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第三話 失われた真実

エピローグ:1 案内人

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 目の前が涙で霞む。瞬きすると一瞬だけ拭われたが、またすぐに視界が揺らめいて滲む。 
 もうここにいてはいけないという思いに突き動かされて、彼女は夜道を走り続けた。 

(――どうして) 

 幾度もどうしてなのかと反芻はんすうしながら、深夜の道を独りで駆け続ける。人目を忍ぶのは容易たやすい時間帯だったが、彼女はそれでも自身の姿を覆い隠すように、フードのついた上着で長い髪を隠していた。 
 全てを思い出しても、朱桜すおうには判らないことがあった。 

(……判らない、どうして) 

 どんなに考えてもこれまでの経緯いきさつがうまく呑み込めない。理解できない。 

(だけど、ここにはいられない) 

 筋道の通らない経緯の中で、ただ一つそれだけが形になる。 
 これ以上、彼の傍に在ってはならいのだと。 
 その想いだけが、悲嘆に暮れそうになる朱桜を突き動かしていた。 

 これまでの成り行きを取り戻しても、彼女にはこれからどうすべきなのかが判らない。心に決めた覚悟を形にするために、何が必要なのか、どんなふうに振る舞うべきなのか想像がつかないのだ。 

 どこに行けば良いのか判らないまま、彼女は天宮あまみやの学院へ向かっていた。今後の判断がつかないまま、天界へ戻るすべを探していたのかもしれない。 

 天宮あまみや朱里あかりとして、毎日のように辿たどった通学路。本性ほんしょうを取り戻した今でも、短い道程への親しみは変わらない。初めてはるか――闇呪あんじゅに出会う契機となった、級友の企てを思い出す。同じように夜道を辿って、待ち合わせ場所へ一番乗りした記憶。 

 何も知らないまま、朱里は副担任として現れた遥に想いを寄せた。 
 全てを取り戻した今となっては、それが必然であったのだと理解できる。 
 どんなふうに姿を変えても、立場を変えても、想いは同じ処にたどり着くのだ。彼と出会ってしまったら、逃れられない。くべき道は決まってしまう。 

 取り出した思い出が、更に朱桜の哀しみをあおる。涙を止めることができないまま、彼女は学院の塀に寄り添うように、高等部の正門を目指していた。 
 何も知らずに遥を慕い、想いを伝えられた日々。どんなに幸せで満たされた世界だったのかが判る。 

 けれど、今となってはその夢に焦がれても、戻りたいとは思えない。 
 彼が自分を見捨てることはなく、護り続けてくれることを知ってしまったから。想いを添い遂げることができなくても、彼は変わらないのだ。 

 何があっても、追いかけてきてくれる。 
 朱里あかりを――朱桜すおうを愛し続けてくれる。 
 だから、これ以上彼を苦しめるような身勝手な夢を望むことはできない。 
 彼を追い詰めるだけの幻想に浸ってはいられないのだ。 

 胸に刻んだ覚悟。弱い自分を振り切って前に進むことを決めた。もう逃げない。二度と振り返らない。 
 彼を護るために必要な立場を、振る舞いを演じてみせる。 
 遥を――闇呪あんじゅを、決して世のわざわいなどにはしない。乗り越えて、違う世界を築いてみせる。 
 どんな苦境を架せられても、心を押し殺してでも、成し遂げるという強い決意。 
 そのために必要ならば、自分は黄帝の手を取って黄后こうごうになる。人々が禍を忘れるくらいに、豊かな世をもたらしてみせるのだ。心を殺して世のいしずえになってみせる。 

 絶対に彼を失うような未来は歩まない。傍にいなくても良いのだ。ただ同じ世界で生きていて欲しい。遂げられない想いの変わりに、託した希望。 
 互いに望んだのは、愛した人が生きる世界が、――未来が輝いていること。 
 世の豊かな未来を望む。 
 彼とは、その同じ夢で繋がれている。それが二人の望んだ想いの行方。 
 今度こそ、彼に応えてみせる。 


 朱桜すおうはゆっくりと立ち止まった。高等部の正門前に、人影がたたずんでいる。 
 何者かと張り詰めていく気持ちで身動きできずにいると、それはゆっくりと歩み寄ってきた。 

「こんばんは、朱里あかり様。――いいえ、朱桜すおう様。かれるのですね」 

 本性を取り戻した朱里は、訊きなれた声にわずかに緊張を緩めた。今までの経緯いきさつを振り返っても、彼の登場に違和感を覚えない。いつも絶妙の機会で姿を現した。 
 朱桜は涙で濡れた顔を、慌てて上着の袖で拭う。 

東吾とうごさん」 

 呼びかけると、彼の気配が同じように緩んだ。 

「どうして、こんな処に?――もしかして、先守さきもりの占いですか」 

 東吾の背後に在る人影が、動かないままこちらを見ているのがわかる。朱桜の声に不安が滲んだことに気付いたのか、東吾は問いかけには答えず背後を見返った。 

碧宇へきう王子へおうじ」 

 朱桜はびくりと反応してしまう。その名は碧国へきこくの王子であることを示している。四国の継承者は黄帝の命を受けて、こちらに関与している筈だった。 
 朱桜は東吾がそんな経緯の者とも繋がっているのが意外だった。天界に関わることを語らずとも、彼は遥や彼方かなたくみする立場にあるのではないかと思っていたのだ。 

 朱里の父を演じていた天宮――堕天したと言われている先守さきもりの思惑がわからない。 
 東吾の背後で、突然しり上がりの口笛が鳴った。朱桜が驚いて胸を押さえると、碧宇へきうは「なるほど」と楽しげに呟いた。 

「東吾、おまえの思惑には触れずにおこう。この方が在れば、天界の未来は救われる筈だからな」 

 感情の読めない東吾の声が夜道に響く。 

「王子は決してご自身の正義を見失わない方です。世の行く末を守る。その為に必要ならば、ご自身の弟を切り捨てることも厭わない」 

 起伏のない淡々とした口調は、いつも通りだった。東吾の感情をはかることは難しいが、朱桜にはどこか皮肉めいた調子にも受け取れた。それは碧宇も同じだったのか、彼は「はっ」と吐き捨てるように笑う。 

「おまえにはわからんかもしれんがな。俺達にとって先守さきもりの占いは絶対なんだ。黄帝の仇となるような不名誉な未来を翡翠ひすいに歩んで欲しくはない。せめてその前に葬ってやるのが、兄としての真心だ」 

「あなたにとって、黄帝が世の未来ですか」 

 東吾の皮肉を込めた調子は変わらない。碧宇は「ふん」と顔を背ける。 

「哀しいことだが、俺の生きる世界はそういう形をしている。――ご存知でしょう?朱桜様」 

 東吾への悪態ともとれる態度を改めて、彼は唐突に朱桜へ語りかける。何も答えられずにいると、長身の影が音もなく前に進み出た。朱桜が思わず一歩後退すると、彼はすっと膝をついて頭を下げる。輪郭だけが描かれていた闇の中から、碧宇へきうの姿が見分けられる程度に浮かび上がった。引き摺るほどの雅やかな衣装が、天界の王族であることを物語っている。 
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