シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
118 / 233
第三話 失われた真実

第十二章:1 衝撃の痕

しおりを挟む
「本当に、ありがとうございました」 

 さすがにはるか麟華りんかを一人で担ぐことが出来ず、朱里あかり彼方かなたそうの手を借りた。おかげで二人を自宅まで連れて帰ることは問題なく果たせた。それでも状況の整理がつかないまま、朱里は邸内を駆け回ってお湯をはった洗面器とタオルを用意する。遥の部屋へ慌しく揃えた物を持って入ると、既に血に染まった遥の上着が、取り替えられていることに気付く。 

 朱里はようやく、奏と彼方に礼を述べる余裕が生まれた。彼らがいなければ、きっと正気を保ってはいられなかっただろう。素直にそう思えて、深く頭を下げた。 

「いいよ、委員長。困ったときは助け合わなくちゃ」 

 屈託のない笑顔で彼方がいつものように明るい声を出す。奏も頷きながら、遥が横たわる寝台へと朱里を促した。 

「見てください、彼の傷痕」 

 朱里がゆっくりと歩み寄ると、奏が何気なく遥が身につけている上着の胸元を開いた。 

「――っ」 

 朱里は生々しい傷痕を見せられて、思わず手にしていた物を落としそうになる。彼方が支えてくれなければ、室内にお湯を撒き散らす所だった。 

「ちょっと、奏。委員長に見せる必要はないでしょ」 

「少し刺激が強すぎましたか。……だけど、お嬢さん。彼の傷が回復してゆくのが判るでしょう?」 

 朱里はもう一度、おそるおそる傷痕を眺める。みぞおちの辺りに目を逸らしたくなるような傷痕があった。貫通するほどの大怪我であったのに、既に溢れ出る鮮血はなかった。痛々しいことは変わらないが、確かに見ている間にも、引き裂かれた皮膚に薄い皮膜がはっていくのがわかる。 
 ありえない回復力を見せられて、朱里は驚いたように奏を仰いだ。 

「貫かれたのは心臓より低い位置です。もし私達が同じような傷を負ったとしても、致命傷にはならなかったでしょう」 

「じゃあ、この回復力は先生に限ったことではないんですか」 

「そうですね。私達は自身の力を以って、ある程度の傷を塞ぐことができます。天宮のお嬢さんと比較するならば、私達の持つ回復力は桁外れかもしれません。とは言え、さすがに貫通するほどの大怪我ならば、一筋縄ではいかないでしょうが」 

 奏が横たわる遥に苦笑を向けて、露になっていた胸元を閉じた。彼方が歩み寄ってきて、朱里の肩を叩く。 

「僕達でも致命傷にならない怪我だから、副担任にとってはかすり傷だよ。委員長も彼が不死身に近いことは知っているよね。彼の回復力は僕達と比べても桁外れだから、すぐに目を覚ますよ」 

「うん、ありがとう」 

 朱里がようやく泣き腫らした目で笑うと、彼方も安堵したように微笑む。発作のように襲った絶望的な気持ちは、彼らのおかげで緩んでいる。後には絶望の抜け殻である不安だけが、胸の底に棘となって突き刺さっていた。 

 どうしてこんな事件が起きるのか。憤る思いとは裏腹に、朱里は答えが自分の中に在るような気がしていた。胸に鉛のような不安が詰まっている。明かされていない真実に対する恐れが、止めようもなく広がってしまう。 

 相称そうしょうつばさ。 

 全ては、その立場につながって行くのではないか。きっと忘れてしまった自分に、一番罪がある。遥も双子も決して明かしてくれない、罪深い真実があるのかもしれない。そう思えて仕方がなかった。 

 朱里あかりそう彼方かなたに全てを打ち明ければ、真実に歩み寄れるのかもしれないと考えてしまう。けれど、それは遥や双子との約束を破ることになるのだと何とか呑みこんだ。 

 自身の素性は、誰にも明かしてはいけない。 
 麒一きいち麟華りんかに強く言い聞かせられたことだった。 
 朱里が夢で見た光景を語り、双子が隠すことなく事情を打ち明けてくれた時、強く刻まれた約束。彼らは理由を口にはしなかったが、それは遥を追い詰める事実なのかもしれない。遥を護る双子が語るのだから、そういうことだろう。 

 朱里あかりは寝台の傍らに洗面器を置いて、はるかを覗き込むように膝をついた。湯にタオルを浸し、そっと彼の頬を拭う。寝台の白さが、余計に黒髪の色合いを深く見せた。朱里は真っ黒に変色した遥の頭髪を見つめてしまう。細い髪質は変わらないが、柔らかな茶髪は目の覚めるようなつややかな黒髪に変化していた。朱里は思わず指先に絡めて確かめてしまう。 

 込み上げてくる、不自然な感情。 
 懐かしい。 

 目を逸らそうとしても、既視感に襲われてしまう。夢の中の光景が、まるで目の前に現れたかのように。 
 闇呪あんじゅきみ。 
 疑いようもなく、隠しようもなく、朱里の脳裏にある光景と重なり合う。 
 目を奪われるほどの、鮮明な闇色。 

 麟華りんかの角に貫かれ、彼の体中に染み込んでいった何か。 
 禍々しい呪い。 
 それは無理矢理彼の正体を暴いたのかもしれない。 
 黒い毒。 
 悲痛な遥の絶叫が、朱里の耳の裏に残っている。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

処理中です...