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第三話 失われた真実
第六章:4 新たな追手
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正門の前に立つ麟華へ歩み寄ると、彼女は朱里の肩に手を置いた。さすがに抱きしめることはしなかったが、無事を確かめているのか、二の腕や肩の辺りをさするように何度も叩く。
「大変な目にあったみたいね」
いつもより低い声で、麟華は労わるように朱里を見た。朱里には姉がどこまでの出来事を知っているのか判らない。不思議そうに麟華の顔を見上げていると、彼女は苦笑した。
「ずっと気をつけていたつもりだったのに、彼らの気配を掴むことが出来なかったの。ごめんなさい、朱里」
「そんなの、麟華のせいじゃないし」
朱里は慌てたように胸の前で手を振る。麟華は大きく息をついた。
「主上……、いえ黒沢先生が間に合って、本当に良かった」
心の底から安堵している姉は、どこか落ち込んでいるようにも見える。朱里は励ますように、わざと明るい声を出した。
「その感じだと、麟華は教室で何が起きたのか知っているの?」
「おおよそのことは、察しがつくわね」
正門で話すべきことではないと感じたのか、麟華が朱里の背中を軽く叩いた。正門を抜けて自宅への短い道程を歩き出す。朱里はどうしようかと迷ったが、思い切って問いかけた。
「麟華、いったい何が起きているの? さっき教室に現れた雛人形みたいな女の人も、麟華の世界の人だよね」
麟華は隣を歩きながら、どんなふうに答えるべきかを考えているらしい。朱里は黙り込んでいる姉の横顔を見つめていた。麟華は大きな溜息をついてから、降参したという手振りをする。
「残念ながら、朱里にうまく説明する自信がないわ。実は何が起きているのかは、私達にもよく判らないのよ。ただ、そうね、――追手とも言うべき者が、こちらの世界へ渡ってきているのは事実」
麟華はあっさりとそんなことを白状する。
「追手って? 何のために?」
「その目的が、よく判らないのよね」
艶やかな黒髪をかきあげながら、麟華は空を仰いで他人事のように答えた。一瞬、姉が事実を伏せているのかと考えたが、そんな猜疑心を抱かせないほど呑気な声で「うーん」と唸っている。「困ったわね」と眉をしかめる仕草は、全くいつも通りの姉だった。朱里は追手の放たれている状況で、どうしてここまで余裕の態度なのかと、違う意味で疑いたくなってしまう。
「じゃあ、あの雛人形みたいな女の人が誰なのかは分かる?」
朱里は教室に現れた女性の特徴を説明した。彼方が「紅蓮の宮」と呟いていたことを思い出す。麟華は心得ているとばかりに頷く。
「それは王子様がつぶやいていた通り、紅蓮の宮だわね」
「それは誰? どういう人なの?」
「判りやすく説明すると、お姫様かしら」
「は?」
「だから、嫉妬深いお姫様よ」
朱里には全く捉えようのない答えなのだが、麟華は大真面目だった。これ以上聞いても無駄かと思えたが、遥と女の因果だけは明らかにしておかなければならない。気を取り直して姉を見た。
「そのお姫様は先生の敵だったの?」
朱里の問いかけに、麟華は戸惑ったように顔を曇らせた。明らかに返答に窮しているように見えたが、短く答えた。
「敵よ」
朱里にはすぐに嘘だと判ってしまう。視線を合わせようとしない姉を責めるかのように、一歩前に進み出て麟華を仰ぐ。
「本当に先生の敵だったの?……それは、例えば、殺さなければならないほど?」
「――そうよ。それが黒沢先生の選んだやり方なの。あの方にとっては、試練となるでしょうね」
「試練?」
麟華は頷いてから、ふと朱里の背後で視線を止めた。朱里が振り返ると、行き止まりの自宅の前に人影が立っている。学院の傍らにある朱里達の住まいは道程の突き当たりにある為、他人がこの道に入ってくることはない。あるとすれば、それは天宮家を訪れて来た者だけである。
朱里達の自宅を仰いでいる横顔は、朱里も麟華もよく知っている者だった。二人はすぐに警戒心を解く。朱里が駆け寄っていくと足音で気付いたのか、家の前で立ち尽くしていた横顔がこちらを向いた。
「あ、天宮。それに先生も」
「涼、どうしたの? うちに何か用?」
自宅の前に立っていたのは、朱里の級友であり、同じ学級委員を務める宮迫涼一だった。彼は朱里の姿を見つけると、「なんだ」と力の抜けた顔をした。
「いったい、どうしたの?」
「いや、その、天宮が大怪我をしたって聞いたから。ちょっと立ち寄ってみただけ」
朱里は学院に広まっている誤報に頭を抱えたくなった。そんなふうに思われても無理のない成り行きだが、月曜日の級友達の反応は想像に難くない。
佐和や夏美にしたように、朱里はすぐに涼一にも事実を説明した。彼は痛そうに顔を歪める。
