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第三話 失われた真実
第一章:1 噂1
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朱里は教室を出ると、一目散に階段を駆け下りて昇降口へ向かう。靴を履き替える時間も惜しいという勢いで校舎から飛び出した。
「ちょっと待った、委員長」
校庭を駆け抜けていこうとする朱里の前に、立ちはだかる人影があった。朱里は突然の障害物に面食らって、勢いを殺しきれず不自然に立ち止まる。目の前に現れたのは、留学生という肩書きを持つ級友――彼方=グリーンゲートだった。彼は「良かった、間に合った」と大きく息を吐く。
朱里はこの一週間、まるで一刻を争うかのような、猛烈な勢いで帰宅していた。
「彼方、びっくりした」
朱里は胸に手を当てたのも束の間で、すぐに「どうしたの?」と気を取り直し、すたすたと早足に歩き出す。何があろうと一刻も早く自宅へ帰りたいという思いが、行動に滲み出ていた。
「あ、ちょっと、委員長ってば」
彼方は追いかけながら声をかける。朱里は歩きながら彼方を振り返って、急ぐ理由を素直に語った。
「彼方は私が早く帰らなきゃならない理由、判ってくれるよね」
「――副担任の看病、でしょ?」
心得ているという顔をしてから、彼方は歩きながら指先で眼の下を示す。
「すっごいクマ。それに顔色も良くないし。このままじゃ委員長まで倒れそうだよ」
「私は平気。それより」
朱里は少しだけ声を低くして説明する。
「あれから一週間も経つのに、先生はまだ目覚めないの。麟華も麒一ちゃんも休んでばかりいられないし」
「それは判るけどさ。とにかく僕の話を聞いてよ」
強引に腕を掴んで、彼方は朱里を立ち止まらせた。
「人に聞かれるのもどうかと思ってずっと放課後を狙っていたのに。委員長ってば、あっと言う間に帰っちゃうからさ。さすがに委員長の幼馴染も怪しんでいたよ」
「えっ? それはないよ。夏美も佐和も、私が先生の看病を任されていること知っているし」
「だけど、彼女達も――誰も本当の事情を知らない。副担任があれほどの重傷で倒れているなんて知らないよ。だから、委員長の様子は不自然に見えるんじゃないの?」
彼方の推測は正しいのだろう。朱里は周りが見えていなかったのだと、自分の浅はかさを反省してしまう。返す言葉のない朱里を見て、彼方は面白そうに顔を綻ばせた。
「委員長ってさ、すごく健気だよね」
彼は笑いながら、朱里に優しい眼差しを向ける。朱里は副担任である遥への想いを見抜かれているような気がして落ち着かない。
「だって、先生をあんな目にあわせた責任があるし。それに、そういうことを抜きにしても、意識不明の状態が続いていれば心配になるよ」
「うん。それは判るよ。でも、委員長は副担任のことが好きでしょ?」
否定しようとしたが、何かを言葉にする前に、朱里はカッと頬が染まるのを感じた。彼方は笑顔のままで、じっとこちらを見つめている。
「僕としては、委員長の気持ちを応援してあげたいけどさ」
彼方はそこで一呼吸置いて、表情を改めた。労わりと厳しさを含んだ声が語る。
「応援してあげたいけど、――できないな。委員長は天宮に名を連ねる者だから、副担任に関わるなと言っても無理かもしれない。でも。それでもね、出来るだけ副担任とは関わらないほうが良いよ。必要最低限の接触でとどめておくべきだ。深入りしない方がいい」
彼方の言葉には、警告めいた響きがあった。
朱里の知らない彼らの世界。彼方が発する警告の理由は、その異世界にある。朱里に察することが出来るのは、それくらいだった。遥に関わることが、どのようにいけないのか判らない。
「どうして?」
思わず問いかけてしまうと、彼方は困ったようにくしゃくしゃと頭を掻いた。
