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第三話 失われた真実
第九章:5 白川(しらかわ)雪(ゆき)
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雪は天界に在った時のように、裾を引き摺るほどの裳衣を身につけることもなく、こちらの世界に馴染んだ格好で現れた。彼方には見慣れた学院の制服を纏っている。別人のように印象が違うが、どんな姿になろうと見間違うはずがない。
「白川雪様をご案内申し上げました」
これまでと同じ要領で東吾が案内人である。彼方は雪の素性を紹介している東吾の声に耳も傾けず、真っ直ぐに現れた翼扶に飛びついた。
「雪っ、すっごく会いたかった。でも、どうして、どうして来たの? どうやって?」
まるで主との再会を喜ぶ犬のように、彼方は目を輝かせて雪を見る。もし彼に尻尾が生えていれば、猛烈な勢いで振り続けているに違いない。雪は跳びついて来た夫を笑顔で迎え入れてから、ぴしゃりと言い放つ。
「翡翠様、喜んでいただけるのは嬉しいですけど、東吾の呆れた視線を感じませんか」
「え?」
彼方が背後を振り返ると、東吾が大袈裟に吐息をついた。傍らでは奏がひかえめに笑っている。
「あ、えっと、ごめん、東吾。――思わず」
「なんとなく予想はしておりましたので、どうぞ感動の再会を惜しみなく堪能して下さい。さぁ、ぜひ」
冷たい目をしたままそんなことを云われても従えない。彼方は繰り返し詫びて肩を竦めた。ようやく東吾が気を取り直して、雪のこちらでの素性を教えてくれる。
「既にご存知の通り、彼女は碧国第二王子の后、玉花の姫君です。こちらでは白川雪を名乗って頂きます。奏様の妹であり、同時に彼方様の婚約者という立場でお願い致します」
「僕達の世界とあまり変わらない関係だね」
彼方は素直にそう思ったが、身なりが変化したとしても、髪色や目の色までは変えられない。雪の美しい銀髪と灰褐色の瞳は、こちらの世界でもそのまま顕在している。奏との繋がりを隠し切れない目立つ容姿だった。東吾の与えてくれる素性には納得できる。
「雪様の仮住まいも隣にご用意しています」
「そうなんだ。僕と同じ部屋でも良かったのに。まぁ、狭いかもしれないけど」
彼方の言葉を聞き流して、東吾が淡々と続ける。
「雪様の状況については、重傷を負った婚約者のお見舞いです。とりあえず滞在中は短期留学という名目で学院に席を設けてあります」
「じゃあ、雪も生徒として学院へ入り込めるわけだ」
「どのように解釈していただいても結構です」
東吾は相変わらず思惑の読めない笑みを浮かべている。
「では、私は役目を終えましたので、これで失礼いたします。何か不都合がございましたら、すぐに連絡して下さい。直ちに参ります」
雪の状況と立場を説明し終えると、東吾は取り付く島もない様子ですぐに部屋を後にした。室内に三人だけになると、今まで黙っていた奏が、初めて妹に声をかける。
「よく来たね、玉花――いや、こちらでは雪か。裏鬼門を渡ったのですか」
「はい、兄様。運良く皓月が導いてくれたので」
「おまえも、皓月に?」
「はい」
奏の問いかけは、彼方も興味のある話だった。三人は狭い室内で小さな座卓を囲むように座る。雪は室内の模様に戸惑いを覚えているようだったが、それ以上に何か気掛かりを抱えているようだった。
彼方が感じる疑問をそのまま奏が問いただしてくれる。
「しかし、おまえが出向いてくるとなると。……天界で何かあったのですか」
「はい。兄様も翡翠様も――ではなくて、彼方様も、よく聞いてください」
雪が沈痛な面持ちで語る。
「天界と言うよりは、異変は地界で起きています。本当は異変というよりも、それが自然な成り行きなのかもしれません。考えてみれば、今までそうならなかったのが不思議なくらい」
「地界の異変とは?」
「水源の腐敗です」
彼方はすぐに表情が険しくなってしまう自分を感じた。ざわりと不安が高まる。奏が深く頷いた。
「たしかに、天帝の加護がほとんど費えた状態で、今まで水が腐ることもなく、地界の水源が満たされていたのは奇跡だと考えるほうがいいのかもしれません」
雪は力なく頷いて、天界の状況を語る。
「各国が、それぞれ王の礼神を以って水源の確保に臨んでいますが、腐敗は急激で、とめようもなく広がるばかりです。このままでは地界に鬼病(疫病)が蔓延するのも時間の問題だと」
彼方はぐっと掌をにぎりしめた。地界を放浪していた頃の、人々の姿が鮮明に蘇ってくる。日毎に枯れてゆく地界にありながらも、人々は貧しさに心を奪われることはなく、精一杯力強く生きていた。決して豊かではない生活。貧しさに逼迫しつつある営みに、鬼病が蔓延するようなことになれば、人々の被害は甚大なものになる。
