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第五話(最終話) 相称の翼

第二章:四 黄緋剣(おうひのつるぎ)

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(――今なら)

 朱桜すおうはすうっと右手で虚空を掻く。
 以前と変わらず、しっかりと手に触れる感覚があった。強く握りしめて思い切って引き抜く。
 すらりと空を切る光。現れた刀剣は目を焼かれそうな輝きを伴っている。

 柄は見慣れた朱だが、刃は金色に変貌していた。
 黄金色こがねいろの剣。
 自身の刀剣なのに、魅入ってしまう。

「――素晴らしいな」

 碧宇へきうの声でハッと我に返った。朱桜が彼を仰ぐと、碧宇は綺麗な眼差しを細めて嘆息を漏らす。

「黄后の剣など初めて見た。……恐れ多い」

「私も初めて見ました」

「抜くのは初めてか。剣の名は?」

「……黄緋剣おうひのつるぎ

 まるで以前から知っていたかのように、剣の名がわかる。朱明剣しゅめいのつるぎが変貌を果たしたのだ。つかの鮮やかなあかに見覚えがあった。

「姫君は相称そうしょうつばさだ。偽物であるはずがない」

 朱桜も認めざるを得ない。つかみ取った剣が紛い物であるとは思えなかった。
 自身の剣であるのに、把握することができない膨大な力を秘めているのが伝わってくる。
 黄后の――天帝の剣だと悟った。

「でも、どうして……」

 どうして相称の翼に成ったのか。
 やはりあの忌まわしい出来事が儀式となったのだろうか。
 朱桜が唇を噛んで悪夢のような出来事をやり過ごしていると、碧宇は胸中を察したのか、静かに語る。

「姫君、あまり考えないほうが良い」

 朱桜が顔をあげると、碧宇は頷く。

「それは自分を追い詰めるだけだ。ただ何人なんびとであれ、陵辱も真名の強要も、天界の者としては失落しつらくに値する行いだと俺は思う。それが儀式だというなら、この世の先途さきいきも知れたことだろう。――まぁ、これは俺の個人的な意見だがな」

「……碧宇の王子」

 朱桜は自分の背負っている何かが、少しだけ軽くなったような気がした。
 誰もが相称の翼となった自分には、世界のために耐えることを強要するのだと思っていた。

 どんな試練も当たり前のように、乗り越えるべきだと。
 自分の境遇をおもんばかってもらえることなど、ありえないと思いつめていた。

「ありがとうございます」

 語られてきた天帝の発祥に齟齬があったのか。誰もが信じて疑わないことわりに、秘められたおきてがあるのか。
 わからない。けれど、今は考える必要がない。自分はもう相称の翼になってしまったのだ。
 碧宇が慰めるかのように、朱桜の肩に手を置いた。

「今は考えても仕方がない」
「はい」

「姫君が納得いかないように、俺にも腑に落ちないことがある」
「え?」

 碧宇は答えず、悪戯っぽく笑う。

「そもそも黄后の守護はどうなっている?」
「守護?」

「そうだ。あんたが相称の翼であることは疑いようがない。だが、鳳凰を携えてはいない」

 朱桜は手にした剣の輝きを見つめる。これが偽物であるとは思えない。確かな手ごたえと存在感を持って、黄緋剣おうひのつるぎがここにある。

 黄后と共に生まれる守護、――鳳凰。自分には与えられていないのだろうか。
 朱桜の知っている成り行きとは、全てが異なっている。

「心当たりはないのか?」

 碧宇の問いに朱桜は頷くことしかできない。彼は「おや?」と云いたげに首を傾ける。

「俺にはあるがな」
「ええ!?」

「そんなに驚くことか? はじめに姫君を乗せて飛んだ黒い怪鳥。そして黒樹こくじゅの森の経緯の中に現れたこどもだ。俺も天帝の発生について詳しいわけじゃない。どの段階で守護が誕生し現れるのかも知りはしないが。ただ麒麟も鳳凰も、雌雄しゆうで守護となり変幻する。あんたをの襲撃から救った少年と少女は、その行動からもおそらく鳳凰だろう」

 朱桜は黒樹の森で出会った幼い二人を思い出す。麒一きいち麟華りんかの印象とは違いすぎたせいだろうか。思いもよらなかった。

「とにかく陛下の元に戻るのは、もう少し考えよう。姫君にも覚悟を決める時間が必要だ」

「だけど、もうそんな猶予は」

 ないと示すと、碧宇は横に首を降る。

「ここに黄后の剣があるのなら、色々やりようがあるはずだ」

 碧宇の決断は驚くほどあっさりとしていた。簡単に勅命を放棄する豪胆な気性に、朱桜は唖然となる。黄帝の元へ戻るという選択肢を破棄すると、既にその考えに未練はないようだった。何の戸惑いも迷いもない様子で、朱桜に問いかけた。

「天界で誰か信用できる者はいないか? 姫君を案じてくれるような者は?」

 闇呪あんじゅ黒麒麟くろきりん以外にはない。朱桜は首を横に振ろうとしたが、導かれるように異界での出来事を思い出す。

(――赤の宮……)

 緋国ひのくにで拠り所のない孤独と戦っていた時は、宮の配慮に慰められていた。
 どんな風聞にも心を奪われることなく、毅然と立つ王。
 朱桜が憧れていた中宮。
 国を背負う立場にありながら、異界に渡り来た理由。

(赤の宮が、どうして……)

 あの時は意味を考えることもできなかった。
 天落てんらくほうで記憶を失っていた朱里あかりを引き寄せ、抱きしめてくれた。彼女の温もりに泣きたいような気持ちになったことを覚えている。

 中宮と闇呪あんじゅのやりとりを懸命に思い出す。誰もが闇呪あんじゅいとわしく思う世界で、赤の宮は彼に信頼を寄せていたのではないだろうか。そして、黄帝の真意が分からないと。
 たしかに、そう言っていた。

緋国ひのくにへ」
「ん?」

「緋国の赤の宮に会いたいです」
「姫君の故郷だな。悪くない」

 碧宇は不敵に笑うと、すっと手を出す。大きなてのひらに漆黒の宝玉があった。美しいが、禍々まがまがしさを漂わせている。朱桜は不安そうに碧宇の顔を仰ぐ。

「麒麟の目だ。今は誰にも行方を知られたくない。だからこれで一足飛びに赤の宮の元へ向かう」
「大丈夫ですか?」

 麒麟の目の活用には呪鬼じゅきが伴う。弱い心の持ち主はすぐに呑まれてしまうだろう。
 そのため、本来は禁忌とされる手段だった。

「俺はそこまで愚かではない。頼るのは、これが最後だ」

 碧宇の強い眼差まなざしを見て、朱桜は頷いた。

霊脈みちを開く」

 ふわりと碧宇に肩を抱かれる。朱桜は未練を断ち切るように、固く目を閉じた。
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