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第三話 失われた真実
第四章:2 白川(しらかわ)奏(そう)
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「翡翠の王子、私も裏鬼門を渡りこうして天落の地へ参りました」
「やっぱり、白虹の皇子」
「ええ、もちろんです。あなたが発った後、私も皓月の案内に導かれて裏鬼門から初めてこちらへ渡りました」
「皓月に導かれて?」
白虹の皇子である奏は、「はい」と微笑んだ。
彼方は自分を裏鬼門まで送り届けてくれたのも皓月であったことを思い出した。幻獣とも言われる霊獣 の行動は天意を示すとも言われている。彼方は国へ戻ること考え直す。皓月の導きには、何か意味がある筈なのだ。
昨夜の衝撃で冷静さを欠いている。彼方は自嘲するように苦く笑った。
目の前には、幸いなことに白虹の皇子が現れたのだ。国や雪の様子を聞きだすことも出来るだろう。
心強い味方を得て、彼方は兄の言動に動揺していた自分が我に返るのを自覚する。手に持っていた鞄をその場に置いて、脱力するように座り込んだ。
白虹の皇子が慌てて一歩進み出る。
「どうしたのですか、翡翠の王子」
彼方は座り込んだまま、目の前で膝を折った白虹の皇子を見上げた。格好は透国に在った時とは別人のようにこちらに馴染んでいるが、顔貌は見間違うはずもない。
「皇子の顔を見て、気が緩んだというか……、その、色々と衝撃的な出来事があって、自分を見失っていたというか。――良かった」
情けない位に安堵しながら、彼方は再び頭を垂れて「はあっ」と大袈裟に息をつく。傍らで二人の再会を見守っていた東吾がすっと歩み寄って来た。
「では、奏様。無事にご案内申し上げましたので、私はこれで失礼いたします」
「ありがとうございます、東吾」
「私は天宮の指示に従っているだけです」
飄々と述べて会釈すると、東吾がくるりと踵を返す。
「あ、待って、東吾」
彼方は彼の背中に向かって思わず問いかけた。
「東吾は碧宇――、僕の兄上にも会っているの」
「何も申し上げることは出来ません」
取り付く島もなく、東吾はそう答えるだけだった。彼方にとっては、予想通りの返答である。そのまま立ち去ると思っていたのに、東吾が珍しく口を開いた。
「天宮の指示は、裏鬼門からおいでになる方をご案内申し上げることです。残念ながら、私はそれ以外のことは存じ上げません。では、これで」
足音もなく、東吾の姿が遠ざかっていく。彼方はやりきれないと言うように、がしがしと頭を掻き回した。
「やっぱり、何を聞いても答えてくれないな」
不平を唱えると、立ち上がる彼方に手を貸しながら、白虹の皇子が「そうでしょうか」と呟いた。
「翡翠の王子――、いえ、こちらでは彼方とお呼びしましょう。東吾はそれなりに答えてくれたのではないでしょうか」
「答えって、えーと、皇子じゃなくて……」
「白川奏です。こちらでは奏で結構です。同郷の友人ということで」
「うん。じゃあ、遠慮なく。ところで、東吾が何を答えてくれたと?」
「彼は裏鬼門を渡った者だけを導く。要するに、鬼門からの来訪には何も関与していないということです。だから、鬼門からこちらへ渡った碧宇の王子のことは知らない。こちらの世界について、碧宇の王子には何の案内もしていないということになります」
彼方は昨夜の経緯を思い出してみる。何度振り返っても衝撃的だが、たしかに碧宇は国の衣装を身に纏っていた。白虹の皇子――奏や自分は、東吾にこの異界に馴染む環境を与えられている。住まいも身なりも語るべき素性も、こちらで過ごすための境遇は完璧に作り上げられているのだ。たしかに、その環境は兄がこちらでは持ち得ない幸運なのかもしれない。
「東吾は兄上を知らないと言うことか。――それにしても、僕や奏には東吾を介して、最低限の関わりを持とうとする。天宮は何を考えているんだろう」
彼方の問いには、奏も首を傾けるだけだった。
「堕天した先守は、こちらの世界で今も顕在している。それは確かでしょうね。私にとっては新たな真実です」
楽しそうに笑う奏は、こちらの世界では珍しい銀髪を閃かす。短くなっているとは言え、彼方には雪の面影を見ることができた。
愛しい翼扶。高く澄んだ笑い声を聞いたのが、ずっと以前のように感じる。
胸を締め付ける切なさと共に、兄の語った自分の立場が蘇った。目の前に現れた奏には、兄の碧宇が発した敵意や、彼方の危うい立場を匂わせる様子は感じられない。彼の妹である雪に対して、奏が何かを懸念しているとも思えなかった。
それでも、やはり彼方には彼女の安否が気掛かりだった。
「あの、――奏」
「はい」
「僕はあなたに、色々と聞きたいことがあるんです」
彼方はもう一度自分の部屋へと戻り、扉を開くと室内へ奏を招く。
「僕には、もう何がどうなっているか良く判らない」
素直に弱音を吐くと、彼方の抱える憂慮を感じ取ったのか、奏の顔からゆっくりと笑みが消える。彼方の滞在している狭い室内で、二人は小さな座卓を挟んで向かい合った。
奏の穏やかな声が、そっと尋ねる。
「彼方、こちらで何かあったのですか」
「――はい」
彼方にかけられた嫌疑。既に奏は知っているのかもしれない。それを伝えるために、彼はやって来たのかもしれなかった。
