194 / 233
第五話(最終話) 相称の翼
第二章:四 黄緋剣(おうひのつるぎ)
しおりを挟む
(――今なら)
朱桜はすうっと右手で虚空を掻く。
以前と変わらず、しっかりと手に触れる感覚があった。強く握りしめて思い切って引き抜く。
すらりと空を切る光。現れた刀剣は目を焼かれそうな輝きを伴っている。
柄は見慣れた朱だが、刃は金色に変貌していた。
黄金色の剣。
自身の刀剣なのに、魅入ってしまう。
「――素晴らしいな」
碧宇の声でハッと我に返った。朱桜が彼を仰ぐと、碧宇は綺麗な眼差しを細めて嘆息を漏らす。
「黄后の剣など初めて見た。……恐れ多い」
「私も初めて見ました」
「抜くのは初めてか。剣の名は?」
「……黄緋剣」
まるで以前から知っていたかのように、剣の名がわかる。朱明剣が変貌を果たしたのだ。柄の鮮やかな朱に見覚えがあった。
「姫君は相称の翼だ。偽物であるはずがない」
朱桜も認めざるを得ない。つかみ取った剣が紛い物であるとは思えなかった。
自身の剣であるのに、把握することができない膨大な力を秘めているのが伝わってくる。
黄后の――天帝の剣だと悟った。
「でも、どうして……」
どうして相称の翼に成ったのか。
やはりあの忌まわしい出来事が儀式となったのだろうか。
朱桜が唇を噛んで悪夢のような出来事をやり過ごしていると、碧宇は胸中を察したのか、静かに語る。
「姫君、あまり考えないほうが良い」
朱桜が顔をあげると、碧宇は頷く。
「それは自分を追い詰めるだけだ。ただ何人であれ、陵辱も真名の強要も、天界の者としては失落に値する行いだと俺は思う。それが儀式だというなら、この世の先途も知れたことだろう。――まぁ、これは俺の個人的な意見だがな」
「……碧宇の王子」
朱桜は自分の背負っている何かが、少しだけ軽くなったような気がした。
誰もが相称の翼となった自分には、世界のために耐えることを強要するのだと思っていた。
どんな試練も当たり前のように、乗り越えるべきだと。
自分の境遇を慮ってもらえることなど、ありえないと思いつめていた。
「ありがとうございます」
語られてきた天帝の発祥に齟齬があったのか。誰もが信じて疑わない理に、秘められた掟があるのか。
わからない。けれど、今は考える必要がない。自分はもう相称の翼になってしまったのだ。
碧宇が慰めるかのように、朱桜の肩に手を置いた。
「今は考えても仕方がない」
「はい」
「姫君が納得いかないように、俺にも腑に落ちないことがある」
「え?」
碧宇は答えず、悪戯っぽく笑う。
「そもそも黄后の守護はどうなっている?」
「守護?」
「そうだ。あんたが相称の翼であることは疑いようがない。だが、鳳凰を携えてはいない」
朱桜は手にした剣の輝きを見つめる。これが偽物であるとは思えない。確かな手ごたえと存在感を持って、黄緋剣がここにある。
黄后と共に生まれる守護、――鳳凰。自分には与えられていないのだろうか。
朱桜の知っている成り行きとは、全てが異なっている。
「心当たりはないのか?」
碧宇の問いに朱桜は頷くことしかできない。彼は「おや?」と云いたげに首を傾ける。
「俺にはあるがな」
「ええ!?」
「そんなに驚くことか? はじめに姫君を乗せて飛んだ黒い怪鳥。そして黒樹の森の経緯の中に現れた童だ。俺も天帝の発生について詳しいわけじゃない。どの段階で守護が誕生し現れるのかも知りはしないが。ただ麒麟も鳳凰も、雌雄で守護となり変幻する。あんたを鬼の襲撃から救った少年と少女は、その行動からもおそらく鳳凰だろう」
朱桜は黒樹の森で出会った幼い二人を思い出す。麒一と麟華の印象とは違いすぎたせいだろうか。思いもよらなかった。
「とにかく陛下の元に戻るのは、もう少し考えよう。姫君にも覚悟を決める時間が必要だ」
「だけど、もうそんな猶予は」
ないと示すと、碧宇は横に首を降る。
「ここに黄后の剣があるのなら、色々やりようがあるはずだ」
碧宇の決断は驚くほどあっさりとしていた。簡単に勅命を放棄する豪胆な気性に、朱桜は唖然となる。黄帝の元へ戻るという選択肢を破棄すると、既にその考えに未練はないようだった。何の戸惑いも迷いもない様子で、朱桜に問いかけた。
「天界で誰か信用できる者はいないか? 姫君を案じてくれるような者は?」
闇呪や黒麒麟以外にはない。朱桜は首を横に振ろうとしたが、導かれるように異界での出来事を思い出す。
(――赤の宮……)
緋国で拠り所のない孤独と戦っていた時は、宮の配慮に慰められていた。
どんな風聞にも心を奪われることなく、毅然と立つ王。
朱桜が憧れていた中宮。
国を背負う立場にありながら、異界に渡り来た理由。
(赤の宮が、どうして……)
