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第五話(最終話) 相称の翼
第五章:二 黄王(おおきみ)の意味
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「私は黄帝とお互いの真名を交わしたりしていません。それを望むのは先生だけです」
勢いで訴えてから、朱桜は項垂れる。
「でも、私はまだ、先生に何も返せていないけど」
「良かった」
翡翠が大袈裟なくらいに安堵する。朱桜が顔を上げると、白虹の皇子と目があった。美しい灰褐色の瞳に込められた気迫に、思わず背筋を伸ばす。
「姫君は、黄帝の翼扶ではないのですか?」
「はい。私は先生の、闇呪の君の翼扶です」
白虹の皇子が「そうでしたか」と呟き、固く目を閉じる。何かを懸命に考えているような仕草だった。
「おい! いい加減に怪我人を屋敷の中に運んだらどうだ?」
「兄上!」
翡翠の声が内庭に響く。いつからそこにいたのか、広廂に碧宇の姿があった。傍には暁が控えている。
「どうしてここに?」
さっと翡翠に緊張が走るのが、朱桜にも伝わって来る。
「そんな顔をするな、翡翠。もうお前に斬りつけたりはしない。安心しろ。とにかく怪我人を労われ」
翡翠は言いたいことを呑み込んだのか、麟華を見る。麟華が闇呪を抱えると、暁が殿舎の内に導いた。
褥の用意された居室には、赤の宮の姿があった。内庭の騒ぎに動じる様子もなく、凛とした姿勢で座している。女王の提案で、集った者はまず異界の装いを改めることになった。
不思議なことに朱桜の時と同じように、各々に馴染む衣装が用意されていたようだ。天界に相応しい衣装に着替えた面々が、再び闇呪の寝かされた居室に集う。
朱桜は闇呪の止まらない血を拭いながら、彼のために用意されていた表着を手にする。滄国に馴染む色合いに懐かしさを感じた。深い蒼で見事に織り上げられた衣装。品のある落ち着いた色目で、滄国の太子としの正装には相応しい。
朱桜は美しい衣装を血で汚すことがないように気を遣いながら、横たわる闇呪の下半身にそっと衣装をかけた。
いち早く着替えを済ませたのは麟華で、朱桜が見慣れた白い袿に黒の長袴を纏っている。
鳳凰はざっくりと白い衣装を羽織っているように見えたが、朱桜のために用意されていた表着と同様に、金と朱を基調にした見事な生地が襟元と袖口から覗いている。相称の翼の守護に相応しい豪奢な色目だが、幼い愛くるしさが損なわれないように配慮されているのか、動きやすそうな印象があった。
「僕は異界の衣装の方が好きかも」
翡翠は用意されていた碧国の正装を、勝手に略式にして纏っているようだ。それでも堅苦しいのか、ため息をついている。
白虹と雪も透国の皇族が纏うにふさわしい白銀の衣装で、まるでそこだけが白く発光していると錯覚するほど、緋国の赤の中で美しく映えた。
衣装に不平を唱える翡翠を横目に、雪が袖で口を覆って、可笑しそうにくすくすと笑っている。
朱桜はようやく緋国の内裏が、天界らしい光景を取り戻した気がしていた。
麒一の捜索や各々の問いを後回しにして、一同の見守る中、闇呪の手当て試みるが、突き刺さった麒角を抜く手立てがない。
朱桜は麒一の行方を明らかにしなければならないと感じる。緋国に集った者達も同じ意見だった。
麒一の搜索をはじめるにあたって、互いの経緯や事情が語り合われた。集った者が成り行きを共有すると、闇呪の横たわる居室に沈黙が満ちる。
明らかになった事実に、思考が追いつかないのかもしれない。
朱桜は胸に芽生えた希望が膨らむのを感じていた。
(もしかすると、先生は――)
鼓動が高くなる。そうであれば、どれほど救われるのか。誰に憚ることもなく、彼への想いを形にできる。
けれど、その希望は自分の憶測でしかない。闇呪への想いが、偏った筋道を描いてしまったのかもしれない。口にしても良いことなのかどうか。朱桜が闇呪を取り囲む者の顔色を窺っていると、碧宇と目があった。彼はニヤリと意味ありげに笑う。
