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第三話 失われた真実

第三章:3 赤の宮の杞憂(きゆう)

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 遥の手が柄を持ち直す。躊躇ためらいなく漆黒の刀剣を構え、鋭い剣先が女性と対峙した。遥が一歩を踏み出すと同時に、朱里を抱いていた女性の腕が解かれる。争いに巻き込むことを避けるかのように、彼女はどんと朱里の身体を突き飛ばした。 

「せ、先生」 

 朱里あかりは横へ勢い良く倒れながら叫ぶ。 

「待って、やめてっ」 

 悲鳴と同時に、どっと鈍い音が響いた。暗がりの中で遥と女性は身を寄せ合うような近さで動きを止める。朱里には寄り添う二人の影が、どのような顛末てんまつを迎えているのか判らない。 
 ぽたりと、何かが零れて床に落ちる音が聞こえた。 

 ぽたり、ぽたり、とそれはだんだん間隔が短くなっていく。朱里が目を凝らすと、女性の背中から、体を貫いた剣先が見えた。その鋭い刃先から何かが伝い、ぽたぽたと床に零れ落ちている。 
 遥の刀剣が、間違いなく女性の体を貫いていた。床に描かれた染みが血だまりであることを理解すると、全身に震えが走る。悲鳴が声にならない。 

 いつか見たように、が形作ったという女子生徒の時とは、明らかに状況が異なっている。朱里は力の入らない体で身を乗り出す。這うようにして二人の元へ向かった。 

「容赦はしないと言いながら、……このように手加減をするのですか」 

 ふっと女性が笑ったのが、朱里にも伝わってくる。痛みに耐えているのか、途切れ途切れ女性は続けた。 

「やはり、あなたは、非道になり切れない」 
「宮こそ、どうして王の礼神らいじんを以って剣を止めない?――私が本気であれば、今頃は容易たやす魂魄いのちを失っている」 

「あなたが本気で剣を振るうのなら、いかに力を発揮しようとも、太刀打ちできよう筈がありません。このように情けをかけるあなたの行いが、これからは朱桜を追い詰めてしまうかもしれません。私が案じるのは、それだけです」 
「それだけ?――宮、初めから私を試すために、朱桜を連れて戻るなどと」 

 女性は再び小さく笑う。貫かれた傷が痛むのか、すぐに顔を歪めた。 

「手当てを……」 

 朱里には何が起きているのか判らない。自分を奮い立たせて、何とか言葉を搾り出す。 

「すぐに手当てをしないと、すごい血が……」 

 朱里は刀剣を手にしたままの遥を見る。簡単に人を刺し貫く彼の行動は、どのような経緯いきさつを秘めていても、ただ恐ろしい。 

「先生、どうして、どうしてこんなこと」 

 遥は何も答えず、慣れた手つきでするりと女性の体から剣を引き抜いた。そのまま反動で倒れこみそうになる女性の体を支える。女性は遥に抱えられたまま、傍らで言葉を失っている朱里を見た。 

「心配はいりません。かすり傷です」 
「そんな筈は……」 

 ないと伝えようとしたが、女性すぐに支えを必要とせず毅然と一人で立つ。遥は刀剣を一振りして虚空へ収《おさ》めると、再び女性と向かい合った。 

「赤の宮、すぐに手当てを」 
「必要ありません。闇呪あんじゅきみ、私にも判っているのです。今は誰に託すよりも、あなたの元に在ることが安全なのだと。私も覚悟を決めましょう。変えることのできない運命であるならば、私は知りえた先途せんとを信じます。朱桜すおうは相称の翼として、もう逃れることが出来ない立場にあるのですから」 

「あなたの知りえた先途とは、どのような未来ですか。あの時私に語った以外に何かを秘めておられるのか」 
「――腑に落ちないことが、いくつかあります。今は語ることが出来ません。天帝に禍として討たれるあなたが、本当に相称の翼となった朱桜を守り通してくれるのか。私には信じがたい話でした。けれど、杞憂きゆうに終わったようです。皮肉にも全てが示されたとおりに動き始めてしまいました」 

「あなたに先途を語ったのは、かん先守さきもりですか」 

 女性は自嘲的に笑う。 

「世の行く末を定めるほどの占いを、最高位の華艶かえん以外、誰が語れましょう」 
「では、あなたは一体何を信じておられるのか」 
「私は、朱桜のために残された言葉だけを信じています」 
「朱桜のため?」 

 女性はただ頷くだけだった。それ以上のことは語らないという意志がみなぎっている。 
 理解の及ばない会話。朱里には、既にこの教室が異世界のように思えてくる。女性の手当てをすることが最優先であると判っているのに、なぜか二人の会話を遮ることができない。しかも、二人が語っているのは、相称の翼が関わることなのだ。けれど、それだけを知っていても、朱里には二人の語る成り行きが形にならなかった。 
 自分が二人の語る朱桜ではないかという憶測だけが、恐ろしい勢いで高まっていく。いつのまにかてのひらが冷や汗で濡れていた。 

 無言で女性を見つめていた遥が、降参したように大きく息をついた。 

「残された言葉について、これ以上あなたを問い詰めても無駄なようだ。では、あなたに一つだけ問いたい。黄帝はいかがなされたのか。――この局面においても、まだご自身が動かない。何を考えておられる」 
金域こんいきにおいて、私には腑に落ちないことばかりが……」 

 はるかがわずかに眉を寄せる。 

闇呪あんじゅきみ、私にも黄帝の真意が判りません。各国の王と後継者に相称そうしょうつばさについて語り、捜索を始めたようです。開かれた鬼門から、こちらに渡っている者がおりましょう」 
「追手が放たれたことは知っています。ただ、彼らの目的が明らかではない。相称の翼だけを追っているとも思えなかった」 

 遥が打ち明けると、女性は難しい顔をして傷跡を押さえた。それが痛みからなのか、何かを語ることへの戸惑いからなのか、朱里には判断できない。 

「黄帝はこれを機に、あなたを完璧なるわざわいに仕立て上げるつもりなのかもしれません」 
「仕立て上げる? いまさら、そんな芝居を打たずとも、私が禍となることは周知の事実」 

「……私にもよく判らないのです。ただ、黄帝があなたに敵意を向けたことは間違いがないでしょう」 

 遥は眼差まなざしを細めて、目の前の女性を見た。 

「では、――私が、相称の翼を奪ったと?」 
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