「それは、……なんていうか、その、委員長には何の得にもならないっていうか」
朱里は首をかしげてしまう。副担任である黒沢遥の看病をすることに、自分の利益を求めているわけではない。彼が異世界の住人であることは心得ている。遥に尽くしたからと言って、彼の想いを手に入れられるとも思えない。住む世界が違うのだ。看病はささやかな罪滅ぼしにすぎない。
「あの、私は先生に見返りを求めているつもりはないけど」
「だから、そういう意味じゃなくて」
彼方は唸りながら腕を組んで、適当な言い回しを探しているらしい。
「その、どう言えばいいのかな。とにかく委員長は、副担任の傍にいたいって思うわけでしょ?」
「え、それは、べつに……」
もごもごとはっきりしない朱里に構わず、彼方は話を続けた。
「委員長の兄姉に怒られるかもしれないけど、はっきり言うよ。副担任の身近にいるのは危険だと思う。僕達の世界で、彼は確執や騒動の中心にいるんだ。それに、副担任は委員長が思っているような善人じゃない。少なくとも僕達の世界では、誰もが恐れる危険人物だった」
朱里は目を丸くして彼方を見つめる。
「誰もが恐れる危険人物? 先生が? 彼方もそう思っているの?」
「僕は、――そう思っていた」
「思っていたって、過去形?」
「僕には、何が真実なのかが良く判らない。副担任に出会うまでは、もっと恐ろしくて醜くて、誰に対しても容赦がないと思っていたから。この世界で副担任として大人しく振る舞っていることも、委員長の頼みを受け入れたことも、僕の想像していた彼とはかけ離れているように思う」
「別人かもしれないということ?」
「それはないと思う」
彼方はゆっくりと首を横に振る。
翡翠をそのまま埋め込んだかのような美しい碧眼に、困惑が見て取れる。俯いた彼方を見ながら、朱里はこれまでの遥の言動を振り返ってみた。
理科室の前に現れた奇怪な女生徒をためらいなく切り捨てる酷薄さや、親友の夏美をためらいもなく葬ってしまおうとした非情さ。
たしかに彼方の語ったとおり、彼は信じられないくらい冷淡な面も持ち合わせているのだ。
「ちょっと待った、委員長」
校庭を駆け抜けていこうとする朱里の前に、立ちはだかる人影があった。朱里は突然の障害物に面食らって、勢いを殺しきれず不自然に立ち止まる。目の前に現れたのは、留学生という肩書きを持つ級友――彼方=グリーンゲートだった。彼は「良かった、間に合った」と大きく息を吐く。
朱里はこの一週間、まるで一刻を争うかのような、猛烈な勢いで帰宅していた。
「彼方、びっくりした」
朱里は胸に手を当てたのも束の間で、すぐに「どうしたの?」と気を取り直し、すたすたと早足に歩き出す。何があろうと一刻も早く自宅へ帰りたいという思いが、行動に滲み出ていた。
「あ、ちょっと、委員長ってば」
彼方は追いかけながら声をかける。朱里は歩きながら彼方を振り返って、急ぐ理由を素直に語った。
「彼方は私が早く帰らなきゃならない理由、判ってくれるよね」
「――副担任の看病、でしょ?」
心得ているという顔をしてから、彼方は歩きながら指先で眼の下を示す。
「すっごいクマ。それに顔色も良くないし。このままじゃ委員長まで倒れそうだよ」
「私は平気。それより」
朱里は少しだけ声を低くして説明する。
「あれから一週間も経つのに、先生はまだ目覚めないの。麟華も麒一ちゃんも休んでばかりいられないし」
「それは判るけどさ。とにかく僕の話を聞いてよ」
強引に腕を掴んで、彼方は朱里を立ち止まらせた。
「人に聞かれるのもどうかと思ってずっと放課後を狙っていたのに。委員長ってば、あっと言う間に帰っちゃうからさ。さすがに委員長の幼馴染も怪しんでいたよ」
「えっ? それはないよ。夏美も佐和も、私が先生の看病を任されていること知っているし」
「だけど、彼女達も――誰も本当の事情を知らない。副担任があれほどの重傷で倒れているなんて知らないよ。だから、委員長の様子は不自然に見えるんじゃないの?」
