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第三話 失われた真実
第一章:4 共鳴する呵責(かしゃく)2
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「先生?」
寝台に手をついて身を乗り出すと、目覚めた遥と視線があった。以前のように朦朧とした眼差しではなく、はっきりと朱里を捉えている。
「先生、気分はどうですか? 大丈夫ですか?」
彼は朱里を見つめたまま、微かに笑う。横たわったまま腕を伸ばすと、寝台に身を乗り出している朱里に触れた。
ふわりと頭に触れた掌が温かい。
それだけで。
不安に占められていた心に、安堵が満ちていく。
「――大丈夫」
久しぶりに聞いた声は、記憶よりも艶やかに響いた。
朱里の想いを貫く声。
「先生」
突如込み上げてきた感情。
彼を傷つけたという罪悪と、真っ直ぐに彼へと向かう想い。
何かが弾けるように。
心を占める、狂おしいほどの愛しさ。
激しい波に呑まれて、朱里は何をどう伝えればいいのか考えられなくなってしまう。
「良かった。――ごめんなさい。……先生、ごめんなさい」
それしか言葉にならない。
朱里はじわりと涙腺に込み上げてきたものを堪えようと歯を食いしばる。泣いても遥を困らせるだけなのだ。判っているのに、どうしても堪えきれずに涙が零れ落ちた。堰を切ったように溢れ出て、止まらなくなる。
「ごめん、なさい」
しゃくりあげながらも、繰り返し謝る。度の入っていない眼鏡を外して涙を拭うと、いつのまにか寝台に身を起こしていた遥の指先が頬に触れた。
「朱里、私に詫びる必要はない」
「だって、私、先生をひどい目に、あわせてしまって……」
「仕方がない。全て私が望んでやっていることだから。それよりも、私にすまないと思うのなら泣かないでほしいな」
「――はい」
頷いてみるものの、涙は止まらない。胸に渦巻く感情をうまく操れなかった。
「先生、……夏美を救ってくれて、ありがとうございました」
笑顔を向けようとしてもうまくいかなかい。すぐに熱いものが突き上げてきて、視界が涙で揺らめいてしまう。
遥が困るだけだとわかっているのに。
彼の無事を喜ぶ思いと、重傷を負わせた申し訳なさが、朱里の中で大きな波となって次々に押し寄せてくる。
「ごめんなさい、先生」
胸の奥で、止めようもなく連鎖していく想い。自分でもこれほどの激情をどこに秘めていたのかと戸惑ってしまう。気付かずにいた新たな想いが、次々と目覚めるように。
感謝、後悔、罪悪、恋情。
苦しいほどの愛しさと同時に、痛いほどの罪の意識が混ざり合う。
(――ごめんなさい)
「朱里、本当にもう気にしなくてもいい」
遥は責めることもなく、労わるように頬を伝う朱里の涙に触れた。彼の優しさが、朱里の想いを強く刺激する。心の奥底に凝っている何かが訴える。
「先生。私は……」
(私には優しくしてもらう資格がない)
「これは、君のせいじゃない。私が無謀だっただけだ」
遥の顔が涙で霞む。朱里は激しく頭を振って、唇を噛んだ。哀しみと後悔が渦巻いて止まない。遥を傷つけた自分が許せないのだ。
今も、――今までも、ずっと。
「ごめんなさい、私は」
(私は、あなたを苦しめる。――これからも)
自分の中に、共鳴する呵責がある。
目を逸らすことのできない、――深い闇。
「ごめん、なさい」
(私が、あなたを追い詰める。――私が)
だから。
彼には詫びることしかできない。
夢は断たれた。
想いは届かない。
「――朱里?」
深い闇が辺りに満ちる。彼の声が遠ざかる。
何をどのように考えれば良いのかが、わからない。
激情の向こう側に在るのは、深い絶望。
(許されるのなら、消してしまいたかった。自分を)
朱里は突如込み上げた感情の波に浚われる。
まるで胸の底に淀んでいる闇に引き込まれてしまうように。
(彼を追い詰めるだけの自分なんて、いらない。――消してしまいたかった)
希望は断たれた。今、ここに在る理由が判らない。認めたくない。
それなのに。
(それでも、あなたを想ってしまう)
深いところで再び重なりあって、想いが共鳴する。
朱里の中に芽生えた、遥への想いと繋がる。
決して失うことの出来ない、偽りのない気持ち。
「……先生、ごめんなさい」
渦巻く思いは混濁していて、意味のある光景を描き出さない。