「もしかすると、この方は黄帝かもしれんな。そうだろう? 白虹の皇子」
冗談を言うような軽さで、碧宇が口を開いた。どうやら彼は闇呪の正体について、自分と同じ想像をしたようだ。ますます鼓動が高くなる朱桜の傍らで、白虹の皇子がふっと小さく笑う気配がした。
「ここまで状況が揃えば、そう考えない方がおかしいですね」
「やっぱり、そうなんだ」
肯定する皇子の隣で、翡翠が身を乗り出す。白虹の皇子が珍しい物を眺めるように翡翠を見た。
「まさか翡翠の王子も気づいていたのですか? いつから?」
「いつからって、さっきだけど……。白虹の皇子は、ずっとその可能性を考えていたんですか? 真名を捧げた時も?」
「いいえ、さすがに黄帝であるとは考えていませんでした。私は世の禍は闇呪ではなく、別の何かを示しているのではないかと考えていただけです」
「では、大兄はいつから、彼が黄帝かもしれないと考えていたのですか?」
妹である皇女の問いに、白虹は苦笑する。
「鳳凰が、彼のことを黄王と呼んだ時です」
「黄王?」
朱桜は動悸のする胸を抑えながら、幼い容姿をした鳳凰を見る。至鳳が眉間に皺を寄せて腕を組んでいた。凰璃も難しい顔したまま、朱桜を見つめる。
「主上に聞こうと思っていたんだけど」
その場に集った者がいっせいに凰璃を見る。
「黄王は、なぜ黄帝ではないの? 主上の至翼で、私達を形作る力があれば、本来は黄帝でしょ? でも、白虹の皇子は、黄王は黄帝の敵だと言っていたわ。それは本当? 一体、どういう状況なの?」
「そうそう。俺達、我が君に会うことしか考えていなかったから聞き流していたけど、いまいちこの状況がよくわかってない。黄王の守護は見事に呪われているし、そういう事と関係があるの? 黄帝って誰? どんな奴? 黄王を戒めるほど、強い奴がいるってこと?」
あまりの事実に、朱桜は双子のように似た容姿の二人を見たまま固まってしまう。自分が問いかけられていることも忘れて、鳳凰が語ったことの意味を考えていた。
(私の、ーー相称の翼の至翼で、鳳凰を形作った。先生が……)
ぐるぐると反芻するが、心が追いつかない。決定的な事実を聞かされても、簡単に信じられない。けれど、信じたくてたまらない。
勢いで訴えてから、朱桜は項垂れる。
「でも、私はまだ、先生に何も返せていないけど」
「良かった」
翡翠が大袈裟なくらいに安堵する。朱桜が顔を上げると、白虹の皇子と目があった。美しい灰褐色の瞳に込められた気迫に、思わず背筋を伸ばす。
「姫君は、黄帝の翼扶ではないのですか?」
「はい。私は先生の、闇呪の君の翼扶です」
白虹の皇子が「そうでしたか」と呟き、固く目を閉じる。何かを懸命に考えているような仕草だった。
「おい! いい加減に怪我人を屋敷の中に運んだらどうだ?」
「兄上!」
翡翠の声が内庭に響く。いつからそこにいたのか、広廂に碧宇の姿があった。傍には暁が控えている。
「どうしてここに?」
さっと翡翠に緊張が走るのが、朱桜にも伝わって来る。
「そんな顔をするな、翡翠。もうお前に斬りつけたりはしない。安心しろ。とにかく怪我人を労われ」
翡翠は言いたいことを呑み込んだのか、麟華を見る。麟華が闇呪を抱えると、暁が殿舎の内に導いた。
褥の用意された居室には、赤の宮の姿があった。内庭の騒ぎに動じる様子もなく、凛とした姿勢で座している。女王の提案で、集った者はまず異界の装いを改めることになった。
不思議なことに朱桜の時と同じように、各々に馴染む衣装が用意されていたようだ。天界に相応しい衣装に着替えた面々が、再び闇呪の寝かされた居室に集う。
朱桜は闇呪の止まらない血を拭いながら、彼のために用意されていた表着を手にする。滄国に馴染む色合いに懐かしさを感じた。深い蒼で見事に織り上げられた衣装。品のある落ち着いた色目で、滄国の太子としの正装には相応しい。
朱桜は美しい衣装を血で汚すことがないように気を遣いながら、横たわる闇呪の下半身にそっと衣装をかけた。
いち早く着替えを済ませたのは麟華で、朱桜が見慣れた白い袿に黒の長袴を纏っている。
