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第五話(最終話) 相称の翼
第九章:五 終焉後の世界
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「母様」という朱桜の絶叫を思い出して、翡翠はいまさらながらに胸が痛くなる。
翡翠はその後の様子を窺ってみようと、碧い表着を頭から被った幼い人影を見返った。
「でさ、朱桜の姫君は大丈夫なの?」
実際のところ、この幼い二人ーー鳳凰にこんな軽口を叩いても良いのか疑問だが、公の場にでも出ない限り改める機会もない。二人も翡翠の作法に異を唱えるようなことはなかった。
物珍しそうに辺りを眺めていた至鳳が「天が明るいじゃん」と上を指さす。
「黄王も主上も、完璧!」
凰璃が得意げに胸を張る。
たしかに鳳凰の言う通り、世界は輝きを取り戻した。金域での偽り、惨状の全てが瞬く間に各国の王と後継者に暴かれ、紆余曲折の末、闇呪と朱桜の真実も明るみに出た。
それからの天地界は復興に賑わっている。黄帝陛下と相称の翼の即位や、王の真名献上の儀式、天帝の御世の始まりの式典についても囁かれ始めているが、今は世の再興が最優先事項とされた。
天界も様々な急務に追われているが、翡翠は数日前に透国の白虹の皇子に招待され、今日正式に訪透したのだ。現在は恭しい慣例に則って、皇子の白銀宮に案内されている。
鳳凰は透国に訪れるだけのことでも、公に行うとさらに厳かな手続きが必要になるため、輝く姿を隠して小柄な従者のふりをしていた。
「いや、天帝の責務じゃなくて。ほら、色んな事があったけど、立ち直ったのかなって」
ようやく翡翠の言いたいことを察したのか、二人が「う~ん」と唸る。
「まぁ、少しずつかな。でも、いろんなことを前向きに考えているみたいだよ」
「そうそう。主上は大丈夫。一つのことをのぞいては」
(ん?)
翡翠は何か不吉なことを聞いた気がしたが、気のせいかと聞き流した。
朱桜の人柄を知る翡翠としては、彼女がいつまでも悲嘆に暮れているとも思えない。
残された想いに答えようとするだろう。
緋国の赤の宮は自分が亡きあとのことも取り計らっていたようだ。地界に姿を消していた紅の宮が再び緋国の王座についた。
紅蓮が亡くなり、継承者が不在の緋国のことを考え、すでに朱雀に継承を伝えていたらしい。
翡翠は今回、妃の玉花ーー雪を連れて訪透していない。なぜなら雪は金域の黄城で朱桜の世話を焼くことに精を出しているのだ。黒麒麟と違い、鳳凰は日常の雑務をこなすには幼い面がある。雪はここぞとばかりに、可憐な見た目に不似合いな豪胆さを発揮して、せっせと手助けをしているらしい。いつの間にかそれが常態化しつつある。おかげで鳳凰は雪に懐き、翡翠にも親近感を持っている。
正式な即位も催事も行われていないが、金域も大きく様変わりを果たしつつあった。
立ち入りを禁じられていた場所も解放され、金域に住処を移した闇呪ーー次期黄帝との謁見も、以前のように閉鎖的ではなくなっていた。
(いろんなことが、あったよね)
他人事のように記憶をたどりながら、翡翠はようやく皇子の居城ーー白銀宮にたどり着き、目を疑う。
辺境の宮殿のような風情であった以前の様子は片鱗もなく、慌ただしく人が出入りしている。違う宮殿に案内されたのではないかと思えるほど、活気と喧噪に満ちていた。
内殿へと導かれても、感想は覆らない。以前、崩れ落ちてくるのではないかと危機感を覚えた書物の山はどこにもなかった。理路整然とした通路には各所に衛兵が配置され、静謐な空間を守っている。鳳凰も呪に囚われていた頃の、見慣れた住処の面影がないことに戸惑っているのか、怪訝な顔をしていた。