朱里は涙に濡れた瞳を閉じて、引き込まれるように意識を失った。
寝台に手をついて身を乗り出すと、目覚めた遥と視線があった。以前のように朦朧とした眼差しではなく、はっきりと朱里を捉えている。
「先生、気分はどうですか? 大丈夫ですか?」
彼は朱里を見つめたまま、微かに笑う。横たわったまま腕を伸ばすと、寝台に身を乗り出している朱里に触れた。
ふわりと頭に触れた掌が温かい。
それだけで。
不安に占められていた心に、安堵が満ちていく。
「――大丈夫」
久しぶりに聞いた声は、記憶よりも艶やかに響いた。
朱里の想いを貫く声。
「先生」
突如込み上げてきた感情。
彼を傷つけたという罪悪と、真っ直ぐに彼へと向かう想い。
何かが弾けるように。
心を占める、狂おしいほどの愛しさ。
激しい波に呑まれて、朱里は何をどう伝えればいいのか考えられなくなってしまう。
「良かった。――ごめんなさい。……先生、ごめんなさい」
それしか言葉にならない。
朱里はじわりと涙腺に込み上げてきたものを堪えようと歯を食いしばる。泣いても遥を困らせるだけなのだ。判っているのに、どうしても堪えきれずに涙が零れ落ちた。堰を切ったように溢れ出て、止まらなくなる。
「ごめん、なさい」
しゃくりあげながらも、繰り返し謝る。度の入っていない眼鏡を外して涙を拭うと、いつのまにか寝台に身を起こしていた遥の指先が頬に触れた。
「朱里、私に詫びる必要はない」
「だって、私、先生をひどい目に、あわせてしまって……」
「仕方がない。全て私が望んでやっていることだから。それよりも、私にすまないと思うのなら泣かないでほしいな」
「――はい」
頷いてみるものの、涙は止まらない。胸に渦巻く感情をうまく操れなかった。
「先生、……夏美を救ってくれて、ありがとうございました」
笑顔を向けようとしてもうまくいかなかい。すぐに熱いものが突き上げてきて、視界が涙で揺らめいてしまう。
遥が困るだけだとわかっているのに。
彼の無事を喜ぶ思いと、重傷を負わせた申し訳なさが、朱里の中で大きな波となって次々に押し寄せてくる。
「ごめんなさい、先生」
胸の奥で、止めようもなく連鎖していく想い。自分でもこれほどの激情をどこに秘めていたのかと戸惑ってしまう。気付かずにいた新たな想いが、次々と目覚めるように。
感謝、後悔、罪悪、恋情。
苦しいほどの愛しさと同時に、痛いほどの罪の意識が混ざり合う。
(――ごめんなさい)
「朱里、本当にもう気にしなくてもいい」
遥は責めることもなく、労わるように頬を伝う朱里の涙に触れた。彼の優しさが、朱里の想いを強く刺激する。心の奥底に凝っている何かが訴える。
「先生。私は……」
(私には優しくしてもらう資格がない)
「これは、君のせいじゃない。私が無謀だっただけだ」
遥の顔が涙で霞む。朱里は激しく頭を振って、唇を噛んだ。哀しみと後悔が渦巻いて止まない。遥を傷つけた自分が許せないのだ。
今も、――今までも、ずっと。
「ごめんなさい、私は」
(私は、あなたを苦しめる。――これからも)
自分の中に、共鳴する呵責がある。
目を逸らすことのできない、――深い闇。
「ごめん、なさい」
(私が、あなたを追い詰める。――私が)
だから。
彼には詫びることしかできない。
夢は断たれた。
想いは届かない。
「――朱里?」
深い闇が辺りに満ちる。彼の声が遠ざかる。
何をどのように考えれば良いのかが、わからない。
激情の向こう側に在るのは、深い絶望。
(許されるのなら、消してしまいたかった。自分を)
朱里は突如込み上げた感情の波に浚われる。
まるで胸の底に淀んでいる闇に引き込まれてしまうように。
(彼を追い詰めるだけの自分なんて、いらない。――消してしまいたかった)
希望は断たれた。今、ここに在る理由が判らない。認めたくない。
それなのに。
(それでも、あなたを想ってしまう)
深いところで再び重なりあって、想いが共鳴する。
朱里の中に芽生えた、遥への想いと繋がる。
決して失うことの出来ない、偽りのない気持ち。
「……先生、ごめんなさい」
渦巻く思いは混濁していて、意味のある光景を描き出さない。
朱里は涙に濡れた瞳を閉じて、引き込まれるように意識を失った。
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