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第三話 失われた真実

第七章:1 開かれた影脈(みち)

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 彼方かなたが新たな会話の糸口を探していると、何の前触れもなく副担任のはるかが立ち上がった。一瞬にして、宿直室に尋常ではない緊張感がみなぎる。彼方は寝台に横たわったまま動けず、どうしたのかと声をかけようとして目を見開いた。 

 遥が素早く虚空に手を這わせ、何かをつかみ取ったのが判る。突然の抜刀に声を失っていると、彼は手にした漆黒の刀剣――悠闇剣ゆうあんのつるぎを迷わず床に突き立てた。 

「――影脈みちを開く」 

 淡く差し込む陽光で形作られた遥自身の薄い影。艶やかな刀剣は彼の足元に描かれた影を的確に貫いている。彼方があっと声を上げる前に、遥の姿は室内から跡形もなく失われていた。 
 彼方が引き止める隙も与えぬ素早さで、遥は目の前から立ち去ってしまったのだ。彼方は寝台に横たわったまま天井を眺めて、目の前で繰り広げられた状況を整理した。 

「……影脈けいみゃくを使えるって、どういうこと?」 

 思わず声に出して呟いてしまう。有り得ない話ではないが、彼方はただ驚いていた。 
 みちを使うためには、それなりの条件を満たす必要がある。彼方には副担任の遥がそれを満たしているとは思えない。じゅってを制する彼には、みちすらも自由自在に使える力なのだろうか。 
 あるいは。 

 そこまで考えたとき、彼方は宿直室の外に人の気配を感じた。ようやくそうがやって来たのだと思うと、闇呪あんじゅである副担任を足止めできなかったことを悔やみたくなる。ついさっきまで、彼がここにいたのだ。わずかな差でそうはるかを対面させることが叶わなかった。 

「彼方、大丈夫ですか」 

 予想にたがわず奏が顔を出した。窺うように、ゆっくりと扉を押し開いて室内へ入ってくる。彼方は虚脱感に襲われながらも、現れた奏に笑顔を向けた。それから悪戯いたずらを叱られた子どものように顔をしかめてみせる。 

「ごめんなさい、奏。もうちょっとだったんだけど」 

 奏はさっきまで遥が座っていた椅子にかけて、不思議そうに彼方かなたを見つめる。 

「それはどういう意味ですか」 

 彼方は教室で起きた出来事から、これまでの経緯をかいつまんで語った。奏は彼方の謝罪の意味を理解すると、穏やかに笑う。 

「そうですか。ついさきほどまで、ここに彼が」 
「うん。僕がうまく引き止めていられたら良かったのに」 

 彼方が横たわったまま溜息をつくと、奏は表情から笑みを消して呟いた。 

「何か起きたのかもしれませんね」 
「何かって?」 

 視線を奏に向けると、彼は何かを考えている風情で室内の一点を見据えている。彼方を見ることはせずに続けた。 

「あなたの兄上もこちらへ渡っている。緋国ひのくにの二ノ宮は残念なことになってしまいましたが、彼女も魂禍こんかとなる前には目的があった筈です。その目的はおそらく闇呪あんじゅきみや、相称の翼に関わることに間違いないでしょう」 

「だけど、兄上は僕を狙っていたのに?」 
「その辺りの成り行きは、はっきりとはしませんが……」 

 奏は一瞬黙り込んでから、彼方を見た。 

闇呪あんじゅきみ影脈みちを開いたのですね」 
「うん、間違いない」 

 彼方はさっきまでの思考を取り戻す。 
 みちを使うために、満たさなければならない条件。奏もそれを考えてしまったのだろう。まさかと思ったが、彼方はそれを口に出して見た。 

「副担任、じゃなくて……闇呪あんじゅ翼扶つばさがいるとしたら」 

 奏は頷く。 

「たしかに、影脈みちを使うことは可能です」 
「でも、そんなことあるのかな。闇呪あんじゅが忠誠を捧げる相手なんて想像がつかない。付け加えてみちではこの異界から天界に渡れないだろうから、相手もこちらに渡っているということになる」
 
