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第三話 失われた真実

第九章:1 長閑(のどか)なひととき

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 よく晴れた気持ちの良い午後。朱里あかりはいつも通り教室で授業を受けている。変わらない光景があまりにも長閑のどかで、少しだけ穏やかな気持ちを取り戻した。 
 教壇に立っているのは、副担任のはるかだった。朱里は目があいそうになると、ノートをとるふりをして慌てて視線を伏せた。 
 昨日の告白からは、まだ一夜しか明けていないのだ。 

 恥ずかしくて、いたたまれない思いが込み上げてくるのは仕方がない。まともに顔をあわせることが出来ず、朱里は今朝、無意味なほど早い時刻に学院へ登校していた。 
 教室内には、遥の心地の良い声が響いている。ノートの上で無駄にぐりぐりと鉛筆ペンを動かしながら、朱里はそっと吐息をついた。 

 昨日、双子の兄と姉から、朱里は新たな事実を聞かされた。つながることの無かった夢の断片が、少しだけ筋道を持って描き出される。 
 朱里は動かしていた手を止めて、ぼんやりと教科書に視線を落としながら、まるで夢物語のような事実について考えていた。 

 自身の素性が異世界にあったという事実。

 本来ならば戸惑う筈の信じられない話だが、朱里は既に自覚していた。幾度となく繰り広げられた夢の光景が強く予感させたのだ。 
 今更、信じられないと驚くことなどできない。 
 どちらかというと驚いていたのは麒一きいち麟華りんかである。朱里の夢が映す光景を語ると、二人は強く興味を示し、何かを考えていたようだ。 

 朱里に異世界との関わりを教えてくれたのも、夢のうつす光景が間違いなく過去の情景であると判断したからなのかもしれない。 
 双子は朱里の見た断片的な光景を追いかけるように、断片をつな経緯いきさつや立場をおおまかに教えてくれた。 
 結果として、導き出された遥との関係。 

(……私が、先生の伴侶) 

 もっと考えるべきことが在るような気がするが、朱里の想いはその事実に捉われてしまう。嬉しいような、恥ずかしいような、信じられない気持ち。予感していたにも関わらず、目の前に本当のことだと突きつけられると、やはり戸惑ってしまう。 

 朱里の脳裏に、ふと思いのままに告白した昨日の出来事が蘇る。 
 遥に好きだと想いをぶつけて、ひたすらしがみついていたのだ。改めて振り返ると、ありえないほど大胆な行動だったと頬が染まる。 
 朱里はちらりと教壇で授業を進めている副担任の遥を見た。まともに見つめることが出来ず、目があいそうになると、すぐに視線を伏せる。その繰り返しで、とても授業に集中できない。顔が熱い。 

(うわー、駄目。まともに先生の顔が見られないよ) 

 彼に触れた温もり、体に回された腕の力強さ。頭から振り払おうとしても、それはますます朱里の中に鮮明に浮かび上がってくる。 
 遥は突然の告白を受け止めてくれたのだ。しがみつく朱里の体を抱きしめてくれた。 

(「――君を愛している」) 

 授業を進める遥の声が、昨日の出来事と重なってしまう。よく通る声は副担任を演じていても同じ響きをしている。 
 囁くような彼の声が蘇ると、朱里は身震いしそうな位ますます恥ずかしさが込み上げてくる。 

(うわー、うわー) 

 顔を伏せたまま、強烈な記憶を追い出そうと悶えてしまう。 

(私、これからどんな顔をして先生に会えばいいんだろう) 

 朱里がぐるぐると混乱気味に考え込んでいると、唐突に間近で声がした。 

天宮あまみやさん」 

 鮮やかに感じるほど、聞きなれてしまった声。 
 朱里は即座に現実に引き戻される。はっと我に返ると、上体がぎくりと揺らいだ。いつのまにか教室が静まり返っている。

 顔を伏せていても、机の横に誰かが立っているのが判った。級友の視線が自分に集中しているのを感じる。朱里はおそるおそる目前の気配を仰いだ。副担任を演じている遥が、朱里の席まで来ていた。 
 長い前髪と強度数の眼鏡。 
 素顔の時とは別人のように冴えない印象で、彼は朱里を眺めていた。 

「今日はずっと上の空ですね。顔色が赤くなったり青くなったり、どこか具合でも悪いのですか」 
「え、いえ、あの、……そういうわけでは」 

 朱里は茹で上げられた蛸のように、ますます頬を染めた。うまく取り繕うことが出来ず、おろおろと視線を泳がせる。席の近い夏美なつみと目があうと、彼女は不安そうな顔をしてこちらを見ていた。朱里はそれほどに挙動不審だったのかと、自身の失態を悟る。肩を竦めるようにして、ますます身を小さくした。 
 遥が小さく溜息をついて、手にしていた教科書で軽く朱里の頭を小突いた。 

「開いている教科書のページが違いますよ。白昼夢に浸るのが悪いとは云いませんが、ここまで授業を無視されるのは寂しいものです」 
「ご、ごめんなさい。先生」 

 うまい弁明が浮かばず、朱里は咄嗟に謝ることしか出来ない。まさか昨日のことを思い出して隠れたいような気持ちになっていたなんて、こんな状況で、しかも本人に向かって、口が裂けても言えるはずがない。 
 だからと言って、具合が悪いのだと嘘をつくこともできず、朱里は頬を染めたまま身を固くしていた。 

「まぁ、いいでしょう。丁度良い機会かもしれません」 

 頭上から聞こえる遥の声に、朱里はゆっくりと顔を上げた。目があうと、彼が微かに笑ったように見える。朱里は錯覚かと思ったが、すぐに見間違いではなかったと思い知らされることになった。 

「実は次の単元に必要な資料を手配するのに、人手が欲しいと思っていた処です。天宮さんには資料を揃えるお手伝いをして頂きます。それで今日の失態を挽回していただきましょう。この提案はどうですか」 

 冴えない副担任を演じながらも、遥は教師という立場を最大限に生かすつもりのようだ。一生徒である朱里に拒否権があるはずもなく、ただうなずくことしか出来ない。 

「あ、はい。……わかりました。私が先生のお手伝いをします」 

 朱里は潔く答えた。遥に胸中を見抜かれているのだと思い知る。恥ずかしさのあまりこそこそと逃げ隠れてしている自分を、彼は的確に捕まえる手段に出たのだろう。 
 遥は教師という仮面を被ったまま策略を成功させ、冴えない副担任に似合う屈託のない笑みを浮かべた。 

「良かった。これで人手を確保することができました。ありがとうございます、天宮さん。では、本日の放課後に輪転機のある準備室で待っています。よろしくお願いします」 

 朱里は思いきりまずい方向に舵を取られている気がしたが、どうすることもできない。遥はそのまま皺の伸びていない白衣を翻して、教壇へと戻っていく。何事もなかったかのように授業が再開するのを聞きながら、朱里は深い溜息をついた。 
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