鳳凰はざっくりと白い衣装を羽織っているように見えたが、朱桜のために用意されていた表着と同様に、金と朱を基調にした見事な生地が襟元と袖口から覗いている。相称の翼の守護に相応しい豪奢な色目だが、幼い愛くるしさが損なわれないように配慮されているのか、動きやすそうな印象があった。
「僕は異界の衣装の方が好きかも」
翡翠は用意されていた碧国の正装を、勝手に略式にして纏っているようだ。それでも堅苦しいのか、ため息をついている。
白虹と雪も透国の皇族が纏うにふさわしい白銀の衣装で、まるでそこだけが白く発光していると錯覚するほど、緋国の赤の中で美しく映えた。
衣装に不平を唱える翡翠を横目に、雪が袖で口を覆って、可笑しそうにくすくすと笑っている。
朱桜はようやく緋国の内裏が、天界らしい光景を取り戻した気がしていた。
麒一の捜索や各々の問いを後回しにして、一同の見守る中、闇呪の手当て試みるが、突き刺さった麒角を抜く手立てがない。
朱桜は麒一の行方を明らかにしなければならないと感じる。緋国に集った者達も同じ意見だった。
麒一の搜索をはじめるにあたって、互いの経緯や事情が語り合われた。集った者が成り行きを共有すると、闇呪の横たわる居室に沈黙が満ちる。
明らかになった事実に、思考が追いつかないのかもしれない。
朱桜は胸に芽生えた希望が膨らむのを感じていた。
(もしかすると、先生は――)
鼓動が高くなる。そうであれば、どれほど救われるのか。誰に憚ることもなく、彼への想いを形にできる。
けれど、その希望は自分の憶測でしかない。闇呪への想いが、偏った筋道を描いてしまったのかもしれない。口にしても良いことなのかどうか。朱桜が闇呪を取り囲む者の顔色を窺っていると、碧宇と目があった。彼はニヤリと意味ありげに笑う。
「もしかすると、この方は黄帝かもしれんな。そうだろう? 白虹の皇子」
冗談を言うような軽さで、碧宇が口を開いた。どうやら彼は闇呪の正体について、自分と同じ想像をしたようだ。ますます鼓動が高くなる朱桜の傍らで、白虹の皇子がふっと小さく笑う気配がした。
「ここまで状況が揃えば、そう考えない方がおかしいですね」
「やっぱり、そうなんだ」
肯定する皇子の隣で、翡翠が身を乗り出す。白虹の皇子が珍しい物を眺めるように翡翠を見た。
「まさか翡翠の王子も気づいていたのですか? いつから?」
「いつからって、さっきだけど……。白虹の皇子は、ずっとその可能性を考えていたんですか? 真名を捧げた時も?」
「いいえ、さすがに黄帝であるとは考えていませんでした。私は世の禍は闇呪ではなく、別の何かを示しているのではないかと考えていただけです」
「では、大兄はいつから、彼が黄帝かもしれないと考えていたのですか?」
妹である皇女の問いに、白虹は苦笑する。
「鳳凰が、彼のことを黄王と呼んだ時です」
「黄王?」
朱桜は動悸のする胸を抑えながら、幼い容姿をした鳳凰を見る。至鳳が眉間に皺を寄せて腕を組んでいた。凰璃も難しい顔したまま、朱桜を見つめる。
「主上に聞こうと思っていたんだけど」
その場に集った者がいっせいに凰璃を見る。
「黄王は、なぜ黄帝ではないの? 主上の至翼で、私達を形作る力があれば、本来は黄帝でしょ? でも、白虹の皇子は、黄王は黄帝の敵だと言っていたわ。それは本当? 一体、どういう状況なの?」
「そうそう。俺達、我が君に会うことしか考えていなかったから聞き流していたけど、いまいちこの状況がよくわかってない。黄王の守護は見事に呪われているし、そういう事と関係があるの? 黄帝って誰? どんな奴? 黄王を戒めるほど、強い奴がいるってこと?」
あまりの事実に、朱桜は双子のように似た容姿の二人を見たまま固まってしまう。自分が問いかけられていることも忘れて、鳳凰が語ったことの意味を考えていた。
(私の、ーー相称の翼の至翼で、鳳凰を形作った。先生が……)
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