(まぁ、無理もないか)
白虹の皇子が、透国の継承者に復帰するのではないかという噂は、翡翠の耳にも届いている。
どうやら継承権を持つ皓露の皇子はいたく自身の所業を悔いているらしい。翡翠の目から見ると、偽りの黄帝に唆されたことに罪があるとも思えない。ただ、本人が是とせず、また既に次期黄帝に忠誠を捧げていた白虹の存在に敬意を払っているのだろう。
「ようこそ、翡翠の王子」
「白虹の皇子」
宮殿主の日常空間といえる奥の間まで導かれ、翡翠は久しぶりに白虹と再会した。宮殿は目を剥くほど様変わりしているのに、白虹は相変わらず個性的な衣装の纏い方で現れる。
翡翠はその様子に、少し親近感を取り戻した。
「良かった。皇子がお変わりなくて」
白虹が自分の着崩した衣装を見て笑う。
「慣れてしまうと楽なんですよ。公の場に出るわけでもないですし、構わないでしょう。それに翡翠の王子には歓迎してもらえるのではないかと」
以前よりも砕けた様子に、翡翠は自然と肩の力が抜ける。鳳凰は辺りが人払いされているのを確かめると、ばさりと被っていた表着をとる。白虹は予感していたのか驚く様子もなく、鳳凰を歓迎した。
寛げる空気を感じたのか、鳳凰も我が家に戻ったように置かれた榻牀に飛び乗った。翡翠も近くの牀子に腰を下ろす。ほっと気持ちを緩めていると、茶器を持って部屋に入ってくる人影があった。
「ようこそ、いらっしゃいました」
楚々とした美しい立ち居振る舞い。澄んだ声で挨拶をされるが、翡翠には何者であるかわからない。そもそも皇子の内殿の、さらに最奥の間に出入りできるのは限られている。
翡翠が言葉を失っていると、白虹が可笑しそうに袖で口元を抑えながら、信じられないことを述べた。
「実は翡翠の王子においでいただいたのは、彼女を紹介するためです。私の妃となる白露です」
(白露って……)
「え……、ええーっ!? 白露って、あの? 白亜の妹で、鬼病に倒れた? え? なんで? 輪廻の儀式が無事に執り行われたって、え?」
あまりの翡翠の狼狽ぶりに、白虹がくすくすと声を漏らして笑う。茶器を卓に置いて、白露が丁寧な挨拶の姿勢をとった。
「翡翠の王子。はじめまして。白露と申します」
恥じ入っているのか、白露の白い頬が赤く染まっている。結い上げた頭髪は、雪の銀髪よりも淡く、白髪に近い。
地界の生まれであることが信じられないほど、白虹の隣にあっても見劣りのしない美姫だった。
翡翠も作法に則った挨拶を返して、再び牀子に腰かける。
まだ驚きを隠せないでいると、皇子が真相を明かしてくれた。
「簡単に言えば、彼女は輪廻しなかったのです。闇呪の君ーー黄帝陛下が黒き骸から救ってくれた話は知っていると思いますが。私は彼女の遺体を秘匿し続け、目覚めさせる方法がないかという狂気に取りつかれていました。結果的に、それが黄帝陛下の真実に繋がったのですが」
「ええー! あ、白亜は? 白亜は知っているんですか?」
「はい。先に白露が目覚めたことを知ったのは白亜ですし。まだ公にしてはいませんが、いずれ正式に妃となります。まぁ白露の件を秘匿していたことはあらゆる方面から叱責されましたが」
「そうだったんだ」
翡翠がはぁっと大きく息をつくと、榻牀でごろごろしていた鳳凰が「良かったじゃん!」「おめでとう」と気軽に祝辞を述べている。白露は幼い二人の輝く金髪に戸惑っているようだったが、すぐに打ち解けて鳳凰の相手を始めた。
「いったい、いつ目覚めたんですか?」
「緋国の一件から戻ったときには、すでに目覚めて、白亜と清香と共に宮殿内の片づけに精を出していました」
翡翠は思わず声をたてて笑ってしまう。
「それはさすがの皇子も驚きましたね」
「ええ。さすがに」
