シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
147 / 233
第四話 闇の在処(ありか)

三章:一 闇の地:楔(くさび)1

しおりを挟む
 新たな后を迎える。闇呪あんじゅには理解できない。喜びもない。 
 なぜこのような呪われた地で、わざわいの伴侶となるものを選ぶのか。 
 それが選ばれた姫君にとって酷な仕打ちでしかないということは、自分にも痛いほど理解できる。 

 しかし、世の中の軋轢あつれきは想像よりも苛烈で過酷なのかもしれない。自分が禍として生まれたように、表舞台を望まれぬ定めに生まれた|皇女(みこ)や姫君があるようだった。 
 やりきれない。 

(――また、繰り返すのか) 

 四度目の婚姻を告げられた時、闇呪あんじゅは鈍い痛みを感じた。これまでに縁を結ぶためにやってきた皇女みこや姫のことを考える。ほとんどまみえることもなく、顔を思い出すこともできないのに、彼女達の様子だけは鮮やかに蘇る。 

 自身の不遇を嘆く高慢な振る舞い。 
 ひたすら悲嘆に暮れる伏せられた顔。ただ恐れ震えるだけの蒼ざめた気色。 
 三人三様であった気がするが、既に記憶は混ざり合っている。後に迎えた姫君ほど、嫌悪よりも恐怖に占められていた。その違いだけがおぼろげに記憶に刻まれている 
 どちらにしても、禍として在る者と縁を結ぶことを喜ぶものなどいない。 

 この世の禍。絶対的な悪。 

 婚姻は抗えない宿命をいやというほど再確認する契機になるだけだった。 
 そして。 
 華艶かえんの慈愛が、決して自分にだけ向けられる特別なものではないことも知った。華艶の思いは男と女の情愛には程遠い何かで形作られている。それを嘆くような気持ちは沸いてこない。むしろ、なぜか安堵した。朔夜さくやの残した想いだけが、強く胸の内に生きている。それが伴う絶望は、きっと誰にも取り除くことはできない。 

 たとえ華艶でも無理なのだ。 
 慈愛に満ちた微笑みも、優しい言葉も、惜しみなく与えられる体を以ってしても。 
 癒されない。 
 けれど、それでいいのだと受け入れていた。消えない絶望が描くものは、朔夜《さくや》が教えてくれた、決して忘れてはならない宿命だった。 

 ただ闇呪はふと考える。窺い知れない華艶の心の内。何も恐れず、動じず、ただ優しげに笑うだけの先守さきもり。この天界にあって女が簡単に体を与えることは、禁忌に等しい。彼女だけは、その道理から外れた立場を演じ続けている。まるで慈愛を示す表現手段の一つだと言いたげに、容易く体を許す。 
 真名まなを持つ女は、愛した比翼に対して純潔を捧げることが理想だった。 

 魂魄いのちに等しい真名、かけがえのない心、純潔の身体。最高の美徳と謳われている。もちろん真名を与え合うよりも前に、一過性の恋情に流されて契る場合もある。それでも、女が体を許すことは、真名を与えるに等しいほどの行為と云えた。誰よりも、何よりも、相手に心を奪われている証なのだ。 

 真名を与えられない先守にとっても、天界にある限り心と身体の観念は等しいはずだった。むしろ真名を持たないからこそ、身体のもつ意味は余計に大きいのかもしれない。 
 契りに対する観念。 
 華艶だけが、恐ろしいほど異なっている。 

 先帝との噂をはじめとして、慈愛と情愛に富んだ彼女の噂はたえない。闇呪にはどこまでが事実なのか分からない。分からなくてもかまわなかった。 
 艶麗な美貌も、慈愛に満ちた微笑みも言葉も、自分には届かない。絶望を癒すほどには響かないのだ。 
 刻まれた罪悪を上回るものとはならなかった。 

 胸底に打ち込まれたくさびが、我を忘れるほどの悦楽を許さないからだ。だから色欲に溺れることも、嫉妬に苦しむこともできなかった。そんなふうに自分を見失うことが出来たら、どれほど楽だっただろうと、ときおり思う。華艶の噂については、そんな希薄な感想があるだけだ。 

 闇呪あんじゅにとっては、異彩を放つ華艶の行動よりも、内にあるのだろう何かが気になった。得体の知れない何か。人々が語るような情愛とはかけ離れた何かが、必ず潜んでいる。 
 天界の美徳を捨てても望んだ何か。 

 最高位の稀有けうな先守として、彼女こそが独りなのかもしれない。 
 自分よりも遥かに輝いた立場にある華艶に対して、どうしてそんなことを思ったのか。彼女に影を見出すことで、少しでも救われようと思ったのだろうか。 
 心の中に浮かび上がった幻想、錯覚。 

(――どうかしている) 

 堂々巡りをはじめそうになった思考を断ち切り、闇呪は苦笑する。華艶の内について、それ以上考えることを放棄した。考えても意味のないことなのだ。 
 まるで逃避だと思った。 
 四人目のきさきを迎えることを考えたくないという無意識のせいだろう。恐れているからだ。 
 再び自分の宿命を突きつけられることを、恐れている。 

(私に、恐れる資格などないのに) 

 苦笑が自身を蔑むわらいに変わる。 
 自分と縁を結ぶ姫君のほうが、はるかに恐怖しているのだ。 
 闇呪は去来した痛みから目を逸らすように、呟いた。 

「――酷なことを、する」 

 迎える伴侶にとっても、自分にとっても。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...