
「私が大兄からの文書を、直接陛下にお取次ぎすれば良かったんですけど、陛下は地界を視察に回られていたので、文官に託したのですが……。でも、あれからかなり時間が経っていますし、どうなっているのか心配になって」
「ーーそうね。届いているなら、主上が見落とすことはないと思うけれど……」
二人で黄帝の執務室へ向かうと、慌ただしく人が出入りしている。麟華が「おや?」と言いたげに眉を潜めた。
「おかしいわね。さっきまでこんなことはなかったのに」
麟華がさらに歩を進めると、彼女の存在に気付いた者たちが一斉に頭を垂れた。黄帝の守護である麟華は、天地界では天帝に次ぐ地位を持っているに等しい。恭しく振る舞う人々に麟華はすぐに言葉を投げる。
「私のことは構わず、為すべき事に従事してください」
彼女の声で、再びわらわらと人が動き始めた。麟華は何のためらいもない様子で、黄帝の執務室に足を踏み入れる。雪も遅れず後に続いた。室内を進むと、見たことのある文官と黄帝である闇呪が、奥の卓を囲むようにして深刻な面持ちで何かを話していた。
「主上、この騒ぎはいったい何事ですか?」
「麟華。まだ黄城にいたのか」
緩やかな癖をもつ闇呪の黒い頭髪が、雪の眼に鮮烈に映る。以前は恐れていたが、今となっては艶やかな漆黒を美しいとさえ思う。闇を纏っても、黄帝の端正な振る舞いや美貌が損なわれることはない。雪がそっと嘆息をつくと、闇呪は素早く席を立ってこちらにやって来た。
「玉花の姫君も一緒か?」
雪は作法に則って、闇呪に一礼した。
「いったい何があったんです?」
麟華がもう一度問うと、闇呪がふうっと大きな息をついた。
「どうやら、裁可すべき文書が紛失しているようだ。期日の迫っている物もあり、今確認を急がせている」
「文書が持ち出されたということですか?」
雪が思わず声をあげると、闇呪が困ったように頷いた。
「人の出入りについても調べさせているが……」
「でも主上、出入りといっても、この執務室を自由に出入りできる者は限られているではありませんか」
「ーーそうだな」
二人には既に予感があるのだろう。雪がさっと血の気の引く思いで咄嗟に平伏した。
「私がお二人をきちんと見ていなかったせいです。お叱りは私が受けます」
「いや、違う。姫君。顔をあげなさい。鳳凰を縛る法が天界にはまだない。そんな二人の御守りを任せている私達に責がある。これは姫君のせいではない」
「そうよ、姫君のせいじゃないわ。とりあえず、私が二人を呼びます」
麟華が天を仰ぐようにして咆哮する。けれど、雪の耳に声が響くことはない。麒麟の持つ特殊な音階で吠えているのだろう。
黒麒麟の咆哮のあと、しばらくすると執務室に見慣れた輝きが現れた。くるりとした癖のある金髪が素性を表している。小柄な二人が嬉しそうに駆けつけた。
「麟華! 戻ってたんだ!」
「おかえり!」
黒麒麟に飛びつく鳳凰を見ながら、闇呪が背後の文官に何かを耳打ちする。途端に執務室から人が引いた。どうやら人払いをしたようだった。
闇呪と麟華、鳳凰と雪だけになった執務室で、鳳凰が無邪気にはしゃいでいる。雪は複雑な気持ちでため息をついた。同時に執務室に黄后である朱桜が遅れて顔を出した。
黄帝の寵愛を一身に受ける相称の翼。結われた豊かな金髪は、まるで燐光を放っているかのように輝いて見える。身を飾るように朱桜の動きに合わせてゆるく光が反射する。
「陛下、失礼いたします。あの、こちらに鳳凰が……」
「朱桜。ちょうど良かった」
闇呪が迎えると、執務室の様子を見て朱桜がぱっと顔を輝かせる。
「麟華、戻っていたの? 玉花の姫君も来ているし。それで二人が突然出て行ったんだね」
「ええ。私が呼んだの。どうやら問題が起きているみたいよ」
「え? 問題?」
人払いされていることに気付いているのか、朱桜は伺うように雪の顔を見る。雪が横に首を振ると、不安そうに黄帝である闇呪を仰いだ。
「陛下、問題って……?」
「どうしたの? 黄王、何か困ってるのか?」
闇呪は何とも言えない顔で、無邪気な至鳳を見た。
「一つ聞きたいことがあるが、この部屋から何かを持ち出したりしなかったか?」
「したよ」
あっさりと至鳳が答える。凰璃も不思議そうに闇呪を仰いだ。
「黄王の仕事が減るかと思って、卓に積まれていた紙を頂戴したわ」
雪の予想を全く裏切らない無邪気さである。執務室に不気味な沈黙が満ちた。
「――はぁ!?」
やがて麟華が素っ頓狂な声をあげる。
「何ですって? 紙を持ち出した? どんな?」
「なんか難しいことが書いてあったような気がするけど、よく見てない。外で焼き饅頭を作る火種にしたんだ」
「とっても美味しく焼けたわ」
雪はああと心の中で落胆の悲鳴をあげたが、麟華の怒りはすさまじかった。あまりの激怒に本性に戻ってしまい、勢いで攻撃したため、鳳凰の二人も慌てて変幻を果たし応戦する。
「おまえたち! いい加減にしないか!」
闇呪がすぐに間に入ったが、天堂に剣を預けているため、黄帝の持つ圧倒的な礼神を発揮することは出来ない。
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