あの時は意味を考えることもできなかった。
天落の法で記憶を失っていた朱里を引き寄せ、抱きしめてくれた。彼女の温もりに泣きたいような気持ちになったことを覚えている。
中宮と闇呪のやりとりを懸命に思い出す。誰もが闇呪を厭わしく思う世界で、赤の宮は彼に信頼を寄せていたのではないだろうか。そして、黄帝の真意が分からないと。
たしかに、そう言っていた。
「緋国へ」
「ん?」
「緋国の赤の宮に会いたいです」
「姫君の故郷だな。悪くない」
碧宇は不敵に笑うと、すっと手を出す。大きな掌に漆黒の宝玉があった。美しいが、禍々しさを漂わせている。朱桜は不安そうに碧宇の顔を仰ぐ。
「麒麟の目だ。今は誰にも行方を知られたくない。だからこれで一足飛びに赤の宮の元へ向かう」
「大丈夫ですか?」
麒麟の目の活用には呪鬼が伴う。弱い心の持ち主はすぐに呑まれてしまうだろう。
そのため、本来は禁忌とされる手段だった。
「俺はそこまで愚かではない。頼るのは、これが最後だ」
碧宇の強い眼差しを見て、朱桜は頷いた。
「霊脈を開く」
ふわりと碧宇に肩を抱かれる。朱桜は未練を断ち切るように、固く目を閉じた。
朱桜はすうっと右手で虚空を掻く。
以前と変わらず、しっかりと手に触れる感覚があった。強く握りしめて思い切って引き抜く。
すらりと空を切る光。現れた刀剣は目を焼かれそうな輝きを伴っている。
柄は見慣れた朱だが、刃は金色に変貌していた。
黄金色の剣。
自身の刀剣なのに、魅入ってしまう。
「――素晴らしいな」
碧宇の声でハッと我に返った。朱桜が彼を仰ぐと、碧宇は綺麗な眼差しを細めて嘆息を漏らす。
「黄后の剣など初めて見た。……恐れ多い」
「私も初めて見ました」
「抜くのは初めてか。剣の名は?」
「……黄緋剣」
まるで以前から知っていたかのように、剣の名がわかる。朱明剣が変貌を果たしたのだ。柄の鮮やかな朱に見覚えがあった。
「姫君は相称の翼だ。偽物であるはずがない」
朱桜も認めざるを得ない。つかみ取った剣が紛い物であるとは思えなかった。
自身の剣であるのに、把握することができない膨大な力を秘めているのが伝わってくる。
黄后の――天帝の剣だと悟った。
「でも、どうして……」
どうして相称の翼に成ったのか。
やはりあの忌まわしい出来事が儀式となったのだろうか。
朱桜が唇を噛んで悪夢のような出来事をやり過ごしていると、碧宇は胸中を察したのか、静かに語る。
「姫君、あまり考えないほうが良い」
朱桜が顔をあげると、碧宇は頷く。
「それは自分を追い詰めるだけだ。ただ何人であれ、陵辱も真名の強要も、天界の者としては失落に値する行いだと俺は思う。それが儀式だというなら、この世の先途も知れたことだろう。――まぁ、これは俺の個人的な意見だがな」
「……碧宇の王子」
朱桜は自分の背負っている何かが、少しだけ軽くなったような気がした。
誰もが相称の翼となった自分には、世界のために耐えることを強要するのだと思っていた。
どんな試練も当たり前のように、乗り越えるべきだと。
自分の境遇を慮ってもらえることなど、ありえないと思いつめていた。
「ありがとうございます」
語られてきた天帝の発祥に齟齬があったのか。誰もが信じて疑わない理に、秘められた掟があるのか。
わからない。けれど、今は考える必要がない。自分はもう相称の翼になってしまったのだ。
碧宇が慰めるかのように、朱桜の肩に手を置いた。
「今は考えても仕方がない」
「はい」
「姫君が納得いかないように、俺にも腑に落ちないことがある」
「え?」
碧宇は答えず、悪戯っぽく笑う。
「そもそも黄后の守護はどうなっている?」
「守護?」
「そうだ。あんたが相称の翼であることは疑いようがない。だが、鳳凰を携えてはいない」
朱桜は手にした剣の輝きを見つめる。これが偽物であるとは思えない。確かな手ごたえと存在感を持って、黄緋剣がここにある。
黄后と共に生まれる守護、――鳳凰。自分には与えられていないのだろうか。
朱桜の知っている成り行きとは、全てが異なっている。
「心当たりはないのか?」
碧宇の問いに朱桜は頷くことしかできない。彼は「おや?」と云いたげに首を傾ける。
「俺にはあるがな」
「ええ!?」
「そんなに驚くことか? はじめに姫君を乗せて飛んだ黒い怪鳥。そして黒樹の森の経緯の中に現れた童だ。俺も天帝の発生について詳しいわけじゃない。どの段階で守護が誕生し現れるのかも知りはしないが。ただ麒麟も鳳凰も、雌雄で守護となり変幻する。あんたを鬼の襲撃から救った少年と少女は、その行動からもおそらく鳳凰だろう」
朱桜は黒樹の森で出会った幼い二人を思い出す。麒一と麟華の印象とは違いすぎたせいだろうか。思いもよらなかった。