「だけど、どうしてこんなに急に水が腐敗を始めたのかしら。兄様、何か思い当たる節はありませんか」
奏は妹の顔を真っ直ぐに見つめ返し、浅く微笑む。
「おまえは、それでこちらへ渡ったのか」
「白川雪様をご案内申し上げました」
これまでと同じ要領で東吾が案内人である。彼方は雪の素性を紹介している東吾の声に耳も傾けず、真っ直ぐに現れた翼扶に飛びついた。
「雪っ、すっごく会いたかった。でも、どうして、どうして来たの? どうやって?」
まるで主との再会を喜ぶ犬のように、彼方は目を輝かせて雪を見る。もし彼に尻尾が生えていれば、猛烈な勢いで振り続けているに違いない。雪は跳びついて来た夫を笑顔で迎え入れてから、ぴしゃりと言い放つ。
「翡翠様、喜んでいただけるのは嬉しいですけど、東吾の呆れた視線を感じませんか」
「え?」
彼方が背後を振り返ると、東吾が大袈裟に吐息をついた。傍らでは奏がひかえめに笑っている。
「あ、えっと、ごめん、東吾。――思わず」
「なんとなく予想はしておりましたので、どうぞ感動の再会を惜しみなく堪能して下さい。さぁ、ぜひ」
冷たい目をしたままそんなことを云われても従えない。彼方は繰り返し詫びて肩を竦めた。ようやく東吾が気を取り直して、雪のこちらでの素性を教えてくれる。
「既にご存知の通り、彼女は碧国第二王子の后、玉花の姫君です。こちらでは白川雪を名乗って頂きます。奏様の妹であり、同時に彼方様の婚約者という立場でお願い致します」
「僕達の世界とあまり変わらない関係だね」
彼方は素直にそう思ったが、身なりが変化したとしても、髪色や目の色までは変えられない。雪の美しい銀髪と灰褐色の瞳は、こちらの世界でもそのまま顕在している。奏との繋がりを隠し切れない目立つ容姿だった。東吾の与えてくれる素性には納得できる。
「雪様の仮住まいも隣にご用意しています」
「そうなんだ。僕と同じ部屋でも良かったのに。まぁ、狭いかもしれないけど」
彼方の言葉を聞き流して、東吾が淡々と続ける。
「雪様の状況については、重傷を負った婚約者のお見舞いです。とりあえず滞在中は短期留学という名目で学院に席を設けてあります」
「じゃあ、雪も生徒として学院へ入り込めるわけだ」
「どのように解釈していただいても結構です」
東吾は相変わらず思惑の読めない笑みを浮かべている。
「では、私は役目を終えましたので、これで失礼いたします。何か不都合がございましたら、すぐに連絡して下さい。直ちに参ります」
雪の状況と立場を説明し終えると、東吾は取り付く島もない様子ですぐに部屋を後にした。室内に三人だけになると、今まで黙っていた奏が、初めて妹に声をかける。
「よく来たね、玉花――いや、こちらでは雪か。裏鬼門を渡ったのですか」
「はい、兄様。運良く皓月が導いてくれたので」
「おまえも、皓月に?」
「はい」
奏の問いかけは、彼方も興味のある話だった。三人は狭い室内で小さな座卓を囲むように座る。雪は室内の模様に戸惑いを覚えているようだったが、それ以上に何か気掛かりを抱えているようだった。
彼方が感じる疑問をそのまま奏が問いただしてくれる。
「しかし、おまえが出向いてくるとなると。……天界で何かあったのですか」
「はい。兄様も翡翠様も――ではなくて、彼方様も、よく聞いてください」
雪が沈痛な面持ちで語る。
「天界と言うよりは、異変は地界で起きています。本当は異変というよりも、それが自然な成り行きなのかもしれません。考えてみれば、今までそうならなかったのが不思議なくらい」
「地界の異変とは?」
「水源の腐敗です」
彼方はすぐに表情が険しくなってしまう自分を感じた。ざわりと不安が高まる。奏が深く頷いた。
「たしかに、天帝の加護がほとんど費えた状態で、今まで水が腐ることもなく、地界の水源が満たされていたのは奇跡だと考えるほうがいいのかもしれません」
雪は力なく頷いて、天界の状況を語る。
「各国が、それぞれ王の礼神を以って水源の確保に臨んでいますが、腐敗は急激で、とめようもなく広がるばかりです。このままでは地界に鬼病(疫病)が蔓延するのも時間の問題だと」
彼方はぐっと掌をにぎりしめた。地界を放浪していた頃の、人々の姿が鮮明に蘇ってくる。日毎に枯れてゆく地界にありながらも、人々は貧しさに心を奪われることはなく、精一杯力強く生きていた。決して豊かではない生活。貧しさに逼迫しつつある営みに、鬼病が蔓延するようなことになれば、人々の被害は甚大なものになる。
「だけど、どうしてこんなに急に水が腐敗を始めたのかしら。兄様、何か思い当たる節はありませんか」
奏は妹の顔を真っ直ぐに見つめ返し、浅く微笑む。
「おまえは、それでこちらへ渡ったのか」
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