シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
96 / 233
第三話 失われた真実

第七章:4 共に在るための覚悟

しおりを挟む
「どれほどの禁を破るつもりだ」 
「それは、あなたが自身に問うべきこと」 

 ゆるりと皓露こうろ皇子みこが進み出た。これ以上の時間稼ぎはできないと悟る。力の衝突が何をもたらすのか。遥が息を止める。万が一、衝撃が朱里あかりを巻き込むようなことになれば――。 

「我が君」 

 直後、まるで遥《はるか》の迷いを拭い去るように、新たな声が響いた。 

「我らの護りを信じてください。麒麟きりんの目一つでは、我が君の呪鬼じゅきを封じるのが限度です。我らの結界で余波を封じて見せます」 

 参上した麒一きいちの影が、遥の視界をよぎった。麟華に呼ばれ、霊脈みちを開いたのか、黒麒麟の俊足で駆けつけたのか、どちらにしても心強い援軍だった。 
 守護が全力で護るのならば心配はいらない。不安は絶たれた。ぐっと柄を握るてのひらに力を込める。 

皓露こうろ皇子みこ、覚悟されよ」 

 目の前の皇子みこを見据えて、遥が鮮やかに踏み出す。躊躇ためらいなく一振りすると、刃先が肩に届く寸前で、皇子が剣を止めた。びりびりと振動が体中を駆け巡り、皇子の美しい顔がひきつるのが判る。遥は彼が自身の太刀筋を止めたことに驚いたが、挑んでくる皇子の動きは鈍い。素早く次を振り下ろし、太刀筋を変えて再び踏み込む。 

 皇子は辛うじて遥の剣を受け止めていたが、交わす剣圧の違いに気がついたのだろう。距離を取ろうと大きく後ろに飛ぶ。遥が見計らっていたかのように、強く踏み込んで皇子の跳躍に続いた。着地と同時に美しい裳衣しょういの裾を踏んで、皇子の動きを封じる。 

「なに……」 

 圧倒的な動きの差に、皇子の顔色が失われていた。なりふり構わず振り抜かれた剣を、遥はたやすく弾く。交わった衝撃と共に、皇子の刀剣が砕け散った。皓露の皇子は受け止めきれない力に飛ばされて、幾重いくえにもまとった衣装をひらめかせながら地面に投げ出される。遥は素早く柄を逆手に持ちかえ、起き上がろうとする背中に迷いなく剣を突き降ろした。 

「――っ」 

 皇子みこが呻くように悲鳴を発した。白い裳衣しょういの肩から、みるみる血が滲み出る。地面に伏したまま、皇子が低く嘲笑する。 

「なぜ仕留めないのです?」 
「質問に答えていただく、黄帝の真意を教えていただこう」 
「――私が答えるとでも?」 

 遥は無言のまま、突き立てた刀剣をぐっと斜めに引き倒した。皇子が駆け抜けた激痛に顔を歪める。歯を食いしばりながら、それでも嗤った。深淵を映す瞳に、不穏な気配を感じる。遥の背筋にぞっと何かが這う。皇子みこてのひらに掴んだ黒い玉――麒麟きりんの目を額に当てた。 

「深追いしすぎたようです。――霊脈みちを」 
「待てっ……」 

 遥の言葉が終わらないうちに、皓露こうろ皇子みこがふっと姿を消した。霊獣だけが持つ霊脈れいみゃくを、いとも容易たやすく開く。麒麟の目による恩恵であるのかは、遥にも判らない。繰り広げられた戦いが嘘のように、辺りはいつもの静けさを取り戻している。 

 相手にとどめを刺さなかった、自身の甘さだけが残る。あかみやが語るように、その過信がいつか自分を追い詰めて行くのかもしれない。追手を逃したことを、今後悔やむ日が来るのかどうか、遥には想像することができなかった。 

 ふうっと緊張を解き、彼は悠闇剣ゆうあんのつるぎを虚空へ一振りして収めた。出来事を振り返る余裕もなく、脳裏を占める感情に支配される。すぐに踵を返して、遥は朱里のもとへ駆け寄った。 

 麟華に抱き起こされた朱里の顔から、血の気が失われている。路面に力なく放り出された白い手が血に濡れていた。膝の上から裂けた腿の傷跡が深い。麟華と麒一が止血を施したようだが、彼らには傷口を癒すことができないのだろう。 
 遥はその場に膝をついて、ぐったりと気を失っている朱里に触れた。 

