上 下
223 / 233
第五話(最終話) 相称の翼

第九章:四 静と緋桜の希望(ゆめ)

しおりを挟む
 一部始終を見守っていた緋桜ひおうは、ゆっくりとその場に膝をついた。手にした紅旭剣こうきょくのつるぎを見ると、朱雀すざくの炎は消え失せ、闇に侵食されていた。それは刀剣をつたって緋桜の手にも広がり、身体が黒く染められていく。

(「緋桜、最期さいごの時、あなたなら哀しみにも憎しみに呑まれることはない。私は待っているよ」)

 しずかの声を思い出す。たしかに途轍もなく密度を増したじゅを受け入れたが、自分の内には哀しみも憎しみもない。ただ、成し遂げた安堵が満ちていく。
 そして、少女の頃のような無邪気さで思うのだ。

(静様は、褒めてくれるかしら)

 きっと褒めてくれるだろう。

「女王!」

 誰かの叫びが聞こえる。どうやら膝をついて立っていることも出来なくなったのか、自分を支える力を感じる。圧倒的な礼神らいじん

「宮様!」

 自分に取りすがる気配。それが朱桜すおうであることは確かめなくてもわかるが、緋桜ひおうはそちらに目を向けた。考えていたよりもずっと近くに、朱桜すおうの顔が見える。

「そんな、どうして!」

「陛下、私の力が及ばず失態をお見せすることになりそうです。申し訳ありません」

「女王、まさか自らにじゅをかけたのでは……」

 闇呪あんじゅ悠闇剣ゆうあんのつるぎを掲げるが、緋桜ひおうは力を振り絞って、黒く変貌した手で闇呪の袖をつかむ。

「いけません。黄帝陛下。もう成すすべがないのは、お分かりでしょう。この禍根かこんを絶つのは、私の役目です」

「何を仰っている! あなたは」

 緋桜ひおうは遮るように、声を振り絞る。

「黄帝陛下。六の君、私の妹をよろしくお願いします」

 闇呪あんじゅはそれで緋桜の気持ちを察したのか、不自然に言葉を呑み込んだ。

「み、宮様」

 朱桜すおうの声に嗚咽が混ざる。母娘ではなくとも、自分のような女王のために涙を流すのかと、緋桜ひおうは朱桜の健気さに心を打たれる。
 数多の苦しみ、仕打ちを与えることしかできなかった。手を差し伸べることも出来ず、ただ見守るだけの立場。自分は朱桜の母親にはなれなかった。ならない道を選んだのだ。
 今もそれで後悔はない。

「私、宮様とお話したいことがあります。だからーー」

 泣きながら訴える朱桜すおうに、緋桜ひおうは微笑んで見せる。

「陛下。申し訳ありませんが……」

母様かあさま!」

 叫びが緋桜の胸に刺さる。

(いま、――)

 今、朱桜はなんと言ったのだろう。失いかけた意識が聞かせた幻聴だろうか。母にならない道を選びながら、本当は母になりたかったという未練が、あり得ない声を聞かせているのだろうか。

「母様に聞きたい! 私のことをどんな風に想ってくれていたか。父様はどんな人だったのか。それから、朱桜の樹を贈って下さったお礼もしたい。私は、母様に伝えたいことが、たくさんあります。たくさん……」

(……そんなふうに)

 そんなふうに想ってくれるのか。数多あまたの試練を与えただけの自分を、母とすがってくれるのか。

 狭窄きょうさくをはじめ、暗く沈み始めた視界で娘の泣き顔を見ながら、緋桜ひおうは胸が締め付けられるような想いを感じていた。こみ上げるのは、ただ愛しいという気持ちだけ。

 心から慕った静と、自分の娘。可愛くないはずがない。
 どんな時も、愛しくなかったはずがない。

 幼い娘を腕に抱いたのは、生まれたばかりの頃の一度だけ。小さなてのひらで、自分の指を握り返してきた記憶。
 驚くほど小さな身体から感じた体温。つぶらな瞳。
 小さな身体を手離した時から、母であることは諦めた。違う。本当は恐れていただけなのだ。

 試練だけを与える存在。憎まれて当然の行い。いまさら母だと語っても、朱桜すおうには拒絶されるだけではないのかと。

(ーー私が、恐れていただけ)

 けれど今、朱桜はそんな恐れを消し去ってくれる。もう何も思い残すことはない。

 静への想いと、朱桜への愛だけで満たされている。

「……母様」

「朱桜」

 手を挙げて顔に触れようとしたが、思うように動かない。ぎこちなく彷徨さまよう手を、朱桜すおうが強く握ってくれる。

「あなたは私達の、――父様と母様の希望(ゆめ)……」

 朱桜の手にぎゅうっと力がこもる。もう視界に光がない。時間がない。
 伝えたいことは、ひとつだけ。

「愛しい娘。ーー幸せになって」

 今も昔も、望むのはそれだけだった。

「黄帝陛下。どうか朱桜すおうを、……娘をお願いします」

 万感の想いをこめて、娘を託す。
 彼が頷く気配を感じると、緋桜ひおうは思うように動かない身体で、最期の力を振り絞った。覚悟は決まっている。ゆっくりと黒く変化した紅旭剣こうきょくのつるぎを持ち上げ、掲げる。

朱雀すざく、この身に業火ごうかを」

(「ーー女王、承った」)

 朱雀の声を聞くのも最後だった。視界が完全な闇に呑まれる。紅蓮ぐれんの炎に包まれる間際、緋桜ひおうは母様という、朱桜すおうの声を聞いた気がした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...