「彼方が大怪我したって?うわっ、悲惨だな、あいつ。天宮が血まみれだったのは、奴の血だったんだ。まぁ、どっちにしても大事に至らなくて良かったけどさ」
「うん」
少し遅れてやって来た麟華が、朱里の背後に立つ気配がした。涼一に向けてにっこりとあでやかな笑顔を浮かべている。朱里が遥への想いを打ち明けてから、涼一に対する麟華の態度が柔らかくなったのは、朱里の気のせいばかりではないと思う。
「宮迫君にも、心配をかけてしまったわね。わざわざ様子を見に来てくれて、私からも感謝するわ」
「いいですよ、そんな。俺が噂に振り回されただけだし」
涼一は麟華や麒一にとっても、昔なじみの青年である。彼は屈託のない笑顔で麟華に笑って見せた。麟華は「可哀想なくらいに健気ね」と場違いな感想を漏らす。朱里が即座に姉の足を踏みつけたのは言うまでもない。
「涼の用って、それだけ?」
朱里は姉の空気の読めない言動を阻止するために、苦し紛れにそう声を上げる。涼一は二人のやりとりを可笑しそうに眺めながら頷いた。
「うん、そう――」
答えながら、彼は突然かくりと前へよろめいた。まるで足を踏み外したように不自然に前へ進み出る。ふらりと麟華の前に立ちはだかっていた。朱里がどうしたのかと声をかけようとすると、突然涼一が虚空に腕を振り上げた。
「まさかっ」
麟華の声が短く響く。姉が飛びのこうとするより早く、いつのまにか涼一の手に握られていた銀の短剣が地面に突きたてられていた。朱里には一瞬の内に何が起きているのか理解できない。
「娘、私の目的はこの黒麟です」
涼一が知るはずのない事実を口にして、顔を上げる。いつも濡れて輝いている黒い瞳が、不自然な位に光沢のない暗黒と化していた。朱里は「ひっ」と声にならない悲鳴を上げる。
紅蓮の宮と呼ばれていた女性と同じ眼をしているのだ。
「り、涼?」
「部外者は黙るが良い」
動きを封じられた麟華と対峙したまま、彼が短剣から離した手を一振りした。びしりと風が鳴ると同時に、朱里は足元から焼け付くような痛みに支配された。
「朱里っ」
麟華が叫ぶと同時に、朱里はその場に倒れこんでしまう。痛みが駆け巡る足を押さえると、腿の辺りからどくどくと血が流れ出していた。風の刃に切り裂かれたのか、覚えのない傷跡がぱっくりと口を開いている。
「朱里っ、――貴様……」
麟華が恐ろしい形相で涼一を睨むが、彼は涼しそうに笑っている。
「黒麒麟にも情があったようですね。しかし、守護もこうなれば何も出来ないでしょう」
「そんな、莫迦なことが」
麟華が呻くのを見て、涼一はくっと低く笑う。朱里は失血で手の先が冷たくなっていくのを感じた。
「大変な目にあったみたいね」
いつもより低い声で、麟華は労わるように朱里を見た。朱里には姉がどこまでの出来事を知っているのか判らない。不思議そうに麟華の顔を見上げていると、彼女は苦笑した。
「ずっと気をつけていたつもりだったのに、彼らの気配を掴むことが出来なかったの。ごめんなさい、朱里」
「そんなの、麟華のせいじゃないし」
朱里は慌てたように胸の前で手を振る。麟華は大きく息をついた。
「主上……、いえ黒沢先生が間に合って、本当に良かった」
心の底から安堵している姉は、どこか落ち込んでいるようにも見える。朱里は励ますように、わざと明るい声を出した。
「その感じだと、麟華は教室で何が起きたのか知っているの?」
「おおよそのことは、察しがつくわね」
正門で話すべきことではないと感じたのか、麟華が朱里の背中を軽く叩いた。正門を抜けて自宅への短い道程を歩き出す。朱里はどうしようかと迷ったが、思い切って問いかけた。
「麟華、いったい何が起きているの? さっき教室に現れた雛人形みたいな女の人も、麟華の世界の人だよね」
麟華は隣を歩きながら、どんなふうに答えるべきかを考えているらしい。朱里は黙り込んでいる姉の横顔を見つめていた。麟華は大きな溜息をついてから、降参したという手振りをする。
「残念ながら、朱里にうまく説明する自信がないわ。実は何が起きているのかは、私達にもよく判らないのよ。ただ、そうね、――追手とも言うべき者が、こちらの世界へ渡ってきているのは事実」
麟華はあっさりとそんなことを白状する。
「追手って? 何のために?」
「その目的が、よく判らないのよね」
艶やかな黒髪をかきあげながら、麟華は空を仰いで他人事のように答えた。一瞬、姉が事実を伏せているのかと考えたが、そんな猜疑心を抱かせないほど呑気な声で「うーん」と唸っている。「困ったわね」と眉をしかめる仕草は、全くいつも通りの姉だった。朱里は追手の放たれている状況で、どうしてここまで余裕の態度なのかと、違う意味で疑いたくなってしまう。
「じゃあ、あの雛人形みたいな女の人が誰なのかは分かる?」
朱里は教室に現れた女性の特徴を説明した。彼方が「紅蓮の宮」と呟いていたことを思い出す。麟華は心得ているとばかりに頷く。
