143 / 233
第四話 闇の在処(ありか)
二章:二 緋国:居場所
しおりを挟む
紅の宮が自分に託したのは、六の君の出自を守ることだけだろうか。
自分は何か大きな思い違いをしているのではないか。ふと頭をもたげた疑問が急激に暁の内で高まる。
誇り高くあるということが、どういうことなのか。
中宮の身近で誰よりもそれを学んだのではなかったか。だからこそ、紅の宮は自分に託してくれたのだ。
六の君が真実、最悪の申し子であったとしても、きっと暁はその憎しみに目が眩むことはなかった。やりきれない事実には蓋をして、六の君を正しく導くことを貫いただろう。感情にふりまわされず、正しい行いを見つめていた筈だ。
それが、誇り高いということ。
暁は自身の立場で、不自然にならぬやり方を模索する。
笑いかけ、優しくすることができないのだとしても。
嫌悪することと、厳しくすることは違う。
優しい言葉をかけることだけが、優しさではない。六の君のためにできることはあるのだ。出自の暴露を恐れて、自分までが卑屈になる必要はない。
どんなときも、自分は誇りをもって宮家に仕えているのだから。
「六の君殿」
声の厳しさはそのままに。
暁は心から言葉をかける。
「ご自身の居場所をお探しですか」
慰めるのでも労わるのでもない。同情ではなく、ただ訓える。決してその心が折れないように。強く在れるように。
「では伺いますが。六の君殿は私の居場所がお分かりになりますか」
意外な問いかけに驚いたのか。あるいはこんなふうに相手をしてもらえるとは思っていなかったのか。六の君は大きな目を見開いてから、
「それは」と小さく呟いた。
暁は表情を緩めることなく彼女を見つめていた。やがて幼い声が、ためらいがちに答える。
「それは、この国の内に在ると思います」
「なぜ、そう思われるのですか」
「……皆にとても慕われているし、いつも忙しく動いて皆の役に立っているから」
「皆に慕われ、何かの役に立っていれば、ここに在ることが許される。そういうことでしょうか」
「――わかりません」
六の君はうな垂れたようにうつむいた。暁は浅く息を整えてから、同じ調子で口を開く。
「六の君殿はそのように感じておられるのですね。それは間違いではないでしょう。周りの者が与えてくれる居場所というのは、たしかにあります。生まれながらに与えられている居場所、自分で築いた居場所。それは人によって様々でしょう」
六の君は小さく頷いた。他の者との違いを誰よりも感じているのだから、心当たりはあってしかるべきだ。無理もない。
「ですが、自身の居場所を感じるのは、誰でもない自分なのです。お分かりになりますか」
かすかに首が横に振られる。暁は続けた。
「例えば、官吏として大内裏に勤め、皆に慕われ役立っている者があったとして、本人がそれを自身の居場所であると感じているとは限りません。大内裏よりは、家族と共にある時間を居場所であると感じているのかもしれないのです。もちろん逆の者もあるでしょう。また両方が居場所であると感じる者もあります」
六の君は暁の云わんとしている事を必死に汲み取ろうとしているのか、食い入るように暁を見つめていた。
その無垢な瞳。素直な態度。 暁はまだ間に合うと思った。この幼い姫宮の心は、まだ過酷な仕打ちに汚されてはいない。
強く、強く在ってほしい、この先に何があろうとも。
そのために必要ならば、心を偽りの呪文で縛ることも必要だろう。
いつか幸せな未来を過ごせるその日まで、独りであることを嘆かなくても云いように。
「ここに在ってもいいのかどうかと感じるのも、それと同じことです。自分がどう感じるかなのです。六の君殿は誇り高い宮家に生まれました。ここに仕える私の目には、生まれながらに居場所が与えられているように映ります。ですが、ご自身はそう感じておられない」
「皆が口を揃えて、そう云うので……」
「たしかに六の君殿は複雑な事情のもとにお生まれになりました。しかし、それを嘆いても仕方のないことです」
「はい」
暗い声が答える。暁は目まぐるしく考えていた。
どんな言葉の欠片でもいい。嘘でも詭弁でも、まやかしでもいい。
彼女の心を支える糧となるならば。
「それでも、どうしてもご自身の居場所をお求になるのでしたら、ご自身が何かの役に立っていると感じられることをなさればいかがでしょう。どんな些細なことでもよろしいのです。ご自身の居場所がここに在る。このために自分はここに在るのだと、そんなふうに自分を騙すことはできましょう」
「自分の心を、騙す……」
「自分のお心です。騙してしまえばそれが真実となり、慰めとなりましょう。いずれは誇りとなるかもしれません」
「――誇りに」
暁は無言で頷いてから、会話の終わりを示唆するように彼女の衣装の裾をさばいて整えた。
やはり胸が痛む。うまく伝えられたとは思えない。 もっと違う方法はなかったのかと悔いたくなる。それでも暁にとっては、考え抜いた挙句の精一杯の言葉だった。
これからの日々、彼女はどこまで強く在れるだろうか。
わからない。
暁はその場から立ち上がり、いつもと変わらぬ足取りで退出した。
自分は何か大きな思い違いをしているのではないか。ふと頭をもたげた疑問が急激に暁の内で高まる。
誇り高くあるということが、どういうことなのか。
中宮の身近で誰よりもそれを学んだのではなかったか。だからこそ、紅の宮は自分に託してくれたのだ。
