161 / 233
第四話 闇の在処(ありか)
五章:四 闇の地:負の連鎖
しおりを挟む
辺りは音もなく静かだった。夜色に包まれた森の静寂に恐れは感じなかった。
奥深い森を進むに連れて、どこからか風が吹いてくる。
頬を撫でるような緩やかな風。まるで六の君を慰めるかのような優しさで通り過ぎて行く。六の君は誘われるように、風の流れてくる方角へ歩んだ。
奥へ分け入るほどに、風は強さを増した。木々だけがざわざわと茂った梢を揺らす。夜空は幾重にも葉で覆われ、既に仰ぐことが出来なくなっていた。はじめは遠めに眺めることができた暗黒の柱の位置もつかめない。
何の根拠もないまま、六の君は風だけを頼りに進んだ。
ごうっと風が強くなる。長い緋色の髪を弄んで吹き抜けて行く。
ふと六の君は歩みを止めた。木々の隙間を縫うように奥へと連なっていた闇に違和感を覚える。距離感が奪われてしまったような光景。
まるで切り取られたかのように、唐突に森から外れてしまったような錯覚がした。背後に広がる光景とは、明らかに異質な空間だった。
荒野のように何もない。
ただ辺りの夜色とは比べものにならない暗黒がある。風はたしかにそこから舞い上がっていた。
六の君は距離を置いたまま、とてつもない巨木を見上げるようにその暗黒を仰いだ。
鬼の坩堝(きのるつぼ)に辿りついたのだ。
不思議と恐れはなかった。
艶やかな闇は、切なくなるほど綺麗だった。闇呪の纏う美しさに通じるものがある。
――カナシイ。
ふと風に紛れるような声が聞こえた。
――カナシイ、カナシイ。
胸を掴まれるような衝撃でその思いが響く。まるで自分の思いを語られているようで、痛いくらいに沁みた。
六の君はゆっくりと美しい暗黒に歩み寄る。
――カナシイ、カナシイ。
「哀しい」
心が痛む。哀しみに染まる。
閉じ込めていた気持ちが、涙と共にどっと溢れ出た。
驚くほどの勢いで負が連鎖していく。抗いがたい絶望に心が侵される。肥大した暗い塊に呑まれて、もう闇しか見えない。
いつも手に入れることのできない居場所。自分自身に意味が見出せない。
だけど、そんなことを嘆く弱さも嫌だった。負けてしまうのが嫌で。
前を向いていたくてじっと堪えていた。
いつも、いつも、いつも。
――カナシイ。
喉が引きつるような烈しさで、嗚咽が漏れる。
心が折れる。
――ワタシハ、イラナイ。
絶望の烙印。
「わたし――」
呟いた声は、よく通る声にかき消された。
「いけないっ、姫君」
止めようのない哀しみで飽和していた心に、駆け抜けた声。
「姫君、こちらへ。私の手を――」
六の君は弾かれたように振り返った。闇だけを見つめていた心が、急激に現実に引き戻される。真っ暗な闇に染められた世界。いつの間に囚われたのか、じわじわと世界が閉ざされようとしている。
「姫君っ」
塞がれてゆく世界から、たしかに垣間見えた人影。
この地の主。
闇呪。
六の君は身動きのままならない暗黒の中で、閉じようとしている世界から懸命に手を伸ばした。
「姫君、私の手を――」
闇の向こう側に、たしかに差し出された手。
けれど。
届かない。
世界が閉じる。全てが終わる。
駄目だと覚悟した瞬間、絶望から連れ出すような力強さで腕を掴まれた。
六の君は引き寄せられるまま、そちらへと倒れこむ。
しっかりと自分を受け止めてくれる人影。呑みこまれようとしていた闇よりも艶やかな髪が、はらりと頬に落ちかかってきた。
「闇呪の、君――……」
どうしてと問う力が残されていなかった。力が入らない。
最後に見たのは彼の深い瞳。美しい双眸。
自分を抱く腕の力強さ。体温。
(――助けてくれた、わたしを……)
明けない夜にようやく薄明が訪れたのだろうか。あるいは最期に与えられた、都合の良い夢だろうか。
確かめることができないまま、六の君はコトリと意識を失った。
奥深い森を進むに連れて、どこからか風が吹いてくる。
頬を撫でるような緩やかな風。まるで六の君を慰めるかのような優しさで通り過ぎて行く。六の君は誘われるように、風の流れてくる方角へ歩んだ。
奥へ分け入るほどに、風は強さを増した。木々だけがざわざわと茂った梢を揺らす。夜空は幾重にも葉で覆われ、既に仰ぐことが出来なくなっていた。はじめは遠めに眺めることができた暗黒の柱の位置もつかめない。
何の根拠もないまま、六の君は風だけを頼りに進んだ。
ごうっと風が強くなる。長い緋色の髪を弄んで吹き抜けて行く。
ふと六の君は歩みを止めた。木々の隙間を縫うように奥へと連なっていた闇に違和感を覚える。距離感が奪われてしまったような光景。
まるで切り取られたかのように、唐突に森から外れてしまったような錯覚がした。背後に広がる光景とは、明らかに異質な空間だった。
荒野のように何もない。
ただ辺りの夜色とは比べものにならない暗黒がある。風はたしかにそこから舞い上がっていた。
六の君は距離を置いたまま、とてつもない巨木を見上げるようにその暗黒を仰いだ。
鬼の坩堝(きのるつぼ)に辿りついたのだ。
不思議と恐れはなかった。
艶やかな闇は、切なくなるほど綺麗だった。闇呪の纏う美しさに通じるものがある。
――カナシイ。
ふと風に紛れるような声が聞こえた。
――カナシイ、カナシイ。
胸を掴まれるような衝撃でその思いが響く。まるで自分の思いを語られているようで、痛いくらいに沁みた。
六の君はゆっくりと美しい暗黒に歩み寄る。
――カナシイ、カナシイ。
「哀しい」
心が痛む。哀しみに染まる。
閉じ込めていた気持ちが、涙と共にどっと溢れ出た。
驚くほどの勢いで負が連鎖していく。抗いがたい絶望に心が侵される。肥大した暗い塊に呑まれて、もう闇しか見えない。
