上 下
89 / 233
第三話 失われた真実

第六章:2 遥(はるか)の迷い

しおりを挟む
「確かめて、そして間に合わないと判断した。……あの姿を間近に見れば、僕にだって想像がつくよ。影につながれた艶のない黒髪、おぞましい深淵の瞳。正気を失って、無関係な委員長まで手にかけようとするんだからさ。彼女は手放してはならない真名まなまでに奪われていた。王家、あるいは宮家の者にとっては最悪の終焉、輪廻りんねのできない魂禍こんかと成り果てていて、あれ以上生かしておくことはできなかった。委員長が望んでも、同級生の時のように救うことは出来なかった筈だ。――ううん、違う。あなたは救ってくれた。だって、紅蓮ぐれんみや輪廻りんねできる」 

 はるかは目を伏せたまま、抑揚のない声で、まるで相槌の代わりのように繰り返す。 

「それで?」 
「だからさ、その、ああするしかなかったのに、どうして、委員長にあんな言い方したのかなって……」 

 遥は真っ直ぐに彼方かなたを見下ろして、浅く笑う。 

「どうやら君も私に正義を求めているようだが、残念ながらその期待には応えられない」 
「どうして? 僕の話は事実だ。あなたは紅蓮ぐれんの宮を救ってくれた」 

「結果的にそうなってしまっただけだ。彼女が魂禍こんかでなくても、私は同じように切り捨てるしかなかった。期待を裏切るようで申し訳ないが、私には彼女を生かしておけない理由があった」 
「――嘘だ」 

 自然と口をついて出た言葉。なぜ否定してしまったのわからないまま、彼方は強い眼差しで遥を見つめる。思いも寄らない反撃を受けたかのように、彼はわずかに首を傾けて目を細めた。 

「私が君に嘘をついても仕方がない」 
「だって、副担任は一太刀で終わりにしなかった。あなたの言うことが本当だとしたら、矛盾しているよ」 

 あるいは、彼の迷いを映している。紅蓮の宮を討つことが目的であったのだとしても、心から受け入れていた役割ではないように感じてしまう。 
 彼は間違いなくためらっていたのだ。そして、魂禍となった二の宮を前にしても、恐れることも蔑むこともなく、小さな祈りを捧げた。紅蓮の宮への憎しみなどは微塵も存在しなかった。先途が穏やかであるように、ただ巡れと。 
 囁き、悼んでいた。彼方は何かを拒むように視線を逸らした遥の横顔を見つめる。 

「どうして、副担任は悪役を演じようとするの?」 

 問いかけながらも、彼方の胸の内によぎるものが在った。切ない形をしたもどかしさがこみ上げる。本当は聞かなくても、既に判っていた。おぼろげに何かが形になりつつある。遥の下した決断。彼の行動を振り返れば、簡単に導き出される。 
 彼方にも感じることができる。 

 酷薄さを突きつけて、周りの者を突き放す態度。それが如実に全てを語っている。彼の関わる何らかの事情が、護るべき者に繋がっているのかは判らない。けれど、彼にはたしかに使命があって、何があっても投げ出すことができないのだろう。例え心が痛んでも、その身が修羅となっても、成し遂げると決意している。 

 自分が望まない成り行きも、彼は受け入れて進むしかない。 
 いつしかその道程の果てに、禍と成り果てるのだとしても。 
 彼方は自分の思い描いた成り行きに身震いしそうになった。それが事実であるのならば、あまりにも過酷な宿命だった。 

 彼は自覚しているのかもしれない。 
 自身の進む道程が煉獄へと続いていることを。 
 関わる者を不幸にすることを。だから、巻き込むことを恐れるのだ。 
 彼方を。それ以上に、朱里を。 

 巻き込みたくない一心で、彼はそういう役柄を選択したのだ。 
 限りなく暴走するしかない紅蓮ぐれんみやに対して、彼は悠闇剣ゆうあんのつるぎで無表情に全てを終わらせて見せた。まるで情けなど持ち合わせていないというかのように。それが完璧なる演技だったのだと、彼方は改めて思い知る。 

 朱里あかりが副担任である遥に想いを寄せているのは明らかだ。遥もそれに気がついてしまったのかもしれない。相容れない世界に住む者として、決して受け入れることが出来ない想い。わざわいへと歩み続けるしかない道行きに巻き込むことを、恐れている。 

「副担任は、委員長のことが好きじゃないの?」 

 どうしてそんなことを聞いてしまったのか。彼方は自分の質問にうろたえてしまう。 
 遥は溜息をつくと、長い前髪で顔を隠すように俯いた。力なく寝台の傍らにあった椅子に腰掛けて、髪を掻き揚げるようにして指先に絡ませ、じっと額を押さえる。 
 彼方には表情が見えない。 

「くだらない」 

 低い呟きがあった。聞き間違えたのかと思い、彼方は「え?」と目を瞬く。 

「私が異界の娘に想いを寄せて、何か得られるのか」 
「何かって、その、好きになるのは気持ちの問題で、利益のあるなしは関係ないと思うんだけど……」 
「悪いが君の妄想に付き合っていられるほど暇じゃない」 

 くだらない会話は打ち切りだと言う口調だった。ここで立ち去られてはまずいと思い、彼方は必死に言い募る。 

「妄想ってことはないでしょ。副担任はものすごく委員長に甘いんだからさ。を呑んでまで、願いを叶えてあげるなんて在り得ないよ。それに、自分でも委員長に甘いって言っていたくせに」 

「せめてもの償いだ。天宮あまみやに縁が在るというだけで、彼女は私達と関わる羽目になり、少なからず平穏な日常を侵されて来た」 

「じゃあ、あれは巻き込んでしまったお詫び? 単なる罪滅ぼしってこと?」 

 遥はどうでも良いと言いたげに頷く。彼方は「律儀だね」と、遥の生真面目な一面に対して感想を漏らしてしまう。語り合うほどに、自分の中に築かれていた闇呪あんじゅの虚像が形を変えていく。出会う前に抱いていた恐ろしげな印象は、急激に失われつつあった。 

 彼の抱える何らかの事情から派生する苛酷な役柄。それに伴う葛藤と苦痛。彼方の中に芽生え始めたのは、いずれ禍となる闇呪あんじゅへの同情だったかもしれない。 
 彼方は寝台に横たわったまま、まるでうな垂れているかのように俯いている遥を見つめる。彼の明かした理由を疑う気にはなれない。なれないのに、何かが引っ掛かっていた。彼方は同じような問いかけを繰り返してしまう。 

「だけど、副担任は委員長のことが大切でしょ?」 

 言ってしまってから、彼方は再びしまったとうろたえる。闇呪あんじゅである副担任を相手に、一体何を追及しているのかと、一人で慌てた。遥がゆっくりと顔を上げて、彼方を睨む。 

「君が何を妄想しようと自由だが、頭の中だけにしてくれないか」 
「ご、ごめんなさい」 

 すぐに謝ってみたが、彼方の中で芽生えた引っ掛かりは更に大きくなる。
「だけど」と考えるよりも先に口が開いていた。 
 頭の片隅で、懸命に遥の味方をする朱里のことがよぎる。たしかに彼女の健気な想いを応援したいという気持ちもあった。それは潔く認める。 

 認めるけれど。 
 今、この胸に引っ掛かっているのは、そんなことではなくて。 
 朱里の恋の行く末を案じるよりも、ずっと切実に感じるのは。 
 彼方の胸に迫るのは。 

「だけど、副担任。すごく辛そうに見える」 

 何かを言い当てたのかどうか、彼方には判らない。遥は表情を動かすこともなく、こちらを睨んだままだった。 

「私が?」 

 なぜと澄んだ眼差しが問いかけてくる。彼方はふたたびあたふたと狼狽した。また勝手な妄想だと呆れられるに違いない。 

「何となく、そう感じただけ。思い悩んでいるっていうか、苦しそうっていうか。……うまく言えないけど。その、悪役を演じるのが、本当は辛いんじゃないかなって」 

 彼方は「どうせ僕の妄想だよ」と開き直って締めくくった。遥は何も言わず、ただ目を伏せてふっと小さく笑う。どこか自嘲的で、暗い笑い方だった。 
 彼は独り言のように、低く呟いた。 

「そんなくだらない妄想を抱かれるとは心外だな。――肝に銘じておこう」 

 よく通る副担任の声。彼方には、いつもより厳しい声音に聞こえた。けれど、それでも微かに交じる。 
 どうしても。 
 ちりちりとくすぶるように伝わってくるのだ。 
 切なくて、どこか哀しい響き。 
 そう感じてしまうことが正しいのか、それとも単なる思い込みなのか。彼方には判らなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

無価値な私はいらないでしょう?

火野村志紀
恋愛
いっそのこと、手放してくださった方が楽でした。 だから、私から離れようと思うのです。

旦那様、離婚しましょう

榎夜
恋愛
私と旦那は、いわゆる『白い結婚』というやつだ。 手を繋いだどころか、夜を共にしたこともありません。 ですが、とある時に浮気相手が懐妊した、との報告がありました。 なので邪魔者は消えさせてもらいますね *『旦那様、離婚しましょう~私は冒険者になるのでお構いなく!~』と登場人物は同じ 本当はこんな感じにしたかったのに主が詰め込みすぎて......

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

処理中です...