六の君が真実、最悪の申し子であったとしても、きっと暁はその憎しみに目が眩むことはなかった。やりきれない事実には蓋をして、六の君を正しく導くことを貫いただろう。感情にふりまわされず、正しい行いを見つめていた筈だ。
それが、誇り高いということ。
暁は自身の立場で、不自然にならぬやり方を模索する。
笑いかけ、優しくすることができないのだとしても。
嫌悪することと、厳しくすることは違う。
優しい言葉をかけることだけが、優しさではない。六の君のためにできることはあるのだ。出自の暴露を恐れて、自分までが卑屈になる必要はない。
どんなときも、自分は誇りをもって宮家に仕えているのだから。
「六の君殿」
声の厳しさはそのままに。
暁は心から言葉をかける。
「ご自身の居場所をお探しですか」
慰めるのでも労わるのでもない。同情ではなく、ただ訓える。決してその心が折れないように。強く在れるように。
「では伺いますが。六の君殿は私の居場所がお分かりになりますか」
意外な問いかけに驚いたのか。あるいはこんなふうに相手をしてもらえるとは思っていなかったのか。六の君は大きな目を見開いてから、
「それは」と小さく呟いた。
暁は表情を緩めることなく彼女を見つめていた。やがて幼い声が、ためらいがちに答える。
「それは、この国の内に在ると思います」
「なぜ、そう思われるのですか」
「……皆にとても慕われているし、いつも忙しく動いて皆の役に立っているから」
「皆に慕われ、何かの役に立っていれば、ここに在ることが許される。そういうことでしょうか」
「――わかりません」
六の君はうな垂れたようにうつむいた。暁は浅く息を整えてから、同じ調子で口を開く。
「六の君殿はそのように感じておられるのですね。それは間違いではないでしょう。周りの者が与えてくれる居場所というのは、たしかにあります。生まれながらに与えられている居場所、自分で築いた居場所。それは人によって様々でしょう」
六の君は小さく頷いた。他の者との違いを誰よりも感じているのだから、心当たりはあってしかるべきだ。無理もない。
「ですが、自身の居場所を感じるのは、誰でもない自分なのです。お分かりになりますか」
かすかに首が横に振られる。暁は続けた。
「例えば、官吏として大内裏に勤め、皆に慕われ役立っている者があったとして、本人がそれを自身の居場所であると感じているとは限りません。大内裏よりは、家族と共にある時間を居場所であると感じているのかもしれないのです。もちろん逆の者もあるでしょう。また両方が居場所であると感じる者もあります」
六の君は暁の云わんとしている事を必死に汲み取ろうとしているのか、食い入るように暁を見つめていた。
その無垢な瞳。素直な態度。 暁はまだ間に合うと思った。この幼い姫宮の心は、まだ過酷な仕打ちに汚されてはいない。
強く、強く在ってほしい、この先に何があろうとも。
そのために必要ならば、心を偽りの呪文で縛ることも必要だろう。
いつか幸せな未来を過ごせるその日まで、独りであることを嘆かなくても云いように。
「ここに在ってもいいのかどうかと感じるのも、それと同じことです。自分がどう感じるかなのです。六の君殿は誇り高い宮家に生まれました。ここに仕える私の目には、生まれながらに居場所が与えられているように映ります。ですが、ご自身はそう感じておられない」
「皆が口を揃えて、そう云うので……」
「たしかに六の君殿は複雑な事情のもとにお生まれになりました。しかし、それを嘆いても仕方のないことです」
「はい」
暗い声が答える。暁は目まぐるしく考えていた。
どんな言葉の欠片でもいい。嘘でも詭弁でも、まやかしでもいい。
彼女の心を支える糧となるならば。
「それでも、どうしてもご自身の居場所をお求になるのでしたら、ご自身が何かの役に立っていると感じられることをなさればいかがでしょう。どんな些細なことでもよろしいのです。ご自身の居場所がここに在る。このために自分はここに在るのだと、そんなふうに自分を騙すことはできましょう」
「自分の心を、騙す……」
「自分のお心です。騙してしまえばそれが真実となり、慰めとなりましょう。いずれは誇りとなるかもしれません」
「――誇りに」
暁は無言で頷いてから、会話の終わりを示唆するように彼女の衣装の裾をさばいて整えた。
やはり胸が痛む。うまく伝えられたとは思えない。 もっと違う方法はなかったのかと悔いたくなる。それでも暁にとっては、考え抜いた挙句の精一杯の言葉だった。
これからの日々、彼女はどこまで強く在れるだろうか。
わからない。
暁はその場から立ち上がり、いつもと変わらぬ足取りで退出した。
0
お気に入りに追加
136
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
拝啓、大切なあなたへ
茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。
差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。
そこには、衝撃的な事実が書かれていて───
手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。
これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。
※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる