シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

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第三話 失われた真実

第五章:1 夢と現V 1

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 金域こんいきにある黄城おうじょうは、世が日毎に憂いつつあっても、変わらずに輝いている。城内へと導く大麟門だいりんもんに迎えられ、堂や宮へと続いて行く。燦然さんぜんたたずむ城の造詣、その全てが光を集めているかのようだった。
 
 それが黄帝の礼神らいじんによるものか、麒麟きりんの守護によるものなのかは分からない。庭園に咲き零れる花が目に染みるほど鮮やかで、酔いそうな位に甘い芳香を漂わせている。 
 彼女にとっては、幾度目にしても美しく不可思議な光景だった。 

 いつものように通された広間は、やはり輝くように明るい。彼女は訪れる度に、あまりの眩しさに目を焼かれそうになる。絢爛けんらんたる室内に目が慣れても、華やかさに気後れがして落ち着かない。 
 故郷である緋国ひのくに内裏だいりよりも煌めいた装飾の数々。 
 あんで住まう寝殿とも異なった模様。自分がここに在ることが、彼女には不自然な気がしてならなかった。 

 黄城おうじょう内奥ないおうに設けられた黄帝の間。 
 たしかに玉座の在処ありかとしては相応ふさわしいのかもしれない。彼女は広間の美しい床に手をつき、こうべを垂れて黄帝の訪れを待っていた。 
 今日はいつもにもまして、自分がこの華やかな広間に不似合いだという思いが強い。 

 理由は幾つかある。 
 地界で時として猛威を奮い、人々を一時的に悩ませるかぜに当てられたのかもしれない。発熱している感覚があった。体も鉛のように重く、この金域こんいきまでの道中、御車みぐるまに揺られているだけのことが辛かったのだ。 

 体の具合が思わしくない。彼女はもっと早くに気がつけば良かったと悔いる。こんな具合で黄帝の前に参上するのは無礼な気がしたし、何よりも今は彼の傍へ戻りたかった。この定例となった参堂さんどうを先に延ばしてでも、彼女は彼の傍に在りたかったのだ。 

 これほどに体調を崩しながらも、ここに来るまで具合の悪さに気がつかなかったのは、きっと自分の心が浮かれていたせいだ。もちろんそれは、黄帝の元を訪れることが理由ではない。 
 心躍る出来事。原因は自身の夫君である闇呪あんじゅきみにあった。彼女はいまだに、夢を見ていたのではないかと素直に信じられない。 

 黄帝との謁見を終えて戻れば、全てがなかったことになっているのではないだろうか。あるいは、かぜに当てられた自分が、朦朧とした頭で妄想したことに過ぎないのかもしれない。 
 そんな一抹の不安を抱きながらも、全ての憂慮を吹き飛ばす確かな証が在る。 
 しっかりと胸の内に輝くもの。 

(早く、戻りたい。――あの方に伝えたい)

 黄帝の間にありながら、心ここに在らず。後ろめたく感じるほど、胸の内はただ一つのことに占められていた。黄帝に対する畏敬の念も、感謝も、殊勝な想いも、今日はどこか遠い彼方にあった。 

(はやく)

 どうしようもなく、想いが急いた。 
 彼女はどうしてあの時にすぐに応えなかったのかと、我が身の鈍さを呪う。驚きのあまり、うまく言葉が出てこなかったのだ。 

 自分が定期的に金域こんいきへ訪れるよう勅命を受けたのは、闇呪あんじゅきみと縁を結んでから、しばらくしてのことだった。初めは黄帝の心遣いを在り難く噛み締めたが、今となっては煩わしくないと言えば嘘になる。 
 間近に黄帝のご尊顔を拝する。近頃では一国の主である四天王にも難しいと言われている。自分のような者にはもったいないほどの待遇。そんな立場を与えられ、身に余る光栄だと心を奮わせた日々が、今となっては懐かしくさえ思えた。 

 今回も定例の参堂を前に、彼女は長い緋色の髪を結い上げて盛装していた。 
 熱に浮かされたかのような朦朧とした頭で、金域こんいきを訪れる前の出来事を振り返る。 
 彼女は黄帝との謁見に備え、気恥ずかしくなる位に着飾っていた。あんの住まいである寝殿で、金域からの迎えを待つほんのひととき。 

 珍しく闇呪あんじゅきみが、彼女の住まう寝殿に姿を見せた。いつも周りを賑やかにしてくれる麟華りんか麒一きいちの姿が見えない。改めて二人きりなのだと思うと、なぜかいつもより鼓動が高くなった。 
 咄嗟にその場で頭を下げると、必要以上に着飾った自分の姿に気づく。 
 彼女が彼の前で、これほどに着飾る機会は少ない。黄帝の元を訪れるための正装だとしても、彼の目にも美しく映るだろうか。自分のような小娘でも、こんなふうに衣装に飾られれば、少しは見栄え良くなるだろうか。 

 場違いな思いに戸惑いながらも、彼女はもしそうであれば、黄帝よりも彼の目に映りたいと、素直に思えた。 
 「朱桜すおうきみ」と慣れた声が呼ぶ。 
 何か眩しい物を見るように綺麗な眼差しを細めて、こちらを見ていた彼の姿。 
 ただそれだけで、着飾っている自分よりもずっと美しい立ち姿だった。その後に続く情景を思い出すと、彼女は胸がはち切れそうになる。彼に与えられた幸運を噛み締めた。大切な宝物を抱くように、そっと胸の内で反芻はんすうする。 

 そんな満ち足りた想いを遮るように、くつを踏み鳴らす音が響いた。 

「――息災で何よりだ」 
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