いつも手に入れることのできない居場所。自分自身に意味が見出せない。
だけど、そんなことを嘆く弱さも嫌だった。負けてしまうのが嫌で。
前を向いていたくてじっと堪えていた。
いつも、いつも、いつも。
――カナシイ。
喉が引きつるような烈しさで、嗚咽が漏れる。
心が折れる。
――ワタシハ、イラナイ。
絶望の烙印。
「わたし――」
呟いた声は、よく通る声にかき消された。
「いけないっ、姫君」
止めようのない哀しみで飽和していた心に、駆け抜けた声。
「姫君、こちらへ。私の手を――」
六の君は弾かれたように振り返った。闇だけを見つめていた心が、急激に現実に引き戻される。真っ暗な闇に染められた世界。いつの間に囚われたのか、じわじわと世界が閉ざされようとしている。
「姫君っ」
塞がれてゆく世界から、たしかに垣間見えた人影。
この地の主。
闇呪。
六の君は身動きのままならない暗黒の中で、閉じようとしている世界から懸命に手を伸ばした。
「姫君、私の手を――」
闇の向こう側に、たしかに差し出された手。
けれど。
届かない。
世界が閉じる。全てが終わる。
駄目だと覚悟した瞬間、絶望から連れ出すような力強さで腕を掴まれた。
六の君は引き寄せられるまま、そちらへと倒れこむ。
しっかりと自分を受け止めてくれる人影。呑みこまれようとしていた闇よりも艶やかな髪が、はらりと頬に落ちかかってきた。
「闇呪の、君――……」
どうしてと問う力が残されていなかった。力が入らない。
最後に見たのは彼の深い瞳。美しい双眸。
自分を抱く腕の力強さ。体温。
(――助けてくれた、わたしを……)
明けない夜にようやく薄明が訪れたのだろうか。あるいは最期に与えられた、都合の良い夢だろうか。
確かめることができないまま、六の君はコトリと意識を失った。
0
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説
2番目の1番【完】
綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。
騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。
それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。
王女様には私は勝てない。
結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。
※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです
自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。
批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…
夫の浮気相手と一緒に暮らすなんて無理です!
火野村志紀
恋愛
トゥーラ侯爵家の当主と結婚して幸せな夫婦生活を送っていたリリティーヌ。
しかしそんな日々も夫のエリオットの浮気によって終わりを告げる。
浮気相手は平民のレナ。
エリオットはレナとは半年前から関係を持っていたらしく、それを知ったリリティーヌは即座に離婚を決める。
エリオットはリリティーヌを本気で愛していると言って拒否する。その真剣な表情に、心が揺らぎそうになるリリティーヌ。
ところが次の瞬間、エリオットから衝撃の発言が。
「レナをこの屋敷に住まわせたいと思うんだ。いいよね……?」
ば、馬鹿野郎!!
旦那様、離婚しましょう
榎夜
恋愛
私と旦那は、いわゆる『白い結婚』というやつだ。
手を繋いだどころか、夜を共にしたこともありません。
ですが、とある時に浮気相手が懐妊した、との報告がありました。
なので邪魔者は消えさせてもらいますね
*『旦那様、離婚しましょう~私は冒険者になるのでお構いなく!~』と登場人物は同じ
本当はこんな感じにしたかったのに主が詰め込みすぎて......
永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……
矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。
『もう君はいりません、アリスミ・カロック』
恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。
恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。
『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』
『えっ……』
任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。
私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。
それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。
――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。
※このお話の設定は架空のものです。
※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)
愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる