179 / 233
第四話 闇の在処(ありか)
九章:四 闇の地:胸騒ぎ
しおりを挟む
闇呪は寝殿の釣殿に立ち、金域の方角を眺めていた。ここから何かが分かるわけでもなく、何の気休めにもならない。わかっているのに、いつのまにか釣殿に足を運んでいた。
愛を以って真実の名を語る。
何の後悔もしていない。それほど心を傾けられることに悦びを感じている。ただ朱桜の気持ちを考えると、本当にそれで良かったのだろうかと考えてしまうのだ。もっと時期を待った方が良かった。
参堂へ立つ彼女を何の術もなく見送る。自分がその不安に耐えられなかっただけだ。突然の告白にどれほど狼狽したのだろう。男女の情愛にも目覚めていない朱桜には、ただ唐突な出来事であったに違いない。
それでも朱桜はその身勝手な行いを受け入れてくれた。
闇呪にはそれだけで充分だった。ただ彼女を失いたくないのだ。だから守る為にできるだけのことをしたかった。
しばらく釣殿に佇んでいたが、いつまでもここに居ても仕方がない。闇呪は吐息をひとつ落として軒廊の伸びる背後を振り返る。
「麒一」
いつからそこに居たのか、麒一がひっそりと立っていた。
「我が君、いかがされたのですか」
いつもの穏やかな声だった。麒一には見抜かれているような気がして素直に答えた。
「本当にこれで良かったのかと考えていた。朱桜に負担をかけたのではないかと」
麒一はわずかに微笑んだ。
「朱桜の姫君は、きっと我が君が考えておられるほど幼くはありません」
「そうだな。……そうなのかもしれない」
麒一の前を横切って軒廊へ歩み出すと、気配がふっと緩むのを感じた。
「我が君、麟華がお祝いをするとはりきっていますが」
「祝い?」
歩みを止めず振り返ると、背後につき従っている麒一が可笑しそうに笑う。
「はい。我が君が翼扶に恵まれたことを盛大に祝いたいそうです」
はりきる麟華の気持ちもわかるが、闇呪はあまり大事にはしたくなかった。
「大袈裟なことをして朱桜を困らせたくない。麟華の気持ちは嬉しいが、そう伝えてくれないか」
「かしこまりました。――ただ、我が君。一言申し上げてもよろしいですか」
「どうした?」
「おめでとうございます」
麒一が深く頭を垂れる。
「麒一」
闇呪は思わず歩みをとめた。
「我らは本当に喜ばしいことだと思っています。我が君が翼扶をお望みになったこと。それは悲観することしかできなかったご自身の立場をのりこえたということではありませんか?」
「……おまえ達には全てを見抜かれているんだな」
麒一は穏やかな目をしている。
「朱桜の姫君にも、我が君の思いは伝わっていると思います」
「――ああ」
きっと麒一の言うとおりなのだろう。朱桜なら全てを受け入れてくれるのかもしれない。禍へと転じるその時まで、あるいは禍と成り果てても、きっと傍に在ってくれる。
自分には手に入れることができないと思っていた翼扶。
朱桜というかけがえのない存在。
(……それでも私は禍となるのか)
翼扶を得て、これほどに守りたいと願っていても。朱桜の在る世を共に慈しみたいと考えていても。
いつかその時はやってくるのだろうか。
あるいは。
闇呪はもう一度金域の方角を眺める。
染みのように胸に広がる嫌な予感。
(――胸騒ぎがする)
朱桜と共に穏やかな時を過ごすことを、天は許すのだろうか。やはり許されないのではないか。そんな気がしてならない。
真実の名を捧げて脈を手に入れても。
(朱桜は無事に戻ってくるのだろうか)
やはり不安が燻ってしまう。
闇呪は最悪の予感を吐き出すように深く息をつく。
誰よりも幸せになってもらいたい翼扶。
だから真実の名を捧げた。
彼女へと繋がる脈。
(「――何か在ったときは、私を呼んで欲しい」)
金域へと送り出すときに、朱桜にはそう頼んだ。
彼女は窮地に立ったとき、はたして自分を呼んでくれるだろうか。
拭えない不安。
朱桜の無垢な優しさを知っているからこそ、どうしても不安が消えないのだ。
翼扶のために禍と成り果てること、滅びること。
闇呪はそれを厭わない。魂魄をかけて朱桜を守る。
けれど。
朱桜は――。
朱桜はきっとそんなことを望まない。
「我が君?」
金域の方を眺めたまま立ち尽くしていると、再び麒一に声をかけられた。闇呪ははっとして歩き始める。
染みのように広がる暗い予感を覚えながら。
愛を以って真実の名を語る。
何の後悔もしていない。それほど心を傾けられることに悦びを感じている。ただ朱桜の気持ちを考えると、本当にそれで良かったのだろうかと考えてしまうのだ。もっと時期を待った方が良かった。
参堂へ立つ彼女を何の術もなく見送る。自分がその不安に耐えられなかっただけだ。突然の告白にどれほど狼狽したのだろう。男女の情愛にも目覚めていない朱桜には、ただ唐突な出来事であったに違いない。