「禍が絶たれたせいですか」
「そうですね、おそらく」
鳳凰と笑いあっている白露を見る白虹の眼差しが優しく歪む。白虹にそんな秘密があったとは、翡翠には思いもよらなかった。もしかすると闇呪は知っていたのだろうか。
「黄帝陛下は皇子の秘め事を知っていたのですか」
「何となくは気づいていた節がありますが……。翡翠の王子。実は私はじきこの国の後継者となります。その前に白露を連れて金域の黄帝陛下を訪れようかと考えていますが」
「やっぱり。皇子の後継者の噂は僕も聞いていますよ。それなら、たしかに今のうちに動くのは、良い考えだと思います。黄帝陛下も喜ぶんじゃないかな」
鳳凰が榻牀から飛び降りて、翡翠の掛けている牀子に寄りかかる。
「黄王は喜ぶわね」
「うん。間違いない。主上も祝福してくれるよ」
和やかに言いながら、二人は「ところで」と話しを変える。どうやら何か言いたいことがあるようだ。
「どうしました」
白虹が興味を引かれたように、身を乗り出す。傍らで白露が茶器から茶を注いている。並べられた茶碗から温かそうな湯気が立ち上った。
「雪ともどうしようかって頭を抱えているんだけど」
凰瑠がいかにも悩んでいますと言いたげに腕を組んだ。
「え? 雪と?何を?」
「我が君さぁ。実はまだ黄王に真名を語ってないんだよ。どう思う?」
「え?」
「あんなに黄王のこと大好きなのに、変でしょ?」
二人は同じように腕を組んで「あり得ない」と悪態を付いている。
「そうですね。黄帝陛下の想いは周知の事実ですし。比翼とすることに、ためらうような理由もないかと」
白虹も口元に手を当てて考えを巡らせている。
「それ、恥ずかしいだけじゃないの?」
朱桜というより、異界で朱里であった頃の性格を考えればあり得なくもない。翡翠が簡単な理由を示すと、凰瑠がぶるぶると首を振った。
「雪が言うには、ややこしいことになっているらしいの」
「ややこしいって?」
「まず黄王が、少し主上と距離を置いている」
「なんで?」
「我が君を傷つけた愚か者と同じ顔貌であることが原因みたい。自分の姿で我が君が嫌なことを思い出すんじゃないかって」
「うわぁ」
翡翠は思わず辟易する。たしかにそれはややこしい事態になっていると言えた。
「それで? まさか朱桜の姫君は、その黄帝陛下の気遣いが裏目に出て、自分が嫌われているんじゃないかって、弱気になっているとか?」
「大当たり~」
鳳凰が揃って声を上げた。
「ままごとのような恋愛事情ですね」
白虹があきれたように吐息をついた。
「そういうけど、二人には深刻な問題なんだよ」
「あれほどの試練を乗り越えてきて、ですか」
「主上はいつまでも黄王を比翼にしないし、黄王は気を使って主上と距離を置いているしで、お互いに悪循環なの」
翡翠はそういう時に力を発揮しそうな存在を思い出す。
「黒麒麟は? 特に麒華なんて怒っているんじゃないの?」
「もちろん。黄王に毎日発破かけてるわよ」
「口に出すのも憚られる露骨なことを吹き込んでる」
「うわぁ」
「俺達も我が君に圧力かけてるけどね。さすがに比翼にしてもらえないなんて、黄王が可哀想だもん」
鳳凰はよほど不満が募っているのか、くどくどと二人の状態に不平を唱え続けた。
「ですが、そればかりは二人の問題ですね」
白虹が苦笑すると、鳳凰もがっくりと肩を落とす。
「そうなんだよ~」
「それが問題よ~」
翡翠はすっかり冷めた茶に口をつけた。鳳凰は不満を抱いているようだが、翡翠は段々おかしくなってくる。いまさら二人がすれ違っていても、もう異界で見ていた頃のような痛々しさは、微塵も感じない。
白虹と白露も顔を見合わせて、鳳凰の健気な悩みに笑っている。
(ーー天帝の御世のはじまりの式典までには、想いが通っていてほしいけど……)