 今までの成り行きを考えると、彼方にも一人だけ思い当たる人物がいる。どんなに闇呪あんじゅであるはるかに否定されても、俗物的とも言える一つの考えを拭い去ることができない。 

 天宮あまみや朱里あかり。彼女に対する特別な感情。彼方は思い過ごしではないと感じてしまう。 
 けれど、朱里が闇呪の翼扶つばさになることは不可能なのだ。彼女はこちらの世界に生まれ、真実の名を持たない。みちを開く以前の問題だった。 

 みちと呼ばれるものは幾通りかある。 
 ついさっき闇呪あんじゅが目の前で開いてみせた影脈けいみゃく。影を介して開くみち。もちろん彼方にも開くことの出来るみちがある。彼方は一度だけ地脈ちみゃくを開いたことがあった。

 雪と縁を結び、互いに真名まなを捧げあってから、初めて放浪癖を発揮したときだ。彼の長すぎる不在に、さすがの雪も耐え切れなかったのだろう。不安に苛まれた彼女の声に呼ばれたのだ。それは即座にみちを開く契機となった。 
 彼方は脳裏に浮かんだ朱里のことを、すぐに考えから追い払った。 

天籍てんせきに在る者で、闇呪あんじゅが心を捧げるとしたら誰だろう。みちは愛をって真名まなを捧げた翼扶つばさか、仁を以って真名を捧げた主君にしか開くことは出来ないわけで……。闇呪あんじゅには、どっちも想像がつかないけど」 

 考えをまとめながら呟いていると、ふっと闇呪あんじゅく守護を思い出す。 
 闇呪を護るために生まれた黒麒麟くろきりん。 

「奏。もしかすると闇呪は守護に対してみちを開くことが出来るのかもしれない。僕達は守護を持ったことがないから知らないだけで。それに、各国の守護は王に対して霊脈れいみゃくを開くことができるわけだし」 

「そうですね。その可能性もあるでしょうが。――しかし、王が守護に対してみちを開いたという話は聞いたことがありません」 

 過去の事例に造詣の深い奏が知らないのならば、それは有り得ないことわりなのだろう。彼方は短く唸ってしまう。奏は面白そうに彼方に指摘する。 

「闇呪が翼扶つばさを得たと考えるのは、そんなに不自然ですか」 
「いや、そういうわけじゃないけど。むしろ、こっちの世界の人物には心当たりがあるくらいなんだけど。天籍に在る者で、なおかつこちらに渡っていて、闇呪が真名を捧げるなんて。そんな都合の良い人いるのかなって」 

 奏は興味を惹かれたように、椅子から身を乗り出した。 

「こちらの世界で心当たりがある人物とは、どういうことですか」 

 彼方かなた朱里あかりに関わるこれまでの成り行きと、自分の感じた当てずっぽうな意見を述べた。奏は無駄話であるとは思わないようで、真剣に耳を傾けている。 

天宮あまみやゆかりのある者ですか。――闇呪に人並みの情があるのならば、恩義を感じても不思議ではないでしょうね。彼はこちらにつながる鬼門の守役もりやくとして、本当はこの天落の地にも馴染みがあるのかもしれません」 
「うん、まぁ。理由は色々考えられるけど」 

 奏は小さく笑った。 

「彼女のためにを呑んで見せたのが、彼方にとっては余程衝撃的だったのでしょうね」 
「だって、あれはひどかったよ。思い出すだけで鳥肌が立つ」 

 寝台に横たわったままでも、体が震えてしまいそうだった。彼方は嫌な光景を追い払うために、固く目を閉じる。奏の落ち着いた声が、一つのことを示唆した。 

「天宮の娘はさておき、闇呪の君に翼扶つばさが在るということは、充分考えられるでしょうね」 
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