シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

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第四話 闇の在処(ありか)

四章:五 闇の地(あんのち):秘められた約束1

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 艶やかな黒い柱で構成された寝殿しんでん。当たり前のように黒が目に付く。新鮮なほど馴染なじまない光景が広がっていた。 
 けれど、いつのまにか緋桜ひおうは恐れることを忘れていた。通された広廂ひろびさしに現れた人影に目を奪われたのだ。これが本当に世の禍として語られている、非情な坩堝るつぼの番人なのかと疑いたくなるほどだった。 

 素性を語らない不躾な訪問に、目の前の主――闇呪あんじゅは気を悪くしている様子もない。 
 天界で数多の麗人を見てきた緋桜ですら、はっとするほどの美形。決して他の色に奪われることのない、異端の色合いがただ哀しいほど深い。金域こんいきで黄帝と謁見した時も、これほど魅入ることはなかったような気がする。 
 目の前に現れた闇呪あんじゅは、静かに緋桜を見つめている。 

「主上、素性も語らぬ者の話など聞く必要はありません」 

 闇呪の傍らで、彼と同じ黒髪黒眼の女が、場違いなほどけたたましい声でまくしたてている。隣では、女と似通った容姿の男が静かにこちらを窺っていた。 

麟華りんか。独りでここを訪れるという、その行為がどれほどのものか、わかるか?」 

 凛と響く声が、女をたしなめた。大きくはないのによく通る声だった。緋桜はようやく平常心を取り戻しつつあった。深呼吸をしてから、頭から羽織っていた表着をはらりと落とす。 

「その目を焼くほどの緋色、――赤の宮ですね?」 

 けたたましく声をあげていた女の傍らに立っていた寡黙な男が、はじめて口を開いた。闇呪は信じられないものを眺めるように、緋桜を見つめたまま瞠目している。 

「赤の宮?莫迦な、――緋国ひのくにの女王がなぜここに」 

 まったく警戒心の芽生えない闇呪とは裏腹に、傍らの男は訝しげに目を細めた。 

「私も不思議に思います。女王が独りきりで供もつけずに。いったい我が君に何用か?」 

 警戒心を剥き出しにして、男が鋭く問いかけた。 
 闇呪を護るように寄りそう男と女。無駄な動きを見せれば、即座に襲い掛かってきそうな気迫が漲っている。共に瞳に宿している吸い込まれそうな闇で、緋桜は彼らが黒麒麟くろきりんなのだろうと悟る。守護が殺気だったままでは、闇呪と語るのは容易ではない。 

 闇呪が極悪非道であると語られるにはそれなりに理由がある筈なのだ。 
 緋桜は黒麒麟の圧力に一筋縄ではいかないものを感じながら、緊迫感の高まっていく場を、どのように打開すべきかと模索した。

「私は、ただ申し上げておきたいことがあるのです。それだけです」 

 はっきりと述べて、緋桜は胸の前に掲げるように、虚空の鞘からゆっくりと剣を引き抜いた。 

「不躾な訪問に気を悪くされたのであれば、この紅旭剣こうきょくのつるぎでお詫びいたしましょう。お話をうかがって頂くまで、私は帰るわけにはまいりません」 

 剣を差し出すことにためらいはなかった。自分にとっては最大の敬意を払うだけの価値があることなのだ。 
 しずかの言葉を信じている。闇呪が六の君の守り手となることを疑うことはできない。 
 緋桜の掲げた紅旭剣こうきょくのつるぎを見て、闇呪が驚いたように声をあげる。 

「女王、ご自身が何をなさっているか判っておられるのですか」 
「もちろんです」 

 剣を掲げたまま答えると、闇呪は口を閉ざした。緋桜の思惑が読めず戸惑っているのだろうか。見かねたように黒麒こっきが厳しい声を出す。 

「赤の宮。女王の剣を差し出すということは、国を見放すに等しい行為です。我が君に緋国の破滅でも依頼されるつもりか?」 

「そのようなつもりでは」 

 緋桜は弾かれたように目の前の人影を仰いだ。たしかにそう受け取られても仕方がない行いだった。母として六の君のことを考えるあまり、王という立場が招くことを見逃していたのだ。 

「決してそのようなつもりではありません。私が形にできる誠意の証が、これより他に思いつかなかったのです」 

 緋桜の狼狽を察したのか、黒麒麟の放つ圧力がわずかに緩んだ。押し黙っていた闇呪が、再び良く通る声を出す。 

「女王、どうか剣を収めてください。ここまでおいでになった理由をお聞きしましょう」 

「我が君」「主上」 

 黒麒麟が不服そうに声を重ねたが、闇呪は手をあげて彼らを制する。 

麒一きいち麟華りんか、控えろ。女王の御前で無礼は許さない」 

 声は小さいが、言葉には力が込められていた。黒麒麟は主の後方へさがり目を伏せた。緋桜はようやく闇呪と向かい合えた気がした。ぴんと張り詰めていたものが緩む。しかしその安堵は次の瞬間、驚愕に変わった。極悪非道である筈の坩堝るつぼの番人は、緋桜の前に座し深く頭を下げたのだ。 

「赤の宮、彼らの非礼をお詫びする」 

 暗い噂の全てが、目の前で否定された。大きな影が覆される。闇呪は非道でも非情でもない。非常識ですらないのだ。緋桜は戸惑いを隠せないが、心の底で静の示唆したことが、かちりと音を立てて繋がった気がした。 

 間違いなく彼が、六の君の守り手となる者。ただ漠然と信じていただけの静の言葉が、はっきりとした輪郭を伴った瞬間だった。

「このような呪われた地においでになるのは、よほどの理由があってのことでしょう。私でよろしければお話を伺います」 

「ありがとうございます」 

 恐れからではなく、自然に頭が下がる。緋桜は臆せず、闇呪の不可思議な瞳を真正面から見つめた。 

「闇呪の君。末の姫宮――六の君が縁を結ぶことになりました。私はそのことについて申し上げておきたいことがあるのです」 
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