再び混乱する自分を感じながら、彼方はこれまでの経緯をなぞる。成り行きを整理するかのように、奏に包み隠さず全てを語ってみた。
「やっぱり、白虹の皇子」
「ええ、もちろんです。あなたが発った後、私も皓月の案内に導かれて裏鬼門から初めてこちらへ渡りました」
「皓月に導かれて?」
白虹の皇子である奏は、「はい」と微笑んだ。
彼方は自分を裏鬼門まで送り届けてくれたのも皓月であったことを思い出した。幻獣とも言われる霊獣 の行動は天意を示すとも言われている。彼方は国へ戻ること考え直す。皓月の導きには、何か意味がある筈なのだ。
昨夜の衝撃で冷静さを欠いている。彼方は自嘲するように苦く笑った。
目の前には、幸いなことに白虹の皇子が現れたのだ。国や雪の様子を聞きだすことも出来るだろう。
心強い味方を得て、彼方は兄の言動に動揺していた自分が我に返るのを自覚する。手に持っていた鞄をその場に置いて、脱力するように座り込んだ。
白虹の皇子が慌てて一歩進み出る。
「どうしたのですか、翡翠の王子」
彼方は座り込んだまま、目の前で膝を折った白虹の皇子を見上げた。格好は透国に在った時とは別人のようにこちらに馴染んでいるが、顔貌は見間違うはずもない。
「皇子の顔を見て、気が緩んだというか……、その、色々と衝撃的な出来事があって、自分を見失っていたというか。――良かった」
情けない位に安堵しながら、彼方は再び頭を垂れて「はあっ」と大袈裟に息をつく。傍らで二人の再会を見守っていた東吾がすっと歩み寄って来た。
「では、奏様。無事にご案内申し上げましたので、私はこれで失礼いたします」
「ありがとうございます、東吾」
「私は天宮の指示に従っているだけです」
飄々と述べて会釈すると、東吾がくるりと踵を返す。
「あ、待って、東吾」
彼方は彼の背中に向かって思わず問いかけた。
「東吾は碧宇――、僕の兄上にも会っているの」
「何も申し上げることは出来ません」
取り付く島もなく、東吾はそう答えるだけだった。彼方にとっては、予想通りの返答である。そのまま立ち去ると思っていたのに、東吾が珍しく口を開いた。
「天宮の指示は、裏鬼門からおいでになる方をご案内申し上げることです。残念ながら、私はそれ以外のことは存じ上げません。では、これで」
足音もなく、東吾の姿が遠ざかっていく。彼方はやりきれないと言うように、がしがしと頭を掻き回した。
「やっぱり、何を聞いても答えてくれないな」
不平を唱えると、立ち上がる彼方に手を貸しながら、白虹の皇子が「そうでしょうか」と呟いた。
「翡翠の王子――、いえ、こちらでは彼方とお呼びしましょう。東吾はそれなりに答えてくれたのではないでしょうか」
「答えって、えーと、皇子じゃなくて……」
「白川奏です。こちらでは奏で結構です。同郷の友人ということで」
「うん。じゃあ、遠慮なく。ところで、東吾が何を答えてくれたと?」
「彼は裏鬼門を渡った者だけを導く。要するに、鬼門からの来訪には何も関与していないということです。だから、鬼門からこちらへ渡った碧宇の王子のことは知らない。こちらの世界について、碧宇の王子には何の案内もしていないということになります」
彼方は昨夜の経緯を思い出してみる。何度振り返っても衝撃的だが、たしかに碧宇は国の衣装を身に纏っていた。白虹の皇子――奏や自分は、東吾にこの異界に馴染む環境を与えられている。住まいも身なりも語るべき素性も、こちらで過ごすための境遇は完璧に作り上げられているのだ。たしかに、その環境は兄がこちらでは持ち得ない幸運なのかもしれない。
「東吾は兄上を知らないと言うことか。――それにしても、僕や奏には東吾を介して、最低限の関わりを持とうとする。天宮は何を考えているんだろう」
彼方の問いには、奏も首を傾けるだけだった。
「堕天した先守は、こちらの世界で今も顕在している。それは確かでしょうね。私にとっては新たな真実です」
楽しそうに笑う奏は、こちらの世界では珍しい銀髪を閃かす。短くなっているとは言え、彼方には雪の面影を見ることができた。
愛しい翼扶。高く澄んだ笑い声を聞いたのが、ずっと以前のように感じる。
胸を締め付ける切なさと共に、兄の語った自分の立場が蘇った。目の前に現れた奏には、兄の碧宇が発した敵意や、彼方の危うい立場を匂わせる様子は感じられない。彼の妹である雪に対して、奏が何かを懸念しているとも思えなかった。
それでも、やはり彼方には彼女の安否が気掛かりだった。
「あの、――奏」
「はい」
「僕はあなたに、色々と聞きたいことがあるんです」
彼方はもう一度自分の部屋へと戻り、扉を開くと室内へ奏を招く。
「僕には、もう何がどうなっているか良く判らない」
素直に弱音を吐くと、彼方の抱える憂慮を感じ取ったのか、奏の顔からゆっくりと笑みが消える。彼方の滞在している狭い室内で、二人は小さな座卓を挟んで向かい合った。
奏の穏やかな声が、そっと尋ねる。
「彼方、こちらで何かあったのですか」
「――はい」
彼方にかけられた嫌疑。既に奏は知っているのかもしれない。それを伝えるために、彼はやって来たのかもしれなかった。
再び混乱する自分を感じながら、彼方はこれまでの経緯をなぞる。成り行きを整理するかのように、奏に包み隠さず全てを語ってみた。
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