シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
132 / 233
第四話 闇の在処(ありか)

序章:一 滄国(そうこく):禍根

しおりを挟む
 女は辺りの惨状をの当たりにしながらも急ぐことはなく、むしろたおやかな足取りで進む。長大な軒廊こんろうは静寂に呑まれ、するすると滑らせるような女の足音しか聞こえない。 

 にあてられたのか、無造作に人々が横たわっている。顔色を見る限り魂魄いのちまでは奪われていない。 
 女は倒れる人影を物ともせず、まるで気付いていないかのような無関心さで、真っ直ぐに軒廊こんろうの先を見据えていた。 

 黒硝子に紫を零したかのように、虹彩が不可思議な色合いを映す。潤みがちの瞳は艶やかに濡れて感情の底が知れない。女は軒廊を渡りきると、すいと真っ黒な宵衣しようの裾を払い、更に広い居室へと踏み込んでいく。 

 いつも人の出入りで華やかな宮殿が、耳の痛くなるほどの静寂に呑まれていた。非日常と化した大内裏だいだいりをやすやすと踏み越え、女は奥まった内裏だいりへと辿りつく。後宮まで進むと事態は更に悪化した。 

 女は一瞬歩みを止め、宵衣しようの袖で口元を覆う。あまりの惨状に顔を背けたくなったのか、あるいは思わず浮かんだ乾いた笑みを隠すためだったのかは、誰にも判らない。 

 美しく雅やかな後宮に、禍々しい影が霧のように立ち込めている。 
 滄国そうこくの内裏、ことに後宮はすでに地獄絵図と化していた。 

 王の后が住まう殿舎には、累々と屍が横たわっている。雅やかな後宮で仕えていた女達の衣装だけが、禍々しい光景の中で鮮やかな色彩を留めていた。 
 本来滄の者に与えられる白い肌が、一目で魂魄いのちが断たれているのが判るほど蒼ざめ、黒ずんでいる。 

 女は顔色を変えることはなく、するりと再び一歩を踏み出す。 
 迷う素振りもなく、滄国の王である青の君の正妃が住まう殿舎へと向かった。磨き向かれた板張りの廊下を進むと、程なく後宮の中心部にたどり着く。 

 闇が霧のように立ち込める居室の中でも、惨状は変わることなく女官達が絶命している。女はその広い居室を見渡し、目を細めた。禍々しいで満たされた殿舎にありながら、そこだけが金色の輝きを放っている。 

 不気味な静寂を貫くように、甲高い産声が和音のように響き、重なる。 
 これほどのを放たれても、決して費えることのない魂魄いのちと、そして輝き。 
 女は迷うことなく、まるで導かれたかのようにするすると歩を進めた。 

「こちらにおいでになられたか」 

 女が声を投げかける先に、二つの小さな身体が横たわっている。 
 生まれたばかりの双生児が、止むことの無い産声をあげていた。 
 一人は金色の煌めきを持ち、もう一人は限りなく深い紺青の氣をまとっている。 

 世のいただきに立つ黄帝と、いずれ滄国そうこくを背負って立つ皇太子の誕生だった。 
 白い着物に身をくるまれ、互いに存在を示しあうかのように双生児が啼く。まるで女に訴えかけるかのような一心さがあった。 

 女はその場に膝をつき、美しい顔でじっくりと双子を見据えた。抱き上げることはせず、甘く響く声で呟く。 

「のぅ、陛下よ。その隣に横たわる同胞は宿敵となるのに、そのように守られるか」 

 まるで哀れむように女は言い募る。 

「その生まれながらの慈悲が、どれほど自身を陥れる罠と成りえるのか。――わらわはおかしくてたまらぬ」 

 眩しげに金色の輝きを見つめ、女は決然とした意志を露にした。哀れみ、慈しみ、そしてまるで憎むかのように、眼差しに力がこめられる。 

「……わらわは負けぬ。天意がどのような未来を望もうとも、必ずこの手で導いてくれる」 

 女は忌々しげに吐き捨て、ようやく天子に手を差し伸べ、触れた。 

「だから、そなたに託す。――必ずわらわの望みを叶えてくれよう」 

 女の声は内なる烈しい熱情に震えていた。 
 双子の啼き声にかき消されても、まるで言霊ことだまのように残滓ざんしが漂っていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

生贄巫女はあやかし旦那様を溺愛します

桜桃-サクランボ-
恋愛
人身御供(ひとみごくう)は、人間を神への生贄とすること。 天魔神社の跡取り巫女の私、天魔華鈴(てんまかりん)は、今年の人身御供の生贄に選ばれた。 昔から続く儀式を、どうせ、いない神に対して行う。 私で最後、そうなるだろう。 親戚達も信じていない、神のために、私は命をささげる。 人身御供と言う口実で、厄介払いをされる。そのために。 親に捨てられ、親戚に捨てられて。 もう、誰も私を求めてはいない。 そう思っていたのに――…… 『ぬし、一つ、我の願いを叶えてはくれぬか?』 『え、九尾の狐の、願い?』 『そうだ。ぬし、我の嫁となれ』 もう、全てを諦めた私目の前に現れたのは、顔を黒く、四角い布で顔を隠した、一人の九尾の狐でした。 ※カクヨム・なろうでも公開中! ※表紙、挿絵:あニキさん

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

貴方だけが私に優しくしてくれた

バンブー竹田
恋愛
人質として隣国の皇帝に嫁がされた王女フィリアは宮殿の端っこの部屋をあてがわれ、お飾りの側妃として空虚な日々をやり過ごすことになった。 そんなフィリアを気遣い、優しくしてくれたのは年下の少年騎士アベルだけだった。 いつの間にかアベルに想いを寄せるようになっていくフィリア。 しかし、ある時、皇帝とアベルの会話を漏れ聞いたフィリアはアベルの優しさの裏の真実を知ってしまってーーー

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

少年神官系勇者―異世界から帰還する―

mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる? 別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨ この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行) この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。 この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。 この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。 この作品は「pixiv」にも掲載しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

貧乏令嬢はお断りらしいので、豪商の愛人とよろしくやってください

今川幸乃
恋愛
貧乏令嬢のリッタ・アストリーにはバート・オレットという婚約者がいた。 しかしある日突然、バートは「こんな貧乏な家は我慢できない!」と一方的に婚約破棄を宣言する。 その裏には彼の領内の豪商シーモア商会と、そこの娘レベッカの姿があった。 どうやら彼はすでにレベッカと出来ていたと悟ったリッタは婚約破棄を受け入れる。 そしてバートはレベッカの言うがままに、彼女が「絶対儲かる」という先物投資に家財をつぎ込むが…… 一方のリッタはひょんなことから幼いころの知り合いであったクリフトンと再会する。 当時はただの子供だと思っていたクリフトンは実は大貴族の跡取りだった。

処理中です...