鳳凰の様子を見ながらも、翡翠は和やかな思いに満たされていた。
世界は再興される。
もう誰も、それを疑う事はない。
翡翠はその後の様子を窺ってみようと、碧い表着を頭から被った幼い人影を見返った。
「でさ、朱桜の姫君は大丈夫なの?」
実際のところ、この幼い二人ーー鳳凰にこんな軽口を叩いても良いのか疑問だが、公の場にでも出ない限り改める機会もない。二人も翡翠の作法に異を唱えるようなことはなかった。
物珍しそうに辺りを眺めていた至鳳が「天が明るいじゃん」と上を指さす。
「黄王も主上も、完璧!」
凰璃が得意げに胸を張る。
たしかに鳳凰の言う通り、世界は輝きを取り戻した。金域での偽り、惨状の全てが瞬く間に各国の王と後継者に暴かれ、紆余曲折の末、闇呪と朱桜の真実も明るみに出た。
それからの天地界は復興に賑わっている。黄帝陛下と相称の翼の即位や、王の真名献上の儀式、天帝の御世の始まりの式典についても囁かれ始めているが、今は世の再興が最優先事項とされた。
天界も様々な急務に追われているが、翡翠は数日前に透国の白虹の皇子に招待され、今日正式に訪透したのだ。現在は恭しい慣例に則って、皇子の白銀宮に案内されている。
鳳凰は透国に訪れるだけのことでも、公に行うとさらに厳かな手続きが必要になるため、輝く姿を隠して小柄な従者のふりをしていた。
「いや、天帝の責務じゃなくて。ほら、色んな事があったけど、立ち直ったのかなって」
ようやく翡翠の言いたいことを察したのか、二人が「う~ん」と唸る。
「まぁ、少しずつかな。でも、いろんなことを前向きに考えているみたいだよ」
「そうそう。主上は大丈夫。一つのことをのぞいては」
(ん?)
翡翠は何か不吉なことを聞いた気がしたが、気のせいかと聞き流した。
朱桜の人柄を知る翡翠としては、彼女がいつまでも悲嘆に暮れているとも思えない。
残された想いに答えようとするだろう。
緋国の赤の宮は自分が亡きあとのことも取り計らっていたようだ。地界に姿を消していた紅の宮が再び緋国の王座についた。
紅蓮が亡くなり、継承者が不在の緋国のことを考え、すでに朱雀に継承を伝えていたらしい。
翡翠は今回、妃の玉花ーー雪を連れて訪透していない。なぜなら雪は金域の黄城で朱桜の世話を焼くことに精を出しているのだ。黒麒麟と違い、鳳凰は日常の雑務をこなすには幼い面がある。雪はここぞとばかりに、可憐な見た目に不似合いな豪胆さを発揮して、せっせと手助けをしているらしい。いつの間にかそれが常態化しつつある。おかげで鳳凰は雪に懐き、翡翠にも親近感を持っている。
正式な即位も催事も行われていないが、金域も大きく様変わりを果たしつつあった。
立ち入りを禁じられていた場所も解放され、金域に住処を移した闇呪ーー次期黄帝との謁見も、以前のように閉鎖的ではなくなっていた。
(いろんなことが、あったよね)
他人事のように記憶をたどりながら、翡翠はようやく皇子の居城ーー白銀宮にたどり着き、目を疑う。
辺境の宮殿のような風情であった以前の様子は片鱗もなく、慌ただしく人が出入りしている。違う宮殿に案内されたのではないかと思えるほど、活気と喧噪に満ちていた。
内殿へと導かれても、感想は覆らない。以前、崩れ落ちてくるのではないかと危機感を覚えた書物の山はどこにもなかった。理路整然とした通路には各所に衛兵が配置され、静謐な空間を守っている。鳳凰も呪に囚われていた頃の、見慣れた住処の面影がないことに戸惑っているのか、怪訝な顔をしていた。
(まぁ、無理もないか)
白虹の皇子が、透国の継承者に復帰するのではないかという噂は、翡翠の耳にも届いている。
どうやら継承権を持つ皓露の皇子はいたく自身の所業を悔いているらしい。翡翠の目から見ると、偽りの黄帝に唆されたことに罪があるとも思えない。ただ、本人が是とせず、また既に次期黄帝に忠誠を捧げていた白虹の存在に敬意を払っているのだろう。
「ようこそ、翡翠の王子」
「白虹の皇子」
宮殿主の日常空間といえる奥の間まで導かれ、翡翠は久しぶりに白虹と再会した。宮殿は目を剥くほど様変わりしているのに、白虹は相変わらず個性的な衣装の纏い方で現れる。
翡翠はその様子に、少し親近感を取り戻した。
「良かった。皇子がお変わりなくて」
白虹が自分の着崩した衣装を見て笑う。
「慣れてしまうと楽なんですよ。公の場に出るわけでもないですし、構わないでしょう。それに翡翠の王子には歓迎してもらえるのではないかと」
以前よりも砕けた様子に、翡翠は自然と肩の力が抜ける。鳳凰は辺りが人払いされているのを確かめると、ばさりと被っていた表着をとる。白虹は予感していたのか驚く様子もなく、鳳凰を歓迎した。
寛げる空気を感じたのか、鳳凰も我が家に戻ったように置かれた榻牀に飛び乗った。翡翠も近くの牀子に腰を下ろす。ほっと気持ちを緩めていると、茶器を持って部屋に入ってくる人影があった。
「ようこそ、いらっしゃいました」
楚々とした美しい立ち居振る舞い。澄んだ声で挨拶をされるが、翡翠には何者であるかわからない。そもそも皇子の内殿の、さらに最奥の間に出入りできるのは限られている。
翡翠が言葉を失っていると、白虹が可笑しそうに袖で口元を抑えながら、信じられないことを述べた。
「実は翡翠の王子においでいただいたのは、彼女を紹介するためです。私の妃となる白露です」
(白露って……)
「え……、ええーっ!? 白露って、あの? 白亜の妹で、鬼病に倒れた? え? なんで? 輪廻の儀式が無事に執り行われたって、え?」
あまりの翡翠の狼狽ぶりに、白虹がくすくすと声を漏らして笑う。茶器を卓に置いて、白露が丁寧な挨拶の姿勢をとった。
「翡翠の王子。はじめまして。白露と申します」
恥じ入っているのか、白露の白い頬が赤く染まっている。結い上げた頭髪は、雪の銀髪よりも淡く、白髪に近い。
地界の生まれであることが信じられないほど、白虹の隣にあっても見劣りのしない美姫だった。
翡翠も作法に則った挨拶を返して、再び牀子に腰かける。
まだ驚きを隠せないでいると、皇子が真相を明かしてくれた。
「簡単に言えば、彼女は輪廻しなかったのです。闇呪の君ーー黄帝陛下が黒き骸から救ってくれた話は知っていると思いますが。私は彼女の遺体を秘匿し続け、目覚めさせる方法がないかという狂気に取りつかれていました。結果的に、それが黄帝陛下の真実に繋がったのですが」
「ええー! あ、白亜は? 白亜は知っているんですか?」
「はい。先に白露が目覚めたことを知ったのは白亜ですし。まだ公にしてはいませんが、いずれ正式に妃となります。まぁ白露の件を秘匿していたことはあらゆる方面から叱責されましたが」
「そうだったんだ」
翡翠がはぁっと大きく息をつくと、榻牀でごろごろしていた鳳凰が「良かったじゃん!」「おめでとう」と気軽に祝辞を述べている。白露は幼い二人の輝く金髪に戸惑っているようだったが、すぐに打ち解けて鳳凰の相手を始めた。
「いったい、いつ目覚めたんですか?」
「緋国の一件から戻ったときには、すでに目覚めて、白亜と清香と共に宮殿内の片づけに精を出していました」
翡翠は思わず声をたてて笑ってしまう。
「それはさすがの皇子も驚きましたね」
「ええ。さすがに」
「禍が絶たれたせいですか」
「そうですね、おそらく」
鳳凰と笑いあっている白露を見る白虹の眼差しが優しく歪む。白虹にそんな秘密があったとは、翡翠には思いもよらなかった。もしかすると闇呪は知っていたのだろうか。