「朱里……」 

 彼女の頬に触れた指先が震えていることに気付く。封じ込めなければならない想いが駆け巡って、押し殺すことで精一杯だった。 
 これほど傷つけられても、彼女は決して逃げ出すことを考えなかったのだ。気を失う間際まで、ただ麟華を救うことだけを思い続けた。 

「どうして、もっと早く私を呼ばない」 

 彼女が心から求めてくれるのなら、いつでも影脈みちは開かれる。 
 遥は腕を伸ばして、麟華に抱えられた彼女の上体を抱きしめた。鉄のような血の臭気に、ほのかに甘い匂いが混じっている。禁術によって形作られた殻であっても、それを満たす温もりは変わらない。 
 失うことは出来ない。何があっても幸せをつかみ取ってもらわなければ、この先には彼女を苦しめた後悔だけが募ってしまう。 

「もっと早く、私を……」 

 呟きながらも、遥にはそれが我儘わがままな願いであることは判っていた。本来ならば、彼女が遥にすがることなどあってはならないのだ。必要以上の信頼を得てはいけない。 

 彼女の内に遥――闇呪あんじゅへの信頼が育つほど、その禁術が解けた時、彼女は心を痛めることになる。決して、禍となる者に心を移してはいけない。 
 自分に対する朱里の信頼が、それ以上の気持ちに育ちつつあることは、遥も気がついていた。 

 彼がずっと望んでいた立場。 
 思い起こせば、愛を以って真実の名を捧げる前から焦がれていた。 
 けれど。 

 真実は違う。彼女の想いを望みながらも、彼には決して手に入れられなかった立場なのだ。禁術に犯された彼女は、全ての過去――真実を失っている。そんな状況で愛されることは、過ちではすまされない。悪戯に彼女の想いを弄ぶような真似はできない。 

 朱里の心が自分に向けられている。 
 この異界で手に入れた成り行きは、遥にとっては思いも寄らない出来事であり、そして、あってはならない展開だった。 

 変えることの出来ない運命みらいがある限り。 
 いつの日か全てが覆される日がやってくるのだ。 
 世を滅ぼすわざわいと、それを討つ相称の翼。 

 どれほど目を逸らしても、いつか形になる。 
 彼女の幸せは、その先にしか築くことができない。禍を討ちとった、その先にしか――。 
 遥は固く目を閉じてから、まるで覚悟を決めたように現実を見た。小柄な体を抱いていた腕を解く。 

麟華りんか麒一きいち。とにかく家に入ろう。彼女を休ませて、殻の受けた傷を癒してみる」 

 麟華が頷くのを見ながら、彼は労わるように朱里の肩を抱き、もう片腕を膝裏に通した。抱き上げるようにして立ち上がると、朱里の顔がことりと遥の胸に寄りかかる。 

 遥は足元に倒れているもう一人の人影を見返った。外傷もなく顔色も安定していたが、このまま家の前に放置しているわけにはいかない。 
 遥は同じように気を失っている涼一を、麒一に託した。守護は異を唱えることもなく、荷物を持ち上げるような素早さで青年の体を抱え上げる。 

 邸宅の前で事件が起きたのは、人目につかないという点では運が良かったと言えるだろう。麟華が素早く玄関の門を開いた。歩き出しながら、遥はもう一度胸に寄りかかっている朱里の顔を見る。血で汚れた白い顔は無防備に目を閉じていた。 

 愛しい翼扶つばさ。 
 護ると誓いながら傷つけられたことを、この上もなく悔やむ。もっと早く駆けつけたかったという望みが、遥の内に痕を残す。 
 求めてはいけないと知りながらも。 
 それでも、止めようもなく込み上げてくる思い。 

 もし自分が彼女の比翼であったのなら、遅れを取ることはなかっただろうか。あるいは遡れば、こんなふうに禁術に追い詰めることはなかったのかもしれない。 
 もしこの身が、彼女に愛されたただ一人の比翼であれば。 

 考えても仕方のない望みが渦を巻いた。 
 遥は痛みにも似た感情をやり過ごすように、朱里から目を逸らした。 
 強欲な思いを封じ込めるように考えを改める。 
 今はただ、彼女が心から必要としてくれたこと。自分に助けを求めてくれた声。 

 それだけが、その信頼だけが、自身を、――あるいは決意を支える糧となる。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

処理中です...