「それは王子様がつぶやいていた通り、紅蓮の宮だわね」
「それは誰? どういう人なの?」
「判りやすく説明すると、お姫様かしら」
「は?」
「だから、嫉妬深いお姫様よ」
朱里には全く捉えようのない答えなのだが、麟華は大真面目だった。これ以上聞いても無駄かと思えたが、遥と女の因果だけは明らかにしておかなければならない。気を取り直して姉を見た。
「そのお姫様は先生の敵だったの?」
朱里の問いかけに、麟華は戸惑ったように顔を曇らせた。明らかに返答に窮しているように見えたが、短く答えた。
「敵よ」
朱里にはすぐに嘘だと判ってしまう。視線を合わせようとしない姉を責めるかのように、一歩前に進み出て麟華を仰ぐ。
「本当に先生の敵だったの?……それは、例えば、殺さなければならないほど?」
「――そうよ。それが黒沢先生の選んだやり方なの。あの方にとっては、試練となるでしょうね」
「試練?」
麟華は頷いてから、ふと朱里の背後で視線を止めた。朱里が振り返ると、行き止まりの自宅の前に人影が立っている。学院の傍らにある朱里達の住まいは道程の突き当たりにある為、他人がこの道に入ってくることはない。あるとすれば、それは天宮家を訪れて来た者だけである。
朱里達の自宅を仰いでいる横顔は、朱里も麟華もよく知っている者だった。二人はすぐに警戒心を解く。朱里が駆け寄っていくと足音で気付いたのか、家の前で立ち尽くしていた横顔がこちらを向いた。
「あ、天宮。それに先生も」
「涼、どうしたの? うちに何か用?」
自宅の前に立っていたのは、朱里の級友であり、同じ学級委員を務める宮迫涼一だった。彼は朱里の姿を見つけると、「なんだ」と力の抜けた顔をした。
「いったい、どうしたの?」
「いや、その、天宮が大怪我をしたって聞いたから。ちょっと立ち寄ってみただけ」
朱里は学院に広まっている誤報に頭を抱えたくなった。そんなふうに思われても無理のない成り行きだが、月曜日の級友達の反応は想像に難くない。
佐和や夏美にしたように、朱里はすぐに涼一にも事実を説明した。彼は痛そうに顔を歪める。
「彼方が大怪我したって?うわっ、悲惨だな、あいつ。天宮が血まみれだったのは、奴の血だったんだ。まぁ、どっちにしても大事に至らなくて良かったけどさ」
「うん」
少し遅れてやって来た麟華が、朱里の背後に立つ気配がした。涼一に向けてにっこりとあでやかな笑顔を浮かべている。朱里が遥への想いを打ち明けてから、涼一に対する麟華の態度が柔らかくなったのは、朱里の気のせいばかりではないと思う。
「宮迫君にも、心配をかけてしまったわね。わざわざ様子を見に来てくれて、私からも感謝するわ」
「いいですよ、そんな。俺が噂に振り回されただけだし」
涼一は麟華や麒一にとっても、昔なじみの青年である。彼は屈託のない笑顔で麟華に笑って見せた。麟華は「可哀想なくらいに健気ね」と場違いな感想を漏らす。朱里が即座に姉の足を踏みつけたのは言うまでもない。
「涼の用って、それだけ?」
朱里は姉の空気の読めない言動を阻止するために、苦し紛れにそう声を上げる。涼一は二人のやりとりを可笑しそうに眺めながら頷いた。
「うん、そう――」
答えながら、彼は突然かくりと前へよろめいた。まるで足を踏み外したように不自然に前へ進み出る。ふらりと麟華の前に立ちはだかっていた。朱里がどうしたのかと声をかけようとすると、突然涼一が虚空に腕を振り上げた。
「まさかっ」
麟華の声が短く響く。姉が飛びのこうとするより早く、いつのまにか涼一の手に握られていた銀の短剣が地面に突きたてられていた。朱里には一瞬の内に何が起きているのか理解できない。
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涼一が知るはずのない事実を口にして、顔を上げる。いつも濡れて輝いている黒い瞳が、不自然な位に光沢のない暗黒と化していた。朱里は「ひっ」と声にならない悲鳴を上げる。
紅蓮の宮と呼ばれていた女性と同じ眼をしているのだ。
「り、涼?」
「部外者は黙るが良い」
動きを封じられた麟華と対峙したまま、彼が短剣から離した手を一振りした。びしりと風が鳴ると同時に、朱里は足元から焼け付くような痛みに支配された。
「朱里っ」
麟華が叫ぶと同時に、朱里はその場に倒れこんでしまう。痛みが駆け巡る足を押さえると、腿の辺りからどくどくと血が流れ出していた。風の刃に切り裂かれたのか、覚えのない傷跡がぱっくりと口を開いている。
「朱里っ、――貴様……」
麟華が恐ろしい形相で涼一を睨むが、彼は涼しそうに笑っている。
「黒麒麟にも情があったようですね。しかし、守護もこうなれば何も出来ないでしょう」
「そんな、莫迦なことが」
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