「とにかく陛下の元に戻るのは、もう少し考えよう。姫君にも覚悟を決める時間が必要だ」
「だけど、もうそんな猶予は」
ないと示すと、碧宇は横に首を降る。
「ここに黄后の剣があるのなら、色々やりようがあるはずだ」
碧宇の決断は驚くほどあっさりとしていた。簡単に勅命を放棄する豪胆な気性に、朱桜は唖然となる。黄帝の元へ戻るという選択肢を破棄すると、既にその考えに未練はないようだった。何の戸惑いも迷いもない様子で、朱桜に問いかけた。
「天界で誰か信用できる者はいないか? 姫君を案じてくれるような者は?」
闇呪や黒麒麟以外にはない。朱桜は首を横に振ろうとしたが、導かれるように異界での出来事を思い出す。
(――赤の宮……)
緋国で拠り所のない孤独と戦っていた時は、宮の配慮に慰められていた。
どんな風聞にも心を奪われることなく、毅然と立つ王。
朱桜が憧れていた中宮。
国を背負う立場にありながら、異界に渡り来た理由。
(赤の宮が、どうして……)
あの時は意味を考えることもできなかった。
天落の法で記憶を失っていた朱里を引き寄せ、抱きしめてくれた。彼女の温もりに泣きたいような気持ちになったことを覚えている。
中宮と闇呪のやりとりを懸命に思い出す。誰もが闇呪を厭わしく思う世界で、赤の宮は彼に信頼を寄せていたのではないだろうか。そして、黄帝の真意が分からないと。
たしかに、そう言っていた。
「緋国へ」
「ん?」
「緋国の赤の宮に会いたいです」
「姫君の故郷だな。悪くない」
碧宇は不敵に笑うと、すっと手を出す。大きな掌に漆黒の宝玉があった。美しいが、禍々しさを漂わせている。朱桜は不安そうに碧宇の顔を仰ぐ。
「麒麟の目だ。今は誰にも行方を知られたくない。だからこれで一足飛びに赤の宮の元へ向かう」
「大丈夫ですか?」
麒麟の目の活用には呪鬼が伴う。弱い心の持ち主はすぐに呑まれてしまうだろう。
そのため、本来は禁忌とされる手段だった。
「俺はそこまで愚かではない。頼るのは、これが最後だ」
碧宇の強い眼差しを見て、朱桜は頷いた。
「霊脈を開く」
ふわりと碧宇に肩を抱かれる。朱桜は未練を断ち切るように、固く目を閉じた。
0
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
2番目の1番【完】
綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。
騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。
それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。
王女様には私は勝てない。
結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。
※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです
自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。
批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……
矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。
『もう君はいりません、アリスミ・カロック』
恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。
恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。
『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』
『えっ……』
任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。
私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。
それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。
――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。
※このお話の設定は架空のものです。
※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる