シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

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第四話 闇の在処(ありか)

序章:一 滄国(そうこく):禍根

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 女は辺りの惨状をの当たりにしながらも急ぐことはなく、むしろたおやかな足取りで進む。長大な軒廊こんろうは静寂に呑まれ、するすると滑らせるような女の足音しか聞こえない。 

 にあてられたのか、無造作に人々が横たわっている。顔色を見る限り魂魄いのちまでは奪われていない。 
 女は倒れる人影を物ともせず、まるで気付いていないかのような無関心さで、真っ直ぐに軒廊こんろうの先を見据えていた。 

 黒硝子に紫を零したかのように、虹彩が不可思議な色合いを映す。潤みがちの瞳は艶やかに濡れて感情の底が知れない。女は軒廊を渡りきると、すいと真っ黒な宵衣しようの裾を払い、更に広い居室へと踏み込んでいく。 

 いつも人の出入りで華やかな宮殿が、耳の痛くなるほどの静寂に呑まれていた。非日常と化した大内裏だいだいりをやすやすと踏み越え、女は奥まった内裏だいりへと辿りつく。後宮まで進むと事態は更に悪化した。 

 女は一瞬歩みを止め、宵衣しようの袖で口元を覆う。あまりの惨状に顔を背けたくなったのか、あるいは思わず浮かんだ乾いた笑みを隠すためだったのかは、誰にも判らない。 

 美しく雅やかな後宮に、禍々しい影が霧のように立ち込めている。 
 滄国そうこくの内裏、ことに後宮はすでに地獄絵図と化していた。 

 王の后が住まう殿舎には、累々と屍が横たわっている。雅やかな後宮で仕えていた女達の衣装だけが、禍々しい光景の中で鮮やかな色彩を留めていた。 
 本来滄の者に与えられる白い肌が、一目で魂魄いのちが断たれているのが判るほど蒼ざめ、黒ずんでいる。 

 女は顔色を変えることはなく、するりと再び一歩を踏み出す。 
 迷う素振りもなく、滄国の王である青の君の正妃が住まう殿舎へと向かった。磨き向かれた板張りの廊下を進むと、程なく後宮の中心部にたどり着く。 

 闇が霧のように立ち込める居室の中でも、惨状は変わることなく女官達が絶命している。女はその広い居室を見渡し、目を細めた。禍々しいで満たされた殿舎にありながら、そこだけが金色の輝きを放っている。 

 不気味な静寂を貫くように、甲高い産声が和音のように響き、重なる。 
 これほどのを放たれても、決して費えることのない魂魄いのちと、そして輝き。 
 女は迷うことなく、まるで導かれたかのようにするすると歩を進めた。 

「こちらにおいでになられたか」 

 女が声を投げかける先に、二つの小さな身体が横たわっている。 
 生まれたばかりの双生児が、止むことの無い産声をあげていた。 
 一人は金色の煌めきを持ち、もう一人は限りなく深い紺青の氣をまとっている。 

 世のいただきに立つ黄帝と、いずれ滄国そうこくを背負って立つ皇太子の誕生だった。 
 白い着物に身をくるまれ、互いに存在を示しあうかのように双生児が啼く。まるで女に訴えかけるかのような一心さがあった。 

 女はその場に膝をつき、美しい顔でじっくりと双子を見据えた。抱き上げることはせず、甘く響く声で呟く。 

「のぅ、陛下よ。その隣に横たわる同胞は宿敵となるのに、そのように守られるか」 

 まるで哀れむように女は言い募る。 

「その生まれながらの慈悲が、どれほど自身を陥れる罠と成りえるのか。――わらわはおかしくてたまらぬ」 

 眩しげに金色の輝きを見つめ、女は決然とした意志を露にした。哀れみ、慈しみ、そしてまるで憎むかのように、眼差しに力がこめられる。 

「……わらわは負けぬ。天意がどのような未来を望もうとも、必ずこの手で導いてくれる」 

 女は忌々しげに吐き捨て、ようやく天子に手を差し伸べ、触れた。 

「だから、そなたに託す。――必ずわらわの望みを叶えてくれよう」 

 女の声は内なる烈しい熱情に震えていた。 
 双子の啼き声にかき消されても、まるで言霊ことだまのように残滓ざんしが漂っていた。
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