「黄帝陛下は皇子の秘め事を知っていたのですか」
「何となくは気づいていた節がありますが……。翡翠の王子。実は私はじきこの国の後継者となります。その前に白露を連れて金域の黄帝陛下を訪れようかと考えていますが」
「やっぱり。皇子の後継者の噂は僕も聞いていますよ。それなら、たしかに今のうちに動くのは、良い考えだと思います。黄帝陛下も喜ぶんじゃないかな」
鳳凰が榻牀から飛び降りて、翡翠の掛けている牀子に寄りかかる。
「黄王は喜ぶわね」
「うん。間違いない。主上も祝福してくれるよ」
和やかに言いながら、二人は「ところで」と話しを変える。どうやら何か言いたいことがあるようだ。
「どうしました」
白虹が興味を引かれたように、身を乗り出す。傍らで白露が茶器から茶を注いている。並べられた茶碗から温かそうな湯気が立ち上った。
「雪ともどうしようかって頭を抱えているんだけど」
凰瑠がいかにも悩んでいますと言いたげに腕を組んだ。
「え? 雪と?何を?」
「我が君さぁ。実はまだ黄王に真名を語ってないんだよ。どう思う?」
「え?」
「あんなに黄王のこと大好きなのに、変でしょ?」
二人は同じように腕を組んで「あり得ない」と悪態を付いている。
「そうですね。黄帝陛下の想いは周知の事実ですし。比翼とすることに、ためらうような理由もないかと」
白虹も口元に手を当てて考えを巡らせている。
「それ、恥ずかしいだけじゃないの?」
朱桜というより、異界で朱里であった頃の性格を考えればあり得なくもない。翡翠が簡単な理由を示すと、凰瑠がぶるぶると首を振った。
「雪が言うには、ややこしいことになっているらしいの」
「ややこしいって?」
「まず黄王が、少し主上と距離を置いている」
「なんで?」
「我が君を傷つけた愚か者と同じ顔貌であることが原因みたい。自分の姿で我が君が嫌なことを思い出すんじゃないかって」
「うわぁ」
翡翠は思わず辟易する。たしかにそれはややこしい事態になっていると言えた。
「それで? まさか朱桜の姫君は、その黄帝陛下の気遣いが裏目に出て、自分が嫌われているんじゃないかって、弱気になっているとか?」
「大当たり~」
鳳凰が揃って声を上げた。
「ままごとのような恋愛事情ですね」
白虹があきれたように吐息をついた。
「そういうけど、二人には深刻な問題なんだよ」
「あれほどの試練を乗り越えてきて、ですか」
「主上はいつまでも黄王を比翼にしないし、黄王は気を使って主上と距離を置いているしで、お互いに悪循環なの」
翡翠はそういう時に力を発揮しそうな存在を思い出す。
「黒麒麟は? 特に麒華なんて怒っているんじゃないの?」
「もちろん。黄王に毎日発破かけてるわよ」
「口に出すのも憚られる露骨なことを吹き込んでる」
「うわぁ」
「俺達も我が君に圧力かけてるけどね。さすがに比翼にしてもらえないなんて、黄王が可哀想だもん」
鳳凰はよほど不満が募っているのか、くどくどと二人の状態に不平を唱え続けた。
「ですが、そればかりは二人の問題ですね」
白虹が苦笑すると、鳳凰もがっくりと肩を落とす。
「そうなんだよ~」
「それが問題よ~」
翡翠はすっかり冷めた茶に口をつけた。鳳凰は不満を抱いているようだが、翡翠は段々おかしくなってくる。いまさら二人がすれ違っていても、もう異界で見ていた頃のような痛々しさは、微塵も感じない。
白虹と白露も顔を見合わせて、鳳凰の健気な悩みに笑っている。
(ーー天帝の御世のはじまりの式典までには、想いが通っていてほしいけど……)
鳳凰の様子を見ながらも、翡翠は和やかな思いに満たされていた。
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