彼方の推測は正しいのだろう。朱里は周りが見えていなかったのだと、自分の浅はかさを反省してしまう。返す言葉のない朱里を見て、彼方は面白そうに顔を綻ばせた。
「委員長ってさ、すごく健気だよね」
彼は笑いながら、朱里に優しい眼差しを向ける。朱里は副担任である遥への想いを見抜かれているような気がして落ち着かない。
「だって、先生をあんな目にあわせた責任があるし。それに、そういうことを抜きにしても、意識不明の状態が続いていれば心配になるよ」
「うん。それは判るよ。でも、委員長は副担任のことが好きでしょ?」
否定しようとしたが、何かを言葉にする前に、朱里はカッと頬が染まるのを感じた。彼方は笑顔のままで、じっとこちらを見つめている。
「僕としては、委員長の気持ちを応援してあげたいけどさ」
彼方はそこで一呼吸置いて、表情を改めた。労わりと厳しさを含んだ声が語る。
「応援してあげたいけど、――できないな。委員長は天宮に名を連ねる者だから、副担任に関わるなと言っても無理かもしれない。でも。それでもね、出来るだけ副担任とは関わらないほうが良いよ。必要最低限の接触でとどめておくべきだ。深入りしない方がいい」
彼方の言葉には、警告めいた響きがあった。
朱里の知らない彼らの世界。彼方が発する警告の理由は、その異世界にある。朱里に察することが出来るのは、それくらいだった。遥に関わることが、どのようにいけないのか判らない。
「どうして?」
思わず問いかけてしまうと、彼方は困ったようにくしゃくしゃと頭を掻いた。
「それは、……なんていうか、その、委員長には何の得にもならないっていうか」
朱里は首をかしげてしまう。副担任である黒沢遥の看病をすることに、自分の利益を求めているわけではない。彼が異世界の住人であることは心得ている。遥に尽くしたからと言って、彼の想いを手に入れられるとも思えない。住む世界が違うのだ。看病はささやかな罪滅ぼしにすぎない。
「あの、私は先生に見返りを求めているつもりはないけど」
「だから、そういう意味じゃなくて」
彼方は唸りながら腕を組んで、適当な言い回しを探しているらしい。
「その、どう言えばいいのかな。とにかく委員長は、副担任の傍にいたいって思うわけでしょ?」
「え、それは、べつに……」
もごもごとはっきりしない朱里に構わず、彼方は話を続けた。
「委員長の兄姉に怒られるかもしれないけど、はっきり言うよ。副担任の身近にいるのは危険だと思う。僕達の世界で、彼は確執や騒動の中心にいるんだ。それに、副担任は委員長が思っているような善人じゃない。少なくとも僕達の世界では、誰もが恐れる危険人物だった」
朱里は目を丸くして彼方を見つめる。
「誰もが恐れる危険人物? 先生が? 彼方もそう思っているの?」
「僕は、――そう思っていた」
「思っていたって、過去形?」
「僕には、何が真実なのかが良く判らない。副担任に出会うまでは、もっと恐ろしくて醜くて、誰に対しても容赦がないと思っていたから。この世界で副担任として大人しく振る舞っていることも、委員長の頼みを受け入れたことも、僕の想像していた彼とはかけ離れているように思う」
「別人かもしれないということ?」
「それはないと思う」
彼方はゆっくりと首を横に振る。
翡翠をそのまま埋め込んだかのような美しい碧眼に、困惑が見て取れる。俯いた彼方を見ながら、朱里はこれまでの遥の言動を振り返ってみた。
理科室の前に現れた奇怪な女生徒をためらいなく切り捨てる酷薄さや、親友の夏美をためらいもなく葬ってしまおうとした非情さ。
たしかに彼方の語ったとおり、彼は信じられないくらい冷淡な面も持ち合わせているのだ。
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