それでも朱桜はその身勝手な行いを受け入れてくれた。
闇呪にはそれだけで充分だった。ただ彼女を失いたくないのだ。だから守る為にできるだけのことをしたかった。
しばらく釣殿に佇んでいたが、いつまでもここに居ても仕方がない。闇呪は吐息をひとつ落として軒廊の伸びる背後を振り返る。
「麒一」
いつからそこに居たのか、麒一がひっそりと立っていた。
「我が君、いかがされたのですか」
いつもの穏やかな声だった。麒一には見抜かれているような気がして素直に答えた。
「本当にこれで良かったのかと考えていた。朱桜に負担をかけたのではないかと」
麒一はわずかに微笑んだ。
「朱桜の姫君は、きっと我が君が考えておられるほど幼くはありません」
「そうだな。……そうなのかもしれない」
麒一の前を横切って軒廊へ歩み出すと、気配がふっと緩むのを感じた。
「我が君、麟華がお祝いをするとはりきっていますが」
「祝い?」
歩みを止めず振り返ると、背後につき従っている麒一が可笑しそうに笑う。
「はい。我が君が翼扶に恵まれたことを盛大に祝いたいそうです」
はりきる麟華の気持ちもわかるが、闇呪はあまり大事にはしたくなかった。
「大袈裟なことをして朱桜を困らせたくない。麟華の気持ちは嬉しいが、そう伝えてくれないか」
「かしこまりました。――ただ、我が君。一言申し上げてもよろしいですか」
「どうした?」
「おめでとうございます」
麒一が深く頭を垂れる。
「麒一」
闇呪は思わず歩みをとめた。
「我らは本当に喜ばしいことだと思っています。我が君が翼扶をお望みになったこと。それは悲観することしかできなかったご自身の立場をのりこえたということではありませんか?」
「……おまえ達には全てを見抜かれているんだな」
麒一は穏やかな目をしている。
「朱桜の姫君にも、我が君の思いは伝わっていると思います」
「――ああ」
きっと麒一の言うとおりなのだろう。朱桜なら全てを受け入れてくれるのかもしれない。禍へと転じるその時まで、あるいは禍と成り果てても、きっと傍に在ってくれる。
自分には手に入れることができないと思っていた翼扶。
朱桜というかけがえのない存在。
(……それでも私は禍となるのか)
翼扶を得て、これほどに守りたいと願っていても。朱桜の在る世を共に慈しみたいと考えていても。
いつかその時はやってくるのだろうか。
あるいは。
闇呪はもう一度金域の方角を眺める。
染みのように胸に広がる嫌な予感。
(――胸騒ぎがする)
朱桜と共に穏やかな時を過ごすことを、天は許すのだろうか。やはり許されないのではないか。そんな気がしてならない。
真実の名を捧げて脈を手に入れても。
(朱桜は無事に戻ってくるのだろうか)
やはり不安が燻ってしまう。
闇呪は最悪の予感を吐き出すように深く息をつく。
誰よりも幸せになってもらいたい翼扶。
だから真実の名を捧げた。
彼女へと繋がる脈。
(「――何か在ったときは、私を呼んで欲しい」)
金域へと送り出すときに、朱桜にはそう頼んだ。
彼女は窮地に立ったとき、はたして自分を呼んでくれるだろうか。
拭えない不安。
朱桜の無垢な優しさを知っているからこそ、どうしても不安が消えないのだ。
翼扶のために禍と成り果てること、滅びること。
闇呪はそれを厭わない。魂魄をかけて朱桜を守る。
けれど。
朱桜は――。
朱桜はきっとそんなことを望まない。
「我が君?」
金域の方を眺めたまま立ち尽くしていると、再び麒一に声をかけられた。闇呪ははっとして歩き始める。
染みのように広がる暗い予感を覚えながら。
0
お気に入りに追加
136
あなたにおすすめの小説


思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。

【完結】彼を幸せにする十の方法
玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。
フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。
婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。
しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。
婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。
婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる