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第三話 失われた真実

第五章:5 紅蓮(ぐれん)の宮

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 土曜日の授業は午前中で終了する。朱里あかりは終礼が済むと、自習室か図書館へ足を向けてみようかと考えていた。 
 今日からははるかも副担任として復帰を果たしている。朱里は彼の復職を喜ぶのは自分くらいだろうと思っていたのに、意外と喜んでいる級友の様子に少なからず驚いていた。遥の変人っぽい様子は、一つの個性として生徒達に受け入れられているらしい。授業もどこでそんな知識を仕入れてくるのか、分かりやすいのだ。付け加えて、人当たりの柔らかさが親しみやすいのかもしれない。 

 遥はいつのまにか、平凡な副担任としての立場を築いていたようだった。 
 何事もなく半日が過ぎて、朱里は部活へ向かおうとしている幼馴染と挨拶を交わす。夏美と佐和を見送ってから、同じように教室を出ようとすると、背後から声をかけられた。 

「委員長」 

 振り向くと、彼方かなたがいつもの人懐こい笑顔で立っていた。彼は双子の警告を気にしているのか、はるかの存在を警戒しているのか、同じ教室にいても必要以上に朱里と関わることはない。けれど、何気なく様子を窺っていると、それは朱里だけではなく、級友の誰に対してもそんな立場を貫いている。人懐こい留学生を演じながらも、明らかに境界線があった。異世界の住人として、こちらの世界に深く関わる事を禁じているのかもしれない。朱里の目には、そんなふうに映っていた。 

「どうしたの? 彼方」 

 朱里は珍しいと思いながらも、少しだけ警戒している自分を無視できない。彼方が朱里に関わるときは、必ず異世界の事情が絡んでいる。夢の中で蘇る光景が、朱里に多くのことを教えた。成り行きは判らないが、不用意に自分の正体が知られてはいけない気がしたのだ。彼方が遥の味方でない限り、馴れ合うことは出来ない。いずれ遥を追い詰めてしまう要素にならないと言い切れない。 

 彼方が自分のことを、異世界の接点となる天宮あまみやの縁者であると認識しているのなら、それで良いと思っていた。朱里は彼方が何を語りだすのかと、恐れてしまう。 

「えーと、あのさ。実は委員長にお願いがあるんだけど」 
「お願いって?」 

 無邪気な様子からは、何の深刻さも感じられない。朱里は今までのように気を許して聞き返した。 

「副担任、しばらく委員長の家で厄介になるって言っていたよね」 

 朱里は再び気持ちが張り詰めたが、素直に頷いた。 

「うん。まだ調子が万全じゃないみたい。うちには麟華りんか麒一きいちちゃんもいるし、何かと都合が良いみたいだよ」 
「うん、それはすごく理解できる。でさ、実は副担任に会わせたい人がいるんだ」 
「ん? それって、先生の処へ行けばいいんじゃないの」 

 朱里が指摘すると、彼方は困ったように笑った。 

「もちろん、それは判っているんだけど。少しだけ保険をかけておこうかなって。ほら、副担任って、なぜか委員長の言うことを良く聞いてくれるでしょ。だから、委員長の知り合いだって紹介してくれると、少しでも緊張感がなくなるかなと」 

 朱里は自分の顔が険しくなってしまうのを自覚する。 

「それは、彼方かなたの国の人?」 
「――うん。きっと副担任も知っている人だと思うんだけど」 
「だったら、なおさら私に頼むより、普通に会いに行くほうが……」 

 はるかに得体の知れない人物を近づける気にはなれない。ましてそのために自分が何かを偽るなんて考えられなかった。朱里は潔く、ぺこりと彼方に小さく頭を下げる。 

「ごめん、彼方。私は先生に嘘をつけない」 

 彼方は予想していたのか、食い下がることはなく引き下がった。 

「何となく、そう言うだろうなって思っていたよ。委員長は副担任の味方だからね。あ、そんな申し訳なさそうな顔しなくて良――っ」 

 彼方の声が不自然に途切れた。朱里もぞっと肌が粟立つのを感じる。冷気にも似た不穏な気配が、背後に充満する感覚。 
 振り返ると、陽光が形作る室内の影が不自然に伸びてうごめいている。禍々しい生き物のように、影はどこまでも膨張を始めた。 

「――っ」 

 朱里は小さく悲鳴を上げた。異様な光景に立ちすくんでいると、彼方が腕を掴む。目の前に立ち上がる巨大な影から遠ざけるように、力を込めて背後まで朱里を引っ張った。 

「何の気配も感じなかったのに」 
「か、彼方。これは……?」 

 彼方にとっても異常事態なのだろう。精悍な横顔が強張っている。浅黒い右手がすっと虚空を掻くように動いた。どこから取り出したのか、彼は美しい水面を映したかのような碧色の刀剣を握っている。 
 いつか遥が漆黒の刀剣を取り出した時と同じだった。 

「僕にも何が起きているか判らない。だけど、これはだ。委員長、とにかく下がっていて」 

 朱里は言われたとおり、更に教室の隅へと後退した。周りを見ると、いつのまにか級友たちは姿を消している。教室に二人だけ残された途端、その異変が起きたようだった。 
 見上げるほどに肥大した影が、震えるように蠢く。朱里はその闇色の中に、ちらりと緋色が差すのを見た。見間違いかと目を凝らしていると、まるで暗黒の通路から渡り来るように、緋色の着物が現れる。 

 引きるほどの裾をさばき、豊かな袖を持て余すように。 
 場違いなくらいに艶やかな衣装は、十二単じゅうにひとえを彷彿とさせた。ずるりと影の中から現れた人影。細かく波打つ黒髪を長く垂らし、艶のない漆黒の瞳でこちらを見ているさまは、ひな祭りに飾られる人形のように生気がない。 

 この上もなく美しく飾られているのに、不気味な女だった。 
 細やかな癖をもつ長い黒髪は依然として背後の影に繋がり、輝きのない瞳は暗黒を映しているかのように暗い。 

「まさか、紅蓮ぐれんの……、どうして」 

 彼方が信じられないものを見るように、現れた女を見ている。小さく「紅蓮ぐれんみや」と呟いたのが、朱里にも聞こえた。女は剣をかざす彼方の姿には目もくれず、後ろで震えている朱里を見据えている。 
 赤く塗られた唇が、恐ろしいほど口角を上げて笑った。 

「その浅ましき姿よ」 

 真っ直ぐに朱里を捉えて、女は影に繋がれたままつっと進む。 

「この目はごまかせない。その顔貌かおかたちが、ひどくしゃくさわる。おまえ如きが、そのような大役を果たせようはずがない」 
「紅蓮の宮っ」 

 彼方が女の前に立ちはだかり、叫んだ。 

「一体、御身おんみに何があったのですか。その姿は、一体どうなさったのですか」 

 彼方の声は、女の耳に入らないようだった。 

「丁度良い。一族の汚名、その魂魄いのちで償うが良い。全てを奪われた先代の恨みが、おまえに判ろうか」 

 罵るように繰り返される言葉が、まるで呪いのように朱里を震え上がらせる。全く身に覚えのない出来事を語られて状況が把握できない。女が正気であるとは思えなかった。 
 袖に隠されていた女の白い手が、すらりと中空から剣を抜く。血の色のように赤い刃先が、ぴたりと朱里を捉えた。女は高く笑い、教室の端に追い詰められた朱里に近づいていく。 

「この憎しみ、おまえに判ろうか」 
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